【日経】満州事変の発端の柳条湖事件90年記念式典に、中国最高指導部が出席 14年抗戦論で重要性高まる [みの★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【北京=羽田野主、瀋陽=渡辺伸】中国共産党の序列6位、趙楽際(ジャオ・ルォージー)政治局常務委員が18日、満州事変の発端となった柳条湖事件90年の記念式典に出席した。最高指導部メンバーの出席は2014年以来7年ぶりだ。
国営新華社が伝えた。趙氏は「党の指導の下で14年間の苦闘をへて抗日戦争の偉大な勝利を得た」と述べた。「正しい歴史観を堅持し、抗日戦争の重大な意義を正確に把握し、前進する知恵をくみ取る」と発言した。
事件80年の11年は最高指導部である政治局常務委員は出席しなかった。習近平(シー・ジンピン)指導部は台湾や人権問題で中国を批判する日本政府にいらだっており、「歴史カード」で日本を揺さぶる思惑もありそうだ。
…続きはソースで。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM182GP0Y1A910C2000000/
2021年9月18日 18時30分 満州国は満州族の解放だったとかいうアホは流石に見たことないわ
言ってる奴誰かいる? 1930年代の日本帝国の頭のおかしさは異常
ISIS並みのキチガイ集団 義勇軍進行曲 — 解放軍空政文工団 | 革命歷歌曲史表演唱 (1963年) | ⦇JA CC⦈
https://youtu.be/DbcBu0h_SJQ 支那事変(日支事変、日中戦争)の期間は1937年7月7日から1945年8月15日。この戦争をシナ共産党は「抗日戦争」と呼称している。
ちなみに1945年8月15日以降の侵略・不法行為を正当化するためにロシアとシナは終了時期を1945年9月2日と勝手に主張。
その上、シナ共産党は2017年の1月3日付で始期を1931年9月18日の満州事変開始時に遡らせ、教科書の記述を「8年抗戦」から
「14年抗戦」に書き換えるように指示した。
これは満洲事変後、塘沽協定で平和が戻った大陸に於いて盧溝橋で最初に発砲し攻撃を仕掛けたのはシナ共産特務だとバレ出してい
る事と、上海に飛び火して戦火が拡大したのはシナ国民党正規軍が上海クリークをドイツ軍事顧問団の指導で強固に防御陣地化した
後で日本人の居留地とされた共同租界を一方的に攻撃したからだと分かっており、あの東京裁判でさえもこの時の居留地攻撃の事実が
認められていて、日中戦争の開戦責任はシナ側にあることは明白であって、その事実の隠蔽が主な理由。
なお、終戦時の連合国報告書で日中戦争のシナ側死亡者数132万人であったものが、1998年には江沢民により改竄された死傷者数が
3500万人にまで膨れ上がっており、今回の期間延長でこの数値の更なる上方改竄を行おうとする意図も見え隠れする。
元々、長城以北の満洲は清朝により禁闕の地とされ漢人の土地では無かった。そして清朝末期は満・漢・鮮・露そして日清・日露
戦での権益による邦人も含めたアジアの入会地状態。清朝滅亡後に移民と言う名の最初の満洲侵略を行なったのは中華民国の方で
あり、在満邦人への圧迫・迫害は酷いもので欧米列国なら即軍事介入してたであろうレベル。
つまり、日中戦争は1937年からが正しい歴史であり、その開戦責任はひとえに民国政府側にある!!!
日本は、戦勝国を僭称する中共のこの様な「日本貶め」画策の欺瞞を、強く国際社会に指摘し糾弾しなければならない!
でないと国賊 河野洋平(紅の傭兵)による談話の失敗での捏造された追軍売春婦問題の二の舞と……
中日戦争って言うならまだわかるけど
抗日っていう言い方がハラタツ
何が抗日だボケ 邪馬台国以来、日本は中華の末裔である
中華とはその時代に覇者となったものが治めてきた
蒙古であったり満民族であったりだ
産業革命以降、腑抜けの中国にとってかわり大和族が大陸を制するのも時代の流れ
満國もまた中華の歴史の一部に過ぎない
強いものが制す
あの時代は大和が強かっただけだ 抗日戦って共産党何かやってたっけ?
漁夫の利以外の何物でもないと思うのだが >>14
正面的な戦闘はあまりしてないらしいが、八路軍の後方攪乱作戦が、
日本軍の勝利を困難にしたことは確かだろう。 >>1
革命外交とか言って自国に不利な条約を一方的に破棄しまくった中華民国 そんな昔よりコロナウィルス発端の件はどうなったんだ? そもそも
まともに戦ってたのは
「米式」装備の国民党軍だろw 国民党が戦ってたのであって、地元を守ってただけなのにね。 >>8
中学校の教科書にその記述が書かれることは今の憲法の元では永遠にない。見たまえ尖閣に侵入あってもテレビは料理番組や漫才大会。領土問題や軍事問題を考え意見を持つことは異端者扱い笑 >>8
いや、日中戦争の宣戦布告は1941年の真珠湾以降だろ
支那事変を戦争扱いするなよ >>4
日帝統治15年の満州を、満州人ナショナリズムの観点から解放史観という奴は、ほぼ聞かないな。
そもそも、当の満州人が受け入れない。
しかし大連の人は、日本や帝政ロシアの侵略を認めつつも、日本やロシアの残した負でない遺産については、それなりに好意的。
ここでは日帝統治は50年を経過していた。
同じく日帝統治が50年を経過していた、台湾では、本省漢族による台湾島ナショナリズムが生じつつもあるが、中華民国ナショナリズムとの二重構造になってる。
大陸との対立は、あくまでも中華連邦内でのイデオロギー対立(赤色ロシアと白ロシアみたいなもの)なのか。
朝鮮半島における日帝統治は35年間。
こちらも日本の右派による解放史観は、当の朝鮮人が受けつけない。 >>4
満州、モンゴル、ウイグル、広州は
中国の占領地 >>17
どっち側への広報撹乱?w
共産党は国共合作で得た国民党軍の軍事機密を日本軍に阿片と引き換えに売っていたんだけどなw
そういうこともあるので日本軍は八路軍は半分味方みたいなものと見做してごく一部の局地的な交戦を除き基本的に国民党軍ばかり狙い撃ちにして八路軍は見てみないふりしていた
まあ国民党軍は国民党軍で米国がヒイコラいって必死に援蒋ルートから届けた軍事物資を日本軍にアヘンと引き換えに売っていたらしいが
それだけ阿片取引というのは日本も国民党も共産党も一度手を染めたらどんどん大義もへったくれもなく中毒になっていくボロ儲けできるおいしい商売だった
支那事変なんて誰にも正義がないクズのようなヤクザ同士の抗争よ >>1
外交で強いのは結局のところ軍事大国だけだってことを、そろそろ日本人は気付くべきなんだよな。
だから日本の野党や左翼や反日国出身者どもは、自衛隊の軍事力を少しでも削りたいんだからさ。
結局アメリカは先の大戦の時に間違ったんだよ。
日本が日中戦争している時に裏で中国と手を組んで日本を倒す算段をした。
でも実はその時に日本と手を組んで中国を倒す算段をするべきだった。
過去日本が戦争をした相手が今どういう国になっているのか考えれば自ずと分かる。
悪党国家ばかりだろ。
つまり日本が正しかった。
しかしアメリカは日本を恐れるあまり間違いを犯した。
戦後もあの戦争は日本が悪かったと捏造歴史を作り出した。
今頃になって中国を危険視したところで時すでに遅し。 右も左も金のニオイしかしない
右寄りの人達は、自衛隊に防衛装備品を卸している大企業に自衛隊幹部OBや
防衛省の官僚OBが天下って血税を吸い取っていることをどう思っているんだ?
