【歴史】 泥酔して徳川家光をメッタ打ちに!酒乱でしくじった柳生十兵衛の「謹慎生活12年」 [朝一から閉店までφ★]
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社会Posted on 2022年6月20日 09:58
あの時代劇のスーパーヒーロー、柳生十兵衛三厳はなんと酒でやらかし、12年にも及ぶ「出勤停止」処分を受けていた──。
江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の兵法指南を務め、後に柳生藩初代藩主となる柳生宗矩の長男・柳生十兵衛は、様々な映画や小説の主人公として親しまれている。
若い頃、剣術の稽古で父の木剣が目に当たり、片目を失明。眼帯をした「隻眼の剣豪」、そしれ剣一筋のストイック人間というイメージだ。
慶長12年(1607年)、大和国柳生庄で誕生した十兵衛は柳生新陰流の奥義を極め、諸説あるが3代将軍・家光の隠密として諸国を巡ったとされる(柳生家の江戸下屋敷は今の五反田にあった=写真)。だが、長い「出勤停止」時期があったことは、あまり知られてはいない。
元和五年(1619年)、13歳で徳川家光の小姓となった十兵衛は当初、剣術の稽古相手も務め、信頼されていた。ところが寛永三年(1626年)、20歳の時に、家光に激怒されて蟄居、謹慎を命じられる。一時、小田原にお預けとなり、行動制限の身となったのだ。
十兵衛は自著で「さることありて、若(家光)の御前をしりぞきて」と述べているだけで、その詳細までは明らかになっていない。
ただ、親兄弟、親類縁者に累は及んではいないが、10年以上も「再出勤」が許されていないことを考えると、個人的な大きなしくじりと推測される。
十兵衛は酒に飲まれる性格、酒乱だった。それが災いして、どうも酒に酔って家光と稽古をし、メッタ打ちにしたというのが真相らしい。
サラリーマンの世界でも「この宴会は無礼講」と上司に言われたことを真に受けて大暴れし、後に「飛ばされた」ケースはあとを絶たない。
事実、「再出勤」の際には、禅の師である沢庵和尚から「酒さえ飲まなければ、何の問題もない」と忠告されたとのエピソードもある。若い頃からストレスを酒で紛らわせ、酔った揚げ句に大暴れするタイプだったことは間違いない。
その後、十兵衛は柳生藩藩主となったが、慶安三年3月21日(1650年4月21日)、鷹狩りの最中に、44歳で急死した。死因は現在も明らかになっていない。
ただ、脳卒中や狭心症による突然死だったという説が濃厚だ。若い頃から大酒飲みだったため、体が蝕まれていたのかもしれない。
(道嶋慶)
https://www.asagei.com/216690 >推測される。
>真相らしい。
何言ってんだこいつ? 柳生の里ではお婆ちゃんでもマイ竹刀を持ってて泥棒に入ろうものなら打ちのめされるてのは奈良では常識 >>1
打つべし!打つべし!
とか叫んで滅多打ちにしたのかな?
笑えるわw 柳生(笑)
宗矩(石舟斎)は上泉信綱の弟子の疋田にすら勝てなかった雑魚 時代劇のヒーローとか実態はこんなもんだろ何を今更
水戸黄門とか若い頃人斬り殺してるしな 剣法修行は修羅の技、かねがね承っておりましたなれ、骨肉わけた父と子、相争わねばならぬほどのものでござりますか 関ヶ原の戦いに剣豪集団で参戦したけど戦人の武将達と戦場にビビって結果出せなかったな
宮本武蔵も >>23
武蔵は、駆け出しというか初陣だったらしいしな。 柳生十兵衛暴れ旅www
昔、千葉真一がやっていたw >>23
剣なんか戦で役に立たんよな。長く重い槍でぶっ叩く方が何倍も効くw ホモは優しいな。
大抵の殿様は勘気に触れたら「腹を切れ」なものを 昔の酒の味ってどうだったのかな?
現代の酒に慣れてたら飲めたもんじゃないのかな 敵味方入り乱れて前後左右槍や刀、上からも矢が降って来る戦場。
剣豪が無双するにはあまりにも過酷だよな。
こんな場で一方的な無双が出来るのはチャック・ノリスのみである。
チャック・ノリスに敵はいない
いるのは犠牲者だけだ 偏ってんだろうけど読んだ漫画だと柳生は常に悪の総本山なイメージ >>1
>そしれ剣一筋
コピペでどうしてこんなことが >>52
十兵衛と天草四郎のラストバトルのシーンで実際に建物に火を放って撮影したのは千葉真一版のほうだっけ? 禅の師である沢庵和尚から「酒さえ飲まなければ、何の問題もない」
大根の漬物を自分が考案したと吹聴した詐欺師の沢庵和尚か、実際には詐欺師沢庵の何百年も前に
比叡山に大根の漬物はあったんだよな。
>>55
そんな基地外みたいな真似は千葉ちゃんにしかできん。
あれはかっこいい まあ将軍の子孫も酒に酔ってタクシー運転手殴ったから
お互い様だなwww >>55
そうだろ。
ジュリーとのラストファイトはすごかった。
梵字を身体に描いていたな。
柳生十兵衛は千葉真一が一番似合っていた。 >>46
十兵衛の父宗矩が能が大好きであちこちに出かけては能を見せてたので周囲の人たちは迷惑だったらしい
それも注意してるw >>39
清酒もあったけど、まあ基本はどぶろくみたいなにごり酒だろうな。
アルコール度数低いから母里太兵衛じゃなくても大盃飲めるかも。 >>59
黒澤明とかもそうだけどあの頃の映画って撮影方法がぶっ飛んでるよね
>>63
千葉真一版も平成版も両方観たけど
平成版は窪塚が演じた天草四郎しか出て来ないわw 不勉強で申し訳ないのだが、そしれ剣一筋というのはどんな意味なんだ? 十兵衛隠密説があってこの謹慎中にあちこち探りまわっていたという話もあるよね
なのでわざと暴れて謹慎されたという説がある >>62
あれは久松松平の子孫だから将軍の子孫ではない うちの夫、週末に酔った勢いでへそくりの隠し場所を口走ってたから今日こっそり探してみたら、278万円も出てきたの…
どうすればいい? >>71
> 普通死罪じゃないの?
時代劇のみすぎと思う
そもそも内容によるだろうに これは嘘だろ?
だってそんな面白エピソードがあったら絶対Y十Mでネタにされてるぞ? 馬超は酔っぱらって喧嘩して半殺しにされたってのは本当? これ読むと酔った十兵衛は仁義なき戦いの千葉ちゃんで喋るのをイメージしたわ
絶対上の人に怒られそう 陰流から派生したのが新陰流
川口流から派生したのが西川口流 なんで片目で距離感や立体感がつかめたんだろう剣のやりとりなんてなおさら、不思議。 >>36
槍では首が切れないんよ
あと江戸時代にもなると剣禅一如の思想が都合良かったっぽい もう絶対死因分からねーのに現在も明らかになってないって >>24
全員ほぼ剣持ってるから特定できねーw
石柱やキセルなら特定できるが 剣の達人とか剣豪とかよく聞くけど、槍の達人って誰も思い浮かばないな
戦国時代は弓、槍がメインウェポンだったのになんで剣術だけ江戸時代に重宝されたんだろ?
槍を極めた方が剣より強くね? >>97
家光に可愛がられたのは弟の柳生友矩
>>25のエピソードが有名 伊藤一刀斎がいちばん強いんだよなソースはバカボンド 本当に隻眼だったの?
片方しか見えないと距離感が全然掴めないと思うのだが
ほれでも達人だった、てのは凄いな >>96
槍は重装歩兵部隊みたいな使い方やろ
一列に並んで馬が入ってこれない的な。
槍vs刀のタイマンならよっぽどじゃない限り刀の方が強いと思う。 >>96
賤ヶ岳七本槍とか本多忠勝とか前田利家とか
あとは宝蔵院とか割りと有名というか ファランクス陣形を取り入れた織田信長ギリシャ人説… >>104
魔界転生では宝蔵院の人がおっぱいかみついてエロかった この話とは関連薄いが、
徳川家光は、しばしば、伊達政宗や立花宗茂を夜伽に召していたという。 同じ小説家さんのある作品では修業大好きの人格者みたいな感じだったのが
別の作品では力に溺れた悪鬼一歩手前の男に描かれてて興味深かった 十兵衛自身、生存中は分知があって万石取り→大身旗本となり、正式には藩主になっていない。
(藩という概念が当時あったのかはさておき。)
彼の死後、柳生の知行が万石を超したので、形式的に藩主扱いとなった。 >>103
実験してたけど、けっこう刀負けとったよw 上から叩かれるし剣の距離に詰めるのが難しい >>105
森の石松は実在したのか空想なのかもわからないって・・・by wiki >>112
家光は有能なんだろうけど、ゲイエピソードが多くてなあ あの時代なら当たり前なんだろうけど >>118
石舟斎さん人格者として描かれる事多いけどボンバー松永のマブダチ >>90
呑めなくなったら吐いてまた呑む
酒席で吐くのは無作法ではなく、派手な吐きっぷりは却って天晴とされたようだw 「魔界転生」は原作がアホみたいにつまらなく、映画2作やVシネの企画が遥かにスケールアップしている、たまにある例。
マンガの方は読んでないので知らん。 >>25
案外そんな反応だろうな、表には出さないが心中激高するだろう。
今も昔も理不尽は尽きないしこれからもなくならない。 >>112
家光と伊達政宗って親子ほど年齢違うよね? 小早川秀秋の軍記物にある死因並みにいい加減な記事だな
史実は曲直瀬玄朔の記録によると肝硬変による死が有力
小早川秀秋の死因あれこれ
・鷹狩の際、秀秋は一人の百姓を捕らえて斬ろうとした。
その百姓が嘆き悲しむ様を秀秋は嘲笑いながら、刀で百姓を少しずつ傷つけて弄んだが、
怒った百姓が秀秋の陰嚢を強かに蹴り上げると、秀秋はその場で即死したという。
・秀秋が訴訟をしていた山伏を呼び出し、理非曲直の取り調べもせず、山伏の両手を斬り落とした。
すると怒った山伏が怒って飛びかかり、秀秋を蹴り倒して踏み殺したという。
・児小姓を手討ちにしようとしたら返り討ちにあって死亡したという。
・殺生禁断の場所である西大寺観音院の本堂の前を流れる吉井川で網を投げて鯉や鮒を捕え、その帰途に橋の上で落馬して死亡したという。
(備前軍記) >>116
それ薙刀vs剣道じゃね?
薙刀だとすねうちは驚異。
なんじゃその間合って思う。 十兵衛の指南は過酷で家光は十兵衛を嫌ってたのは有名 >>103
実際やってみ?
広い場所なら剣道有段者も素人の槍に負ける
薙刀でも同様の結果だよ 此処まで十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密が出ないとは… (-_-;)y-~ >>125
マンガは俺が知ってるだけでも3種類あるな。
最新はせがわまさきの描いたやつだがほぼほぼ原作に忠実。
ただし、魔界衆が変な格好してる。
柳生宗矩は三つ編み。
ガチだぞ。 >>132
どーなんだろやってみたいわ。
剣道やってたけど、払って間合に入れると思うわ。
YouTubeで対決見たけど槍の先端撫でただけで1本になっててなんじゃこらって。 >>128
案外やり繰りすれば点と線が繋がって一つの死に行き着くんじゃないか? >>132
薙刀は結構払われてやられる。
つばぜり合いになったら刀側の勝利。
薙刀で強い人は遠間のフェイントがエグい。 >>123
同時代の人かよw
あのあたりの山ってなんなのよ >>23
実戦じゃ刀なんて槍の足元にも及ばんからな >>127
家光の御伽衆だと伊達政宗、立花宗茂、加藤嘉明、丹羽長重辺りが有名だな
これらの武将はバリバリの武闘派だし、戦に出たことない家光からしたら憧れの存在でもある
立花宗茂や丹羽長重は関ヶ原の時は祖父家康の敵にもなってるしな
家光も彼らから戦の話しは沢山聞いたことだろう そういう意味では千葉真一の柳生十兵衛は見事にハマっていたな >>135
天草四郎や宝蔵院胤舜がピアスとか付けてたな >>127
さっきのレスし終わってから気付いたわ
夜伽だから衆道のお話ね
伊達政宗や立花宗茂はいわゆる御伽衆や相伴衆と言われる人で、当然家光の夜のお相手はしないよw
