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2018年5月7日 17:47 発信地:アウジャ/イラク
【5月7日 AFP】イラクのかつての独裁者で2006年に処刑されたサダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領(当時69)は、生まれ故郷アウジャ(Awjah)村に埋葬されたが、その霊廟(れいびょう)は現在、崩れたコンクリートと絡まるワイヤがむき出しになったがれきと化している。遺体が納められている形跡はない。
四半世紀にわたってイラクで冷酷な独裁者として振る舞ってきたフセイン元大統領が2006年12月30日明け方に絞首刑に処せられると、長年同国で抑圧されてきた多数派のイスラム教シーア(Shiite)派は歓喜し、同大統領と同じスンニ(Sunnis)派は屈辱的な出来事と捉えた。
当時の米大統領ジョージ・W・ブッシュ(George W Bush)氏は、イラクの首都バグダッドからアウジャ近郊の北部都市ティクリート(Tikrit)まで米軍ヘリコプターで遺体を直ちに移送する計画に自らゴーサインを出した。ところが今日、数十年間イラク国民に恐怖を与えた男が永眠する地では疑念が生じ、謎が深まっている。遺体はまだアウジャに眠っているのか、それとも掘り起こされたのか。もしそうだとすれば、今どこに?
フセイン一族が属するアルブ・ナースィル(Albu Nasser)一族の指導者マナフ・アリ・ニーダ(Manaf Ali al-Nida)師は、遺体が搬送されてきた際、すぐに埋葬することに家族が同意した署名入りの手紙を今も大切に持っている。
フセイン元大統領の遺体は、本人が数年前に造らせていた霊廟に夜明け前に安置された。霊廟は華やかに飾り立てられ、元大統領の誕生日である4月28日になると、支持者や地元の学童らが訪れる巡礼地となった。
しかし今日、霊廟はがれきと化し、中に入るには特別許可が必要となる。ニーダ師は村を追われ、イラクのクルド人自治区に避難した。
イラクの伝統的衣装を着てカフィーヤと呼ばれるアラブのヘッドスカーフを巻いたニーダ師は、2003年の米国主導のイラク侵攻以来、自身の一族はフセイン元大統領と「近しかったために抑圧」されていると話した。「同族というだけで、これほど大きな犠牲を何世代にもわたり強いられるのは普通のことではない」
■「絞首刑になったのは影武者」
元大統領の墓では、同地域で治安の任務に当たっているシーア派中心の民兵組織「人民動員隊(Hashed al-Shaabi)」連合のメンバーが、霊廟が破壊されたのは、屋根の上にイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の狙撃兵がいたためイラク軍が空爆したことが理由だと語った。
ニーダ師は爆撃を目撃していないが、元大統領の墓が「開けられ、爆破された」と信じて疑わない。一方、人民動員隊の治安責任者は「遺体はまだそこにある」と言って譲らなかった。
だが、人民動員隊の戦闘員の一人は、元大統領の娘で他国に亡命したハラー(Hala)さんが自家用機で遺体をヨルダンまで運んだのではないかとの考えを明らかにした。
フセイン政権時代に長らく研究者として過ごした大学教授の男性(匿名希望)は、「そんなばかな」と一蹴した。「ハラーは二度とイラクに戻っていない」と同氏。「(遺体は)秘密の場所に運ばれたのかもしれない。誰がどこに持ち去ったかは、誰にも分からない」
もしそうだとすれば、元大統領の家族は、遺体が運ばれた場所の秘密を他の誰にも明かさないだろう。同氏は、そう付け加えた。
村の入り口にあるフセイン元大統領の父親の墓は、突然爆破された。その墓と同じ運命をたどった可能性もある。
だがバグダッド市民の中には、イラクの独裁者は今も生きていると信じる者もいる。「サダムは死んでいない」と、ある男性は話した。「絞首刑になったのは影武者の一人だ」(c)AFP/Ali Choukeir
