https://news.yahoo.co.jp/articles/b1032692381ddecebabb444f301549e019a852eb
※ソースに動画あり
発掘調査が続く吉野ヶ里遺跡のいわゆる「謎のエリア」で、国内で最古級とみられる銅剣や、銅矛を作る際に使われたとされる鋳型などが新たに発見されました。
吉野ヶ里遺跡の北側の「謎のエリア」で去年12月に新たに見つかったのは、国内で最古級とみられる弥生時代中期の鋳型2点です。
見つかった鋳型のうち1点は、両面が銅剣や銅矛を作る際に使われていたと推定されています。
朝鮮半島の石材に類似する角閃石岩で、角閃石岩が吉野ヶ里遺跡から出土したのは初めて、県内では小城市の土生遺跡に続き2例目だということです。
一方、もう1点は去年9月に出土した鋳型と同じ個体のもので、今回は銅剣や銅矛の刃の部分だということです。
2点は去年4月に発見された石棺墓から、南西10メートルほど離れた場所で見つかったということですが、
時期などから見て弥生時代後期のものとみられる石棺墓との直接的な関係はないということです。
県は15日から吉野ヶ里遺跡展示室で今回発見された出土品を展示し、35年前に「吉野ヶ里フィーバー」が巻き起こった2月23日には講演会も予定しているということです。
関連スレ
【考古学】古代の戦闘民族スキタイ人は人の皮で矢筒を作っていた ヘロドトスの『歴史』の記述に初の証拠 “伝説”の正しさを証明 [ごまカンパチ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1707923543/ >>858
畿内説の大御所寺澤薫の「卑弥呼とヤマト王権」から抜粋です
纒向遺跡が形成された初瀬川上流の「纒向川扇状地」小共同体には、弥生時代の拠点的母集落はおろか、
集落といえるほどの遺跡がない。
自然林に覆われた空閑地に突如として纒向遺跡は出現したのである。
纒向遺跡の第一の特徴は、弥生時代にはほとんど人の手が入らなかった地域に、
三世紀になって突然、人が集まりはじめて巨大な集落を形成し、
一〇〇年もたたないうちに急速に衰退する点にある。以上転載終わり
要するに2世紀の纒向には邪馬台国の痕跡どころか集落遺跡も無かったという事です 0860アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:41:16.77ID:nk+WPeOh0
大和国が相手した隋唐は邪馬台国の魏に仕えた漢人残党と胡族傭兵の末裔が作った政権で歴史的に繋がってるからw
0862アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:45:04.26ID:QOO12LfF0
ふむ(´・ω・`)
俺は考古学も大切だが天文学の知識の知見も必要と思う
当時の人たちは満天の星空でいろいろ解釈した
距離や東西南北は勿論、海や大地や風を学問として予測もした
馬鹿にする人もいるが専門家を除き広く現在の日本人より天文学に対する知識は遥かに上
0863アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:45:51.64ID:Pfda2oFj0
大阪南部に巨大な古墳があるようにこの時代の中心地はここ。纒向からの単純な継続性は疑わしい。纒向は近江の遺跡と祭祀の形式が似ており近江の勢力が作ったと推定できる。その後は大阪南部の勢力が伸長し天皇のルーツはこちら。近江は物部系と考えると整合性が高く越国から出雲までの勢力と大阪南部、紀伊半島勢力との和平によってできたのがヤマトの国。
0864アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:49:13.97ID:9xYm1xWd0
>>857
>> 証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされており
これは正に邪馬台国九州東遷説の事だ
一切証明してない 0865アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:51:35.08ID:Pfda2oFj0
>>859
纒向の原型は近江の伊勢遺跡にありこちらは卑弥呼の時代より古い。またこの周辺は縄文から弥生に至る遺跡や大規模な水田跡も続々と発掘され近年のホットゾーン。
つまり、この勢力の勢力拡張によりできたのが纒向でそれはその後の大阪南部の勢力とは別系統でヤマト国への継続性が見られない。 0866アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:54:42.71ID:QOO12LfF0
日本が、日本と呼ばれる所以
日出づる国だから(´・ω・`)
世界的にも日付変更線は太平洋にあり、もちろん今は日本より先に今日を迎える国が多々あるが
0867アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:54:46.76ID:9xYm1xWd0
>>856
質や量で何か確度が上がる?
邪馬台国について魏志倭人伝にかかれている内容には、当時の生活様式などはあるが
それ以外は大したことは書いてない
余り地域を断定できる素地はないけどな 日本精神文明探見隊
シン日本古代史 概論
2021.11.14
カテゴリ シン日本古代史 (1)
◆シン日本神代古代史◆
高天原=邪馬台国=九州北部
天照大神=卑弥呼+台与
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族
神武天皇以降は、邪馬台国連合から独立した。
十代崇神天皇が邪馬台国を制圧したので、天照大神=卑弥呼+台与が祟った。
「高天原=邪馬台国=九州北部」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)
天照大神の生誕地=筑紫の日向(九州の南or北)
天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
天孫ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」
日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。
畿内に独立国を成立させた神武天孫族系が、その後に高天原=邪馬台国と勢力争いになって、十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。
欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。
・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。
崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。
そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。
>>865
出土品に中国との交易を示すものがないから
邪馬壹国ではないな 0870アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 19:58:07.05ID:9xYm1xWd0
>>868
な?こういう一切証明や根拠のない珍説が出てくるだろ?
こういう飛躍した妄想はラノベにでもかけ >>867
今から1000年後に
日本の500円玉が10万枚見付かった地域と
500玉が1000枚しか見付からない地域
日本の可能性が高いのはどっちだ?
あ、君には難しい考察かな?
www 中国違って歴史のない土人国だからな
神話も時の解釈で捏造し放題
0873アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:01:14.03ID:9xYm1xWd0
>>871
可能性の話と、欠史八代、悪魔の証明を混ぜるとか頭湧いてるだろ 0874アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:01:37.14ID:Pfda2oFj0
>>869
近江の高島から中国と同じ形式の銅剣がすでに発掘されている。
邪馬台国=出雲〜越〜近江連合。物部系
狗奴国=熊野〜浪速連合。天孫系
という解釈もあり得る。 0875アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:04:34.00ID:sJPeyOM00
まぁ普通に半島の影響はあっただろうね、お互い晴れてれば見えるエリアにいるんだから
0876アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:07:04.03ID:Pfda2oFj0
日本書紀では卑弥呼=神功皇后(近江の息長氏)???と記述されているが、その推定の基礎にはヤマト国以前の近江系の政権を示唆しているのではないかと。
>>876
神功皇后は女王国を滅ぼした側に見えるけどなw 0878アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:10:50.48ID:QOO12LfF0
三国志、陳寿は何を思って書いたのだろう
蜀に使え西晋になり記録を残したかったんだろうな(´・ω・`)
戦乱の世を平和にしたかったが変わらなかった
0879アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:13:02.26ID:Pfda2oFj0
>>877
ただ、近江での祭司の形式が非常に呪術的で卑弥呼の呪術を想起させる。神功皇后もその血筋で非常に呪術的。また九州とも縁が深く一定の整合性はある。
いずれかの時代に近江〜出雲連合が北部九州にも勢力を伸ばしたとも考えられる。 0880アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:15:06.30ID:02t11oqg0
神功皇后は天照中興www
唯一皇族で天照が憑依した女王w
0881アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:16:04.72ID:tNy26w8n0
ロトの剣か!
0882アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:18:11.16ID:Pfda2oFj0
天照大神が女性になったのは近江勢力を想起させ、神武天皇が南九州からというのは大阪の南部古墳群を想起させる。そういう物語ではないのかと。
何せ伊勢遺跡ってのがね。神宮皇后の関係が深かった丹後にも元伊勢神社があったりと。
>>873
あぁ、やっぱり君には難しかったみたいだねwww 0884アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:19:30.90ID:9xYm1xWd0
>>876
そうか?
魏書云倭女王〜と書いているが、神功皇后の記録とは、はっきりと分けて書いてあるぞ?
文体が明らかに違う 0886アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:21:37.00ID:Pfda2oFj0
>>884
日本書紀では神功皇后とは断定していない。その氏族あるいは祖先と示唆している可能性あり。 0887アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:22:47.41ID:Pfda2oFj0
0888アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:24:30.76ID:9xYm1xWd0
>>878
陳寿は元々指示されて歴史書を書いていたわけではなく、歴史書を作ったのはたまたまなんだけどな
その辺については晋書の列伝に陳寿の項目があるので、そっちに詳しく書いてある
陳寿の師から歴史書編纂を学び、ライフワーク的にまとめていたものが
晋の役職も辞した陳寿の元に、お前のまとめてる歴史書をよこせ。と言われて提出しただけだったりする 0889アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:27:03.27ID:Pfda2oFj0
近江の主力は彦根の息長氏。九州にも存在しない大規模な鉄器攻防が存在。
半島の騎馬民族は重い鉄器を半島から運んできてこの勢力と戦ったのかなw
そして、黄河系のDNAは日本では非常に少ない気が
0890アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:28:12.57ID:Pfda2oFj0
そして、黄河系のDNAは日本では非常に少なく半島系騎馬民族の痕跡はない。
0891アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:28:46.98ID:QOO12LfF0
>>888
だからいろいろ書けたんだね
ふむ(´・ω・`) >>887
海人族のどこが騎馬民族なんだ?
どうも邪馬台国議論はこういう事実と願望の違いが分からないアホが多いな >>889
3世紀当時はまだ日本で鉄原料が国産化されておらず
全量朝鮮半島からの輸入だったとされている
それが出来たのは半島と行き来する航路と航海術を持っていた北部九州の海人族だけ
>>885とピタリと符合する 最初は当然大陸から近い九州が発展して行った筈
だったら邪馬台国は九州で成立し
その後ヤマト政権になり近畿へ移って行ったと考える方が自然じゃね?
何で九州すっ飛ばしていきなり近畿なの?
0896アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:43:28.94ID:02t11oqg0
隋唐は三国志の於夫羅や去卑や拓跋力微や莫護跋の子孫www
0898アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:51:02.30ID:9xYm1xWd0
>>895
もちろん中国の最先端のものは、最も近い九州にも最初導入される
が、最大化するには九州というのは日本列島の端っこ過ぎて適さない
水田なんかが良い例で
最初は佐賀県の菜畑遺跡には紀元前10世紀には伝播してるが
最大化したのは奈良県の中西遺跡の紀元前5世紀 0899アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:58:30.87ID:9xYm1xWd0
>>894
日本で自前の銅を作れたのは、鉄よりも後、銅山が発見されてから
銅製品は日本列島に広く分布する(鏡とか銅鐸もだね)
また鉄鋼鍛治工房にしてもしかりで、吉備だったり淡路島だったり、関東ですら鍛治工房があったりする
原材料の輸入経路を一手に独占していた。という訳ではないのだろう 0900アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 20:59:56.06ID:9xYm1xWd0
>>897
海人族でも南の隼人のルートにしか見えないけど? 0901アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 21:06:07.54ID:OOag4DWm0
琵琶湖の鳥形については弥生時代中期に伊勢遺跡の近くにある下之郷遺跡から見つかっている
弥生時代後期になると息長氏の本拠地であった長浜や彦根など琵琶湖北部からも鳥形が見つかるようになる
息長の枕詞は鳰鳥の
鳰は平安時代に作られた和製漢字で鳥に入ると書いて水に入る鳥を表しているらしい
ちなみに鳰鳥のは葛飾に掛かる枕詞でもある
まだ見つかってはいないが葛飾辺りも弥生時代後期鳥形の国作りに参画していた可能性もある
