【考古学】三国志の登場人物ゆかり 呉の青銅鏡 /奈良 [ごまカンパチ★]
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https://mainichi.jp/articles/20220211/ddl/k29/070/268000c
写真は、重列式神獣鏡(しんじゅうきょう)と呼ばれる青銅鏡です。
多くの鏡の文様が、中央のつまみ(鈕(ちゅう))から放射状に配置されているのに対し、この種の鏡は、上から下へ一方向に配列されているのが特徴です。
三国時代の呉で制作されたと考えられますが、実はこの鏡の周縁部分に、所有者と考えられる人名が刻まれています。
「将軍孫怡士張平竟□寸」と刻まれた文字が確認でき、将軍の孫怡(そんい)の部下の張平という人物が、所持していた鏡だったことが分かります。
ところで、この張平が仕えていた孫怡という人物は、かの有名な陳寿が著した「三国志」に登場する人物です。
孫怡は、三国時代の呉の将軍で、若くして亡くなった呉の皇太子・孫登(そんとう)が死に臨み、遺言に国の支えとなる重用すべき人物として挙げた12人の家臣の一人です。
他の家臣の陸遜(りくそん)や諸葛瑾(しょかつきん)をはじめとする呉を代表する人物と並んで名を挙げられていることから、能力や人格ともに優れた一…
※無料部分ここまで やっぱり天皇は呉の末裔やな
呉が滅亡する時 大船団が行方不明になったともとれる記述があるし
それがジャップにやってきた
(´・ω・`) そんたいって読むの?wikiにもページないし末期のマイナーなやつか 孫権仲謀の仲は「二番目」という意味。次男だから二番
豆な 畿内で出土の多い三角縁神獣鏡をはじめ、神獣鏡という形式は呉のものだから
魏の鏡じゃないという批判は以前からあったよね
親魏倭王・卑弥呼の邪馬台国が呉の鏡を集めるわけないから畿内説はアウトだね
231 :名無しさん@1周年 :2018/11/17(土) 23:43:12.60 ID:xGjjowfH0
神獣鏡は魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」 孫登は弟孫和が帝位争いに担がれた際に、
かえって仲良くするって解決策出した人だったな。 呉の船団が有明海から九州に。大川には船職人の末裔が今では大川家具に。豚骨ラーメンの発祥も何故か久留米。呉の船団は海洋民族として志賀島から天橋立へ。そう想像していた。日本の航海技術は呉から。 呉が日本まで来ていた可能性の物的証拠が出たってことかな? 堅いのが孫堅
乾いてるのが孫乾
やわらかくて湿ってるのが孫権 >>27
赤烏○年とか
呉の元号が記載された鏡は
以前から出てた
(´・ω・`) >>18
なるほど畿内説涙目って記事か
ならばよし 孫怡って公孫淵への援軍に呉が出兵した時の将軍の一人だな >>18
>>1にもあるけど中国北方の銅鏡の特徴は対称性なんだよね
左右対称か中央の鈕を中心にした点対称で模様が描かれているものがほとんどで
神獣鏡みたいな非対称の形式は華北では流行ってない
呉の鏡というのは納得だ >>37
なるほど
じゃ船の操縦には長けてたのかな
呉から遼東まで船かな
(´・ω・`) 元寇の時、博多の志賀島住民は呉の兵隊のみを助けた。同郷であるからと。 >>42
助けたっていうか
幕府はモンゴル兵と朝鮮兵は皆殺しにして
旧南宋兵は奴隷にした
(´・ω・`) >>35
年号が入った記年鏡は中国からは出土せず日本からだけ出土するんだよな
鏡に人物名が入った物は他にも出土例あるのかな? >>41
遼東まで普通にたどり着いてるから航海術はしっかりしてるよね
魏の軍破ったけど、もう公孫淵が死んでたから帰ったね >>16
>>32
そして実力伯仲、って言うのの伯と仲は長男と次男のこと。 >>42
それは知らんが鎌倉幕府は南宋人は助命したが元人と朝鮮人は有無を言わさず処刑したらしいな
つり目が嫌いだったんだろう 陳寿が如何に優れた文官だったか分かるな。
記紀と大違いだ >>48
いいなあ
俺の実家なんか安そうな変な槍で妖怪ぶっ刺さってるんだよな >>51
呉の鏡じゃなくて国産の鏡だな
卑弥呼時代よりも後に作られたものだ
中国製の鏡で人物名の入った鏡なんて聞いた事がない。 >>57
名前入りってのはすげえよな
交易とか商売用に作られたもんではない
ってことだ
つまり…この鏡には重要な秘密がある!
(´・ω・`) さすがにそんなヤツ知らんわ
呉は張朱陸顧の国だから張の文官の一人ってところか 古代日本は小豪族が乱立していたというから、魏派や呉派の勢力が日本に雑居していて、そん中で「親魏倭王」だった卑弥呼は九州にいたけど、同じく九州か中国地方にいた呉派である大和政権の先祖は邪馬台国を滅ぼした後に畿内にうつり(神武東征)、大和政権を築いたってコトか。
それだと呉が滅んだあとに、呉の三角縁神獣鏡が畿内や東日本で出てくるコトの説明がつく。 >>25
それは蜀だろ。
呉は長江の辺りから南の海側、中心都市は今の南京や蘇州。
船でベトナム方面との交易も行ってたから、三国の中では一番航海能力はあったはず。 これで大和は呉の流れをくんでいて、魏と交流があった卑弥呼とと別の勢力という可能性が高まったね 呉服は呉だよ。魏が滅んで後ろ楯のなくなった邪馬台国も滅びた。最後に勝ったのは日本の地で呉って落ち。やはり日本の戦いも代理戦争だな。 張平
身体78 知力85 武力52 魅力79 運勢84
くらいかな 蜀って、日本とっていうか倭国とあんまり関わり持ってなかったん? >>58
キバヤシ「この文字はアナグラムになっていて並べ変えるとノストラダムスになる!つまり人類は滅亡する!」 三角縁神獣鏡が呉の形式だと言うけど、
「景初」は魏の元号でしょ >>16>>32
董仲穎と並んで三国志三大次男坊
そして私の大好物 魏が、呉の向こうの邪馬台国から服属を願い出てきたことに喜んだとは言われてきたけど、
呉の鏡が出てくるということは、当時既に日本と呉に交流があったということで凄いよね
3世紀の日本に関する印象がガラッと変わってしまう 3世紀の航海技術を過小評価して、朝鮮半島から陸路
ないし朝鮮半島伝いに海路と思われていたわけで、
後の遣唐使や鑑真の来日経路や、もっと後世の日明貿易のように、
沖縄伝いに華南地方と交易する航路があったのかもしれないね もっとも、交易を通じて流れてきただけの可能性もあって
日本と呉に直接の交易があったとは限らない どいつもこいつも🇯🇵日本の領土のデカさを
唐の都で自慢して帰っていく >>1
ありがとうございます
ごまカンパチさん
がんばれ〜(//∇//) みんなの家から色々出てくるんだな
俺の家なんか玉璽しか出て来なかった >>29
運悪く、東北の震災で封印されてしまった名作ドラマ・・・(´;ω;`)ウゥゥ 倭国は魏以降ずっと後継の南朝と交易していたから呉の鏡が後の時代に入ってきてもあまり不思議ではないのよな >>82
俺ん家の畑は古墳だから土器やら古銭やらなんか色々出てくるw >>56
奈良の古墳から漢の時代の青銅刀が出てきていたはず 志賀島で農作業中に金印を発見した人の子孫が、ひと言↓ >>78
中国では近世まで日本列島が九州から南に伸びていると思われていて、
琉球の東に東北地方がくるような地図を描いて
わざわざ注釈に「日本人やヨーロッパ人が描く地図は誤りである」と添えるほど。
それが、「魏志倭人伝に描かれる邪馬台国の風俗はどうみても南国」という主張や
伊都国から記述のとおりにたどると邪馬台国が遥か南海上になってしまうことと一致する。
邪馬台国北九州説では、伊都国から先の道案内は全て伊都国を起点に書かれているという。
しかし、畿内説のように、南と東の記載が誤っているだけで
伊都国から一直線に邪馬台国への道順を記載していると考える方が
中国人が日本を南海上の国と勘違いしていたことと辻褄が合う
その中国人の思い込みの原因が、
邪馬台国が呉と通商していたことにあるのかもしれない 呉は有明海から筑後川流域に入ったが、魏の仲間の邪馬台国があったから、魏が強かった間は海洋民族の安曇として全国に。奈良に都を造り大和を築いたと思ってる。 >>18
魏でよく見つかる斜縁神獣鏡や方格規矩鏡も畿内で出てるんですが 中国人より詳しい日本の三国志マニア。なお、日本の歴史には詳しくないぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています