1975年12月、コダックの若き開発担当者サッソンが世界初のデジタルカメラを発明しました。
この時サッソンは入社わずか2年、若干24才でした。

サッソンはこのカメラをマーケティング部門、テクニカル部門、ビジネス部門の役員グループなど多くのコダック幹部に見せました。
その際、経営幹部に
「デジタルカメラがフィルムカメラと市場で競争できるか?」
と尋ねられたサッソンは、ムーアの法則を引用し、
「現時点では画質が悪いものの、技術の進歩に連れて15~20年後には市場で競合する可能性がある」
と語り、同時に電話回線を使って画像を送る事が可能になるという事についても説明しました。

しかしこの時、幹部たちの世界初のデジタルカメラに対する反応は非常に冷ややかなものでした。
特に反応が悪かったのがマーケティング部門とビジネス部門でした。
それは、当時コダックはアメリカの写真業界で高いシェアを誇り、
フィルムと印画紙による売上げがコダックに十分な利益をもたらす優れたビジネスモデルで、
既にコダックは十分な成功を収めていた事が原因でした。

経営幹部たちから冷淡にあしらわれたサッソンですが、その後も同僚のロバート・ヒルズと共にデジタルカメラや画像圧縮技術、メモリーカードの開発を続け
1989年には現代のデジタル一眼レフとほとんど同じように見えるレベルにまでデジタルカメラの技術を向上させたカメラを登場させました。
このコダック ECAM1989は120万画素のイメージセンサーと画像圧縮技術、さらにメモリーカードまで採用していました。
しかしイーストマン・コダックのマーケティング部門は当時映画事業で利益を上げていたために、
既にこれほど高い完成度を誇っていたデジタル一眼レフにさえ興味を示しませんでした。

その後、日本のカメラメーカーがデジタルカメラを急速に進化させ、市場の主流がデジタルカメラへと変化していくにつれ
イーストマン・コダックもようやくデジタルカメラに注力するようになりますが、時すでに遅く、
2012年にイーストマン・コダックはフィルムカメラの衰退と共に倒産することになります。