【産経】茅葺きから土屋根に変わる縄文時代の復元住居 30年の研究成果 年間通して土屋根かも議論に [みの★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
かつて近世の古民家のような茅葺きに復元された縄文時代の住居が、土をかぶせた屋根に変わってきた。発掘調査に基づいており、新たに復元整備される遺跡では土屋根が主流になるとみられる。31日まで開催中のユネスコ世界遺産委員会では、土屋根が複数箇所で見られる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通し。縄文集落の景観イメージは大きく変わりそうだ。
■まるで土饅頭
裏側から見ると、まるで土饅頭だ。「北海道・北東北」を構成する17遺跡の一つ「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)の復元住居は土で覆われ、従来の茅葺きとイメージを大きく違える。「風が入らず、保温性が高い」(同町教育委員会)という。
茅葺きのイメージがあるのは、現在見られる復元住居の多くが茅葺きのためだ。縄文や弥生時代の家は、地面を掘りくぼめて複数の柱を立て、その上に屋根を掛けた半地下式の竪穴住居。床のくぼみや柱穴は全国で見つかっているが、失われた屋根は遺物などから推測して復元される。
茅葺きは戦後間もなく、弥生時代の集落・水田跡「登呂遺跡」(静岡市)などで竪穴住居が復元された際に採用されたが、当時は屋根の素材が分かっていなかった。
登呂遺跡では水田と集落が一体となって確認され、考古学ブームが発生。教科書にも載せられ、水田稲作のイメージとともに茅葺きも定着した。埋蔵文化財は地表に建物がなければ集客が難しい。各地の遺跡で茅葺きを参考に復元整備が行われた。
…続きはソースで。
https://www.sankei.com/article/20210718-M6ILDY3F35LSVNRV5QOVOK4T2U/
2021年7月18日 8時00分 >>2
通気孔があったかも知れない。物証はないが。
少なくとも俺らと同じ脳みそが付いていたのだから、何かしら工夫をしていたのでは無いだろうか 昔田舎に茅葺屋根の土間があったが、夏涼しかったなぁ。
茅葺自体は通気性はあまり無いと思うのだが、通気は窓からで土乗っければそれなりに涼しいのでは。
ただし、ジメジメは仕方ない。
あるいは真夏は別の小屋があったかもだが。 縄文時代は人類が二酸化炭素吐きまくったせいで
現代より平均気温高かったんだろ
なら夏涼しいほうが重要だろう >>2
上部の穴は、茅葺屋根でもある煙出しだな
通気性は十分にある 寒冷化があったから現在の気候・環境は参考にならないと思う 古民家は風通しが良いから涼しいという人が居るけど、それは間違い
断熱性や蓄熱性の高い土壁を使っているから涼しい
特に厚い土壁を使ってる土蔵はひんやりしてる 竪穴式住居は高台にでも建てないとすぐ水没しそうだよな
まあ水没して困るようなものもないかもしれないけど 知る人ぞ知る米小説の大草原の小さな家シリーズにソッド・ハウスという開拓民が住んだ土壁の家が出てくる
本来は木の少ないプレーリーで豊富な芝を利用するものらしいが
小説(事実を元にしてる)では川辺の土手に掘られた穴にドアや小窓をつけたもので冬暖かく夏涼しいとされてる
ただし湿度が高くなりがちらしいので縄文版で梅雨対策をどうしていたのかは研究の余地がある
>>1の通り北東北が南限なんじゃないだろうか? >>15
縄文時代の住居は高台に作られるのが基本
現在平野になっている場所は縄文時代は海の底か低湿地なのでそもそも住めない
雨に対しては流れこなまいように建物の床を掘り下げた土で周りに堤を作ったりその外に溝を掘ったりしている >>17
高台ってどのくらいの規模の話してる?
サイタマーの黒浜は確かに現在の丘上に集落があるが当時は海岸が目前に迫っていて高所と言えるような海抜じゃなかった >>2
夏と冬で移住していただろうっていう集落もあるみたいだ
ここがそうかは分からないけど >>17
高台って不便じゃね
生活用水の確保が大変
当時は大きな水瓶なんて無理だろうし 梅雨時や台風の豪雨の季節はどうしていた?