コイツラこそが究極の国賊だろ
政官民が癒着することによって、企業間の公平な競争性が損なわれる
天下り共の給料を捻出するために、企業は販売価格を上げている
このしわ寄せは全て一般庶民に増税と社会保障の削減という形でやってくる
天下りは激務の官僚に対するご褒美とか意味不明なことを言う奴がたまにいるが、
現役時代に無給で仕事をしていたわけではないだろ
自身の待遇に文句があるなら、公務員にならなければいいだけの話
左寄りの人達は、共産党幹部連中の大豪邸を見て一体何を思うんだ?
そんな余分な金があるなら、貧しい子供達を救ってあげればいいだろ
為政者達や役人達が自分達の厚遇から国民の目を逸らさせるために、敢えて外敵を作っている
どこの国も一緒だわな
日本は核武装とドローン武装だけしておけばいいんだよ
憲法9条?皇族がいる時点で、法の下の平等が守られてないだろ
アイツラはなんの選抜試験も選挙も通ってない
たまたま運良くあの家に生まれてきただけ
つまり、憲法なんて守る必要が無いということだろ
皇居の土地を売り払って、その金を使って核武装をすればいい
皇居は尖閣諸島or日本固有の領土である北方領土に移設すればいい
自衛隊は人員を10分の1にして、災害救助隊にすればいい 日本政府は、批判しろよ中国に、日本ばかり批判スル中国韓国には、反日本政策には批判しろよ 童貞を捨てた最初の彼女はとんでもない満洲事変だったことに気が付かせてくれた二人目の彼女
懐かしいなあ 中共は日本軍と正面切って戦争をしなかったが最終的に日本軍も国民党軍も追い出した
これは中共が戦略で日本と国民党で凌駕していたのであり、戦術で戦略の敗けを取り返す事は出来ないという証明でしかない >>38
反共で国民党と共闘できたのを蹴ったのは日本やろ 中国人を英語読みで書く人や組織はパンダハガーと思って間違いない 豆 今の中国に張作霖の立ち位置になる奴がいないんだよなぁ
石原莞爾なら米軍にいそうだが 苛立つって
きんぺいちゃんやってる事
良くない事ばかりじゃん アメリカが日本に改憲させたがっている理由はアメリカが中国と戦争した時に日本を手下として戦わせる事が目的だと、ちょっと前の5ちゃんの書き込みで見掛けたけど、本当なん?もし本当なら中国も怖いけどアメリカも怖くね? 当時の中国の相手は国民党
共産党は山奥に逃げていたでしょ >>47
米国、英国、カナダ、オーストラリア、NZは英語を捨てない限りどう転んでもパンダハガーから逃れられないのかw 14年の内10年は神戸のヤクザの抗争見たいなもんだが
やはり権威化するの大好きみたいだね、中共さんは 日本にとっても苦い記憶、教訓である日、出来事であるな。
この柳条溝事件から第二次世界大戦の日本の敗戦の「15年戦争」の間、
日本はいつでも中国から撤退して方向転換するチャンスがあったのだが、
結局それを日本人や日本国家が出来ずに、
第二次世界大戦にはたくさんの兵士を餓死させ、国民に多大な被害や犠牲を出して、国土は灰燼となり荒廃させて
敗北したので。 >>32
> 当の満州人が受け入れない。
?
お前歴史0点でよくしたり顔で嘘付けるな
解放もなにも清朝だろ
原爆謝れ 植民地と解放の二元論で語る戦後ジジイ
満州はどっちでもないだろ
最初から反革命なのだから そりゃー自作自演確定だから安全牌だわな
地続きの国境とか四方に目配らなけりゃならねーから大変だわ
島国日本民族は島国を集めるべき。沖縄の米軍基地周辺を米にあげてグアム、サイパン貰いたいわー >>4
>満州国は満州族の解放だったとかいうアホは流石に見たことないわ
>言ってる奴誰かいる?
解放?意味が分からないな。
まぁ取りあえず満州族が満州国に賛成したかどうかだよ。
満州国建国に反対した満州族を一人でもいいから挙げればよい。
まぁゼロだ。
理由はこれ >>63の続き
三民主義を知っているだろうか?
みんなも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。
反日左翼教師が教えなかった事がある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ウィキペディア【三民主義】
1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の
「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・
民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
韃虜(だつりょ)=満州族の蔑称
「韃虜の駆除」である。それが隠されていた。
まぁなんというか「隠すほどに現るる事はなし」(隠そうとした事で却って人に知れ渡ってしまう)
この三民主義の場合、何が現れるかというと「満州国建国の正当性」である。
「満州国建国の正当性」を論じる上で漢民族と満州族をはっきりと区別し認識する事は大事なことだ。 >>64の続き
「韃虜の駆除」が満州族の駆除が革命の目的でもあった。
ここで革命軍の檄文を読んでもらいたい。
分からない漢字もあるが、「韃虜(だつりょ)」が満州族への蔑称という事さえ分かれば
何となくだが意味が分かる。
激しい満州族への憎悪がな・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
革命軍の檄文
黄帝紀元四千六百零四年歳次丙午十月吉日中華民国南軍革命先鋒都督○奉(○部は上が「龍」に下は「共」)
中華民国軍政府命
按ずるに韃虜は元と東胡異族にして、遊牧の賎種なり。漢、隋、唐、宋より以来、
久しく我中華漢族の寇仇と為す。有明の未造、韃虜其兇残悍悪の性を逞ふし、
我漢族二億余万を屠殺して我中華に拠り。我神器を盗み、我同胞を奴隷にす。
我黄帝神明の冑、四億万の衆、奴界に淪むこと、茲に已に二百六十年。漢族は亡国の民となり、
中華は犬羊の宇に隷す。凡そ我叔伯兄弟姉妹、曷ぞ傷心に任へん。(中略)韃虜其兇残を逞ふし、
我漢族二億余万を屠殺し、竊かに中華に拠る。一大罪なり。
(中略)
其余種の罪悪、尽く書すること能はず。特に大略を挙げて、以て天討を昭かにす。凡そ我漢族同胞、
老少男女士農工商等に論なく、皆韃虜を殲滅するの責任あり。
努めて各々爾の力を尽くし、各々爾の能を抒べ。以て速に醜夷を掃除し、漢家の鴻業を恢復せよ。
(中略)
我漢人何の罪あってか当に満奴と為るべき。漢人何の劣るあってか、
当に韃虜に其肉を食ふて其血を吸はるべき。故に韃虜一日殲滅せずんば、
即ち主権一日収回せず。主権一日収回せずんば、即ち漢族一日存活せず。
今政府已に立ち、大漢即ち興る。韃虜の罪悪貫盈、天の佑けざる所。凡そ我漢族各々天職を尽し、
各々爾の力を勉め。以て速に韃虜の命を底し、而して中華民国の成功を賛け、用て大義を申ぶべし。
同胞に布告すること急々律令の如し。
萱野長知著『中華民国革命秘笈』(帝国地方行政学会、昭和15年7月)、304−8頁より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>63
人格障害者か
満州国は満州族の国だ
錯乱してんの? >>65
満州国を中国が作ったと思ってるのか?
日本の支援だが
アメリカ人とか? >>65の続き
このような檄文によって満州族が殺された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1911年の辛亥革命後、世界を驚かせた出来事がある。
西安革命軍が満州人に対して大虐殺を行ったのである。
漢民族による満州人の射殺、斬殺、火焚(ひあぶ)り、婦女暴行が
一週間も続き、二、三万人が虐殺された。(G.B.レー『満州国出現の合理性』一九四ページ)
『満州国は日本の植民地ではなかった』 黄文雄 WAC BUNKO
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一番大きな虐殺は↑だが、あちこちで満州族が殺されたわけだ。
満州族の皇帝がいる満州国で、漢民族が「韃虜(だつりょ)」などと満州族を呼んだらどうなる?