夜に物語や自分の戦の経験談なんかを家光に披露してただけだ >>145
伊達の親父様 ますますご壮健になられたような
秋葉山の猿どもが 今日は水を打ったように静まりかえっておりまする
独眼竜のひとにらみがよほど恐ろしいと見ゆる >>123
千葉真一は十兵衛だけでなく石舟斎も演じてるけど、そこでは松永と仲間のように見せかけて裏では松永の敵対者を支援するのよね。 天草四郎はジュリーのインパクトが強すぎる
野牛十兵衛、天草四郎、ガラシャ婦人は魔界転生が脳裏にこびりついてる(´・ω・`) 種田宝蔵院流・原田左之助 VS 柳生新陰流・高杉晋作 https://www.nhk.jp/p/ts/EW9JPPKR8K/
だと、さすがに家光の吃り設定はなかったな。
臭いに敏な烏丸少将が…。 おやじ(宗矩)は武蔵に敵わない
俺はおやじに敵わない
と残ってるので大したやつでは無かった模様 >>174
俺とおやじについては武芸の他を言ってる感じ >>36
刀は護身用の武器だからな
今でいえば警官がさげてる短銃みたいなもの
戦場での武器は槍だし、今でいえばライフル
剣術がどうのこうの言ってたのは、護身用の刀しか持てなかった太平の江戸時代の話 >>138
そもそも足軽が活躍しだしたのも刀なんかより長槍持たせた方が役に立ったからで
それによって戦場でのあり方が根本的に変わった
払って間合いも何も突き刺されて終わり
槍の穂先なでただけっていうけど実戦だとその時点でアウト
チャンバラ遊びの竹刀で打たせ合うとか払い合うとか意味不明な剣道一緒にしたら駄目
新選組とか土方は馬鹿じゃないから闇稽古みたいに真剣で稽古やらせてるけど
明治以降の剣道なんてそれこそ意味不明なスポーツチャンバラで剣術とは無縁のもの
剣道みたいに受けたらまともな刀でも数合で傷む
足利義輝は名刀地面に数本突き刺してとっかえながら戦ったらしいけど そしれ剣一筋のストイックな人間…このそしれってどういう意味ですか?
「そして」のタイポかと思ったけど、ソースの方もそうなってるし。 >>127
徳川家光 1604年生
伊達政宗、立花宗茂 1567年生
徳川秀忠 1579年生
徳川家康 1543年生 >>153
でも家光だしなあ
現代のホモでも少なくないから、「老け専」とかいう用語が有ったりするし。 戦場では長槍で集団戦だよ。戦国後期になると個人戦で首取った数は攻城戦が多い。
だから関ケ原で17首取った笹の才蔵が凄いと言われる。
剣術も江戸時代になると打刀は武士のたしなみの表芸で、実践では
小太刀の中条流・富田流や居合のが実戦的。ただしどこまでも隠し芸。
狭い家の中だと示現流なんて役に立たん。 まだ記憶に新しいレバノンの大爆発は当初犯罪組織の隠れた施設を破壊目的のチャック・ノリスの仕事かと思われたがその割には爆発規模のあまりの小ささに違う原因が特定された。
チャック・ノリス派遣には合衆国では核の使用よりデリケートな判断が求められるのだ。 出ておじゃれ 獣は隠れていても臭いでわかりまするぞ その12年間で悪を退治しながら廻国修行をしていたという筋立てがドラマも映画も人気なんだよね 推測でいいなら十兵衛は家光のケツ掘りにいって行動制限になったw 酒乱はクズ
本当に酒呑みは信用ならないゴミ
アルコールで脳が萎縮して、海馬が扁桃体が腫れ上がって言動がおかしくなってる あずみの宗矩はぶっ殺してほしかったなあ
スカッとしない 葵徳川三代で家光が将軍就任の初仕事が傅役の青山なんたらって人を解任するのあったけど史実? サラリーマンの「無礼講」は「堅苦しいお酌やお流れはしなくていい。ざっくばらんに楽しもう」という意味
笑いながら畳に上司を背負い投げしてはいけない 柳生十兵衛が有名で人気なのは100%千葉真一のお陰でしょ
今の45~60歳くらいの人間にはジャッキー・チェンに並ぶスーパーヒーローよ >>112
「御伽」が「夜伽」の相手だったら
豊臣秀吉×織田信雄とか豊臣秀吉×荒木村重とか徳川家康×今川氏真とか
愛憎入り混じった凄い世界の扉が開くが
ものすごい勘違いだな 稽古の上とはいけ将軍を滅多打ちにして謹慎で済ましてるとか家光やさしいな >>218
御伽衆で、癖をよく知っていたから切腹まではさせなかったんだろ。 徳川と柳生は主従関係であると同時に
剣術の上では家光も柳生一門だしなぁ
ここで柳生一族にまで重い処分を下せば
何だ兄弟弟子にボコられた腹いせかよと家光自身が恥をかくことになる
あくまで十兵衛個人だけに対する謹慎処分で済ませたと 家光自身がクズ野郎だっただろ
夜中の江戸の町に出ては辻斬りしに行くとか
東照宮を作って財政を悪化させて 第1代 徳川家康 天下人
第2代 徳川秀忠 遅参 恐妻家.
