【歴史】「牟田口はシンガポール攻略までが能力のシーリング(天井)だった」 インパール作戦失敗招いた学歴エリートの限界 [樽悶★]
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今年は「太平洋戦争」(1941~45年)開戦からちょうど80年。圧倒的な国力の差があった米国との戦争になぜ踏み切ったのか。「最初から勝てない無謀な試みだった」と結論を急いでしまうと、今日にも通じるさまざまな教訓を見逃すことになりかねない。軍事史研究の藤井非三四氏は「陸軍大学卒業生の優遇や複雑な派閥の人間関係が人事政策を誤らせた」と分析する。陸軍の失敗は現代の企業社会にいくつかのヒントを与えてくれるかもしれない。
■「俺には過ぎた師団長らだ」と自慢
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しかし合計約9万人を投入したともされる戦いの結果は、多くの日本兵が飢えや疫病で病死・戦死し、撤退ルートは「白骨街道」と呼ばれた。東条英機内閣が瓦解する要因のひとつにもなった。第一線を担当した3人の師団長は全員途中で解任され、1人は異例の「無断撤退」も引き起こした。しかし作戦開始の前、司令官の牟田口廉也中将は「俺には過ぎた師団長らだ」と自慢していたという。
山内正文・第15団師団長は陸大卒業後に「一選抜」で昇進を重ねたトップクラスの中将で、駐米経験が長く陸軍きっての米国通で知られていた。柳田元三・第33師団長は、陸大の「恩賜組」(卒業時の成績が1〜6番、トップは首席と呼ばれる)で在ポーランド武官などを勤めた対ソ連(現ロシア)情報関係の超A級エキスパートだ。佐藤幸徳・第31師団長も陸大卒業組。中国戦線で野戦の経験を積んだ武人肌だった。藤井非三四氏は「エース級がそろっていたが、事情通ならば不安も感じた人事だっただろう」と話す。
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■「冷静な情報エキスパートは野戦には向かない」
牟田口司令官と柳田師団長は以前から感情面であつれきがあったとされる。牟田口は陸軍内の派閥「桜会」の主要メンバーだった。国家改造を目指し三月事件、十月事件といったクーデター未遂事件に桜会は関与したという。牟田口は参謀本部内で「同志」拡大に駆け回ったが、柳田は相手にしなかったとされる。
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牟田口と佐藤師団長は同じ派閥に属していた。しかし「佐藤はあるとき過激な講演を地方で行い、参謀本部の庶務課長だった牟田口が強く叱責したことで双方に悪感情が残った」と藤井氏は話す。佐藤と同期で、参謀本部の中枢である作戦部長を務めた田中新一・第18師団長は「佐藤では無理だ。俺が代わって行く」と語ったというエピソードも残っている。
インパール作戦の兵たん軽視は、作戦開始前から佐藤らが指摘していた。戦闘の経過とともに食料が極めて乏しくなり、佐藤はたびたび撤退を進言したが、牟田口は戦闘継続を命令した。そのため双方の対立はヒートアップし、佐藤は司令部に「抗命」する形で撤退に踏み切った。中将というハイクラスの将官の抗命事件は初めてだった。「高級幹部人事になればなるほど、有能な者を集めればよいというものではなく組み合わせが重要なことをインパール作戦は教えている」と藤井氏。解任された3師団長の後任は非陸大出身者が任じられたという。
牟田口が学歴重視の陸軍人事ルールの中で優秀な人材と評価されたことは間違いない。中尉任官のすぐ後に難関の陸大に合格し、卒業後は18年間も中央の陸軍省と参謀本部の中央を行き来した典型的なエリート軍人だ。1937年に日中戦争の端緒となった盧溝橋事件で現地の連隊長として「武力解決」を進め、41年の太平洋戦争におけるシンガポール攻略では自ら負傷しながら早期に陥落させた。しかし藤井氏は「牟田口はシンガポール攻略までが能力のシーリング(天井)だった。複数の師団を動かし補給を管理するという、より高い天井は持っていなかった」と結論付けている。