言った漢民族が確実に駆除される。
そしてまた満州国が建国される前には、漢民族の軍閥の長である張学良が
百年先の税金まで取り立てて民衆を苦しめていた。
まぁこれは満州族だけではなく、漢民族などからも平等に搾取していたわけだが・・・ アメリカに満洲利権よこせってのがハルノートの遠因だからな >>66
>>67
まぁ落ち着けよ。これから本番だから。
意味が分からん。落ち着いて長文でいいから書いてみな
>>68
>漢民族の軍閥の長である張学良が、百年先の税金まで取り立てて民衆を苦しめていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
--張学良は、昼は眠り、夜は女遊びと賭博、阿片に凝っていて精神不安定であった、と述べ、
続いて、
「東北四省の政権を握って、人民の膏血を絞って己一人のために快楽に供している」、
「人民に対して兌換しえない紙幣を濫発し、この紙幣を以て農民のが終日黙々として
働いてつくった糧食を強制的に買い占め、これを外貨と取り替えて自分の私有財産にしている」、
「人民が負担するに堪えないほどの税金を強制的に徴収して鉄砲弾薬を買い入れ、数十万人の
同胞を虐殺する軍隊を養い、自分の地盤を拡張して勢力を増す」
「彼一人の欲望に満足を与える為に東北三千万民衆の生命財産の安全が犠牲に供される・・・」
「彼が東北四省の軍民の首脳者になってからここ四年、人民は家を潰され財産を失い、商店は大損害を被り、
閉店するものも数え切れない。故に東北三千万民衆はあたかも地獄の中にいると同様で
悲惨なる生活以外の何ものでもない」とも指摘している。
趙市長は、「日本軍隊が張学良とその軍隊を殲滅し、大悪人の手から東北人民を救い出して
くれたことに対して、深く感謝しなければならぬ」
と日本に対して感謝している(満州国史・総論)
『満州国は日本の植民地ではなかった』 黄 文雄 WAC BUNKO
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>64
孫文は最初は漢族地域だけで建国しようとしていたが、辛亥革命直後に清の版図すべてを
継承したくなり五族共和(漢満蒙回蔵の共和の建前だが、実際は漢族が支配)を唱え始めた。
これを真似したのが傀儡満州国を建国した日本が唱えた五族協和(日満漢蒙朝の協和の
建前だが、実際は日本族が支配)。 >>71
うんうん俺がアホだった
わけわからなくなってた だから日露戦争の戦費半額、中が払えば済んだ話でしょ(ポーツマスで露が韓侵略停止
を拒否。日がリーマンブラザーズに借金返したの確かバブルのシモシモ時)。蒋介石
は青島もタダでよこせ、満州もタダでよこせてあんた日本は当事者やないから。中で
露人が殺されたから25年間満州侵略、また一人死んだら50年、75年、100年て勢いなんで。
蒋介石も毛に追われてから親日に変わって日本に戻る船、手配してくれたからもうええ
けどね。 >>71
つまり満州族にとって満州国は安住の地だったのである。
それでは「満州国建国の正当性」 >>72
>これを真似したのが傀儡満州国を建国した日本が唱えた五族協和(日満漢蒙朝の協和の
建前だが、実際は日本族が支配)。
それは違うな。
宣統帝溥儀は満州国建国に際して国家の生態に拘った。
共和制の国か、帝政の国か
そして土肥原から「皇帝が全てを決める帝政の国」との言質を得た。
だからこそ満州に戻る決心をした。
では実質はどうか? >>76
急いで書いて間違った。
生態→政体
溥儀は「騙された」とは言っていない。
では実質は?
・・・続き 俺の中では中国の満州侵略は簡単なことだからな
珍しい民族浄化の完遂例
日本が同盟組んでたのは確かだが
間違いなく満州は満州族の国
地球上から1つの国と民族が消滅してしまった悲惨な例
でも米中はアホだからなんかごまかしてる >>77の続き
反日左翼と満州議論をすると「満州国は傀儡」という言葉が必ず出てくる。
傀儡(かいらい)とは「操り人形」という意味。
満州国の主権は皇帝の溥儀にあった。つまり溥儀を「操り人形」にしていたと反日左翼は言うわけだ。
しかし宣統帝溥儀が来日した時に昭和天皇が東京駅で出迎えている。
当時天皇は現人神であって、東京駅で出迎えるなんてのはウルトラスペシャル待遇であり、
溥儀が「操り人形」だったらそんな事は絶対にしない。また溥儀から「三種の神器を見せて」と言われ見せたという話もある。
そして宣統帝溥儀は満州国に帰国して関東軍や日本人官僚を前に訓示をした。
−−−−−−−−−−−
「もし大満洲帝国皇帝に不忠であれば、それは天皇に不忠であり、天皇に不忠であれば満洲皇帝に不忠となる」
「wikipedia 愛新覚羅溥儀」 より
−−−−−−−−−−−
客観的に見れば操り人形であるはずがない。
そして最後に溥儀の証言が出た。この資料を貼った時、複数いた反日左翼たちのレスがピタッと止まった。
私はPCが壊れたと思い、何度も再起動を繰り返したのを覚えている。
それを貼って4年の長きにわたった満州国議論が終わった。 >>79の続き
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
溥儀は遼寧省撫順にある戦犯管理所に収容中の57年から自らの罪を語る形で「わが罪悪の半生」の執筆を開始。
「わが半生」はこれをもとに、中国当局や専門家が内容を削除・修正し、64年に出版された。
すでに187万部近くに上り、日本語訳も出ている。今回出版されるのは、
当時削除された16万字近い内容を加えるなどしたものだ。
東京裁判では、溥儀が日本の傀儡(かいらい)政権「満洲国」の執政に就任したことについて、
日本人戦犯の弁護側が「自発的だったのではないか」と主張し、
その証拠として溥儀が南次郎陸相(当時)にあてた「宣統帝親書」を示した。
裁判に証人として出廷した溥儀はこれを「偽造だ」と否定した。
完全版では、うそをついたために日本の行為の徹底的な解明を妨げたと認めて「私の心は今、
彼(キーナン検事)に対するおわびの気持ちでいっぱいだ」と明確に謝罪している。
64年版では「証言を思い出すと非常に遺憾」となっていた。
また45年のソ連軍進攻の際、日本軍への支援を満洲国閣僚らに命じたことについて
「すべてを関東軍と吉岡のせいであるかのようにしたが、事実はすべて私が自発的に行ったことだった。
法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
中国政府による戦後の尋問でも、当初は、「(中国)政府をだました」という。
64年版でも満洲国「皇室御用掛」だった吉岡への責任転嫁について触れていたが、
完全版は命令に対する自らの関与を直接認め、強く反省する形になっている。
ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200612160326.html
「ラストエンペラー」溥儀の自伝、完全版が刊行へ 2006年12月17日
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>事実はすべて私が自発的に行ったことだった。
>法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。 うんうん傀儡ではないね
強く支援してたのは確かだけど
満州国は大戦にも参戦してないしね >>80の続き
傀儡(かいらい)とは「操り人形」という意味
満州国皇帝として溥儀が来日した時の様子>>79はとても日本の操り人形というものではなかった。
そして上記資料(溥儀の証言)でそれは裏付けられた。>>80
反日左翼は関東軍がいろいろと決めていたというが、
それは経済、軍事の細々(こまごま)とした事。
それは溥儀が皇帝として「よきに計らえ」としていたものだ。
しかし重要な事は
>法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
満州国の主権は皇帝の溥儀だけにあった。溥儀は傀儡(操り人形)ではなかった。
すなわち満州国は傀儡ではなかった。 それでは満州国建国の正当性
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について
十分な知識を持ったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだ。
この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたと言ったような簡単な事件でもない。
なぜなら満洲においては、世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊事情があるからだ。
(リットン報告書)
全文リットン報告書 ビジネス社 渡部昇一 解説編集
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これを読めば「十分な知識をもった者同士」によって議論が行われたと思うよな?