0902アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 21:20:36.49ID:OOag4DWm0
息長鳥と書いてシナガ鳥と読む枕詞がある
息長鳥は猪名や安房に掛かる枕詞である
箱根の東側の神奈川の地はかつてシナガ国であった
箱根の西側は弥生時代後期になると登呂遺跡など静岡市、沼津市、細江町の5つの遺跡から鳥形が見つかっている
全て摂津の玉津田中遺跡の鳥形と同じ形の鳥形である
摂津の地はかつて猪名国であった
箱根には猪に纏わる言い伝えがあり、神奈川の寒川神社の御神体は猪の頭である
琵琶湖北部の伊吹山の神さまはヤマトタケルの話にも出てくる白い猪であった
>>897
海産物の獲れる場所は気候でコロコロ変わるけど(現在ブリ・トラフグ・伊勢海老などが北上中)
縄文人
弥生人
古墳人
国巣(全国に分布、王権に帰順=佐伯、討伐対象=土蜘蛛)
倭人・倭国(九州に地盤、紀元前後から大陸と交易、呉太伯の末裔を称する)
日本(畿内に地盤、出自に天孫神話を持つ) 0904アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 21:43:08.85ID:GU6Tgyuc0
剣・鏡・勾玉の三種の神器セットは壱岐の原ノ辻遺跡
からも出土しているようだ
0905アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 21:57:15.78ID:OOag4DWm0
摂津の猪名川は弥生時代の早い時期から灌漑設備を持つ高度な稲作が行われていた地域である
弥生時代後期になると猪名川の稲作を行なっていた集落は急激に規模を縮小する
仮説に過ぎないが弥生時代後期、猪名川の稲作集団は静岡に移動して登呂遺跡を作ったんじゃなかろうか
弥生時代後期に誕生した登呂遺跡からは区画化された水田跡が見つかっている
駿河国風土記には神女降臨神話が書いてある
神女の軽い衣は松に掛けてあったとある
全国に羽衣伝説が残っているが衣を掛けてあるのは松や岩である
偶然か、香川の高松、島根の松江、石川の小松と松の地には鳥形が見つかった弥生時代の大集落が存在する
0907アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 22:28:29.12ID:OOag4DWm0
大量の鳥形が見つかっている石川の小松の八日市地方遺跡は大量の木製品が見つかった勾玉製造の大集落である
瀬戸内海、近畿、東海など広範囲の搬入物もあり、広域で交易が行われていた
弥生時代前期の樫の鳥形が見つかっている松江の西川津遺跡は港がある漆器など木製品の一大製造拠点であった
西川津遺跡の樫の鳥形と同じ形の鳥形が見つかっている大阪の池上曽根遺跡からはサヌカイトの剣や石槍、数千点に及ぶ紀ノ川産の石から作られた石包丁のある石器の一大製造拠点であった
池上曽根遺跡からは石器の祠や木製の男根も見つかっている
唐古・鍵遺跡では大量の木製品が作られていた
弥生時代後期にはかなり交易が盛んになり、集落毎の分業体制が広範囲で築かれていた
0908アフターコロナの名無しさん2024/02/19(月) 22:54:44.32ID:OOag4DWm0
稲作をメインにする集落、物作りをメインにする集落が山陰北陸近畿東海など広範囲に渡り交易で繋がるのが弥生時代後期である
北陸、近畿、東海の真ん中に位置する野洲川に首長たちが集まり祭祀を行なっていたのが伊勢遺跡である
伊勢遺跡では夜に水の祭祀が行われていたと考えられている
水の祭祀に関係すると考えられる漢風諡号は安寧である
安は、新婦が廟にお参りをして清めをし、嫁いできたことを祖先の霊に報告し、嫁いできた家の霊を受けて、この家の人になる儀式をしていることを示している漢字
寧は、屋内に水盤を置いて神に願い事をし、心を安らかにする意味の漢字
伊勢遺跡に首長たちが集まり祭祀を行なって婚姻を結んでいたのではなかろうか?
出雲の大国主をはじめ日本の神々は結びの神さまが多い
大和国風土記にも石津神と天津神の三都のまぐわいは婚姻のことという記述があった
因みに安寧天皇の片塩浮孔宮は『古事記伝』『大日本地名辞書』によると柏原市が候補地になるようだ
柏原には奈良から降りてきた龍神が留まり大和川の治水を行った伝承が残り大和川の辺りに弥生時代後期の大集落跡が見つかっている
伊勢遺跡と同じ時代にできた集落跡である
柏原は面白いところで、青谷上寺地遺跡の人骨から復元した人物のそっくりさんに柏原市の人が選ばれたと一去年辺りにニュースになっていた
『和名類聚抄』には「河内国大県郡鳥取郷」とあり、古代の 寺院・集落跡があって「鳥取千軒」とも呼ばれてきた、柏原市青谷(あおたに)の周辺であろうといわれている
0909アフターコロナの名無しさん2024/02/20(火) 00:07:06.41ID:lGyN0/uX0