「多文化共生」という言葉が掲げられるとき、そこに込められているのは、外国人労働者を安く使い倒して一部の企業が儲けたいという、極めて利己的な思惑にほかならない。だが、それをそのまま口にすれば当然反発されるので、「共生」などという耳障りのいいスローガンに包み、反対意見を出せば即「差別主義者」認定。反論すら許されない空気が意図的につくられている。

こうした構図の背後には、広告収入に依存し、スポンサーの顔色をうかがう旧来型メディアの存在がある。彼らは「差別に反対する正義の味方」を気取っているが、実態は企業利益の広報係にすぎない。外国人労働者を受け入れることが「良いこと」でなければ困る人たちがいて、そのために「異論」はレッテルで潰す、という仕組みが整っているのだ。

つまり、「多文化共生」とは現代日本における新たな“言論統制ワード”であり、異論を唱えた瞬間に社会的に抹殺される「魔法の言葉」に成り果てている。人権と平等を語るふりをして、実際には安価な労働力と支配体制の維持だけが目的。それがこの国の「共生」の正体である。