そんなのはなかった。 石原莞爾だっけ?これやったの。極東軍事裁判でよく死刑にならなかったな >>79
儀礼上の待遇と実権とは別。戦後、溥儀は騙されていたと言い、昭和天皇を裁判に
かけるよう主張した。 >>83の続き
リットン報告書に対する日本側の反論を書いたのは、英国の国際法の権威トマス・バティ
(1916年日本国外務省の法律顧問就任、1928年より日本外務省職員)
国際連盟は日本国と満州国の反論で満州国を認めるしかなかった。
満州国の反論は建国と同時に満州国顧問に就任したジョージ・ブロンソン・レーが関わっていただろう。
(レーは清国の歴史と当時の中国のおける政治に精通しているアメリカ人)
国際連盟は日本の反論について討議せず、また満州国が出した陳述書は非公開としてしまった。
日本側は何度も満州国の陳述書を加盟国に配布するよう求めたが拒否された。
まさに「問答無用」とばかりに一方的な態度で満州国を認めなかった。
これは裁判で例えると、検察側(リットン調査団)の冒頭陳述のみで即座に判決(国連裁決)を
出すようなもの。
この不当な行為により日本は国際連盟を脱退した。
では満州国の主張とはなにか?それは満州国顧問だったレーが書いた「満州国出現の合理性」に書いてある。
それを軸にして満州国建国の正当性を明らかにしていく。
・・・続く >>86
>儀礼上の待遇と実権とは別。戦後、溥儀は騙されていたと言い、昭和天皇を裁判に
かけるよう主張した。
溥儀が証言したように実験もあったんだよ。
何か強制した事例出してみな 今日本に一般人としているんだよな満州の王族の血筋が。 この頃共産党って何してたん?
逃げ回ってたイメージしかないやけど >>87の続き
それでは現在問題となっているチベットや新疆ウイグル問題と絡めて話を進めよう。
ついでに台湾も。
もし「中華民国は清朝の後継国家ではない」と分かった時、ウィキペディアの「台湾の歴史」を読んでみてくれ。
「あれれ?明の反清勢力がオランダ人を追い出して一時的に台湾を反清拠点にしただけじゃないか!
こりゃあ中国が台湾の領有権を主張するのは無理がある」となる。
取りあえず「満州国建国の正当性」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
オランダがインドネシアを300年以上支配していたのはご存知の方も多いと思います。
さて、オランダによるインドネシア統治が終わる時に
「今まで支配していたのだから、今度は逆にインドネシアがオランダを支配するべきだ」
という人はいるでしょうか?
それはイギリスのビルマやインド、フランスのベトナムなどにも言えますが、
「今度は逆に支配されるべきだ」と感情的になって言ったとしても、本気で言う人はいないでしょう。
しかしもしも両者が話し合ってそのように決まったならば、
つまりインドネシアによるオランダ統治が決まったならば、どこの国も異議を唱えないでしょう。
両国は協定を結び、インドネシアによるオランダ統治が始まった(とします)
しかしここでインドネシアが協定を破棄した事により、オランダが前のように独立するとなったら?
誰もオランダを責めたりする人はいないでしょう。
では満州国について・・・ 満州事変は張学良が仕掛けたモノ。張学良軍が30万人、関東軍8800人、コレで日本軍の
方から攻撃して来たなんてあり得ないよ。 >>91の続き
17世紀に満州の地にあった「満州族」の国家である大清が、
「漢民族」の国家である明を破り、漢民族を支配した。
ここで大清(満州族)による帝国においての他民族や国との支配関係を見てみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しかし、清帝国支配化のアジア諸民族の地位はそれぞれ違っていた。朝鮮や越南は属国であり、
モンゴルは盟友で、チベットは教王領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、皇帝の国師となっていた。
新疆の回部とともに藩部と称され、外様大名であった。だから、モンゴル・チベットは朝鮮のような属国ではなかった。
清朝支配下の中国について、たとえば岡田英弘教授のように「清の植民地」とみる学者もいる。
ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。
それは征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。
たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に官女としない。漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。漢人の夷語(外国語)学習の禁止。
夷人への漢語・漢文伝授も禁止。満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。
天朝の国家軍隊が満蒙八旗軍、漢人は地方部隊の経営。漢人はいかなる重臣といえども、
清皇帝に対し、「家奴」(家内奴隷)と自称・・・・・など。
清の皇族も、亡国寸前まで「国家を外人(列強)に渡すとも、家奴(中国人)には渡さない」という主人意識を持っていた。
だから、中国は清王朝の「植民地」というよりも、「家奴国家」であったろう。
『捏造された近現代史―日本を陥れる中国・韓国の罠』徳間書店 黄 文雄 (著)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>93の続き
辛亥革命というのは「自国の王朝を倒す革命」ではなく、
「漢民族による大清帝国からの独立運動」だったのである。
アジアの植民地が欧米諸国から独立するようなものです>>363
(重複するが流れ的に必要>>64)
三民主義を知っているだろうか?
みんなも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。
反日左翼教師が教えなかった事がある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ウィキペディア【三民主義】
1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の
「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・
民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B0%91%E4%B8%BB%E7%BE%A9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
韃虜(だつりょ)=満州族の蔑称
「韃虜の駆除」である。それが隠されていた。
まぁなんというか「隠すほどに現るる事はなし」(隠そうとした事で却って人に知れ渡ってしまう)
この三民主義の場合、何が現れるかというと「満州国建国の正当性」である。
「満州国建国の正当性」を論じる上で漢民族と満州族をはっきりと区別し認識する事は大事なことだ。 溥儀個人がいやいややらされてたかノリノリでやってたかと傀儡だったかどうかはあまり関係ないのでは?
仮に中共が日本を占領した上で親中派の皇族をどっかから探してきて天皇に据えて憲法を改正させて日本の主権者としたとして、その親中天皇が強制されることなく自発的かつノリノリで中共の利権の代弁者になってたとしてもそういう自国にとって都合のいい人物を無理やり元首に据えた時点で日本が中共の傀儡国家になった事実は変わらないだろう 左翼の作り話は、軍事に無知で軍事的にあり得ない話ばっかり。南京大虐殺だの満州
事変もそう。日本軍の連射性能が最悪の機関銃で30万人殺しただの、8800人しか居な
い関東軍が仕掛けて来ただの、軍事的にあり得ない。 満州事変の賠償問題は永遠に言われ続けるだろう
国民も忘れないように、大事件記念をやっている
最近さらに事件の重要性は上がっている
共産党が日本軍を追い出した >>88
昭和天皇にも実権はほとんどなかったのに、満州国皇帝にあるわけないだろ。 安倍さんも関与した側の子孫として招待されたのかな
日中お互いにレリーフ持って笑顔の集合記念写真とか >>95
>溥儀個人がいやいややらされてたかノリノリでやってたかと傀儡だったかどうかはあまり関係ないのでは?
関係あるに決まってんだろうよ。
傀儡の意味が分かってんのかよ?
だから何かしら溥儀の意志に反してやったことを出してみろよ。
前に反日左翼と議論した時は誰も出せなかったぞ
>仮に中共が日本を占領した上
俺が書いていること全く理解していないだろ?
満州族の誰かが満州国に反対したか?