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陸大受験の喜悲劇を体現したのが東条首相だった。父親は陸大1期首席で陸軍きっての秀才とうたわれた英教中将。英機本人も優秀だったが陸大受験は2回とも不合格だった。落ち込む東条を見かねて永田鉄山(後の中将、陸軍省軍務局長)ら先輩の秀才エリート組が家庭教師を買って出て受験テクニックをたたき込み、3回目で合格させた。後年、家庭教師役の先輩らが対立し、自らも一方の派閥の主役を務めるとは、東条本人は思いもしなかっただろう。
■複雑な派閥関係で生き残った辻参謀
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陸軍人事で管理しきれなかったケースが1939年の「ノモンハン事件」を引き起こした辻政信参謀だ。(続きはソース)
日経BizGate 8/15(日) 12:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210815-00010000-nkbizgate-bus_all
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210815-00010000-nkbizgate-000-1-view.jpg 学歴じゃなくてジャップの限界な
そうやって事実を正しく認めないから失敗するんだよ >>1
近代戦で、兵站が確保されないまま大規模浸透戦なんてできるわけがない。
誰が実戦指揮してもダメ。
実際佐藤の後任も何もできなかった。
バカは相性良けりゃ兵糧弾薬なしで戦争ができるとでも思っているのかよ。
まぬ。 >先輩の秀才エリート組が家庭教師を買って出て受験テクニックをたたき込み、3回目で合格
東條個人がどうっていうより、こんなんで国家のエリート決めてるから負けたんじゃねえの
まあ今もそうだけどさ 荷物を運ぶはずのトラックをバラして兵隊がトラックと荷物を担いで険しいアラカン山脈を越える
ちょっと意味がわからないw >>2
逃げてない。
キルポイントまで退却して、補給なく戦線が伸び切った日本軍を個々に包囲して撃滅。 参謀本部で一番将棋が強かった牟田口廉也。
彼が前線指揮官になる事なくずっと参謀畑を歩いていれば、後世の評価だけでなく日本の歴史も変わっていたかもしれない。 >>10
まあ、幸運は責任者の手柄にできる。
そして幸運を呼び寄せたのは山下奉文であって、こいつじゃない。 >>12
違う。
牟田口以外は誰もそもそも考えてもいない。
周りが止めるために別の不可能とわかる作戦を上級司令部に出させて止めさせるというやり方で止めていた。
インドは日本軍は侵攻を予定していない地域で、方面軍クラスの決断で侵攻できるわけではない。 ジャップは上が無能で下が有能だとする説には賛成できないな
下が出世して上になるのではないか。つまりジャップは上から下まで無能だと言う事 成功すれば名将失敗すれば愚将
乃木はギリギリ旅順を落としたから赦されたが牟田口は失敗したから永遠に愚将 >>18
誰?
書いてみな。
>>20
上は無能で、下はバカだ。
そして、上も下も貪欲でアホ。
だが、上なんだから、下のバカで貪欲なアホの行為の責任は取らないとね。 ことあるごとに無能非道の象徴として名前出てくるけど
直径子孫はいるのかね >>21
インパール作戦の他に
戦後にインパール作戦は悪くないて主張して死んで行ったから
ここまで叩かれてる気がする >>19
無知が何を言っているのか?
