【日本史】 毎年200人のホームレスを社会復帰…それでも「鬼平」長谷川平蔵が出世できなかった残念な理由 [朝一から閉店までφ★]
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2022/04/21 10:00
松平定信からも高く評価され、当然昇進できるはずだった
PRESIDENT Online
山本 博文
歴史学者
時代小説『鬼平犯科帳』の主人公、長谷川平蔵は江戸の治安を守る「火付盗賊改」を務めた実在の人物だ。後世になっても取り上げられる魅力とは何なのか。歴史学者の山本博文さんの著書『江戸の組織人』(朝日新書)より、彼の功績を紹介しよう――。
※本稿は、山本博文『江戸の組織人』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
関東の農村から江戸に集まった窮民をどうするか
18世紀中頃以降、江戸では「無宿」の流入という問題に直面した。関東農村の荒廃、天災、飢饉ききんなどにより、生まれた村を離れて江戸に来る窮民が続出していたのである。
「無宿」とは、江戸時代の戸籍にあたる「宗門人別改帳」から除かれた行方不明者を言う。天明7(1787)年5月、江戸で大規模な打ちこわしがあり、翌月に松平定信が老中首座(筆頭老中)に就任した。定信が直面したのは、無宿の増大に対していかに対処するかという課題であった。
定信は、評定所一座(寺社奉行・町奉行・勘定奉行らで構成した老中の諮問機関)に、無宿対策を諮問した。
これまで無宿は、「狩込」と称して捕縛し、差別された人々の集団に送っていた。しかし、多数の死者が出るなど好ましい状況ではなかったので、定信は、無宿を伊豆七島に送るなり、出身地の大名に引き渡すなりの方策を考えた。
しかし、評定所一座は、伊豆七島へ送るのは収容能力に問題があり、島の者も困る、大名も無宿の受け取りには難色を示すなどと、否定的な意見を上申した。
江戸の治安回復のために2つの無宿対策を提案
定信は、評定所一座を見限り、寛政元(1789)年の秋から冬にかけ、広く幕臣に意見を聴取した。そこで手をあげたのが、火付盗賊改の長谷川平蔵だった。
火付盗賊改は、放火犯や強盗を検挙するだけでなく、日常江戸市中を見回り、火の用心を周知させ、窃盗犯などの検挙も任務としていた。そのため、平蔵は犯罪に関与する無宿の実態に委しく、これを放置していては江戸の治安は回復できないことを痛感していた。
平蔵は、定信に無宿対策を自分が試みてみたいと上申し、意見書を提出した。その骨子は、無宿を集めて作業を課し、職業を習得させること、及び作業と並行して精神的な教育を行うこと、の2点であった。
https://president.jp/articles/-/56650
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https://president.jp/articles/-/56650?page=2 出世できなかった長谷川平蔵の生まれ変わりがケケ中平蔵なのさ 若い頃は箸にも棒にもかからない遊び人だっのに鉄っつあんも出世したもんだな〜 将軍のお膝元の江戸でうちこわしとか恐れしらずだな
昔の日本の庶民ヤバすぎwwwwww 令和の大商人・竹中平蔵は国を相手に濡れ手に粟の大繁盛ぶりですぞ! 罪人とか扱う職種は捕り方も汚れた職種で地位は低いんよ
大岡越前だって将軍に直接会えないポジション 平蔵「非正規にして派遣で儲けた、水道民営化で外資に日本のインフラを叩き売って儲けた、他人他者や日本社会に貧乏になる自由を強いて何が悪い」 竹中がやってる口入れ屋って江戸時代は常に奉行所に立ち入り検査される悪の温床だったんだぜ
それを小泉安倍が重用して日本は25年も経済成長しなくなった 安定政権では能力よりも出自家柄が重要
乱世に生まれたら有能は出世するけど >>1
というか奉行職になるような出世するには数千石レベルの旗本じゃないと
長谷川さんの家の石高では元から無理な話 そんなことより北町奉行と南って別れてるが
どういう範囲だよ?って。
今の区くらいの広さか?