一人でいいから出してみ。
一人もいなかっただろうと言うのは説明した>>63から
さっさと溥儀に意に反して強制した事例
満州国に反対して満州人を一人でもいいから出せ 個々の案件について細かく指示を出してラジコンのように動かしてるかどうかではなくて自国以外の地域に介入して自国にとって都合のいい指導者や政体を成立させるというのが傀儡とするかどうかの要件だろう 万一、河野太郎政権になるなら総理の一族が中国で会社経営というあり得ない事態が現実に。
“クリーンなエネルギーを生み出す太陽光発電”に寄与すると宣言する #日本端子 の存在を考えれば氏の政策は分り易い。北京、江蘇省、香港で同社はどんな便宜を図ってもらっているのか。
7042142 >>98
いやあったよ。独裁でやらんというだけでな。
お前の中では独裁者のみが実権有ったというのだろうが >>94の続き
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
シナでの革命が危険なものに思われはじめた時、
満洲朝廷は満洲へ隠棲する可能性を見過ごしていたわけではない。
それどころか、この問題は真剣に議論されたのであり、
シナと満洲の多数の帝国主義者は、これこそ追求すべき最も賢明な方策だと主張したのである。
ところが最終的に摂政と多くの親王が北京に残留することを決断したのは、
袁世凱が優待条件の中で彼らのために確保した条項を、彼らが、愚かにも、
そしておめでたくも、すばらしいと信じたからである。
完訳 紫禁城の黄昏(上) 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この時に大清の満州族が父祖の地である満州に帰っていたら、
中華民国とは別の国、大清(国名はそのままかどうか分からない)が
満州の地で続いていた事になる。
しかし最終的に満州に還らず北京に留まったのは、袁世凱から提案された優待条件、
すなわち清帝退位協定を中華民国政府と結んだからである。
これは一体どういう協定か? >>1
このたびの孫文手記分析で中共との関係もバレましたな
中共も用心した方が良いぞ >>100
もし仮に日本がカナダに侵攻して自発的に日本の言うことを何でも聞くカナダの先住民のリーダーを探してきて「大酋長」に据えてカナダの人口の5%に満たない先住民を優遇する政策を取ったら反対する先住民はあまりいないだろうが良かれ悪かれ日本にとって都合のいい政体を力づくで成立させてる時点でどこまでいってもその新生カナダは傀儡国家でしかない 戦勝日を祝うのは分かるが、中国が侵略されるキッカケのような事件を祝うのはどうなんだ?
惨めに思わないのか? >>108
例えるのはいいんだけどさ。
たとえばその前の状況も合わせてくれるかな?
まず>>91
で、>>93とか
それとこれから書く退位協定とか。
それを考慮してカナダの例を直してみてくれるか? >>105
昭和天皇は独裁でやらずに日本人の臣下が決定したことに従った。
溥儀が従ったのは満族や漢族の臣下ではなく関東軍などの日本人による決定。 >>106の続き
退位協定
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)
1 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、
中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
2 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。
3 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。
5 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。
6 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。
7 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
8 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
http://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/chuuka_minkoku1.html >>110
支那事変がなかったら中国共産党はジリ貧で壊滅してただろうし
ロシア帝国を面目丸つぶれにしたり国民党をボコボコにしたりして意図してなのか偶然なのかいつも共産主義勢力が伸長するのを手助けしてきたのが大日本帝国
日本の「活躍」がなければ共産主義の国なんて一度たりとも地球上に誕生することはなかったんじゃね?w >>112
>溥儀が従ったのは満族や漢族の臣下ではなく関東軍などの日本人による決定。
いやそれは溥儀が否定している>>80 >>82
だから溥儀の意に反して何か強制した事例出してみろって言ってるだろ?
無いんだよ。
>>79
あるなら出せと言ってんだよ 分からねえのか? >>113の続き
清帝退位協定付属の第二文書
満、蒙、回、蔵各族待遇条件
第一条 満、蒙、回、蔵各人種ハ漢人ト完全ニ同等ナルベシ。
第二条 満、蒙、回、蔵各人種ノ私有財産ハ完全ニ之ヲ保護ス。
第三条 満蒙ノ王公其ノ他ノ貴族ハ従前ノ通リ其ノ称号ヲ保持スベシ。
第四条 貧困ナル王公ニハ生活費ヲ支給ス。
第五条 八旗ノ生計ニ關スル規定ハ速ニ之ヲ定メ其ノ規定ノ制定セラルルマデ八旗ノ俸給ハ従前ノ通トス。
第六条 満、蒙、回、蔵各人種ニ対スル通商及居住ニ關スル制限ハ之ヲ撤廃シ爾今各省県ノ居住ハ自由タルベシ。
第七条 満、蒙、回、蔵各人種ハ完全ナル信教ノ自由ヲ享有ス。
ブロンソン・レー著『満州国出現の合理性』(日本国際協会、昭和11年8月)、付録ノ三より。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
しかしこれは漢民族(中華民国)と満州族(清帝国)の取り決めであって他の民族は従う必要が無い。(当然チベットや新疆ウイグルも)
盟友(>>93)であるモンゴルは「漢民族に従うなんてまっぴら御免。(満州族)皇帝が復辟すればすぐに帝国に馳せ参じる」として
去ってしまった。
当然チベットや新疆もそのようにする権利がある。(前述したようにそもそも従わなくてよい) >>117の続き
しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、
諸外国に通達して国際法として遵守する※としていたのに、
12年後の1924年に協定を破棄してしまったのであった。
つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットやウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。
そして1928年、協定にもあった「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が
蒋介石の北伐軍によって蹂躙された。
宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※ハーグ国際法廷に登録し、諸外国に通達して国際法として遵守する
このような事をしたのは清朝に「協定は遵守する」と安心させるのと同時に、
諸外国に清国の後継国家と認めさせるため そもそも内モンゴルの話なんじゃないの?
清王朝に従っていたモンゴルというのは >>118の続き
>宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
他のことなら、たとえば侮辱でも、嘲笑でも、死の威嚇でも、財産の没収でも、
そして契約の破棄でも許す事ができよう。
しかしこの残忍極まりない、神聖冒涜のおぞましい行為だけは絶対に許すことができない。
このとき以来、シナに対する皇帝の態度が変化したのである。
もっと正確に言えば失政の責任を負うべき人々に対する皇帝の態度が変化したのである。
皇帝は生まれつき寛大で思いやりがある方なので、最も凶暴な敵に対してでさえ、
今までただの一言も怒りや不平を漏らしたことがない。だが今度ばかりは、
さすがの皇帝も到底見逃せない事件だったのである。
その時まで皇帝は、満州に勢力が結集していることは知っていたものの、
独立運動にはまったく関与していなかった。また、皇帝自身が先祖の故郷の満州へ戻るよう
誘われる可能性についても、まともに考えたこともなかった。
皇帝は、いつかシナが正気に戻り、万事がうまく運ぶだろうとという希望を抱きつづけていたのである。
だが、今やその希望も消えうせてしまった。私が次に皇帝を訪ねたときは、
目立った変貌ぶりを見せていた。あまりにも変化が著しいので、皇帝は侮辱された先祖の霊魂と霊的な
交わりを持ったのではないか、そしてそれまで自国と先祖を辱めたシナに向いていた顔を
三百年前に帝国の強固な礎を築いた国土に向け、満州を注視せよと、
先祖の霊魂にせきたてられているのではないか、と思ったほどだ。
完訳 紫禁城の黄昏 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>116
そりゃ日本が負けたらあっという間に皇帝から囚人になってしまったのを見れば分かるように溥儀の権力の基盤は関東軍しかなくて日本と利害はほぼ一致してただろうし、強制されるまでもなく日本に忖度した統治を行うのは当然のこと
結局
・元首が個々の事案について御主人様の指示を受けて動いてるか、
・「国民」が当地に満足してるか
・その統治が善政か悪性か
・その国家の成立になにがしかの歴史的大義名分があるか
とかは関係なくて、他国の介入によってリーダーが選出されて成立させられた国はどこまでいっても傀儡国家なんだよ >>87に書いたがジョージ・ブロンソン・レーは
