マリウポリのアゾフスタリ製鉄所から避難した
ナタリア・ウスマノワさんへのインタビュー
(ロイターによるもの。インタビューの動画部分)

最初は私たちの防空壕に約50人いて、隣の防空壕に約40人いました。
部門No. 1とNo.2の2つの防空壕がありました。
三月か多分4月に人々は出て行き始めました。
砲撃は強烈で、私たちの近くに何度も落ちてきました。
防空壕の出口で階段の出口で、階段の上で呼吸ができるようになっていました。
中では酸素が足りなかったのです。
私は外に出て新鮮な空気を吸うのも怖かったです。
鼻を外に突き出すのも怖かったです。
私たちは工場労働者として自分達を守るが目に自分の意志でそこに行きました。
それがだんだん近づいてくるのが分かると私たちはますます怖くなり、
逃げようとしました。人道回廊のことは知っていました。
避難について知っていました。しかし私たちは外に出ることができませんでした。砲弾がここに着弾し始めた時、私は生き残れないだろうと思い、
心臓が止まるかと思いました。