0001爆笑ゴリラ ★2020/05/28(木) 10:35:25.62ID:OKGIK5ZN9
5/28(木) 10:25配信
毎日新聞
下張り文書の「安永二年」の文字を指し示す藤谷愛嗣住職=長浜市木之本町木之本の明楽寺で2020年5月26日午後3時35分、若本和夫撮影
滋賀県長浜市木之本町木之本にある真宗大谷派の寺院、明楽寺(みょうらくじ)(藤谷愛嗣(よしつぐ)住職)で、本堂の壁面の絵の下から、下張りとして使用されていた約1000枚の「下張り文書」が見つかった。文書には「安永二年」などの記述があり、江戸時代の安永年間(1772〜81)と伝えられてきた本堂の建築年代が裏付けられた。同市によると、下張り文書によって建築年代が特定されるのは極めて珍しいという。
明楽寺は1191年に山城国安井村(現在の京都市右京区)で建立され、1391年に現在地に移されたとされる。入り母屋造りの本堂は湖北地方有数の規模を誇るが、建築年代については、寺の歴史を記した明治時代の文書以外には裏付けがなかった。
下張り文書が見つかったのは、本尊の阿弥陀如来立像の背後にある「来迎壁」(縦3・8メートル、横2・4メートル)など、本堂奥の壁面。壁に貼られていた「蓮水図」(明治時代中期)と呼ばれるハスの花の絵を剥がし、新たに模写した「蓮水図」に貼り替える工事の過程で存在が分かった。
長浜市の太田浩司・学芸専門監らが確認したところ、文書は帳簿や書状などで「安永二年」「安永三年」などの年号が書かれていたものがあった。年号の記されていない文書も、内容などから安永年間に作成されたとみられるという。
太田さんは「文書が作成の数年後に廃棄され、下張りとして利用されたと考えれば、本堂の建立は安永年間の終わりごろではないか」と話し、文書が本堂の建築年代を示す新たな証拠となると説明している。
※ソース内に画像あり
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200528-00000013-mai-soci
毎日新聞
下張り文書の「安永二年」の文字を指し示す藤谷愛嗣住職=長浜市木之本町木之本の明楽寺で2020年5月26日午後3時35分、若本和夫撮影
滋賀県長浜市木之本町木之本にある真宗大谷派の寺院、明楽寺(みょうらくじ)(藤谷愛嗣(よしつぐ)住職)で、本堂の壁面の絵の下から、下張りとして使用されていた約1000枚の「下張り文書」が見つかった。文書には「安永二年」などの記述があり、江戸時代の安永年間(1772〜81)と伝えられてきた本堂の建築年代が裏付けられた。同市によると、下張り文書によって建築年代が特定されるのは極めて珍しいという。
明楽寺は1191年に山城国安井村(現在の京都市右京区)で建立され、1391年に現在地に移されたとされる。入り母屋造りの本堂は湖北地方有数の規模を誇るが、建築年代については、寺の歴史を記した明治時代の文書以外には裏付けがなかった。
下張り文書が見つかったのは、本尊の阿弥陀如来立像の背後にある「来迎壁」(縦3・8メートル、横2・4メートル)など、本堂奥の壁面。壁に貼られていた「蓮水図」(明治時代中期)と呼ばれるハスの花の絵を剥がし、新たに模写した「蓮水図」に貼り替える工事の過程で存在が分かった。
長浜市の太田浩司・学芸専門監らが確認したところ、文書は帳簿や書状などで「安永二年」「安永三年」などの年号が書かれていたものがあった。年号の記されていない文書も、内容などから安永年間に作成されたとみられるという。
太田さんは「文書が作成の数年後に廃棄され、下張りとして利用されたと考えれば、本堂の建立は安永年間の終わりごろではないか」と話し、文書が本堂の建築年代を示す新たな証拠となると説明している。
※ソース内に画像あり
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200528-00000013-mai-soci