インド洋からの蒋援ルート攻略は陸軍の大事な作戦だわ。
本来なら海軍がインド洋の輸送船団を撃破しなきゃならんのに、勝手に米国を挑発し、対米開戦 >>9
ロンメルも同じような感じで補給線伸びきった後は英軍に物量で押し切られてアフリカから追い出されたよな。
アフリカは補給拠点が限られてるうえに戦力も乏しい状況では動けるうちにできるだけ敵を撃破して回るしか手が無かったんだろうけど。 あーそういや203高地かなんかの映画でも乃木の家に石投げられてた >>21
正直乃木希典も聖将とは言われるが名将かと言われるとね。
児玉が出張ってる以上旅順では優秀とは言えないし、西南戦争の時から名将としての逸話はないね。
某会戦の時には、激戦で前進できない時に前進しろと言われては、司令部を最前線にして、指揮命令に困難が生じたと言う話もある。
名将なら絶対にやらないミスだよ。 >>1
補給軽視
兵隊の命 軽視
作戦軽視
索敵軽視
ほんと有能 >>25
違うよ、海軍善玉論、陸軍悪玉論を流布した連中がインパール攻略作戦をさも無意味かのように宣伝したんだよ。
左翼並みに悪質なやり方 >>27
バカ?援蒋ルートは北東部であって、インパール作戦の北西部ではない。
地理すらわからないバカ。
>>28
近代戦で補給絶たれたら全滅するか降伏するしかないからね。 >>1
違うだろ
そうやって作戦の失敗を個人の能力の限界のせいにする
日本の文化こそが失敗の原因だろ 戦後も見事なまでにクズを貫いて死んでいった
アッパレだ! 「日本人は元来草食である」
ヴィーガンなら牟田口支持するの? 単純に、インパールは攻勢限界の外だったってことだよな
それを覆すには生半なやり方じゃ無理なんだけど…
さすがに牟田口も分かってたはず
それをヤケクソみたいな作戦で突っ込んだ
将兵の命より国家の行く末よりも己の襟に付いてる星が大事だったんだろうかね >>33
名前も出せないバカが、デマ捏造しても無駄だよ。
そもそも第二次大戦は日本は陸軍のバカの暴走で戦いの大半を意味のない戦場で戦うことを余儀なくされている。
大戦略で陸軍がバカをやって負ける素地ができ。
個々の戦いで、蛙飛びに対応できでない陸軍がまともな防衛戦を戦えず負け戰を重ねた。 牟田口中将が愚将て叩かれるのは
戦後に「インパール作戦は悪くない」「部下が悪かった」
とか自己弁護で死んで行ったからだと思う
素直に大西中将みたく責任取って切腹していたら
評価は少し違ったと思うんだよな 戦後無駄口が頃されなかったところに日本人の民度の高さを感じるな 牟田口が主導した作戦だけどそれにOK出した方面軍やら大本営のほうが問題あるんじゃねえの?
牟田口がアホだったとしてもそのアホの言い分が通る軍の構造や体質が一番の問題 佐藤中将の独断退却の話は隠蔽体質の今の日本と通ずるものがある >>43
そういうことだよな
もちろん牟田口が愚将の評価を受けるのは当然として >>7
そういう判断ができなかったことも含めて、日本の負け 今の日本も体質が変わってないのが恐ろしいよな
公文書改竄したら普通は重罪なのに
逆に出世した役所があるらしいw 菅は段ボール工場作業員までが能力のシーリングだった >>39
牟田口は単にインドち行きたかっただけなんだよ。
バカだから何もわからない。
>>41
違う。
すでに作戦発動前から失敗すると全ての人がわかっていた作戦だった。
それをゴリ押しした。
それまではなんとか上も下も牟田口のバカを止めていたが、ある時の上級司令部の参謀がバカで作戦よりも友達が大事ということで、牟田口を男にしてくれとあちこちに泣き落としや文字通りの脅しを使ってこの作戦のお膳立てを作った。
上級司令部はそれでも全体としては無理との判断だったが、牟田口が絶対やれますと言って始めて、ごく初期以外、包囲され殲滅され、包囲もされていないのに、食糧無くて全滅とか主要部隊は目的地から遥かに離れた場所で行き詰まった。
その状況でイギリスは攻勢をかけてボロボロになっていた日本軍をあっさり屠った。
どうやっても勝ちようが無く、やることになんの意味もない作戦だった。 >>37
牟田口も司令官ではなく参謀なら良かったのかねえ? >>43
