無断コピペ
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奈良時代頃には入れ墨は刑罰の一種となっていきます。
江戸時代には罪人に対して罪として入れ墨を入れ、地域によってその入れ墨の内容も異なったようです。

面白いのが、紀州(和歌山)では罪人に対して「悪」と腕に入れ墨を入れたようで、見せしめの対象となっていたと思われます。
そのほか、何度も犯罪を繰り返す罪人には「大」や「犬」といった文字を額に入れることも行われていました。
その後、明治時代になると、近代国家体制を目指すべく、1872年の太政官令により入墨刑が廃止され、
また装飾用途の入れ墨を入れる行為が禁止されていきます(野蛮に映ったのでしょう)。

それ以降、1948年まで日本において入れ墨は非合法となります。
こうした歴史的背景から、現代まで続く「入れ墨」が反社会的といわれる所以だと思われ、
入れ墨に対して日本では「マイナス」「ネガティブ」なイメージが定着したものと思われます。

暴力団では入れ墨文化が廃れることはなかった

なお、明治時代に入れ墨が禁止されて以降も暴力団においては入れ墨が廃れることはなく、
むしろ帰属組織への忠誠を示すために使われました。
その結果、「入れ墨(刺青)=暴力団」というイメージができ、入れ墨があることで周囲を威圧することにつながったといえます。

また、少し昔は今とは異なり、どの家庭にもお風呂があったわけではありません。
銭湯に行く人が多かった時代においては、入れ墨が入った人を入場許可してしまうと、
周囲の人が威圧的に感じる可能性が大きいといえ(今でも多少はそうでしょう)、
そのため一般のお客様の安全と安心を考慮して、現在も多くの銭湯や温泉施設(特に民間)が
入れ墨・タトゥがある人の入場規制を行っていると考えられます。