0001かわる ★2021/09/09(木) 17:30:16.57ID:1uPNxtrA9
日露戦争の最中だった1905年5月28日、島根県江津市の和木真島沖でロシアのバルチック艦隊「イルティッシュ号」は沈没しかけていた。荒れる海の中、白旗を掲げて岸に近づこうとする彼らを地元・和木の住民が救助し、乗組員265人全員が命をとりとめた。日本人が敵国兵を命がけで救ったというこの史実を多くの人に知ってもらおうと、ロシアでドキュメンタリー映画「イルティッシュ号の来た日」が製作され、モスクワの在日本大使館で完成試写会が行なわれた。
ロシアにとってこの映画の意味とは
この映画は、ロシア政府が出資している「祖国の歴史」基金が製作費を出し、ロシア歴史協会の後援で作られた。ロシアにとって負け戦だった日露戦争は、第二次世界大戦と比べて、これまであまり語られてこなかった。ロシア歴史協会専務理事で「祖国の歴史」基金事務局長のコンスタンチン・モギレフスキー氏は言う。
「基金では、年に15本ほど様々なテーマでドキュメンタリー映画を作っています。シネマプロダクションがこのテーマで応募してきて、コンクールを勝ち抜き、採用されました。すでに映画作りのための素材もありましたし、素晴らしいストーリーでしたから。この映画製作に関わった人はみんな、自分の職域・義務を超えて、この映画を完成させるために努力してきたし、私たちも精一杯サポートしました。歴史には明るいページも暗いページもあります。日本とロシアは隣国としてそのどちらも経験しました。良いことが繰り返され、悪いことが二度と起こらないように、その全てについて私たちは知り、語っていかなければなりません。」
和木ってどんなところ?
当時の和木では交通・通信機関が発達しておらず、新聞をとっていた家はわずか一軒で、その新聞さえも松江から3日遅れで配達されるという状態だった。そのため村人らは、前日の対馬沖海戦で日本が勝利したことを知らず、イルティッシュ号が現れたとき、ロシア軍艦が攻めて来たと思い緊張が走った。
しかし助けを求めていることがわかると、海中に飛び込みボートを引っ張ったり、大怪我をしたロシア兵を背負ったりして、懸命の救助活動を行った。海とともに生き、漁に出ること自体が死と隣り合わせだった和木の人だからこそ、敵味方の区別なく、とっさにこのような行動がとれたのかもしれない。
映画には、救助活動にあたった村人の子孫で、和木町在住の小川斉子さんと母親の敬子さんが登場する。小川家は800年以上前から和木の地に住んでおり、ロシア兵が上陸した海岸や真島は、現在も小川家の私有地だ。映画では小川家の由緒あるたたずまいを見てとることができる。
乗組員とその子孫、その後どうなった?