それまでは止めていたんだけどね。
幕僚も部下も上級司令部も。
牟田口男にしてくれと何落とす基地外が上級司令部に来たからこうなった。
当たり前だが、司令官個人の趣味を実現するために軍を全滅させるとわかっていて動かしたのだからこいつはとんでもない。
でも、こいつも牟田口もある意味ビルマ戦線での連合国の最大の功績者どからA級戦犯にはなっていない。 インパールの話が出る度に牟田口の話は出れど宮崎繁三郎の話が出ないのが何だかなぁ…ってモヤモヤする。
ノモンハンの戦いやコヒマの戦いなど戦勲抜群だろが… 厚生労働省の医師免許もっている国家公務員軍団のコロナにおけるミスをドキュメンタリーしてほしいわ hearts of ironで盧溝橋事件から2〜3か月以内で終戦に持ち込むには満州から大量に引っこ抜かないときつかったぬ
西安、成都、重慶へ進まなかったのは何でじゃろ >>10
事前に海軍が、シーレーンを寸断したから、補給が無くなり、
シンガポールが陥落した。正統な戦略・戦術だ たまたま時流に乗れたバカが調子こいて後々どツボに嵌るのは古今東西共通 大日本帝国軍人でまともだったのは井上成美のみ。
あとはゴミ。 >>11
宮崎繁三郎・樋口季一郎・栗林忠道は名将だと思うぞ 「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません。
司令官としての責任を真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。
今回の作戦はそれだけの価値があります」
ここまで部下に言われて死ななかった牟田口ってすごいよなあ。 >>62
珊瑚海海戦の直後、昭和天皇にすら「井上は学者だから(負けたのは仕方ない)」って言われた戦下手が?
井上は軍人じゃなく政治家になるべきだった 中世の戦争なら勝ってたよな
残念ながら近代の戦争は航空機から牛狙い放題よりどりみどり よく指摘される事だが、士官学校兵学校何期卒業、陸大何位ハンモックナンバーと言った、たかが二十歳そこそこの成績を元に司令官人事を、国家を挙げた大戦争中にやっていたのは日本だけだ
それで海軍は南雲を機動部隊の指揮官とし栗田を第一遊撃部隊の司令官とした そこには適材適所という言葉はない
独ソ両国は、40歳そこそこの軍司令官がかつての先輩師団長を指揮して戦っていた アメリカが参戦した時アイゼンハワーは大佐に過ぎなかった 3年後彼は元帥になっていた
日本軍では、戦死して二階級特進してもあり得ない昇進である
国力とか物量で負けてるのに人事がこれで勝てるわけがない >>56
インパールでの宮崎は可哀想ではあるが、無理なものは無理というだけの話だからな。
コヒマまで命令だから出て行って、勝ったと思って調子に乗って進出して追い返され、あっさり半包囲されて、本体に援軍求めてみるも、本体はすでに崩壊後で司令官の独断で退却中。当然援軍なく、なんとか退却を試みるも、3000名いた自身が率いる別働隊は500に減らされという状況。
負けるとわかってる戦いで味方をすり減らすのはバカ。
実際インパール後の戦いでは兵力不足でイギリス軍、蒋介石軍に散々にやられている。
そういう時はさっさと損害抑えて逃げてくるのが正しい。 >>60
結果的に言えば負けは負け。
2月16日戦闘開始で1ヶ月もたたない3月4日には硫黄島はトラブル時の緊急着陸先としての役割を発揮している。
負け戰の美学に感動したい人から見れば良い話なんだろうが。戦いの状況はゲリラ戦で被害を出したということだけだ。 ミッドウェーも多聞丸が司令官だったら、あそこまでボロ負けはしなかったかもしれないな。 >>63
三人とも結局局地戦の人だから、それで名将と言われてもね。 >>1
>「牟田口はシンガポール攻略までが能力のシーリング」
ずいぶんマイルドな言い方だな。誰が作戦指導やっても成功するような作戦にのみ
アサイン可と率直に言わんかいwww >>70
まあ、魚雷換装させずにとにかく出撃させていたら、2対3位の被害になっていた可能性は高いね。
だって南雲は所詮水雷屋だから。 陸軍エリートの無田口中将。