http://www.kosmo.com.my/polopoly_fs/1.650512.1523872794!/image/image.jpg_gen/derivatives/landscape_804/image.jpg
2018年5月7日 17:47 発信地:アウジャ/イラク
【5月7日 AFP】イラクのかつての独裁者で2006年に処刑されたサダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領(当時69)は、生まれ故郷アウジャ(Awjah)村に埋葬されたが、その霊廟(れいびょう)は現在、崩れたコンクリートと絡まるワイヤがむき出しになったがれきと化している。遺体が納められている形跡はない。
四半世紀にわたってイラクで冷酷な独裁者として振る舞ってきたフセイン元大統領が2006年12月30日明け方に絞首刑に処せられると、長年同国で抑圧されてきた多数派のイスラム教シーア(Shiite)派は歓喜し、同大統領と同じスンニ(Sunnis)派は屈辱的な出来事と捉えた。
当時の米大統領ジョージ・W・ブッシュ(George W Bush)氏は、イラクの首都バグダッドからアウジャ近郊の北部都市ティクリート(Tikrit)まで米軍ヘリコプターで遺体を直ちに移送する計画に自らゴーサインを出した。ところが今日、数十年間イラク国民に恐怖を与えた男が永眠する地では疑念が生じ、謎が深まっている。遺体はまだアウジャに眠っているのか、それとも掘り起こされたのか。もしそうだとすれば、今どこに?
フセイン一族が属するアルブ・ナースィル(Albu Nasser)一族の指導者マナフ・アリ・ニーダ(Manaf Ali al-Nida)師は、遺体が搬送されてきた際、すぐに埋葬することに家族が同意した署名入りの手紙を今も大切に持っている。
フセイン元大統領の遺体は、本人が数年前に造らせていた霊廟に夜明け前に安置された。霊廟は華やかに飾り立てられ、元大統領の誕生日である4月28日になると、支持者や地元の学童らが訪れる巡礼地となった。
しかし今日、霊廟はがれきと化し、中に入るには特別許可が必要となる。ニーダ師は村を追われ、イラクのクルド人自治区に避難した。
イラクの伝統的衣装を着てカフィーヤと呼ばれるアラブのヘッドスカーフを巻いたニーダ師は、2003年の米国主導のイラク侵攻以来、自身の一族はフセイン元大統領と「近しかったために抑圧」されていると話した。「同族というだけで、これほど大きな犠牲を何世代にもわたり強いられるのは普通のことではない」
■「絞首刑になったのは影武者」
元大統領の墓では、同地域で治安の任務に当たっているシーア派中心の民兵組織「人民動員隊(Hashed al-Shaabi)」連合のメンバーが、霊廟が破壊されたのは、屋根の上にイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の狙撃兵がいたためイラク軍が空爆したことが理由だと語った。
ニーダ師は爆撃を目撃していないが、元大統領の墓が「開けられ、爆破された」と信じて疑わない。一方、人民動員隊の治安責任者は「遺体はまだそこにある」と言って譲らなかった。
だが、人民動員隊の戦闘員の一人は、元大統領の娘で他国に亡命したハラー(Hala)さんが自家用機で遺体をヨルダンまで運んだのではないかとの考えを明らかにした。
フセイン政権時代に長らく研究者として過ごした大学教授の男性(匿名希望)は、「そんなばかな」と一蹴した。「ハラーは二度とイラクに戻っていない」と同氏。「(遺体は)秘密の場所に運ばれたのかもしれない。誰がどこに持ち去ったかは、誰にも分からない」
もしそうだとすれば、元大統領の家族は、遺体が運ばれた場所の秘密を他の誰にも明かさないだろう。同氏は、そう付け加えた。
村の入り口にあるフセイン元大統領の父親の墓は、突然爆破された。その墓と同じ運命をたどった可能性もある。
だがバグダッド市民の中には、イラクの独裁者は今も生きていると信じる者もいる。「サダムは死んでいない」と、ある男性は話した。「絞首刑になったのは影武者の一人だ」(c)AFP/Ali Choukeir
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