当時は都心の真ん中くらいしか栄えてなかったはずだし 捕まえたら死罪確定をいい事に
捕縛の時に切り過ぎたからだろ >>5
なるほど...光の輝きが激しいほど闇が濃ゆくなる、か
長谷川平蔵はそうとうな人物だったんやな(´・ω・`) フランスでホームレスに助けられたパン屋がホームレスをバイトとして雇って修行して
そのまま1ユーロで店譲り渡す話を思い出したわ
結果そいつは夜に仲間呼んで店で酒盛りしててオーナー激怒から首
クズはやっぱりクズでしたっていう美談からの教訓 >>22
父親の宣雄は京都西町奉行だぞ
まあカネに汚い奴だと思われた事が松平定信の政権下において出世の妨げになったんだろう 活躍しすぎて嫌われたタイプだろうね
禄高の低い家のくせに目立ちやがってと武家の世評は低かった
しかも身分低いゆえに活動経費は自腹が多くて大損したらしいよ >>34
家財売り払って活動してたとか、鬼平犯科帳まんまなんやな >>24
もしかして江戸の北部と南部を分けていたと思ってる?
俗に言う八百八町 全「町」を月ごとに交代でみていた
千代田区のお城から 高輪 墨田区 台東区
同じ地域を月により巡回−書類整理−巡回・・・ この当時の幕府事業ってのは特に社会福祉厚生なんて
やりたいやつが自腹でやれというトンデモな位置づけで
平蔵も提案したけど活動経費は持ちだしで家が傾いてしまったというね
それで出世主義とか金に汚いとか言われ踏んだり蹴ったり 池波正太郎が取り上げる前は
そんなに知られてなかったのかね? 嫉妬
普通は5000石の奴がヒイヒイ言いながらやる仕事を300石の鬼平がやったから 貧困層から搾取するほうの平蔵は出世しまくりだったのに 記事のほうにも活躍しすぎて嫌われたとあるのは正しいけど
もっと言えば町奉行と異なり重罪の放火犯を緊急で捕縛するこの役目は裏方で目立たないもの
しかし有能過ぎて重罪人をどんどん捕縛して非常に目立って同僚に激しく嫉妬された
更に現在の日本行政でもお手本とされる更生事業の人足寄場は先進的過ぎて定信にもろくに理解されず
気の毒を絵に書いたような寂しい死に方だね 松平定信から高評価されたのなら定信失脚後は冷や飯喰わされただろう。 犯罪者に職業訓練させて社会復帰させてたけど
当日も禁止されてた拷問取調べもしてた >>1
身分制度がある時代の出世ってのは身分によって出世できる上限が決まっていたわけだから。
っていうかたぶん「順番待ち」しているあいだに定年退職のパターンでしょ。
現代のキャリア官僚と同じですよ。 >>39
やんごとない方 武家 大商人相手に江戸の赤坂でかどわかしで集めた生娘と遊ばせる話だっけ
違ったかな 歴史学者の山本博文さんの著書『江戸の組織人』(朝日新書)より >>24
大坂の東西奉行、京都の東西奉行も管轄じゃなくて奉行所のあった方角ってだけでどちらも管轄は全範囲
月番交代でそれぞれ担当月が違うだけ
ってか月番交代って習わんかったの? >>49
あちこちの商家に押し入って人妻を犯しまくり、捕まっても、お白砂に出せるもんなら出して見なさいあの家の女を犯したと全部喋りまっせへへへと見えを切ったら、奉行所に引き渡されずに鬼平に殺された話。 >>1
山本博文さん亡くなっただろと思ったら
寄稿じゃなくて著者の抜粋かい >>15
江戸町奉行や寺社奉行兼奏者番は、将軍にお目見得可能だぞ。
しかも大身旗本から大名だし。 >>40
いつの時代、どの業界にも凄い奴はいたんだろうけど、誰かが記録に残してそれを歴史家が発掘してさらに大衆小説家が小説を書いてヒットさせないと日の目を見ないな >>39
>葵小僧
>普通の取調べなら被害者からも供述を取って処断するところであるが、
>平蔵と老中の専断により捕縛後10日ほどで獄門にかけられた。
wikiより抜粋、これ実在の人物なのね 遠山の金さん、鬼平犯科帳、忠臣蔵
三大つまらない時代劇 >>18
?
全然だ
親父は京都町奉行をやった
分かってるのか?