救助された乗組員は、松山を経由してロシアに戻り、それぞれの人生を歩んだ。映画には、イルティッシュ号の乗組員、ウラジーミル・ロジャンコ中尉の子孫にあたるアレクシス・ロジャンコさんが登場する。ロシア革命で祖父母が米国に亡命しニューヨークで生まれたため、現在は米国籍をもちながら、モスクワで在ロシア米国商業会議所会頭として働いている。ロジャンコさんは2019年、小川斉子さんとの対面を果たしている。
バルチック艦隊の司令長官であったジノヴィー・ロジェストヴェンスキーのひ孫にあたる、ジノヴィー・スペチンスキーさんは、映画の中で、複雑な半生を語っている。フランス・ニースで生まれ育ったが、フランスに残りたい父と祖国に戻りたい母との板ばさみになり、母とともにソ連に戻る。しかし曽祖父は日露戦争敗北の「戦犯」扱いされており、墓が破壊されるほど人格が否定されていた。スペチンスキーさんは曽祖父と同じように海に関係した仕事につくことを望んだが叶わず、フランス帰りということで差別され、様々な職業を転々とした。
映画のラストには、沈没したイルティッシュ号の名を引き継いだ新イルティッシュ号が登場する。現在の新イルティッシュ号は、100床を擁するロシア国防省の病院船である。人類愛を象徴するイルティッシュ号が、今は人助けを使命としていることに、ただならぬめぐり合わせを感じる。
https://jp.sputniknews.com/culture/202109068677750/
ロシアにとってこの映画の意味とは
この映画は、ロシア政府が出資している「祖国の歴史」基金が製作費を出し、ロシア歴史協会の後援で作られた。ロシアにとって負け戦だった日露戦争は、第二次世界大戦と比べて、これまであまり語られてこなかった。ロシア歴史協会専務理事で「祖国の歴史」基金事務局長のコンスタンチン・モギレフスキー氏は言う。
「基金では、年に15本ほど様々なテーマでドキュメンタリー映画を作っています。シネマプロダクションがこのテーマで応募してきて、コンクールを勝ち抜き、採用されました。すでに映画作りのための素材もありましたし、素晴らしいストーリーでしたから。この映画製作に関わった人はみんな、自分の職域・義務を超えて、この映画を完成させるために努力してきたし、私たちも精一杯サポートしました。歴史には明るいページも暗いページもあります。日本とロシアは隣国としてそのどちらも経験しました。良いことが繰り返され、悪いことが二度と起こらないように、その全てについて私たちは知り、語っていかなければなりません。」
和木ってどんなところ?
当時の和木では交通・通信機関が発達しておらず、新聞をとっていた家はわずか一軒で、その新聞さえも松江から3日遅れで配達されるという状態だった。そのため村人らは、前日の対馬沖海戦で日本が勝利したことを知らず、イルティッシュ号が現れたとき、ロシア軍艦が攻めて来たと思い緊張が走った。
しかし助けを求めていることがわかると、海中に飛び込みボートを引っ張ったり、大怪我をしたロシア兵を背負ったりして、懸命の救助活動を行った。海とともに生き、漁に出ること自体が死と隣り合わせだった和木の人だからこそ、敵味方の区別なく、とっさにこのような行動がとれたのかもしれない。
映画には、救助活動にあたった村人の子孫で、和木町在住の小川斉子さんと母親の敬子さんが登場する。小川家は800年以上前から和木の地に住んでおり、ロシア兵が上陸した海岸や真島は、現在も小川家の私有地だ。映画では小川家の由緒あるたたずまいを見てとることができる。
乗組員とその子孫、その後どうなった?
救助された乗組員は、松山を経由してロシアに戻り、それぞれの人生を歩んだ。映画には、イルティッシュ号の乗組員、ウラジーミル・ロジャンコ中尉の子孫にあたるアレクシス・ロジャンコさんが登場する。ロシア革命で祖父母が米国に亡命しニューヨークで生まれたため、現在は米国籍をもちながら、モスクワで在ロシア米国商業会議所会頭として働いている。ロジャンコさんは2019年、小川斉子さんとの対面を果たしている。
バルチック艦隊の司令長官であったジノヴィー・ロジェストヴェンスキーのひ孫にあたる、ジノヴィー・スペチンスキーさんは、映画の中で、複雑な半生を語っている。フランス・ニースで生まれ育ったが、フランスに残りたい父と祖国に戻りたい母との板ばさみになり、母とともにソ連に戻る。しかし曽祖父は日露戦争敗北の「戦犯」扱いされており、墓が破壊されるほど人格が否定されていた。スペチンスキーさんは曽祖父と同じように海に関係した仕事につくことを望んだが叶わず、フランス帰りということで差別され、様々な職業を転々とした。
映画のラストには、沈没したイルティッシュ号の名を引き継いだ新イルティッシュ号が登場する。現在の新イルティッシュ号は、100床を擁するロシア国防省の病院船である。人類愛を象徴するイルティッシュ号が、今は人助けを使命としていることに、ただならぬめぐり合わせを感じる。
https://jp.sputniknews.com/culture/202109068677750/