雨が降るたびに屋根が流れるぞ?? 我々が想像するより進んでいたと思うけどね
古来から造船技術や航海術とかあるから海を渡るんだろ?
魚も釣らないといけないし、藁舟で魚を獲りに行くか普通? 近所にコンビニが無いと生きていけない俺たちが
古代人を上から目線で語るのはおこがましい 現代人はトイレットペーパーがないだけでパニックだからな まあ縄文時代は、まあまず筆記や文字の"文明"はなかったから
(とはいえ"言葉"はあったと思う。日本語かどうかは知らんけどw)
試行錯誤そのものの1万年だったろうがね。
ともあれウリもいつも言うが縄文人と言えども脳容積とか体格骨格、
つまり潜在的な知力体力筋力のような生物としてのデフォルトは
現代人と一切変わらないんでそこは現代人がそうであるように、
いや法や倫理や科学といった文明的桎梏がない分
色々な意味で"自由"な快適性への追求はあったろうね。
で、あらばこそ土盛りが快適だと思えばそうしたろうよ。
ま、ひとつ気になるのは縄文人は調理に煮炊きとかしていたわけで
そこの排気手当はやっぱりしていたんだろうねえ。万障繰り合わせて。
いくら縄文人でも室内が煙だらけでは自らを燻り出してしまうwww >>22
どうしていたかはわからないけど、もちろん雨水への手当はしていたろうね。
まあ、簡単な考えだと土羽土(っていうのかな)を叩く、
あるいは草木を乗っける…ってかはやすのがいいだろうね。
これはね現在でも土木のね、まさに法面(斜面)保護工の一つに
芝生とかを植える植生工や種子散布工があることからもわかる。
その目的の一つはいうまでもなく水の流れによる浸食や崩壊の防止だね。
ついでに土木ネタで思い出したけど、当たり前だけど縄文人も考えるもので
竪穴式住居は半地下(夏涼しく冬温かい!)が原則なんだけど
半地下といえども雨水が入ってきてはたまらない、というわけで
住居の周りには往々にして溝を掘ったりして雨水が入らないようにしていたもんだぞ。 >>2
農耕以前だと、チガヤとかススキなんかは周りになかったかもしれない
つまり適当な植物性の屋根材が供給されない環境だから土だったのかもしれないね >>2
地面とかなり熱量の交換があるから
夏でも暑くないと思う >>26
>>2の画像みたいな感じだと、茅葺屋根と同等の排煙能力はある
でも煙いのは煙いけど >>1
100年家を保つのは難しい、湿気と雨と災害の多い日本には相応しいのでは
やたらと高いタワマンとかビル群や戸建ては、地球も重たいでしょう >>18
貝塚って言われる場所からの出土も多いし、どうなんだろね 世界初の高気密高断熱住宅だな。
現代文明はようやく縄文人に追いついたようだ。 >>31
地球はヒマラヤ支えるほど力持ちだから重くないぞ
そもそも鉄やセメント全部が元々地球の物
人がほんのちょこっと位置を移動しただけだぞ >>19
現代と環境が違う。
1300年以上前の話だよ? まぁ地面を掘ってるんだから土出るしな
茅を探してくるより効率的だろう 一般的に縄文期と呼ばれる期間だけでも
かなりの気候変化があったみたいだから
どの時期かによるんじゃないかね >>36
1300年前は普通に奈良時代やろw
3000年とか4000年とかそんな昔の話だぞ
この時代の2000年後にやっと法隆寺とか建つようなそんな気が遠くなるような昔の話 >>39
季節によって居住地を変えていたかもしれないしね。もしかしたら、移ったところが良かったので、もとの場所に戻らないとかもあったと思う。 どうせスレも早々に終わるから備忘録代わりにヨタ話をするけど
古事記ってあるじゃん? そこに中巻以降は神武天皇以降の歴代天皇の
列伝…じゃなかったw 紀伝、本紀があるわけだけどさ。
(ちなみに上巻は神話。下巻は雄略天皇以来の本紀)
その巻頭の神武天皇の条ねえ。
大きく3つに分けると最初に神武東征の征服伝があって
最後に神武天皇没後の皇位継承戦争が書かれているんだよ。
じゃあその間にはなにが? そうお妃をめとるための
ラブストーリーなんだよねw そういう話なんだよwww
で、まあ実は事実上の正妻(2代綏靖天皇の母)は後妻なんだけど
正式に宮殿入りする前に、まあ一晩を過ごしちゃうわけだよ。
初代天皇は婚前交渉やってたわけだねw
(つづく) (>43つづき。例によってのはっちゃけトークだYO!)
