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沖縄人は、西北・南九州弥生人(隼人・肥前国土蜘蛛)の末裔で、学術的に決着しつつある

 >琉球人の持っている全ゲノムのうち、縄文人由来の割合が25〜30%程度であるという。
 >全ゲノム研究によると、本土日本人の影響を強く受けており、華南や台湾先住民とはかなり遠いと判明した。
 >華北の影響を受けているが、これは本土から南下した弥生人がもたらしたものである。

 >沖縄には旧石器時代の遺構は多数あるものの、縄文時代の遺跡が殆どなく、空白の時代であるため、
 >比較的新しい時代に西北・南九州弥生人が南下してきて、現在の琉球民族を形成したと考えられる。

 >喜界島城久遺跡などの考古学的知見や、琉球祖語の拡散年代を鑑みるに、
 >琉球民族は九州から南下してきた縄文遺伝子の強い人々(琉球弥生人)でほぼ間違い無いです。

 >西北九州弥生人は水稲を行わず、海上交易と沿岸漁労のみの生活を行なっていたので、
 >結果として南西諸島への水稲到達は本土のおよそ10世紀以上も後になります。
 >日本本土では古墳時代半ばごろに突如として南海産貝輪の流通がストップするので、
 >この時期に西北九州弥生人が南西諸島に定住し始めたのだと思われます。

 >琉球祖語は、日琉祖語から奈良時代以前に分岐したとの説が有力である。
 >トマ・ペラールは、琉球祖語の保存された音素から弥生時代末期から古墳時代に分岐したのではないかとしている。
 >九州に在地しながら日本語と接触し強い影響を受けた後、グスク文化の一要素として琉球へ伝播した、としている。

■ 土井ヶ浜人類学博物館 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北部九州・土井ヶ浜
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/c5.jpg

■ PCA 西北九州弥生人の位置が、現代沖縄クラスターと大体同じ
https://livedoor.blogimg.jp/tanokura3/imgs/a/a/aa72d74e.jpg