ボンタンアメ、なぜアメか? オブラートに包まれた真相は… [愛の戦士★]
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毎日新聞 1/18(火) 10:30
さわやかな香りともっちりした食感の「ボンタンアメ」。紺色に黄色いかんきつの絵が描かれたパッケージもかわいく、見かけるとつい手に取ってしまう。でも、アメという名前ながら、お正月に食べた餅と食感が近い気も……。オブラートに包まれた真実とは?
製造元のセイカ食品があるのは鹿児島市。パッケージに「南国特産」とあるのはこのため。箱に書かれた原料を確認すると、やっぱりもち米も入っている。リモート取材に応じてくれた製菓部の牧迫昭郎さん(61)に「餅ですか、アメですか」と切り出してみた。「アメです」ときっぱり。ふむ。
そう言い切るのは、ボンタンアメの歴史にも関係している。セイカ食品の創業は1903年。菓子問屋のかたわら、水あめやお菓子も製造していた。水あめをブリキの缶に入れて船で東京に出荷していたが、航海中に缶に穴が開いてしまうことも。補償してもらうどころか、なぜか船会社から甲板の清掃代も請求され、会社は経営危機に陥っていた。
その窮地を救ったのが、24年誕生のボンタンアメだ。初代社長の玉川壮次郎氏が、ぎゅうひで作った「朝鮮飴(あめ)」と呼ばれるお菓子の切れ端を、工員がハサミで切っているのを見て「キャラメルみたいに箱に詰めて売ってみたらどうか」とひらめいた。
地元特産で香り高いかんきつのボンタンで風味を付け、そのままだとアメがくっついてしまうため、デンプンでできたオブラートに包んだ。この形は今も健在だが、牧迫さんによると「紙が取れない」という苦情があるのだとか。私も子どものころ、必死にはがそうとしました……。思い出話はさておき、「朝鮮飴」が原形なので「アメ」なんですね。なるほど。
さらに壮次郎氏の広告戦略で、ボンタンアメは販路をひらいていく。新聞広告やチンドン屋での全国行脚のほか、飛行機からボンタンアメをまいてPRしようという計画もあった。資金不足で実現はしなかったが、大いに話題を呼び知名度アップ。全国区のお菓子に成長した。
もう一つ、ボンタンアメとともに親しまれている「兵六餅(ひょうろくもち)」は、刀を腰に、ふんどし姿の男性が描かれた歴史の香りを感じるパッケージ。水あめ、もち米などボンタンアメと共通する材料もありますが、こちらは「餅」なんですね? 「『餅』なんです」と牧迫さんにっこり。ふむ。兵六餅の誕生は31年。お土産用に考案され、社会風刺を織り交ぜつつ薩摩隼人(はやと)が化けギツネを退治する「大石兵六夢物語」にちなんで命名された。きなこや抹茶などを練り込み、コクのある和の味にした。
実はこの「兵六餅」のパッケージ、戦後、GHQの「ご意見」がついたことも。販売を再開しようとした時、兵六の刀を腰に差した姿が「好戦的だ」と言われ、米軍事務所で説明することに。「これはユーモアのある昔話で、刀は当時の風俗」と話すと納得してくれたものの、次はふんどし姿に文句がついた。「パンツをはいておらずハレンチだと。『パンツをはかせろ』と言われたので、『ふんどしはジャパニーズパンツ。大事なところは隠れている』と必死に説明したそうです」と牧迫さん。そんな話を頭に浮かべつつ食べてみると、日本の心のようなものを感じる。こちらは確かに餅ですね。
第二次世界大戦末期、鹿児島の街は空襲に遭う。セイカ食品も工場など全てが焼き尽くされて、残ったのは耐火金庫一つだけ。終戦を迎え、再建を図ろうにも、砂糖は原料統制でボンタンアメは製造できない。何とか会社をつなぐため、まず製造したのがパン。「何としても、もう一度事業をするんだ、と立ち上がったのだと聞いております」と牧迫さん。
統制が解け「ボンタンアメ」の製造も再開。再び市民の口に入るようになった。セイカ食品はグループ会社を含めると、菓子だけでなく「南国白くま」などの氷菓、冷凍食品、パン屋さん、スポーツ施設まである。多岐にわたって地元・鹿児島の食や文化を守っているのだ。
実は「ボンタンアメ」はいろんな用途に向けて、サイズもバラエティーに富んでいる。駄菓子屋さんなどで、子どもが手にとりやすい4粒入りもあれば、スーパーなどで販売される10粒入り、14粒入り、お土産や贈り物にも使えるタイプも。贈り物用は、おなじみのデザインが大きな箱になり、テンションがあがる! 中身は8粒入りの小箱が詰まっている。技術的には中身自体を大きくできるが、子どもやお年寄りの喉に詰まりにくいよう1粒のサイズは決まっている。
※続きはリンク先で
https://mainichi.jp/articles/20220117/k00/00m/100/261000c
発売当初のボンタンアメのパッケージ=セイカ食品提供
https://i.imgur.com/0bJu9SG.jpg 兵六餅とボンタンアメ