典型的なわがままピッチャーが監督となり、チームを瓦解させた鈴木啓示監督。
私にとって愚将と聞けば、真っ先に思いつくのがこの両名だ。
失敗の規模も何もかも比較にはならないが、事後の態度では全く様相が異なる。
鈴木氏がその後を語る様子はyoutubeで観ることができる。
決して許そうとかは思わないが、納得できる主張をされている。
だが、牟田口の戦後の発言の数々には言葉を失う。
文字通り作戦遂行中に失われた日本兵は犬死でしかなかった。
最後まで自己の弁明と正当化に徹し、反省など微塵もなかった牟田口。
陸海軍双方に言えるが、作戦の失敗で指揮官を更迭しないんだよ。
つまらないことでは対立するグループを左遷したりするのに。 >>71
名将の定義として「戦略的」と「戦術的」とに分かれるとすれば3人とも後者だろね。
当時の日本陸軍に戦略的に有能な将軍はいないし。 連合国軍的には大量の日本人兵を殺害した牟田口廉也は英雄だったんだろうな。その功績で戦後も生かして貰えた >>69
物量の差から勝つ事は最初から不可能だし栗林もそう判断してたよ
米国に最大の損害を負わせることを目的に合理的な戦術を取って実際に戦果を上げたことが評価されている
第二次大戦で米国が最大規模の損害を出した硫黄島の戦闘に米国も敬意を評して海兵隊シンボル旗や艦船名に硫黄島の名が使われてる >>76
ルンガ沖海戦の田中頼三少将は更迭されてるぞ。 今も財務省や厚生省のエリートがインパールやりまくってるな >>77
これには全く同意
日本では昔も今も有能な人間出る杭は嫌われ戦略決定の場から遠い末端の戦術実行部隊に飛ばされる >>11
陸軍に有能な司令官が居なかったわけではない
海軍同等以上のプレゼンスを確保するため自己拡大しすぎたため破滅を招いた
226事件の処理として陸軍を解体し、海軍>陸軍と明確にすれば、あんな悲惨なことにならなかったと思ってる >>77
その通り。
>>79
だから結局、負け戰の美学に過ぎない。
味方を玉砕させていては次の戦いにはつながらない。
もちろん栗林には選択の余地はなかった。
だから悲劇の名将という名称は正しかろう。
でも、単なる名将という名前にはふさわしくない。 >>85
>陸軍に有能な司令官が居なかったわけではない
だから誰だよ?
>
>海軍同等以上のプレゼンスを確保するため自己拡大しすぎたため破滅を招いた
こういうことやってるのはバカと言うんだよ。一人じゃなくてまとめて全員バカ。 アホが大金とたくさんの演者を使ってやったオリンピックの開会式と閉会式も同じようなもんかね 牟田口が開戦初期に計画されたインパール作戦に反対せず同意して進軍してればインド、中東、スエズ運河まで占領できドイツと手を取りイギリスを下し勝っていたかもしれん >>80
それ、戦いに勝ったのに、目標を達せられなかった、とつまらないケチを付けられるパターンなのでは 学歴エリートなんて死語だろよ
高卒でも中流でいられた平成初期まで通用した言葉 >>78
そうだな
原爆投下した兵士がアメリカでは英雄なのと一緒 第2,第3...の牟田口
牟田口を無限に生み出し続けるこの日本社会 >>78
実際戦犯として一度は逮捕されてるんだよ。
時間をかけてしっかり取り調べもされている。
で、牟田口は無罪放免。
ビルマ方面軍司令官の後任の木村は乏しい兵力をそれでも頑張って使って連合国に被害を与えたからA級戦犯。 >>1
過去何度失敗しても学歴偏重の愚を犯すw
世界一学習能力の無い民族w
それが自称美しい先進国日本人w >>86
まあ戦争は勝って終わらなければ意味が無いというのはその通り
米国と開戦そのものが戦略的大失敗だから第二次大戦での日本の名将なんて命題自体が無理ゲーだわな >>57
新型コロナでは厚労省の医官はよくやってる方だよ、薬害エイズとか過去にはやらかしもあったが
それより今回酷いのは経産省だな
ま、小池百合子が知事として再選された時点で…なんだけど、少なくとも東京は >>83
今の日本に牟田口姓のひとなんてまだいるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています