>>449
全く理解できてないな
周髀算経1寸千里の緯度測定方法

東京地学協会伊能忠敬記念講演会 2015.11.28 野上道男(東京都立大学名誉教授)で検索してみ
理解出来てから反論してネ
>邪馬台国は「東南 1 万 2 千里」と記述されている.郡から倭へ派遣された魏使
>は朝鮮半島の西岸と南岸の複雑な海岸線を回ってジグザクに水行(沿岸航法)して狗邪韓国に至っている.
>当時は海図がなかったのでこんな航路の長さは測れない.あきらかに「7 千里」は測量値である.ほかに
>測量方法がないことから、この値は「1 寸千里法」による測量値である.
    *夏至の日前後の鉛直に立てた物差しの日影長の差から求めた緯度を千里単位で表現したもの
中略
>「1 寸千里法」の測量成果は実際の尺度による距離値を介さず緯度と対応している. 夏至南中時と
>いう指定は、結果として cotαをαで近似する誤差(1寸千里法の原理的誤差)を小さくしている.
中略  *cotαは現代の数学の三角関数コタンジェントα
>對馬海峡の横断では、人力船にとっては速い海流のため大きく下流に流され、方位も記述
>できていないほどであるので、航路距離はもちろん測れない.陸路もたぶん曲がりくねっており(直線的
>な官道は律令時代以後のこと)、伊能忠敬と同じ導線法で歩測だったとしても、測量は極めて煩雑であり、
>とても道路で実測されたとは思えない.それどころか通った道路の記述がない.また魏使の行程区間には、
>日数で表わされた距離(時間距離)さえある.以上述べたように「1 万 2 千里」は魏使の行程距離である
>わけはなく、唯一の選択肢として、天文測量による成果であることは自明である.しかし驚くべきことに、
>ほとんど全ての歴史家は、帯方郡から人が移動したその海陸行程「南東 1 万 2 千里」のところに邪馬台国
>が存在していた、と思い込んでいる.

最後の部分が大事
>全ての歴史家は、帯方郡から人が移動したその海陸行程「南東 1 万 2 千里」のところに邪馬台国
>が存在していた、と思い込んでいる.
九州説信者は思い込みがハゲしいwwwww
読解力がかなり足りないwwwww