0001デビルゾア ★2022/01/05(水) 04:36:53.75ID:Te3dmNIU9
「教育格差」とは、子供本人が選ぶことのできない初期条件である「生まれ」によって学歴など教育の成果に差がある傾向を意味する。「生まれ」を示す指標として国内外で広く使われているのは保護者の学歴、収入、職業などを統合した社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SES)である。
教育格差の一部である「子どもの貧困」が話題になった2000年代以降だけではなく、出身家庭のSESによって最終学歴に差がある傾向は戦後に育ったすべての世代において確認されてきた(データは拙著『教育格差(ちくま新書)』を参照)。また、近年の国際比較が可能なデータによれば、出身家庭のSESと学力や学歴の関連度合いは、他の先進諸国と比べて平均的に過ぎない。
日本は国際的に「凡庸な教育格差社会」なのだ。なお、出身家庭のSESに加えて出身地域と性別も重要な「生まれ」となっている。端的に言えば、学歴達成という観点では、高SES家庭出身(保護者が高学歴・高収入・専門職)、大都市部出身、男性であると有利で、低SES家庭出身、地方出身、女性だと不利なのが日本社会である。
では、「生まれ」によって子供たちの可能性を制限しないために私たちは何をすべきだろうか。
(中略)
2)教育格差のメカニズムを踏まえた政策提案を行う
日本の教育政策の議論に欠けているのは、全国を俯瞰したデータによる実態把握だけではない。「生まれ」によって学力や最終学歴に差がある教育格差のメカニズムに対する理解も不十分である。
たとえば、先の衆議院選挙における各政党の政策提案の大半は、総じてお金「だけ」を格差の原因として問題視しているように見える。しかし、拙著(『教育格差(ちくま新書)』)でデータを示したように、義務教育段階であっても、出身家庭のSESによって子供が大学進学を望んでいるかどうかに既に差がある。
もっとも、不利な「生まれ」(低SES家庭出身、地方出身、女性)でも何らかの理由で進学を志す子供たちはいるので、学費の無償化などの経済的障壁を下げる政策は重要である。しかし、意欲のある子供への経済的支援だけでは、不利な「生まれ」を背景にして進学をそもそも選択肢に入れていない子供たちを助けることにはならない。
各政党の政策案「だけ」では、戦後ずっと続いてきた教育格差という大きな傾向が変わることは期待できそうもないのである。教育格差の是正を目指すのであれば、たとえば、小中学校の段階で学習意欲を失う不利な「生まれ」の子供たちに対する学習や生活支援などが政策として提案されるはずだ。
(中略)
今まで何度も教育「改革」が叫ばれてきたが、「教育格差」は戦後に育ったすべての世代で確認されてきたし、子供の学力も大きく向上したとは言い難い。たとえば、小中学生や高校1年生の学力の平均値は経年比較可能な国際学力調査結果を10年や20年という期間で見てみると大きく上がってきたわけではない(少し下がった分野もある)。
どのような教育政策と教育実践に効果があるのかを検証せずに、「よさそうなこと」を行なっているだけなので、これらは不思議な現象ではない。不利な「生まれ」の層に何が効くかが十分にわかっていないだけではなく、学力の平均値を大きく上げる知見もないし、学力上位層をさらに伸ばす効果のある教育手法が実証されているわけでもないのである。効果検証をしない「今までのやり方」であれば、科学的に効果が裏付けられていない健康法に依存しているのと変わらないのである。
どのような教育政策・教育実践であれば、どの層に対してどの程度の効果があるのか検証を繰り返し、知見の蓄積をするサイクルを確立する必要がある。すべきことは多いが、まずは今後効果検証を行う象徴として、不利な層(低SES家庭出身・地方出身・女性)を引き上げる方法を模索するために、大規模なランダム化比較試験を行うことを提案したい。
学習だけではなく、食事や運動など包括的な支援を行うことで、学力や進学だけではなく様々な観点で不利な層を短期だけではなく中長期的に望ましい方向に導くことになると考えられる。予算を組んで適切な介入をすれば実際に結果を出せるという経験を日本の政治と教育行政が持つ前向きな機会になるはずだ。
(全文はこちら)
https://www.fnn.jp/articles/-/291908
教育格差の一部である「子どもの貧困」が話題になった2000年代以降だけではなく、出身家庭のSESによって最終学歴に差がある傾向は戦後に育ったすべての世代において確認されてきた(データは拙著『教育格差(ちくま新書)』を参照)。また、近年の国際比較が可能なデータによれば、出身家庭のSESと学力や学歴の関連度合いは、他の先進諸国と比べて平均的に過ぎない。
日本は国際的に「凡庸な教育格差社会」なのだ。なお、出身家庭のSESに加えて出身地域と性別も重要な「生まれ」となっている。端的に言えば、学歴達成という観点では、高SES家庭出身(保護者が高学歴・高収入・専門職)、大都市部出身、男性であると有利で、低SES家庭出身、地方出身、女性だと不利なのが日本社会である。
では、「生まれ」によって子供たちの可能性を制限しないために私たちは何をすべきだろうか。
(中略)
2)教育格差のメカニズムを踏まえた政策提案を行う
日本の教育政策の議論に欠けているのは、全国を俯瞰したデータによる実態把握だけではない。「生まれ」によって学力や最終学歴に差がある教育格差のメカニズムに対する理解も不十分である。
たとえば、先の衆議院選挙における各政党の政策提案の大半は、総じてお金「だけ」を格差の原因として問題視しているように見える。しかし、拙著(『教育格差(ちくま新書)』)でデータを示したように、義務教育段階であっても、出身家庭のSESによって子供が大学進学を望んでいるかどうかに既に差がある。
もっとも、不利な「生まれ」(低SES家庭出身、地方出身、女性)でも何らかの理由で進学を志す子供たちはいるので、学費の無償化などの経済的障壁を下げる政策は重要である。しかし、意欲のある子供への経済的支援だけでは、不利な「生まれ」を背景にして進学をそもそも選択肢に入れていない子供たちを助けることにはならない。
各政党の政策案「だけ」では、戦後ずっと続いてきた教育格差という大きな傾向が変わることは期待できそうもないのである。教育格差の是正を目指すのであれば、たとえば、小中学校の段階で学習意欲を失う不利な「生まれ」の子供たちに対する学習や生活支援などが政策として提案されるはずだ。
(中略)
今まで何度も教育「改革」が叫ばれてきたが、「教育格差」は戦後に育ったすべての世代で確認されてきたし、子供の学力も大きく向上したとは言い難い。たとえば、小中学生や高校1年生の学力の平均値は経年比較可能な国際学力調査結果を10年や20年という期間で見てみると大きく上がってきたわけではない(少し下がった分野もある)。
どのような教育政策と教育実践に効果があるのかを検証せずに、「よさそうなこと」を行なっているだけなので、これらは不思議な現象ではない。不利な「生まれ」の層に何が効くかが十分にわかっていないだけではなく、学力の平均値を大きく上げる知見もないし、学力上位層をさらに伸ばす効果のある教育手法が実証されているわけでもないのである。効果検証をしない「今までのやり方」であれば、科学的に効果が裏付けられていない健康法に依存しているのと変わらないのである。
どのような教育政策・教育実践であれば、どの層に対してどの程度の効果があるのか検証を繰り返し、知見の蓄積をするサイクルを確立する必要がある。すべきことは多いが、まずは今後効果検証を行う象徴として、不利な層(低SES家庭出身・地方出身・女性)を引き上げる方法を模索するために、大規模なランダム化比較試験を行うことを提案したい。
学習だけではなく、食事や運動など包括的な支援を行うことで、学力や進学だけではなく様々な観点で不利な層を短期だけではなく中長期的に望ましい方向に導くことになると考えられる。予算を組んで適切な介入をすれば実際に結果を出せるという経験を日本の政治と教育行政が持つ前向きな機会になるはずだ。
(全文はこちら)
https://www.fnn.jp/articles/-/291908