支那事変(日支事変、日中戦争)の期間は1937年7月7日から1945年8月15日。この戦争をシナ共産党は「抗日戦争」と呼称している。
ちなみに1945年8月15日以降の侵略・不法行為を正当化するためにロシアとシナは終了時期を1945年9月2日と勝手に主張。
その上、シナ共産党は2017年の1月3日付で始期を1931年9月18日の満州事変開始時に遡らせ、教科書の記述を「8年抗戦」から
「14年抗戦」に書き換えるように指示した。

これは満洲事変後、塘沽協定で平和が戻った大陸に於いて盧溝橋で最初に発砲し攻撃を仕掛けたのはシナ共産特務だとバレ出してい
る事と、上海に飛び火して戦火が拡大したのはシナ国民党正規軍が上海クリークをドイツ軍事顧問団の指導で強固に防御陣地化した
後で日本人の居留地とされた共同租界を一方的に攻撃したからだと分かっており、あの東京裁判でさえもこの時の居留地攻撃の事実が
認められていて、日中戦争の開戦責任はシナ側にあることは明白であって、その事実の隠蔽が主な理由。
なお、終戦時の連合国報告書で日中戦争のシナ側死亡者数132万人であったものが、1998年には江沢民により改竄された死傷者数が
3500万人にまで膨れ上がっており、今回の期間延長でこの数値の更なる上方改竄を行おうとする意図も見え隠れする。

元々、長城以北の満洲は清朝により禁闕の地とされ漢人の土地では無かった。そして清朝末期は満・漢・鮮・露そして日清・日露
戦での権益による邦人も含めたアジアの入会地状態。清朝滅亡後に移民と言う名の最初の満洲侵略を行なったのは中華民国の方で
あり、在満邦人への圧迫・迫害は酷いもので欧米列国なら即軍事介入してたであろうレベル。
つまり、日中戦争は1937年からが正しい歴史であり、その開戦責任はひとえに民国政府側にある!!!
日本は、戦勝国を僭称する中共のこの様な「日本貶め」画策の欺瞞を、強く国際社会に指摘し糾弾しなければならない!
でないと国賊 河野洋平(紅の傭兵)による談話の失敗での捏造された追軍売春婦問題の二の舞と……