>>1
あれ?
>教団は政治的意図をもってメディア戦略を展開することも知られており、
文鮮明の側近である朴普煕によれば、
米国内で共和党議員を支援するために、教祖自ら各種の新聞を創刊する指示を出したという。
リチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で失脚したが、
その報道を主導していたのは教団が「左翼勢力に取り込まれた代表的なメディア」「西側にあるソ連の機関紙」として敵視する『ワシントン・ポスト』紙だった。
ニクソンの失脚によって、文鮮明はメディア戦略の重要性を実感し、1976年に『ニューズ・ワールド』を創刊(のちに『ニューヨーク・シティ・トリビューン』と改称)、
1978年10月には「世界言論人協会」を設立、1980年には、ヒスパニック向けのスペイン語紙『ノティシアス・デル・ムンド』を創刊した。
1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると『ワシントン・ポスト』紙は批判的な論調を展開したが、
文鮮明はこれに対抗して1982年に『ワシントン・タイムズ』紙を創刊した[309][310]。


これだとニクソンに工作かけてたのとは矛盾する