「勤労感謝の日」を初めて迎えたのは昭和23年である。この年に制定された祝日法には「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」とうたわれた。
戦前の新嘗(にいなめ)祭に由来する日で、宮中では新嘗の祭儀が行われる。身を清めた天皇陛下が神々に新穀を供え、一年の収穫を感謝するとともに、自らも食することにより国に実りをもたらす力を得られるとされる。
秋の収穫は朝廷ばかりか民間でも古くから祝われていた。実りへの感謝は、日本の歴史の中を連綿と継承されてきたのだ。民族の精神に思いを致す日でありたい。
敗戦後の23年は、改善の兆しが見えつつあったとはいえ、庶民の食糧事情はまだまだ厳しかった。当時の「国民生活」世論調査では、都市住民の半数以上が「現在の配給主食では1カ月のうち10日くらい不足する」と答えている。そんな時代だったのだ。
「食べられること」への感謝の気持ちは、豊かになった現在とは比べようもないほど強かったに違いない。どこの家庭の子供も「ご飯一粒でも残したらもったいない」と教えられたものである。
感謝の思いは農業に従事する人だけでなく、農具の製造や農産物の運搬など直接目に触れることのない多くの人々の労働、さらには季節の巡りをもたらす自然の働きにも向けられたことだろう。
農耕中心の日本では、互いへの思いやりが何より尊ばれてきた。他人の親切に「おかげさまで」と礼を述べると、「お互いさまですから」と返ってくる。まさに「人は互い」「相身互い」であり、「もちつもたれつ互いに寄らにゃ、人という字は立ちはせぬ」と俗にうたわれる通りである。
祝日法の制定から69年の星霜を経て、勤労感謝の日は今年でちょうど70回目となる。「国民が互いに感謝しあう」美風は、今も変わらず生きているだろうか。
残念な例がいくつも見られる。部下に過重な労働を強制したり、パワハラなどで人権を侵害したりといった行為は、周りの人の働きに対する感謝の気持ちがない証左である。日本のモノづくりを支える有名企業が不正に手を染めるのも、大多数の社員の勤勉な働きに思いが及ばないからである。
真に実り豊かな国とは、誰もが互いに感謝しあえるような世を指し示すのではなかろうか。
配信2017.11.23 05:03
産経ニュース
http://www.sankei.com/column/news/171123/clm1711230002-n1.html
戦前の新嘗(にいなめ)祭に由来する日で、宮中では新嘗の祭儀が行われる。身を清めた天皇陛下が神々に新穀を供え、一年の収穫を感謝するとともに、自らも食することにより国に実りをもたらす力を得られるとされる。
秋の収穫は朝廷ばかりか民間でも古くから祝われていた。実りへの感謝は、日本の歴史の中を連綿と継承されてきたのだ。民族の精神に思いを致す日でありたい。
敗戦後の23年は、改善の兆しが見えつつあったとはいえ、庶民の食糧事情はまだまだ厳しかった。当時の「国民生活」世論調査では、都市住民の半数以上が「現在の配給主食では1カ月のうち10日くらい不足する」と答えている。そんな時代だったのだ。
「食べられること」への感謝の気持ちは、豊かになった現在とは比べようもないほど強かったに違いない。どこの家庭の子供も「ご飯一粒でも残したらもったいない」と教えられたものである。
感謝の思いは農業に従事する人だけでなく、農具の製造や農産物の運搬など直接目に触れることのない多くの人々の労働、さらには季節の巡りをもたらす自然の働きにも向けられたことだろう。
農耕中心の日本では、互いへの思いやりが何より尊ばれてきた。他人の親切に「おかげさまで」と礼を述べると、「お互いさまですから」と返ってくる。まさに「人は互い」「相身互い」であり、「もちつもたれつ互いに寄らにゃ、人という字は立ちはせぬ」と俗にうたわれる通りである。
祝日法の制定から69年の星霜を経て、勤労感謝の日は今年でちょうど70回目となる。「国民が互いに感謝しあう」美風は、今も変わらず生きているだろうか。
残念な例がいくつも見られる。部下に過重な労働を強制したり、パワハラなどで人権を侵害したりといった行為は、周りの人の働きに対する感謝の気持ちがない証左である。日本のモノづくりを支える有名企業が不正に手を染めるのも、大多数の社員の勤勉な働きに思いが及ばないからである。
真に実り豊かな国とは、誰もが互いに感謝しあえるような世を指し示すのではなかろうか。
配信2017.11.23 05:03
産経ニュース
http://www.sankei.com/column/news/171123/clm1711230002-n1.html