清朝の人間と親しかったんだよ。
それで建国と同時に満州国顧問に就任した。
その彼からこんな事を言われては、傀儡なんて出来んのよ。
もし操り人形としようとして溥儀が切れて世界が知ったら
日本の立場がなくなる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「日本は凡ゆる正当なる法律並びに戦争法規に基づき、
支那が日露戦争に参加した事に対し支那から現金を以って賠償を受くるか或いはその代りに
1895年に正式譲渡し後に至って還付を余儀なくせしめられた満州の土地を
受くる権利があると確信するものである。」
「然るに日本が其の正当なる法律上の要求権を放棄して満州国の絶対独立及び主権を承認し、
其の独立を擁護する事を声明したことは著者の目から見ると侵略行為とか領土征服どころではなく、
近世史上における最も特筆すべき自制的及び利他的行為であるのである。」
「満州国の独立及び主権を現に尊重する事が日本の根本的政策であると日本は世界に表明して居るのであるから、
其約束の言葉を疑い、日本の真意を疑い其動機を彼是言う事は、
恰(あたか)も米国がフィリピン独立の約束を疑うのと同一であって理由のないことである。
ブロンソン・レー「満州国出現の合理性(田村幸策訳、1936年)」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/syokuminchisyugi3.html >>121
溥儀を操り人形(傀儡)としていないというのが分かればよろしい。
>強制されるまでもなく日本に忖度した統治を行うのは当然のこと
溥儀が日本に頼っていたことは当たり前。
短期間のうちに重商国家にしたわけだし
日本が軍事的に守らなければソ連や中華民国にすぐに飲まれるからな。
忖度するのは皇帝溥儀が自分の為であって
それを操り人形とするのは正直頭がおかしいというべきだろう。
何度も言うが操り人形にはしていない。
溥儀が自分の国を守る為に日本に忖度することと、
日本が何でも間でも言う事を聞かせる(操り人形)は別もの
理解した? >>9
勧告自体は日本に好意的な内容だった
英仏がドイツに宥和政策を行っていたのと同様、
極東でのソ連の南下に日本が抵抗するために必要だという論理で国連は甘く見てくれたのに >>124
国連は日本の権益が侵害されていることを認定し
列強による共同管理して日本の権益を守ろうという結論になったが、
これは結局中国人の「夷を以て夷を制す」の罠にはまるだろうな。
それよりもしっかり満州国悔過国の正当性を出して
満州国が出来た方がよい。
経緯は>>87 満州での日本人はまるで神のごとく現地民に君臨し、彼らの店で飲食しても代金を払わずに威張って平然と出ていく有り様で、
それに驚愕した内地からの旅行者が日本人の一般市民でさえこんなマネをする以上、日本の満州統治は長くはもつまいと実感したそうだ。 >>17
ルーズベルト大統領も毛沢東と延安で首脳会談してるしな 大躍進で数千万人虐殺した毛沢東同志は偉大な英雄アルヨ
コロナで470万人虐殺した習近平同志は永世主席アルヨ
4歳女児1人に性暴行した50代男は即座に死刑アルヨ 中共は戦争おこした日本に感謝しないいけないのに未だに被害者面してんのな >習近平(シー・ジンピン)指導部は台湾や人権問題で中国を批判する日本政府にいらだっており、「歴史カード」で日本を揺さぶる思惑もありそうだ。
まぁこれが主な狙いでしょうね。歴史なんて所詮は過去の出来事。今を生きる人間には関係ない >>6
違うんだよ
当時中国は統一政府というものがなく(あっても無いも同様)、
各地域で軍閥がはびこってそれこそisやタリバンみたいな統治をしていた
そういう無法の状況を打開するために日本軍が新しい統治組織作ってしまえということで満州国構想が生まれた そもそも当時は国府軍と共産軍が戦ってて、日本も居留民保護や外交面で苦慮していた
中国国府軍は共産チンピラ山賊軍も制圧できなかった >>133
日本が苦慮してたのはどちらかというと関東軍の暴走だろ
支那は共産チンピラ山賊も制圧できず日本政府は阿片利権のうまい汁を吸ってヤクザ化した軍部のコントロールを失った
朝鮮はそれに先立って散々外国勢力を巻き込んで内輪もめした挙げ句消滅
黄色いお猿さんには近代国家の運営なんてどだい無理なんじゃね?w
現代に至るも日中韓どこも近代国家として健全に運営されてるようにはあまり見えないし >>1
開戦の記念式典?
終戦ならわかるけど
日本人はこういう嘘ニュースでも信じるんだろうね >>4
そんなの飛び越えて満州国再建を唱えてる右翼もいた気がする。 >>126
だからそれがどうしたんだよ?
満州国建国の正当性を論じている時にそれはなんだよ?
本当にそんな事があったかどうかも分からない。
もしあったとしても張学良の圧政、搾取よりもマシだったんだろうな。
もちろんいずれそのような事は改まったのだろうが・・・
>>68
>そしてまた満州国が建国される前には、漢民族の軍閥の長である張学良が
>百年先の税金まで取り立てて民衆を苦しめていた。
>まぁこれは満州族だけではなく、漢民族などからも平等に搾取していたわけだが・・・
そして>>71
そういえば前にインパール作戦について論じていた時に
「昔の日本軍は体罰が酷かった」とか言っていた奴がいた。
それと似ているな
いやいやそういう事じゃなくて歴史の大きな流れを説明しているわけで・・・
まぁこの手の人間に何を言っても分からないのだろうが・・・
インパール作戦を出したついでに書くか >>142の続き
インパール作戦
インパール作戦はインド人と共に戦った。
この作戦はチャンドラボースが熱望した作戦であった。
チャンドラボースはインド独立のために世界を飛び回っていたが、
日本が米英と戦争を始めたのを知るとインド独立の希望を胸に日本にやってきた。
当初日本の政治家や軍人はチャンドラボースを重要視していなかったが、
ボースは会う人をことごとく魅了していった。
東條英機は会見後に「あれは人物だ」と感嘆したという。
インド独立の為に睡眠時間三時間で働くほどバイタリティがあり、知的で礼儀正しい。
ボースから特別なオーラみたいなのを感じとったのだろう
日本の軍人もチャンドラボースのインド独立への熱意を意気に感じインパール作戦をやった。
もはや作戦の失敗が明らかになってもチャンドラ・ボースは最後まで撤退に反対。
日本の軍人が「また機会はある」とチャンドラボースを説得し作戦の中止を決めた。 >>143の続き
何故ボースは日本の政治家や軍人を惹きつけたのだろうか?
ここでチャンドラ・ボースで検索。
温和な表情の中から祖国インドの解放を求める鉄の意志を感じる人もいるだろう。
>チャンドラボースは会う人をことごとく魅了していった。
河辺中将もその一人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
また「チャンドラ・ボースの壮図を見殺しにできぬ苦慮が、正純な戦略的判断を混濁させたのである」と、
インパール作戦実行の背景にはボースに対する日本軍側の「情」があったとしている[2]。
河辺はすでに作戦の失敗は明らかであった6月の段階になっても、
「この作戦には、日印両国の運命がかかっている。一兵一馬でも注ぎ込んで、
牟田口を押してやろう。そして、チャンドラ・ボースと心中するのだ。」と考えていたという[3]。
ウィキペディア 河辺正三
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>144
作戦そのものは失敗したが、これがインド独立への道に繋がった。
イギリスに反抗したインド国民軍を処罰するために公開裁判が開かれたが、ここでイギリスは致命的な誤りを犯してしまう。
反乱軍(インド国民軍)被告代表の将校三人をそれぞれヒンドゥー教徒、イスラム教徒、シーク教徒から選んだのであった。
しかしこの事が宗教で対立していたインド人達を団結させた。
インド国民軍が命をかけて祖国を解放しようとしていた事がインド国中に知れ渡ると、
この時からイギリスに対し各地で激しい抵抗運動が始まり、インド人水兵達が70隻以上のイギリス艦船を乗っ取る事まで起きて、イギリスは独立を認めざるを得ない事となった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
エリック・ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)
「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に依るものでは無く、
日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、
インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである。」
(エリック・ホプスバウ『過激な世紀』)より >>126
分かったか?
こちらが歴史の大きな流れの中で満州国建国を論じている時に
そのレスはアホなんだよ。
エリック・ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)が
>「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動に依るものでは無く、
>日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、
>インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである。」
(エリック・ホプスバウ『過激な世紀』)より
と言った時に「日本の情感は体罰が酷かった」とエリックに言ってろ。
ものすごく困った顔をするのは分かるか?
(この馬鹿に何て説明すればいいんだろ?)って顔するかシカトだよ。
>>134
>日本政府は阿片利権のうまい汁を吸ってヤクザ化した軍部のコントロールを失った
そりゃ違うわスカタン。反日左翼はいつもそれを出すけどな(大笑い)
あのな満州においても日本は台湾でやった阿片漸禁政策やった。
アヘンの収穫が増えたのは
満州国が日本が関与したことによって安定し、漢民族が大量に満州にやってきたからだよ。
当然その中にアヘン中毒者も大勢いたから増えたってだけ。 >>146訂正
>と言った時に「日本の情感は体罰が酷かった」とエリックに言ってろ。
と言った時に「日本の上官は体罰が酷かった」とエリックに言ってみろ。
酔っぱらってっから変だな 志位 正二(しい まさつぐ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において
諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる[2]。
1948年11月、シベリアより復員[1]。
1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。
1953年11月、外務省アジア局調査員となる[1] が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のDC8型機の機内で死去[1]。
親族:
甥 志位和夫(現日本共産党中央委員会幹部会委員長) 愛新覚羅浩「流転の王妃の昭和史」に描かれた満州国の実態
────────────────────────────────────────
宮内府には、建国の初期、宮内省から選ばれて入江、加藤の両氏が来満されていました。
お二人は、天皇陛下の「皇帝に仕えることはすなわち朕に仕えるのと同じである」という
お言葉に従い、風格ある宮内府を作りあげようと尽力されましたが、ことごとく関東軍の
干渉にあって、とうとう志を遂げず帰国されました。この間、宮内府のなかで、皇帝の御
内帑金百万円が日本人の手によって紛失するという不祥事件もあったそうです。調べてみ
ると、日本政府の政治資金に流用されており、関東軍の圧力でこの調査もウヤムヤになっ
てしまいました。
────────────────────────────────────────
あるとき、宮内府につとめる日本人の女性が泣きながら、私にこう訴えました。その話
では吉岡御用掛が衆人の面前で、「皇帝なんて、可哀想なもんさ。身寄りもなし、後嗣ぎ
もなし、わしが世話してやらにゃ、どうにもなりゃせん。うん、まあ早い話、わしの子供
のようなものさ」
と言い放って、笑いとばしているというのです。
「馬鹿にするにも、ほどがあります。皇帝陛下に対する、なんという侮辱でしょうか。し
かもそれを、満人の召使いたちの前で言うのですから。わたしは腹が立って、腹が立って
……。それで、閣下、お言葉が過ぎはしませんか、と言いましたら、ほう、貴様は満人び
いきか、それならいつでも首にしてやるぞ、とおどかすのです……」
────────────────────────────────────────
私はよく、満人の召使いがこぼすのを耳にしました。
「どうして、日本人、満人いじめるのか?」
「日本人、満人憎いあるか? 満人、なにもしない。日本人、国とった、言葉とった、で
きるもの皆とった。それでまだ、文句あるか?」
私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。
────────────────────────────────────────
「われわれは宣統帝が満州で即位されるときき、私財と兵をなげうって日本軍に協力して
きた。しかし、この態はなんだ。皇帝はあってなきがごとしで、われわれは日本の奴隷同
然ではないか」
そう言って、大臣の椅子を捨てて北京に帰られた方もありました。 >>24
江戸幕府の継承国家が、明治維新後の日本であるように、清国の継承国家が辛亥革命後の中華民国であり、内乱クーデターにより政権をとった中華人民共和国だよ。
この流れは、帝政ロシア→白ロシア→ソ連邦内ロシア共和国→新生ロシア連邦と領土が継承されていったロシアと同じ。
中国は、清朝の時代から多数の少数民族を包摂する多民族複合帝国だったからね。 満州事変だけに臭い豆腐食ってるんだろうか
あちらの観光地があの匂いですごいんだわ >>35
ドイツが国民党軍に
武器を売ったり軍事顧問を派遣してたりしたのは
日中戦争のごく初期のころだけだったハズだが?
当然のことながら
(当時はまだ) 内戦の相手だった共産党軍も攻撃の対象... >>153
初期だからこそ一番問題なんだろ
逆に言えばドイツやアメリカの支援がなければ、戦争は起きていなかった
今でも上海疎開地は国際都市だったろうw >>150
まず最初に言いたいのだが、誰かしらの証言をもって事実と判断するというのは
止めた方がよい。
それはいわゆる「従軍慰安婦」の一件で痛いほど味わった事だと思う。
えーと・・・もしかしたらやってる方?
「何で慰安婦のおばあさんの証言を信じないの?」って
愛新覚羅浩は溥儀の弟である溥傑に嫁いだ日本人女性。
関東軍に対して待遇の面などでいろいろ不満があったのは知っている。
ちなみに私は「宣統帝溥儀は傀儡(操り人形)ではなかった」と主張するにあたり
証言だけではやっていない。
まずは客観的事実の積み上げからしている。>>79
・・・続く >>155の続き
昨日、過去に保存していた資料を漁っていたらこういうのを見つけた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
98 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/05(月) 22:49
知り合いから満州国皇帝・溥儀訪日のビデオを貸してもらった。
この映像を見ると中華の皇帝とはいかに威厳のあるものなのかを
知ります。天皇陛下では太刀打ち出来ない威厳です。
http://mentai.2ch.net/whis/kako/974/974772392.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
グーグルで検索していると2ちゃんねる(当時)のスレが出てきたりする。
前にこれを見つけた時はすでに過去スレ(レス)だった。
まだ書き込めたなら「中華の皇帝じゃないけどな」とツッコみを入れていたところだ。
「溥儀の来日のビデオがあるなら見たいな」って事でメモ代わりに残していたのだろう。
「威厳のある来日」をして東京駅で昭和天皇が出迎える。
国の内外に宣統帝溥儀(満州国)との関係の重要性を知らしめる。
それは>>122の履行でもある。
>「満州国の独立及び主権を現に尊重する事が日本の根本的政策であると日本は世界に表明
満州国の主権は皇帝である溥儀だけにあった。
このような客観的事実があって、溥儀の証言が生きてくる。
>>80
>事実はすべて私が自発的に行ったことだった。
>法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
という事。 >>150
>調べてみると、日本政府の政治資金に流用されており、
この一件をもって脳内では 「常に満州国のお金を日本政府が流用していた」
と思い込んだわけだな?
お前は反日左翼か、それとも日本人じゃないから「日本は悪」という偏った思考で物事を
見る癖がついている。
「建国の初期」と書いてあるだろ?どういう意味か分かるか?
というか、どうして溥儀が建国当初から皇帝じゃなかったか分かるか?
最初の一年は執政という事だったが、その偏った思考では一生分からないだろう。
>>76に書いたが、溥儀は満州国のトップに就任するにあたり政体にこだわった。
共和制の国か帝政の国か?
そして関東軍の土肥原大佐(後に大将)から「皇帝が全てを決める帝政の国です」
という事で受け入れた。
しかし建国後1年というのは何が起こるか分からない。
その時に溥儀が「全てを決める皇帝」だったら意見の対立があるかもしれない。
だからこそ建国後一年は執政になってもらった。
傀儡(操り人形)にするつもりなら、最初から皇帝でいいんだよ。
その消えた金というのも何らかの建国後に必要な機密工作資金だろう。
何に使われたのかは分からないだろうけどな。
次は吉岡の皇帝への陰口か・・・
まぁ本当にあったとして語るが、重要なのはその事を知ったら皇帝溥儀がどうしたかという事だ。
実際に誰かが溥儀に報告して、吉岡は不問に付されたのなら、
その時は考えを改めるかもな。 >>150
>私はよく、満人の召使いがこぼすのを耳にしました。
満人の召使の愚痴が具体性に欠いているんだよ。
まぁ愚痴が言えるだけ張学良の時代よりマシだろう。>>71
張学良に愚痴ったら確実に殺されていただろうからな。
>そう言って、大臣の椅子を捨てて北京に帰られた方もありました。
この漢人の大臣って誰よ?