んでもって、のちに神武天皇の奥さんが宮殿(樫原宮なんすかね)に
やってきてからの神武天皇が自ら詠んだ御製、和歌が古事記に残っている。
「葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し」ってね。
葦のはえる川の近くの原の(ロケーションは古事記の前段であかされている)
きったねえ小屋で、(当時高価な)菅の畳をきれいにしいて、一所にぼくら寝たっけねえ
とまあ、素読すればそういう意味だよね。これはラブソングだよねwww
これねえ、一応、素直に古事記に解釈すれば新婚早々に奥さんがやってきてから
詠んだ歌ってことになってるんだけど、親韓左派のウリは個人的には異論があってw、
これさあ、神武天皇夫妻が晩年、どちらもお爺さんお婆さんになってから
ふと思い出して詠んだ歌といった方がグッとこない?www
その傍証じゃないんだけど、このね、ラブソングを紹介した直後に
三人の子どもの名が紹介されて、次の行で「故、天皇崩後」と
古事記において、神武天皇はあっけなく亡くなられたことが紹介されます。
まあ前述の皇位継承戦争の記事があるんだけどさ、当然本人は出てこない。
(しかし皇后は出てくる。つまり奥さんは神武天皇より長生きしたんだね
で、古事記の神武天皇条の最後に宝算137歳と紹介されるけどね)
(もうちょっとつづく) >>44
割と面白い。廃れたスレの活用としても良いな。
ニュー速+はすぐ落ちるし。 (>44つづき)
で、まああの、その神武天皇の時代は、
あの、欠史八代じゃないけど、あの時代の話がガチの史実がどうかは知らんけどさ
(137歳まで確実に生きた人士は現生地球人にはいませんなw
あ、まあ神武帝は普通欠史八代とはいわないけれどニュアンス的に多少はね?)
まあ一応、建国記念の日なんてあるように、ともあれ神武天皇即位が
紀元前660年ってことに日本国政府公式にはなってるんですかねw
まあその前後にね、きったない小屋はあったんですね。
どういうものかしらないし、まあ当時の皇統である以上は
おそらくは偉大なる大韓からやってきた渡来人系統か知りませんし
だとすれば、普通に弥生時代の弥生人かしりませんがね(ヒヤヒヤ
昨今はね、縄文弥生の時代って諸説あるんだけど
紀元前660年、7世紀ですか、これ縄文時代なんだよねw 昔風に言えばw
縄文時代に神武天皇がいて、奥さんと一夜を過ごした「小屋」
それがどんなものだったか想像するのに、
>1の話題はなかなか興味深いお話でございますね。
(どーせこんなスレはそうそうにDAT落ちしちまうんだろうが
偶然目にした2ちょん名物自称愛国者ネトウヨくんたち、ツイてるねw
たぶんチミら、古事記なんて読んだこともないんじゃないの?
大和心も兄の国である偉大なる大韓や大中華のカラゴコロ(韓心or漢心)もしらず
チミら白人至上主義者の諸君らが知り敬するのは尊崇する欧米白人の白心w、
さもなきゃ萌えアニメの萌心、くらいだろうからなあwww) >>45
ヲーーーーー、ご評価カムサw
貴見のカキコには今気が付きました。
言うまでもなく>46で一般的な読み手、ギャラリーを想定した
ネトウヨどもへのツマラナイ煽りが書いてありますがw
これをポストしたときはまだチミの玉稿は知りませんですた。
実は本日暇つぶしに何の手なしにノールックでかばんに放り込んだ
古事記(カバー付きなんでなんの本かわからないw)を
人待ちの時間にテケトーに読んで感銘を受けたんでw
なんか書いてやろうと思ってたらこのスレを思い出した次第www
まあ、あまりギャラリーの反応を期待せずに書いたんで
そうご評価いただければ望外の幸福でございます。
レスカムサ、ありがとねw d<*`∀´*>b ブイブイ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています