「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」で、台湾−沖縄・与那国島間を約45時間かけて航海した丸木舟の横でポーズをとるプロジェクト代表の海部陽介・国立科学博物館人類史研究グループ長=東京都台東区の同館で2019年8月16日午前8時半、竹内紀臣撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/09/03/20190903ddm005070144000p/9.jpg
大陸から日本列島に約3万年以上前に、やってきたとされる日本人の祖先。その渡来=1=の実態を解明する再現航海が7月にあり、台湾―沖縄・与那国島間を手こぎの丸木舟で渡ることに成功した。判明した祖先の航海の難しさや残る謎について、プロジェクト代表の海部陽介・国立科学博物館人類史研究グループ長(50)に聞いた。【聞き手・大場あい、写真・竹内紀臣】
※省略
――最終的に丸木舟を選びました。
草や竹の舟で遠くの島に行くのは難しいと分かり、当時入手できた材料で造れるのは丸木舟しか残っていなかった。
正直なところ、最初は丸木舟はありえないと思っていました。縄文時代の遺跡からは出土していますが、(より時代をさかのぼる)旧石器人が縄文人と同じ技術を持っていたとは思えない。でも草や竹で試した後に考えが変わり、ある程度自信を持って丸木舟を選べた。旧石器時代の石斧(せきふ)で造れることも実証しました。
僕らは3万年前に使われたのが丸木舟だと証明したわけではなく、本当はどうやって渡ったのか永遠に分かりません。でも、ブイの実験で漂流では琉球列島に行けないと分かり、意図を持って渡ったことを検証した。旧石器時代にありうる舟として丸木舟を造り、帆がなくても渡れることを根拠を持って言えるようになったのです。
――7月7日午後に男女5人が丸木舟で台湾を出航し、9日午前、200キロ以上離れた与那国島の砂浜に到着しました。
天候はよくありませんでしたが、こぎ手キャプテンの原康司さんが出航を決断しました。当時の航海術を再現するためコンパスやGPS(全地球測位システム)は使わず、星などを頼りに針路を決めました。方角が分かっている間にうねりや風の方向を覚え、雲で星が見えなくなったらうねりなどを参考にしました。
1日目の夜は雲の隙間(すきま)から星が見えたのですが、2日目は全く見えなくなった。こぎ手は明らかに疲労困憊(こんぱい)し、原さんは思い切って5人とも眠ることを決めました。与那国島への潮の流れに乗っていたこともあって夜明け前に島の灯台の明かりが見え、再びこぎ出しました。
祖先たちは必ず目的の島に行ける自信があって大陸を出航したと思っています。運良く到着できたのではなく、天候の変化など、海の上で直面する問題を解決する能力と経験がある人こそが海を渡れた。今回、その思いを強くしました。
――3万年前はどうやって経験を積んだのでしょうか。
沿岸部で魚を取っているうちに海を理解し、安全と思える沖まで出て行くことを繰り返したのではないでしょうか。島に行くまでにすごく長い歴史があり、高度な舟が発明された後に「これなら行ける」という決断ができたのでしょう。
でも、安心できる場所から離れ、なぜ何が起こるか分からない小さな島に向かったのか。謎はより深まりました。すぐに答えを知りたくなるかもしれませんが、じっくり検討しなければなりません。
――インターネットを通じた「クラウドファンディング」で資金調達し、支援者から意見を募りました。
航海の再現は絶対に面白いので、研究者だけではもったいない。多くの人と一緒に謎を探求したかったのです。プロジェクトを通じて、祖先の姿の一端を知ってもらえました。研究成果を研究者以外にも広げる「オープンサイエンス」としてうまくいったと思います。
一般の人の考えを聞けたのもいい経験でした。「昔の人は超人だったから簡単な舟で島に渡れたのでは?」という意見をもらい、縄文人の骨を分析し、海岸付近にはマッチョな集団がいたことを明らかにする研究につながりました。専門家以外のアイデアで視野が広がり、面白いことができる。そういうきっかけにもなったと思います。
※省略
■ことば
1 日本への渡来
当時の地形や旧石器時代の遺跡などから、大陸からの有力経路は3ルートある。朝鮮半島から対馬(長崎県)を経由して九州北部に渡る「対馬ルート」(約3万8000年前)▽大陸と陸地でつながっていた台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」(約3万5000年前)▽シベリアから陸続きだった北
海道に歩いて南下する「北海道ルート」(約2万5000年前)。
毎日新聞 2019年9月3日
https://mainichi.jp/articles/20190903/ddm/005/070/012000c?inb=ra
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/09/03/20190903ddm005070144000p/9.jpg
大陸から日本列島に約3万年以上前に、やってきたとされる日本人の祖先。その渡来=1=の実態を解明する再現航海が7月にあり、台湾―沖縄・与那国島間を手こぎの丸木舟で渡ることに成功した。判明した祖先の航海の難しさや残る謎について、プロジェクト代表の海部陽介・国立科学博物館人類史研究グループ長(50)に聞いた。【聞き手・大場あい、写真・竹内紀臣】
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――最終的に丸木舟を選びました。
草や竹の舟で遠くの島に行くのは難しいと分かり、当時入手できた材料で造れるのは丸木舟しか残っていなかった。
正直なところ、最初は丸木舟はありえないと思っていました。縄文時代の遺跡からは出土していますが、(より時代をさかのぼる)旧石器人が縄文人と同じ技術を持っていたとは思えない。でも草や竹で試した後に考えが変わり、ある程度自信を持って丸木舟を選べた。旧石器時代の石斧(せきふ)で造れることも実証しました。
僕らは3万年前に使われたのが丸木舟だと証明したわけではなく、本当はどうやって渡ったのか永遠に分かりません。でも、ブイの実験で漂流では琉球列島に行けないと分かり、意図を持って渡ったことを検証した。旧石器時代にありうる舟として丸木舟を造り、帆がなくても渡れることを根拠を持って言えるようになったのです。
――7月7日午後に男女5人が丸木舟で台湾を出航し、9日午前、200キロ以上離れた与那国島の砂浜に到着しました。
天候はよくありませんでしたが、こぎ手キャプテンの原康司さんが出航を決断しました。当時の航海術を再現するためコンパスやGPS(全地球測位システム)は使わず、星などを頼りに針路を決めました。方角が分かっている間にうねりや風の方向を覚え、雲で星が見えなくなったらうねりなどを参考にしました。
1日目の夜は雲の隙間(すきま)から星が見えたのですが、2日目は全く見えなくなった。こぎ手は明らかに疲労困憊(こんぱい)し、原さんは思い切って5人とも眠ることを決めました。与那国島への潮の流れに乗っていたこともあって夜明け前に島の灯台の明かりが見え、再びこぎ出しました。
祖先たちは必ず目的の島に行ける自信があって大陸を出航したと思っています。運良く到着できたのではなく、天候の変化など、海の上で直面する問題を解決する能力と経験がある人こそが海を渡れた。今回、その思いを強くしました。
――3万年前はどうやって経験を積んだのでしょうか。
沿岸部で魚を取っているうちに海を理解し、安全と思える沖まで出て行くことを繰り返したのではないでしょうか。島に行くまでにすごく長い歴史があり、高度な舟が発明された後に「これなら行ける」という決断ができたのでしょう。
でも、安心できる場所から離れ、なぜ何が起こるか分からない小さな島に向かったのか。謎はより深まりました。すぐに答えを知りたくなるかもしれませんが、じっくり検討しなければなりません。
――インターネットを通じた「クラウドファンディング」で資金調達し、支援者から意見を募りました。
航海の再現は絶対に面白いので、研究者だけではもったいない。多くの人と一緒に謎を探求したかったのです。プロジェクトを通じて、祖先の姿の一端を知ってもらえました。研究成果を研究者以外にも広げる「オープンサイエンス」としてうまくいったと思います。
一般の人の考えを聞けたのもいい経験でした。「昔の人は超人だったから簡単な舟で島に渡れたのでは?」という意見をもらい、縄文人の骨を分析し、海岸付近にはマッチョな集団がいたことを明らかにする研究につながりました。専門家以外のアイデアで視野が広がり、面白いことができる。そういうきっかけにもなったと思います。
※省略
■ことば
1 日本への渡来
当時の地形や旧石器時代の遺跡などから、大陸からの有力経路は3ルートある。朝鮮半島から対馬(長崎県)を経由して九州北部に渡る「対馬ルート」(約3万8000年前)▽大陸と陸地でつながっていた台湾から琉球列島を北上する「沖縄ルート」(約3万5000年前)▽シベリアから陸続きだった北
海道に歩いて南下する「北海道ルート」(約2万5000年前)。
毎日新聞 2019年9月3日
https://mainichi.jp/articles/20190903/ddm/005/070/012000c?inb=ra