国鉄のキヨスク扱いだったから50年前でも全国区だったわ
ユニクロのコラボTシャツも買った ボンタン飴の元になった朝鮮飴が気になるな
どういう風味付けしてたんだろ 最高にうまいお菓子
沖縄限定のパイン味が個人的ベスト 朝鮮飴は元々は長生飴または肥後飴と呼ばれていたが朝鮮出兵時に加藤清正が
この飴を兵糧としたことから朝鮮飴という名前になった、とウィキペにあった
キムチ味とかいうわけじゃないんだな > チンドン屋での全国行脚
オリエンタルカレーもこれで巨大になった 「朝鮮アメ」というのは、朝鮮征伐のときに加藤清正が糧食として持っていった事から名付けられている
朝鮮人は関係ない 南国しろくまもこの会社なのか
ボンタンアメは高知かと思ってた 時々無性に食べたくなるね
相方の助六餅みたいなのも >>22
この前近所の商店街でチンドン屋見かけた
まだあるんだな >>9
加藤清正が朝鮮出兵の時に兵糧として持っていったから朝鮮飴だぞ
今でいう軍用チョコレートみたいなもよ >>31
チンドン屋のTwitter垢があったような…
ブログだったかも 48歳だけど子供の頃これが大嫌いだったわー
親にもらっても、今日のおやつはボンタンアメかよ!キャラメルならいいのにって思ってた
オレンジ色だけどオレンジの味はしない うすら甘いだけでほかの風味はない
ただオブラートの部分だけは好きだった
オブラートは単体で薬局売ってると知り小遣いで買いに行ったくらいオブラートが好きだった >>8
ps://cdn.mainichi.jp/vol1/2022/01/17/20220117k0000m040262000p/9.jpg >>15
地域によってはどうだったかわからんけど
ドカンは上から下まで太くて、ボンタンはワタリ太くて裾普通
さらに裾細めだとボンスリとか言ってた気がするけど >>9
いつものキムチが真実知って発狂するやつやないか・・・ なぞなぞ
アメをオブラートで包むと?
こたえ
オブラート
オブ飴ート
オブラート ゲーセンのプライズでも結構見かけるよな
4粒入りのはまだ見たことない ボンタンあぅめ
ボンタンえぃめ
の方がよりオブラートな感じ出そう え?、まだうってるの?
売れなそうだし無くていいよ いや実際に敗戦国なのに武器を手にしたパッケージは駄目だろ >>5
ボンタンアメでそれは無い
食ったことないだろ 加藤清正が朝鮮出兵に持っていって役に立ったから朝鮮飴と呼ばれるようになっただけで、もともと和菓子 短ランにインナーで赤いパーカー着てボンタン履くのがカッコいいよな? アメリカ人に差し出したら、案の定オブラート剥がそうとキレてた。 朝鮮飴ってすっかり見なくなったな
30年前ぐらいから熊本の人のお土産は陣太鼓とかせんば子狸とかになって
2010年以降はくまモンを冠した新作に席巻されてしまった むっちゃむっちゃして美味しい
食べすぎない絶妙なお菓子 >「朝鮮アメ」というのは、朝鮮征伐のときに加藤清正が糧食として持っていった事から名付けられている
韓国で売り出そうぜ
韓国人が起源を主張するぐらい流行らせよう パチモンのポンカン飴はフィルムとオブラートの2段構えという罠がある オブラートで包まれた唯一の商品ボンタンアメ
オブラートを食べる事が出来る唯一の商品ボンタンアメ ボンタン飴は朝鮮飴のパクリだったのか
それは知らなかった
朝鮮飴は熊本銘菓として有名だな
どっちかと言うと朝鮮飴は立派な銘菓だがボンタン飴は子供のお菓子 韓国人向けにキムチ味のボンタンアメを作ったら
キムチ大好き韓国人は喜色満面でホイホイ買うよ 朝鮮飴というよりは朝鮮討伐飴と言ったほうが良いものなので
韓国では売れないだろ 高校の修学旅行で九州一周した時に
鹿児島県はボンタンアメとかるかんと桜島大根のアピールが凄かった。 ボンタン、短ランで街練り歩いてたら生活指導に見つかってボコられた思い出 オマイラ、チンポをオブラートで包んでも無意味だからな 朝鮮飴は朝鮮由来なわけではなく朝鮮出兵の時に糧食として持って行ったのが始まり 無知な韓国人が『韓国起源ニダ!』とか言い出したら指差して笑ってあげよう こんな不味いものを何故昔はウマイと思って食っていたのか?自分でもわからない 大阪だったけど不思議に遠足で誰かが持っていたお菓子だったな。
味は忘れたけど当時は美味しいとは思わなかったと記憶している。 ばあちゃんがよくくれたけど正直あんまり好きじゃなかった これとハチミツ100%飴は銀歯がとれるお(`・ω・´) >>90
どちらかと言うと無知な日本人が「朝鮮起源だ!」と叩くケースの方が多そう 朝鮮討伐のときに兵糧として持っていった飴。
征朝鮮飴。 ボンタン遠い鹿児島で死にやつた
ボンタンここのつひとみは真珠 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています