教育勅語に関しては、発表してすぐに西園寺公望が問題を指摘している
それを受けて明治天皇が第2次教育勅語への改定を西園寺に指示し作業に入るが
西園寺が途中で病死したために作られなかったという経緯がある
明治帝のお気持ちを考えれば、教育勅語に固執して使おうとするのは
一体誰に対する忠誠心から来ているのかはなはだ疑問である