1941年5月に東京に赴任した「ワルシャワの虐殺者」と呼ばれる親衛隊大佐ヨーゼフ・マイジンガー (Josef Meisinger) は、1942年6月に、ハインリヒ・ヒムラーの命を帯びて上海に赴いた。反ユダヤ感情のない日本人に対し、彼は防諜の観点から日本政府を動かそうとし、「ドイツにおける反ナチス勢力の大部分はユダヤ人であり、彼らは上海にも多数侵入している。反ナチス勢力はすなわち反日勢力である」という説明を繰り返した。彼は日本に対し、上海におけるユダヤ難民の「処理」を迫り、以下の3案を提示した。
・黄浦江にある廃船にユダヤ人を詰め込み、東シナ海に流した上、撃沈する
・岩塩鉱で強制労働に従事させる
・長江河口に収容所を建設し、ユダヤ人を収容して生体実験の材料とする