きちんと下準備しても帰らないと殺されているだろ。 >>32
>当の朝鮮人が受けつけない
両班搾取階級がだろ >>146
不思議なのはさ
満州には500万人の満州族がいたんだけど
それを遥かに上回る2000〜3000万人が移民して来たんだよね
あれは一体なんだったのか
もちろん各地に存在した旧満州族のものも大勢いたんだろうけど
それにしても漢族が多い
異様な状況だな >>151
東北三省は反革命省だよ
明朝の時代はチベットもモンゴルも含まれてない 満州における二千五百万漢族についてだけど
これは自己レスだけど
政治亡命者だったんだと思うんだよね
一般には漢族拡大移民ということになってるけど
反革命亡命者が満州に大挙したんじゃないか?
ちょうど白系ロシア人のように >>172
自民党は親中政権だ
だからわしはいつも支持しておる >>164
>それを遥かに上回る2000〜3000万人が移民して来たんだよね
それに関してリットンがやらかした・・・そしてブロンソン・レーの反論
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
リットン調査団の報告書で、満州の多数の住民が支那人または支那系満人であることから、
支那人が満州の主権を当然に獲得する権利があるように述べているのに対し、
「支那本部からいかに支那人が満州に移住しても、
満州に対して権利を獲得するものではないことは、
恰もスペインの移民がラテンアメリカ諸国にスペインの主権を樹立し、
ブラジルにポルトガル、アメリカにイギリス、ケベックにフランス、
ハワイに日本、シンガポールに支那の主権を樹立し得ないのと同様である。」
http://ameblo.jp/yamatogusa/entry-11417136302.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ジョージ・ブロンソン・レー(満州国出現の合理性)の見事な反論である。
何度も繰り返すけれども>>87
トマス・パティ(日本の反論)とブロンソン・レー(満州国の反論)
がきちんと国際連盟で討議されていたら・・・ >>175の続き
しかしそれとは別にリットンの論理(?)がその後の世界に災いをもたらしている。
中国はチベット人120万人を殺し、大量の漢民族をチベットに入植させている。
そしてチベット人男性にはロクな仕事を与えず、漢民族とチベット人女性を
結婚させている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
入植政策
李コ洙(Li Dezhu)国家民族事務委員会主任は西部大開発によって
「人材もそれに伴って西に流入する」と発言しているが[108]、
1980年代の改革開放政策により、中国からの移民労働者がチベットに大量に入植した。
2000年の人口統計では、チベット高原の人口約1,000万人のうち、
軍人と出稼ぎ労働者を除いた540万人がチベット人で、残りは漢民族である[109]。
2002年、中国当局は「ラサのチベット人は近く少数派となるであろう」と語り、
中国からの移民増加は経済開発を遂行するためと述べている[110]。
ウィキペディア 「チベット問題」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
たとえば将来、チベット独立問題で国連の調査団がチベットに派遣された時、
「チベットの住民の大多数は漢民族であるから、チベットの主権は中国に帰属すべきである」
と裁定される事を過去の先例(リットン調査団)から中国は狙っているわけである。 >>176の続き
また最近ではクリミア問題でも、60%のロシア系住民保護を名目にウクライナに属していたクリミアが
ロシアによって併合された。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
住民投票では次の2点のうちいずれかを選択する。
1.クリミア自治共和国をロシア連邦へ編入させることを支持する。
2.ウクライナへの帰属を決定した、1992年制定の憲法の効力復活を支持する。
2番目の選択肢に賛成すればクリミアのウクライナ帰属に賛成することになるが、
1992年制定の憲法は現状のものよりクリミアの分離独立に関する手続きが詳細に定めているため、
1992年憲法が復活すればロシア編入が容易な状況ができる[19]
ウィキペディア 「2014年クリミア住民投票」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
しかし無茶苦茶やなロシアは・・・前に見た二択に似ている。
Q. 日本は韓国と戦争をしたのを知っているか?
1.知っていた
2.今知った >>175
なにを言っとるんだリットン
リットンの主張は漢族の主張だな
例えば辛亥革命の前後には朝鮮の人口も700万から1300万に増えてるし
これを漢族と主張するようなもんだな
事実漢族もいたんだろうけど
こういう観点の比較はあまりないだろうが
整理する
朝鮮
1904年 710万人
1911年1383万人
1935年2220万人
満州
1898年 694万人
1908年1705万人
1930年3130万人
辛亥革命前後は帰還者と亡命者
その後は自然増
それに加えて満州は出稼ぎが多く
入満と離満が毎年数十万ずつ繰り返され入満が20万ほど超過する
その分が朝鮮より増えている分
満州族は元々は500万人だが
それ以外を漢族(シナ人?)とするなら朝鮮も半分そうになってしまうが 当時の日本の人口調査でも満族と漢族は分けてカウントしてないんだよな
まとめて満人としている
内訳がよくわからんけど
国民党から逃げて来たんなら満州人でいいんじゃないの
元々初期の満州族(旗人)には漢族出自の者も含まれてるし >>28
文科省からスパイを追放すれば可能
https://gamp.ameblo.jp/1111hito/entry-12613168182.html
https://www.sankei.com/article/20200728-PVTLQI4M45PEPAKTJM3WK7CXFY/
記事では、調査官を匿名にしているが、容易に特定できる。この人物は、某私立大学の非常勤講師(しかも英語)を務めているが、これが謎なのである。
調査官になるには、「視野が広く、人格が高潔」など4条件を満たさなければならないが、一番の難関は経歴である。条件の第1には、「教授または准教授の経歴がある者またはこれらに準じる高度に専門的な学識及び経験を有すると認められる者」とある。
Ad
彼は過去に韓国の大学で講師を務めているが、准教授の経歴は見当たらない。「専門的な学識」に該当するとすれば、毛沢東を礼賛した本くらいだ。
つまり、任用の過程で、毛沢東シンパの彼を強く推す人物が、文科省内にいたという推測も十分成り立つ。 中共の一党独裁にこだわる限り、習近平絶対コケるよw 自由経済と一党独裁が両立するわけない
経済が落ちて来た時が中華人民共和国の終りの始まり >>179
清朝時代、封禁令によって漢民族の満州への移住は禁止されていた
>>93
>漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。
19世紀。ロシアの南下政策によりロシア人が勝手に満州に住みつくようになった。
その為に19世紀の中ごろ、清朝は封禁令を解除というより、漢民族に査証を発給して満州の開拓をさせた。
(査証の発給についてはブロンソン・レー「満州国出現の合理性」より)
1905年 日露戦争後に日本は満州において鉄道敷設、鉱山経営、租借権、居住権や商工業の営業権などの権益を得る。
そして満鉄の各駅を中心にして土木(道路・上下水道)、衛生(病院)、教育(各種学校)などのインフラが整備された。
特に満鉄大連医院は東洋一の規模を誇った大病院であった。
こうして満州が発展する中で、特に山東省から多くの漢民族が満州にやってきたのである。
しかし満州国建国前には、その漢民族を含め満州住民が「鵜飼の鵜」よろしく張学良の搾取を受けていた>>71
そして張学良を追い出して建国された満州国はなおも発展し安定して、建国後10年で1千万前後の漢民族が新たに流入した。 高市曰く満州事変以降の戦争は
侵略ではなく自衛だったと… >>183
違うな
俺は満州は満州族の国だと言っている
それ以外になにかあるのか? >>184
なんでそこでタカイチが出てくるかよくわからんな
自衛か侵略かなんてどうでもいい
満州が満州族の国だと言ってるだけであって
ウヨサヨ論者は本質より無駄な政争が目的だから話にならない
中国の満州モンゴルやチベットウイグルに対する正当性はかなり低いのではないかと言ってる
日本が中国を牽制したのはそのためだろう
日本はそんなに間違ったことはしてないという話をしてるのだが
自衛とか侵略とかなんなんだ
アホなのか
戦争の理由はその二つだけじゃないわ >>185
いやそうだけど
レスを辿ると満州国にいた漢民族はどういう経緯でいたのかってレスしてないか? 非道に民を虐げて抗日さけぶ賊徒らの♪
破壊の跡に打ち建てる♪
新たな秩序永遠の道あり北シ派遣軍♪ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています