0001焼き鳥定食 ★2019/02/20(水) 04:18:22.36ID:2m/WxiMH9
「三国志」に登場する古代中国の英雄、曹操の墓とみられる3世紀の遺跡から出土したつぼが、この時代には存在しないとされてきた「白磁」の特徴を持っていることが分かり、調査に当たった東京国立博物館の研究チームは、これまでの発見例を300年以上さかのぼる最古の白磁だとしています。
つぼは2009年(平成21年)に中国中部 河南省の墓から出土しました。
この墓は出土品の特徴などから3世紀に作られたと考えられ、中国政府の研究機関は「三国志」に登場する英雄、曹操の墓だとしています。
見つかったつぼは、高さ13.4センチ、口径8.7センチの大きさで、去年12月、東京国立博物館の研究チームが現地で詳しく調べたところ、表面に透明な釉薬がかけられているうえ、それが高温で焼き上げられてガラス質に変化しているなど、白磁の特徴を備えていることが確認されました。
研究チームによりますと、白磁はこれまで中国の6世紀末の遺跡から出土したものが最も古いとされてきましたが、今回見つかったつぼは墓が作られた時の副葬品と考えられることから、それを300年以上さかのぼるとしています。
東京国立博物館の市元塁主任研究員は「白磁が歴史上、どう位置づけられるのか大変興味深い。三国志の時代は戦乱が続き、文化的、美術的には注目されてこなかった時期で、白磁が見つかったことで、より等身大の三国志像が描かれるようになると思います」と話しています。
このつぼは、ことし7月から東京国立博物館で開かれる特別展「三国志」で展示される予定です。
曹操とは曹操の墓とは
曹操は、魏、呉、蜀の3つの国が覇を競った3世紀の中国で活躍した武将で、このうち「魏」の基礎を築きました。
墓の場所は諸説あり、長く謎とされてきましたが、2009年に河南省安陽市で発掘調査が行われ、中国政府の研究機関が曹操の墓だとしています。
その根拠としては、出土品や墓の遺構が後漢から三国時代の特徴を持っていることや、墓全体の面積が740平方メートルあり、その規模から王などの権力者のものであること、唐の時代にかけての複数の文字資料に曹操の墓であることを示す記述があることなどを挙げています。
さらに墓からは、曹操を指すとされる「魏武王」の文字が刻まれた石の板が出土し、墓の主が曹操だとする有力な根拠になっています。
白磁とは
白磁は、白色の粘土に灰を主な成分とする透明の釉薬をかけて1300度程度の高温で焼き上げられた磁器です。
研究チームによりますと中国が起源とされ、明の時代には景徳鎮で盛んに作られて世界に広まり、日本では江戸時代初期に生産が始まった有田焼が最初とされています。
磁器の製造そのものは殷の時代の紀元前14世紀までさかのぼりますが、白磁は粘土から不純物を取り除いたり釉薬を精製したりといった、白い色に仕上げるための作業が必要だということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190220/K10011820751_1902192250_1902200411_01_02.jpg
NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190220/k10011820751000.html これが日本の国宝になり博物館に保管されるということなら
とても喜ばしいね。
0168名無しさん@1周年2019/02/23(土) 15:21:58.85ID:XlYeC16x0
またヤバイもの掘り出してきてからに なかに液体はいってたろ
>>165
吉川栄治や横山光輝くらいでしか三国志に触れられない昔は人気無かった
蒼天航路から明らかに流れ変わった 0171名無しさん@1周年2019/02/23(土) 15:45:25.81ID:HHRNpQHi0
0172名無しさん@1周年2019/02/23(土) 15:46:23.42ID:6dLxFmpK0
シナ人は嫌われているが、何だかんだで中国は慕われてるよなぁ
「斗酒なお辞せず」のひとだから酒呑むのに使ってたんだろうな
0175名無しさん@1周年2019/02/23(土) 17:51:01.62ID:xsXf/K3T0
>>115
劉邦も同じとこに追いやられたのに天下取ったのは凄いよな 当時で一番いい物を副葬品に使ったんだろうしな
これは日本が手に入れるべき品
>>160
父親殺害されてんだから報復見せしめもあるし、虐殺なんてしょっちゅうだし、そもそも孔明が曹操の天下統一妨害したとはいえない
赤壁も致命的大敗の史実も疑わしい。統一後の帝位簒奪の意思もそんななかった。
乱世もなんとか治めたいし実力もあったから戦っただけだと思うよ?
当時の価値観は劉氏のみの皇帝だから反発も大きい。人口激減不作飢饉異民族流入で統一も困難だから国内安定優先で先送りしただけ。三国定立だけでも大分安定したし、呉からも故郷中原に帰国して人口減してたくらいだし 0178名無しさん@1周年2019/02/23(土) 18:53:24.86ID:hwMPqN6U0
>>177
いや孔明が劉備についてなかったら三国鼎立しとらんやろ
孫呉だって赤壁はともかくその後は単独では魏に対抗できずに早期に滅んだ可能性が高い 曹操の自称子孫を集めてDNA検査した話はどうなったの?
孔明の子孫もいるの?
0180名無しさん@1周年2019/02/23(土) 19:19:27.44ID:HHRNpQHi0
>>179
>>162の曹操の70代子孫、曹祖義さんが最も近いそうだ
伝承じゃ、4代皇帝曹髦の67代子孫
記録上、曹髦に子供はおらず、一族誅滅されてるはずだが、子孫なら司馬氏の専横も誇張があるのかもしれない
孔明の子孫は、浙江省蘭渓市諸葛鎮八卦村にいるらしい
孫の諸葛京が移り住んだとか >>178
孔明過大評価、坂本竜馬と同じだろ。
当時は劉氏だけが皇帝だったので曹操政治に簒奪と既成事実を恐れてたんだよ。だから孔明などの知識人が反曹操で結束したのが蜀。孔明いなくても同じような人はいたし魏にもたくさんいたから謀反も断続的にあった。
現代なら安部が天皇になることを危惧してるような感覚だな。
>>138
孫呉なんか亡命の寄せ集め。 0183名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:10:19.05ID:664+aQsu0
>>106
阿斗の「父帝〜」のスカポンタン具合が神 0184名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:12:29.49ID:664+aQsu0
0185名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:13:26.78ID:yOBHnVBm0
おおー見たいなぁ
0186名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:25:08.67ID:664+aQsu0
>>111
俺は陳宮処刑前の曹操で惚れた。
とても人間味があって好きだ。
後半はあの曹操がいないからあまり繰り返して見ないな。
喜怒哀楽がいちいち可愛らしい曹操の中の人。 0187名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:47:24.90ID:SgyKOS270
>三国定立だけでも大分安定したし、呉からも故郷中原に帰国して人口減してたくらいだし
三国鼎立の理由は、黄巾の乱〜董卓の横暴討伐の為に中原が乱れて、みんな地方に疎開した
その人々や教養のある士大夫が蜀と呉を支えた
やっぱなんとか人口減少は食い止めないとね
0188名無しさん@1周年2019/02/23(土) 23:59:15.16ID:HHRNpQHi0
>>186
陳宮もそうだが、当時の士大夫とはどうしても相容れないところがあったんだろうなと思う
呂布の方がマシだと思えるくらい
何が引っかかるのか、現代人じゃわからんだろうな 0189名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:05:32.93ID:79SGmiwV0
>>169
曹操の人気はやっぱ詩なんだ
(隋の頃まではもっといっぱい残っていたみたい)
杜甫、李白が出る前は息子の曹植詩聖だったし
昔から日本の学者が曹操を評価するのは作詩だと思う 水滸伝見てても理解出来ない面があるからな
梁山泊に引き込む為に子供や親を殺して
それ程お前が欲しいからだ!
そうか、そんなに俺のことを!
とか
あれは創作にしても中国人にしては美徳なのだろうし
日本人では中国人の考えは理解出来んかもな
0191名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:26:32.17ID:AQsu5nly0
>>173
その歴史に学ぶところは非常に多い。
戦乱と異民族の交じり合う歴史を鑑みれば、中国人のモラルもわからないではない。
文化レベルが並べば並んだなりの事ができる知性のある国と国民だよ。 >>173
なにせ、いまある日本文化の基盤となった文化だからな
戦前までは漢学つまり漢籍が政治家軍人官僚層の教科書だったし
古代漢民族の文化は意外に日本のほうが残っているのかもしれないし、
モンゴル人と強く混じってしまったいまの漢民族はそういうノスタルジーを日本に求めているのかもしれない 0193名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:42:56.10ID:MRIyvCua0
>>189
俺ですら曹植の豆の詩は知ってるくらいだからなぁ 0194名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:43:05.43ID:cSg6Ub5Y0
魏も50年も持たず蜀を滅ぼしてから
数年で司馬氏にあっという間に滅ぼされるっても曹家もなんだかね
0195名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:52:34.82ID:NaIFqUt/0
俺は馬騰で始める
0196名無しさん@1周年2019/02/24(日) 00:58:00.29ID:79SGmiwV0
>>195
>俺は馬騰で始める
信長の野望の長宗我部と同じで隅っこだから
やりやすいのだよねww 0197名無しさん@1周年2019/02/24(日) 01:01:38.46ID:8BIC0cjf0
信長VS曹操VSナポレオン
地球が燃え尽きる日
0198名無しさん@1周年2019/02/24(日) 01:04:19.09ID:kl8zc8SR0
気のせいかあのツボ
インチキ臭せー感じがする
0199名無しさん@1周年2019/02/24(日) 01:04:53.71ID:rh8PX1Xj0
>>195
唐突にこんなこと言われてもわかる人しかわからんがなw
自分は内政好きだから生産性の高い土地を選ぶな。 0201名無しさん@1周年2019/02/24(日) 01:06:38.25ID:94l4wGbW0
白磁ってきれいだよな
0202名無しさん@1周年2019/02/24(日) 01:21:04.08ID:MRIyvCua0
>>194
曹叡亡き後の魏皇帝は幼年で飾り同然
曹爽が司馬懿に粛清された後は実質、司馬王朝だよ 曹丕も曹叡も早逝してるからな
あの時代やはり曹操、劉備の二人が突出してたんだろうな
孫堅と言わずとも孫策が長生きしてたらもうちょっと三国の時代続いてたのかね
ああ、いやでもそれだと劉備が浮上出来る可能性も低く、諸葛亮やら鳳統なんかも呉に行ってた可能性あるか
0205名無しさん@1周年2019/02/24(日) 20:19:57.26ID:6B+H5iop0
曹操と墓といえば薄葬令ですな。
そんな豪勢な墓たてんなってやつね。
まあ現実主義者にして典礼を重んじる儒者を重用しなかった
曹操らしい考え方だが、これによってそれまであった書道資料たる
石碑文はそれほどなくなっちゃった。
書道史としてはちょっとした損失だが、でもまあしょうがないね。
ただ、なんか曹操墓にはどんな碑文が彫られたのかはちょっと知りたかったなwww
0206名無しさん@1周年2019/02/24(日) 20:31:19.28ID:1p0z4qFf0
で、『孟徳新書』『世説新語』読んだ奴ここにいるの?
0207名無しさん@1周年2019/02/24(日) 20:35:48.17ID:WgP4tUHM0
>>190
心意気に感動してってよりも身を寄せる場所ないからなあ
みんな大なり小なり梁山泊に行かずにその辺ブラブラしてたら捕まっちゃうような身の上にされちゃうし 0208名無しさん@1周年2019/02/24(日) 20:41:26.62ID:z7Yl9Hap0
>>204
周ユには益州を取って魏に対峙して天下を臨むという構想があったから
孫策が生きてればそれが実現して劉備は歴史に埋もれたと思う
でもそうなると二国志になって話としてはつまらんからこんなに人気出なかっただろうな 0211名無しさん@1周年2019/02/24(日) 21:39:27.20ID:Dv4cvAiE0
>>193
あんちゃんは豆だけど、
おいらは豆殻だからね、
しかも燃やされてるしねの詩だね。
いい詩だよ。 0212名無しさん@1周年2019/02/24(日) 21:57:03.23ID:z7Yl9Hap0
>>205
曹操自身が建安十年(205年)に建碑禁止令出してる
「宋書・礼志二」
漢以後,天下送死奢靡,多作石室、石獸、碑銘等物。
建安十年,魏武帝以天下凋敝,下令不得厚葬,又禁立碑。 0213名無しさん@1周年2019/02/24(日) 22:10:29.62ID:6B+H5iop0
>>212
おやおや、ご指摘ご教示カムサ
たぶんそれのことだね、厚葬と立碑を禁じるっていうから。
不精して書道史のテキスト当たらなかったからw これは勉強になった。
これは後代のことだが北碑南帖なんつって北方は従来碑文の形で
書道遺産がのこってたもんだが、それがなくなったのは惜しいもんだ。
まあ同時代の人間じゃないからそういう気楽なことが言えるわけだが
同時代の庶民にとってしてみればそういうのは福音だったろうね。
厚葬や豪勢な墳墓つくるのに労働力やゼニ、食い物を徴発されるのも困るし
碑文はゲージュツなわけで、ゲージュツはゼニがかかる…ってことは
その分の負担は民草の負担なわけでね。 >>214
それだわな
曹一族で固めてたのに司馬家にいいようにされすぎなのは否めない
曹丕でも曹叡でもどっちでもいいから60、70まで生きてればもっとちゃんとした基盤作って後継に渡せたろうに
曹叡はなかなか智謀に長けてたらしいしね 0216名無しさん@1周年2019/02/24(日) 22:26:49.02ID:z7Yl9Hap0
曹丕・曹叡は、司馬懿を信用して重用してたからね
簒奪自体起きなかったかも
それでも歴代王朝に比べると、一族を疎遠にしてたんじゃないか?
その教訓なのか、晋は一族を大いに優遇し王侯の位にまで封じてたけど
やりすぎて八王の乱、そして前代未聞の異民族だらけの戦国時代へとw