京の老舗呉服問屋で創業者の末えいに当たる男性が、自宅に残る江戸後期から大正時代までの献立帳の解読に取り組んでいる。婚礼や法事で市中の仕出屋から取り寄せた料理が記録されており、山海の幸をそろえた豪華さと品数には研究者らも驚嘆する。京商家が冠婚葬祭に提供したもてなしのメニューとは?

 享保2(1717)年に今の中京区柳馬場御池で絹麻綿業を始めた問屋の創業家の子孫、市田文次郎さん(73)=左京区。市田家は、明治初期の第1回京都博覧会に所蔵品を出すほどの名家だ。
 2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことが、解読を決意する動機になった。店則など代々伝わる古文書を本にまとめたこともある市田さんだが、「献立帳は読めていなかった。京の食文化を伝えたい一心だった」と話す。
 2年前から月一度、京都文化博物館の西山剛学芸員や料理人の七山妙子さん、大谷大の若手研究者らと研究会を催し、くずし字を一文字ずつ読み解く。料理の内容や解釈方法が分からない記述もあるが、すでに約80通りの献立を書き起こした。
 例えば、江戸後期の天保15(1844)年、市田家当主の婚礼の献立帳。タイと餅が入る雑煮仕立ての吸い物に始まる約20品が筆書きされていた。
 八寸は伊勢エビ松風にハモこぶ焼、守口ダイコン。いりことタケノコの鉢。造りはマスとタイとヒラメ。焼き物はアマダイ。「休憩を挟んで、また食べたらしい。明治の婚礼は5日続けて豪勢な料理を出し、1日4斗(72リットル)の酒を注文したとの記述もある」と市田さん。
 西山学芸員は「淡泊な物を食べているなという印象。油物は少なく、根菜をはじめ野菜の種類が豊富だ。当時の京都は魚といえば淡水魚だが、ハレの日は海産物が主役になる」とみる。吸い物が3種もある点に着目し、「京の町衆は『町汁』といって寄合で一つの鍋で煮た汁を飲んで共同体の確認につなげた。献立を読むと共通性が見えて興味深い」。七山さんは「現代の料理人が見ても作り方が思い浮かぶものは多い」と語る。
 明治30(1897)年に当主が没した際の記録に「密葬式出立 膳部百五十人前」「火葬場茶店 折詰百五十人前」「本葬出立 膳部二百二十人前」とあり、法事のたびに多数の参列者に食事を出したことも分かった。献立帳には、かんぴょうとシイタケと湯葉のすし、ダイコンと浅草のりとミョウガの汁、ユリネと麩(ふ)とキクラゲのカブラ蒸し、玉子湯葉と高野豆腐と粒シイタケの煮しめ―と細かに記されている。
 「一つの家系の冠婚葬祭料理を時代を追って調べた例はほとんどないが、ものすごくおもしろい」と西山学芸員。研究素材としての魅力を、「季節の風土と京都のかつての風情が献立から立ち上ってくる」と表現する。

京都新聞 3/30(土) 10:30
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