第3代 徳川家光 優秀
第4代 徳川家綱
第5代 徳川綱吉 犬
第6代 徳川家宣
第7代 徳川家継
第8代 徳川吉宗 暴れん坊 滅多打ちて
どうせ木刀での乱取りが一発入っただけだろ このことまで含めて考えると、映画「柳生一族の陰謀」のラストで家光が十兵衛の首を切り落としたのも分かる気がするわ……。 小姓番の前は花畑番と言ったんだよね。
たぶん、十兵衛の時は花畑番と言われた。 >>177
「奇襲攻撃じゃ釘バットが最高だぜ!」
大浦為信談w >>227
家光が辻斬りしたという事実は無いんだよなぁ
ただ、城を抜け出して江戸の町を遊び回っていたのは事実
痴情のもつれで家臣を手討にしたのも事実
これがごちゃまぜになって辻斬り説が生み出されたに過ぎない >>227
上方行ったら寺や神社の壮麗さに圧倒されてしまった
建物すごい、着物綺麗、食べ物旨い
もっとすごいのこっちに作れ、ついでに上方の食べ物もいつも食べたい
と、職工から杜氏から漁民から蔬菜農家かから、いっぱい引き抜いて連れてきて
江戸や関東に住まわせた。 >>218
そういうプレイをしていたんだろう。
今でいうSM
手放すには惜しいから、対面上のお仕置きで謹慎処分 >>238
寛永寺、増上寺、(あと日光)の他にも、もっとたくさんの寺社を整備すればよかったのに。
まあ江戸に作ったらどのみちWW2の空襲でやられてるかもしれないけど。 手裏剣の名人と試し合いして、2〜3発当てられたんだよな
覆いをかぶせた安全な手裏剣で
で、覆いを外した真剣でやったら、全部打ち落とした
「手裏剣やべぇ」ってんで、江戸での所持は禁止になったとかいうエピソードがあったはず
まあ、普通に考えて治安に良くないからな
そんな逸話がなくても管理されただろうけど >>240
寺作るより、長屋作る方が楽だしな。
雑に作っても仕事途切れないし、時々ビッグチャンスのボーナスタイムがあるから。
火事に地震に…… >>236
その家臣の手討ちは男色絡みなんだろうなw 千葉十兵衛は服部半蔵よりあたり役だと思うが
成田三樹夫の烏丸少将の快演がすごすぎた
あれ見たくてテレビ版も追いかけたわ 萬屋錦之介の柳生但馬守宗矩はまるで歌舞伎みたいだったは 柳生一族や伊藤一刀斎や上泉伊勢守などの剣豪をを遡っていくと
刀を持たない僧兵の念阿弥慈恩が全ての開祖とかいうロマン 岸田を滅多打ちにする愛すべきバカとか出てこないかな オレ(元課長)も忘年会で、「デタラメいうなっ!」と部長を蹴っ飛ばし
前の席にいた取締役から後日「キミがああいうことをするとはね、ワッハハ」
と言われ「お咎めなし」と思ったが、春に見事に左遷、辞めたよ 柳生一族の陰謀つうてるが実際に企ててるのは但馬だけで他の面子はそれに従ってるだけだよな >>174
十兵衛が言ったのは「上泉は爺さんに敵わない、爺さんは親父に敵わない」要は新陰流は代々進歩している
自分も父を継いで父を超えないといけないということ
十兵衛が残した『昔飛衛というものあり』に書かれてる >>260
爺さん疋田文吾にボコボコやんけ
その構えは悪しゅうござる >>261
その話が有名だけど柳生兵庫の息子が書いた『新陰流縁起』だとボコったのは鈴木意伯になってるから多分意伯が正しい
いずれにしろ新陰流に入門する前だからそれだけ新陰流が先進的だったという話だろう >>23
そらそんな連中が来たら鉄砲使うだろ常識的に考えて ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています