ウクライナとNATOの東方拡大
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2. 軍事ブロックと中立外交

(1) 中・東欧地域と全欧州型安全保障機構
 ソ連邦末期の1990年7月にウクライナ最高会議で採択された「主権宣言」は、
今日のウクライナの中立および非核化の法的出発点となっている。
しかしその「対外安全保障」の項には、僅かに以下の方針が述べられているにすぎない。

「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、将来において恒久的に中立国家となり、
軍事ブロックに加わらず、非核三原則――核兵器を受け入れず、使用せず、
保持しないという自らの意向を厳に宣言する」。

 ところで、この時期のウクライナは、自国とヨーロッパとの関係をどのように
認識していたのであろうか。当時のウクライナ外相ズレンコは次のように述べていた。

「ウクライナ外交は欧州志向であり、ウクライナは対外世界との直接関係を築き、
さらに全欧安保協力会議(以下、CSCE)の枠内で進行中の『欧州共通の家』建設に直接参加する」(36)。

この時点では、近い将来にウクライナがヨーロッパに統合され、モスクワ、キエフを含む
「欧州共通の家」が建設されるのというのが、ウクライナの展望であったのである。この時期の
ウクライナの中立政策には、少なくとも欧州大陸で対立するNATO-ソ連ブロック間でバランスを
とるための中立という意味はなかった。