最高裁判所長官・最高裁判所判事・検察庁長官・警察庁長官・警視総監・都道府県知事、地域においてはこれを一人でやってるのが町奉行
地方の代官なんかよりも遥かに格上なのだ
長谷川平蔵の火盗改め長官というのは
帝都軍管区の憲兵隊長レベルの役職
比較にならんわ >>54
外国人か、帰国子女なんだろw
日本の常識が通用しねえ 石川島の人足寄場のことは、山本周五郎が『さぶ』で書いてたっけ >>45
望むような出世が叶わなかったのは無念だろうけど
異例の現職についたまま死去だからな
本人の気持ちは少し違ったかも知れない
現職のまま死んだことにしては葬式もできないから、ややこしい事をしてるよ 31歳で江戸城西の丸御書院番士(将軍世子の警護役)に任ぜられたのを振り出しに、翌年には西の丸仮御進物番として田沼意次へ届けられたいわゆる賄賂の係となり[注釈 9]、天明4年(1784年)、39歳で西の丸御書院番御徒頭[注釈 10]、天明6年(1786年)、41歳で番方最高位である御先手組弓頭に任ぜられ、順調に出世していった。火付盗賊改役に任ぜられたのは天明7年(1787年)9月9日、42歳の時である。 いつの世にも、悪は絶えない…。
その頃、自民党政府では
「内閣府特命担当大臣」
という、特別役職を設けていた。
凶悪な正社員の群を容赦なく取り締まるため、独自の機動性を与えられた、
この内閣府特命担当大臣こそが竹中 平蔵。
人呼んで[抜きの平蔵]である… 寛政の改革で人足寄場(犯罪者の更生施設)の建設を立案し、石川島人足寄場の設立などで功績を挙げた。しかしこの時、上司である老中首座・松平定信に予算の増額を訴え出たが受け入れられず、やむなく宣以は幕府から預かった資金を銭相場に投じるという方法で資金を得る。辣腕とも言えなくはないが、当時の道徳的には認められるようなものではなく、またこのような手法はかつての田沼意次を思い起こさせるようなものであり、このため意次を毛嫌いしていた定信とは折り合いが悪かった。定信は自伝『宇下人言』において敢えて名を呼ばず「長谷川某(なにがし)」とまで記し、功績は認めたものの「山師などと言われ兎角の評判のある人物だ」と述べたほどであった。 『よしの冊子』(定信の元に集まってきた隠密情報を整理した文書)によると「長谷川平蔵のようなものを、なんで加役に仰せ付けるのか」と同僚の旗本たちは口々に不満を訴えたという[注釈 11]。
寛政元年(1789年)4月、関八州を荒らしまわっていた大盗、神道(真刀・神稲)徳次郎一味を一網打尽にし、その勇名を天下に響き渡らせる。 長谷川宣以の住居跡には、数十年後に江戸町奉行となる遠山景元が居を構えた。 元記事読んだ。
長谷川平蔵、めちゃくちゃかっこいいわ。
時代劇の素材になるだけある。 長谷川平蔵は人足寄場を作って
無宿人に職を付けさせた
竹中平蔵は淡路に奴隷島を作り…
(´・ω・`) >>45
仕事は定信は評価してたが
定信が大嫌いな田沼と近すぎた
以前は田沼への賄賂取次役やってた
資金が足りなくなった時に無断で公金で銭相場で資金捻出したり
結果的に稼げたけど切腹でもおかしくない >>5
自分を取り立てなかった国家に復讐を誓った? 不良債権処理で辣腕を振るった平蔵。
生まれかわってもええ仕事したんだな。 >>66
江戸時代の三大改革
享保の改革は大岡越前
寛政の改革は長谷川平蔵
天保の改革は遠山金四郎
これで覚えると忘れにくいぞ マスゴミのステマが他人事のように報道しててほんとうに面白い。 >>90
寛政になる前の天明に
天明の大飢饉ってのがあって食い詰めた人間が江戸に集まった
天明の大飢饉は江戸時代最大の飢饉
今みたいに食うに困らない時代とは話にならない ホラウヨに取り込まれるくらいなら革命起こした方がマシですし >>1
今、鬼平の屋敷跡の一部が更地になって売りに出てるんだけど? >>91
今の日本も地方で食い詰めた人間が次第に東京に集まりつつありますが…… >>1
そのホームレスの社会復帰場の跡地にタワマンが建ってセレブが住んでるだから笑うしかないわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています