【考古学】吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」で国内最古級とみられる銅剣・鋳型が新たに発見 佐賀 (動画あり) [ごまカンパチ★]
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https://news.yahoo.co.jp/articles/b1032692381ddecebabb444f301549e019a852eb
※ソースに動画あり
発掘調査が続く吉野ヶ里遺跡のいわゆる「謎のエリア」で、国内で最古級とみられる銅剣や、銅矛を作る際に使われたとされる鋳型などが新たに発見されました。
吉野ヶ里遺跡の北側の「謎のエリア」で去年12月に新たに見つかったのは、国内で最古級とみられる弥生時代中期の鋳型2点です。
見つかった鋳型のうち1点は、両面が銅剣や銅矛を作る際に使われていたと推定されています。
朝鮮半島の石材に類似する角閃石岩で、角閃石岩が吉野ヶ里遺跡から出土したのは初めて、県内では小城市の土生遺跡に続き2例目だということです。
一方、もう1点は去年9月に出土した鋳型と同じ個体のもので、今回は銅剣や銅矛の刃の部分だということです。
2点は去年4月に発見された石棺墓から、南西10メートルほど離れた場所で見つかったということですが、
時期などから見て弥生時代後期のものとみられる石棺墓との直接的な関係はないということです。
県は15日から吉野ヶ里遺跡展示室で今回発見された出土品を展示し、35年前に「吉野ヶ里フィーバー」が巻き起こった2月23日には講演会も予定しているということです。
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マジでこの国の闇は深いからな 古代日本は最初は魏呉蜀の内の呉とだけ交易できてたのが、
その後、魏が帯方郡を手中に収めたことによって魏とも交易可能になったんだよな >>4
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カムサハムニダ、韓国兄さん。
クソジャップはゴッドハンド(笑)で歴史を歪曲しないでね?(´・ω・`) どうのつるぎではどうしようもない。
せめて、はがねのつるぎからいこうや。 銅剣や銅矛は北部九州以外からの出土は無い
ので話題にする必要は無い、当時の本州はすでに
鉄剣が使われていた。九州は時代遅れ 呉由来の物品と魏由来の物品は、はっきり区別しようぜ 日本人は日本列島で誕生してそこからY染色体Dを広めた!アフリカから来てない。 太古に日本人は新しい人類のプロトタイプとして創造された
ゼータレチクル人とプレアデス人の遺伝子が
混入されている
教育は主にプレアデス人がやった
日本人以前に色んな人類種が創造されたが
いづれも不完全な未完成品だった 邪馬台国は畿内説より阿波説のほうがおもしろい
てか、邪馬台国って、何をもってして邪馬台国だと断定するのだろうね
墓にしても何をもってして卑弥呼の墓だと断定するのだろうね
邪馬台国は滅んだと言われてるけど、移住した先に墓を作り直した可能性はあるのかね?
どういう滅び方をしたのか知らんけど、墓荒らしとかいなかったのかね?
出土品が大量に出たからってのはどこまで根拠になるのかね?
数十年から数百年の誤差がある考古学で本当に邪馬台国なんてものを断定できるのかね? これは佐賀がヴィンランド佐賀だから。
ある意味当たり前。 >>19
キミの主観はいいんだよ
阿波が伊都国と証明もされていなければ、伊都国とするだけの物証すらないし
なにより俺は阿波説のほうが畿内説よりおもしろいと言ってるだけ
邪馬台国は阿波だなんて決め付けも思い込みもない
所詮、各々が都合のいい解釈や下手すりゃこじつけをして
自分が目指したい答えを前提に仮説を言ってるだけなのだから
俺はそれを傍観しているだけ 沖縄から北海道まで似た言語だったのが機内辺りに独特の訛りの集団が現れてそこからじわじわ南北に侵食していったって話面白い
沖縄人もアイヌも顔濃いもんな 俺は九州説だけど、徳島県の吉野川にある日本最大の中洲「善入寺島(粟島)」に住んてた3千人の住民を強制的に島外へ転居させて、十数基の古墳と神社をダイナマイトで爆破したのが何の為だったのか知りたい >>008
>古代日本は最初は魏呉蜀の内の呉とだけ交易できてたのが、
>その後、魏が帯方郡を手中に収めたことによって魏とも交易
狗奴国には、卑弥呼弧素(男性の官職名と考えられている。
男性のイタコ:シャーマン。)が居り、呉と交易があった。
卑弥呼は、九州王朝と言われている『倭』の一部。倭の別種
である日本は記紀を表し、その記述に観られる『土蜘蛛』の
中に、『九州王朝の倭』埋没しており、日本の神武東遷とい
う一方的な伝説で修正されている。が、実際は、縄文海退の
時期には、今の水深100−200メートルの場所に文明があり、
縄文海進で、高台であった今の平野部に逃げ込んで、文明を
作ったが、実際は、ムー大陸などと言うモノはないわけで、
基本的には、ミクロネシア、マクロネシア系の文明から、縄
文文化が連綿と繋がっており、結局は、その都度、継体王朝
やらによって、転覆されている。雄略朝、武烈朝が、あしざ
まに記紀に描写されているのは、王朝交代があったことを暗
に、明に記しているのだ。九州王朝に、賛珍斉興武に相当す
るが皇帝・神がいた。継体朝以後の天皇は、タダノ背乗り。 邪馬台国は九州説で完結しろと
卑弥呼は個人名ではなく、職名ということで
シャーマンが埋葬されたのだろう いくら掘り返しても文献がないんだから謎が増えるだけでしかないよな イギリスの場合は、もっと悲惨。巨石文明の建設者の
遺伝子解析で、トルコ系であり、スペインの一部の地方
に居住している部族と近似していた。しかしながら、そ
の巨石文明よりもまだ、前の文明があり、その当事者も、
巨石文明を作り上げた種族とは違っている。日本でいえ
ば、神武東遷というのは、旧満州・東北地方に居住して
いた扶余族が、朝鮮半島に侵入し、百済系となり、その
人質という表現がある豊章が武寧王として、朝鮮に帰国
した。が、人質の入れ代わりの記載がない。その違いが、
新羅(白城、辰韓、秦韓、中国系朝鮮人)の金春秋の代
わりに金多遂を人質として入れ替わっているのですが、
余豊章の代わりの記述がない。そのため、天智帝が余
豊章の正体とか、天武帝が金春秋か金多遂だと言う推理
する作家が出てきた。が、……。?? 親の代まで佐賀の福岡人だが佐賀人って他の九州人と明らかに顔が違って目が細くつり上がってる人が多い
朝鮮半島から渡ってきた人々の子孫は多いと思う 日本人「何か面白いものが出たらいいな」
九州人「何か面白いものが出たらいいな」
近畿人「何も出るな!何も出るな!何も出るな!」
この民度の差たるや >>35
日本人「そもそも、魏志倭人伝にどれほどの信憑性があるのかなぁ」
九州人「もしかしたらこれが邪馬台国の証拠になるかも」
近畿人「何をどうこじつけてでもココが邪馬台国だったということにしろ!」 >>6
神社が建っていてそこだけ発掘出来なかったエリアだったから。
神社が移転してやっと発掘出来るようになったら
石棺やらなんやら出てきた >>10
女王を共立してた国の一つかと思われ
地名からすると鳥栖国かと >>14
鉄剣
てっけん
鉄製の剣。日本では石剣、銅剣にかわって、弥生(やよい)時代中期中ごろに出現する。
現在、弥生時代に属する鉄剣は北部九州を中心にして60例ほど出土している。
技術の発展過程を考えると
まず加工しやすい銅が先に普及し
次に鉄の時代が来る
本土に銅がないということは銅の時代に文化がなく、鉄の時代になってから初めて北九州から輸入、又は導入されたということになる。 三国志魏書第参拾巻烏丸東夷伝の章の倭人の項に
ある通りに進むと、有明海になると言う説がある。
そういう意味では、吉野ケ里遺跡は、邪馬台国に
非常に近い。文献論的には、大和ではなくて、
山門(やまと)という地名が、福岡市西区の
姪浜に近いところにあるので、そこがヤマト
であるという、九州説を強く支持する物証
(地名)がある。 >>18
親魏倭王印がでりゃ議論の余地ないだろ
卑弥呼(の外交官僚)は文字を使ってたから金石文が出ることも絶無じゃない
未発見の遺跡に眠ってる可能性はあんまりないだろうが >>42
魏志倭人伝の原本、またはより古い写本が発見されたら終わるかもね >>42
墓を必ず傍に作る
奪われた物ではない
この辺を証明するのが無理じゃね
>>43
今更見つからんのでは? 連邦制だったわけだし首都が固定されてなかったとしても不思議では無いな
特に女王は象徴としての意味が大きかっただろうから持ち回りで御所が移動してたとしても不思議では無い 魏志倭人伝って日本の老人が何故か後生大事にしてるけど
正史と言っても、別冊だから
要は付録。補完資料。しかも日本専用の資料じゃなく
色々ある中に「日本」という項目があってそこに数十行書いてあるだけ
当時の技術力じゃ、本当の事を書こうとしても間違いがあるかもしれないし
政治的な事で書けない場合もある
別冊の補完資料なんてそんなに気合入れて作るもんでもない
学者はもう、邪馬台国が何処なんて論争はしてない
やる時は、老人達からお布施を回収する時だけ
今はもう邪馬台国がどう大和朝廷に変わったのかを議論してる
邪馬台国が何処にあろうが、老人達の人生には何も影響はないだろうに
学生運動みたいなもん?若き青春の日よもう一度みたいな
桐島も死んだんだし、そろそろ青春の日々の思い出とか忘れなよ 邪馬台国の時代に奈良纏向から王権が拡大したで異論はないが、どういうルートでヤマトが成立したのか分からない
https://i.imgur.com/EmXw7Sk.png 朝鮮人固有の遺伝子分布
O1b2a1a2a (L682)
https://i.imgur.com/IjCtWvl.png
https://i.imgur.com/xC1pcXK.jpg
O1b2a1a2 (F2868,F3110,K4)日本列島
O1b2a1a2a (L682)朝鮮半島 >>8
邪馬台国かどうかは知らんけど
2〜3世紀の鉄の鏃が大量に出土してんだよな
九州を南北に分けるかのように
九州南部は呉と交流があり大量の武器が出回っていた
そして北部九州は魏と交流できるようになり、九州で魏呉の代理戦争をやってたんだろなーと想像してる これ手塚治虫の日本列島騎馬民族説みたいw
方形周溝墓は弥生時代より早い時期に朝鮮半島に大量に発見されている。墳丘墓は支石墓と同じく、中国には見られない墓制で、朝鮮半島南部から伝えられたものと考えられている。
これは弥生人が中国長江地域ではなく朝鮮半島から移住したことを証明している。
北部九州では方形周溝墓は少なく近畿地方に発見され始める。その理由は方形周溝墓を作る集団が北部九州に定住した後、短い時間に近畿地方に直ぐ移動したからだと考えられている。
方形周溝墓は畿内から近江、伊勢湾沿岸の東海西部に定着し、西は播磨から東は関東・北陸の西部まで拡散する。
弥生時代前期中頃に出現し、前期の間に伊勢湾に達した。その後中期中頃に南関東、後期には北関東・東北南部へと拡がった。 >>47
纒向遺跡に対する日本の炭素14年代測定及び年輪年代測定は、なぜか国際基準よりも100年古い結果がでる。
例えば建立と再建が資料によって明確な法隆寺に当てはめると【上宮聖徳法王帝説により推古15年(607年)頃建立・日本書紀により1度焼失し670年に再建】という高校生でも知っている事実に対して、500年代中期という結果が出る代物…
つまり纒向遺跡は卑弥呼の没後100年以降の物という事。
これは日本の考古学会により、危険な【捏造】が行われている証左であろう。 >>38
古代の人がそこが神聖な場所だから神社を建てたということか? >>54
神社が建ったのは江戸時代後期らしい
ただその辺りで一段高くなっている一等地的な場所だから
弥生時代でもそのエリアは上級国民が占有していたんじゃなかろうか 時代があわんやん
徐福の400年後が卑弥呼か
誰やこれ言ったの >>44
出土物が他所から持ち込まれたものだという証明はそう考える奴が自分でやるべきこと
吉野ケ里の埋葬者が現地人だというのをいちいち証明する必要がないのと同じ >>46
倭人伝を読んだこともないのに妄想書いて楽しいか? しっこく!しっこく!🙅♀(四国 阿波説)
ソース:ダイナマイト四国氏「邪馬台国は存在しない。大和国があっただけ。卑弥呼は当時いた有力巫女さん。九州説・近畿説のバトルは研究費乞食のためのプロレス。ソースは女中のキレのある動き😊」
https://youtu.be/RU4bouDoMeo?si=7rzGP1cIaP3SsYXe >>40
弥生時代の後期、卑弥呼の前にすでに彦根に国内最大規模の鉄器工房が発見されている。
https://mainichi.jp/articles/20161018/k00/00m/040/063000c
つまりこの時代の九州における畿内への鉄器の優位性の根拠が飛んだ。 >>65
彦根市教委によると、稲部遺跡は弥生時代後期から古墳時代中期まで
九州は紀元前から中国と交易してましたよw >>47
纒向の遺跡と類似の祭祀跡が滋賀県の伊勢遺跡で発掘され。伊勢遺跡の方が纒向より古い。近江には最大級の鉄器工房と大規模な水田跡もでて来ており中国から輸入した剣も出てきたりと卑弥呼直前は国内の最大勢力であったことがほぼ疑いない状況。
この勢力が奈良に勢力を拡大し新都として作ったのが纒向ではないのか?との研究が急速に進んでいる。 >>66
交流は早かったかも知れないが卑弥呼の時代には畿内の勢力が鉄器でも圧倒していた。 彦根で鉄器工房が発見されたのが2000年代以降。これで九州勢力が畿内に進出した論が消え九州の小国のローカル女王説が残った。 ちなみにたった今
弥生時代鉄器分布
でググった一番上
弥生時代の鉄器の大半は、朝鮮半島南東部で生産されたものが九州北部を一中継拠点とし て、本州島に広域流通したとみる考えが有力である。
したがって、日本海沿岸部および瀬戸内 海沿岸部に立地する遺跡は、主としてそれぞれ西方からの水運による鉄器流通を想定すること ができる
2021/06/16
ホント、畿内派って嘘付きやなw >>76
だから2016年に国内最大級の鉄器工房が彦根で発見され。それまでの議論が無価値になった。 >>77
畿内が圧倒していた
なんて一言も書かれてないぞwww
>>71はあなたの妄想、又は嘘 >>76は2021年の日付
そして畿内派がドヤ顔で信心してるのは2016年の記事 >>47
東瀬戸内海の勢力が大和を支配で問題ないんじゃないの?
最初期は各地豪族共立だったと思うが
世代重ねると直ぐに土着豪族化してて
東瀬戸内海からの影響はなくなる
継体もそうだったし違和感はない 「邪」馬台国
「卑」弥呼 こんな当て字で記述される国や人がいた事が それほどうれしいか? >>83
差別が恥ずかしいのはされてる側じゃなくてしてる側だよ >>72
この資料の根拠は畿内には鉄器工房がないからという前提で作られた資料。 このスレは吉野ケ里遺跡のニュースだから
倭国大乱時代の話をしようや
どうしても邪馬台国を引きずるんだよな
邪馬台国纏向説から崇神王朝が実在した可能性まで出てきて、神武東征だけ史実でないとは考えられないと思う
神武以前のナガスネヒコ政権はどんなだったか、東征開始前の九州での神武政権はどんなだったか、
神話以前の時代は分かりやすいキーワードがなくて注目されにくいだろうが
吉野ケ里遺跡が邪馬台国でなくったって、倭国大乱時代の遺跡だったって、まだまだ興味は尽きないと思う >>79
日本語が理解できるかどうかの分岐点。
広瀬和雄・国立歴史民俗博物館名誉教授は「鉄器は当時の権力を支えた物の一つ。立地も含めて、この地の政治基盤のあり方を語る上で大きな意味を持つ」 >>52
方形周溝墓が若狭湾や琵琶湖から日本に入った可能性はどうなの ちなみに、朝鮮学校では騎馬民族征服説を正しいと今でも教えており。彼らのアイデンティティ。メディアにも脅迫もしてくるw もともと日本に居た人達をなき者にして
都合よく神話作ったんじゃないの?しらんけど 銅鐸の時代編年と分布変化が、
記紀の大国主の國造や国譲りの変遷に一致するため、
銅鐸が大国主が國造のために使用した
祭祀の道具であることが確定している。
その銅鐸の最も初期の福田型銅鐸の型と製品が、
吉野ヶ里と安永田遺跡から出土し、
銅鐸が吉野ヶ里から出雲にもたらされた
祭祀の道具であることが確定しており、
ソレラを記紀で紐解くと、
吉野ヶ里から出雲荒神谷遺跡に銅鐸銅剣をもたらした人物とは、
スサノウのミコトということが確定する。 この吉野ヶ里のすぐ近くに、
スサノウを祀る櫛田神社があり、
大蛇退治の伝説も言い伝えられている。
コレが紀元前3世紀から言い伝えられていたのだから驚きだ。 >>18
大差なくつまんないよそれも
くだらん論争増やすだけ >>52
方形周溝墓の原型は伊都国の平原遺跡だよ。
コレが邪馬台国の姫達を輩出した外戚の国で、
天照大神が居た場所だ。
コレが丹後に進出し丹後王国を形成して、
神功皇后を輩出して、キングメーカーとなり、
垂仁の系統の男子が王位を継承するシステムが始まった。 元伊勢籠神社の豊受大御神が、
邪馬台国でいう臺與で、
この時代に北部九州から丹後へ進出した。
臺與の墓は赤坂今井墳墓で、
ここを発掘すると畿内説が崩壊しちゃうから
畿内説のヤツラは埋め戻しちゃったwww >>85
資料は単に発見された鉄器の数のデータだよ >>88
邪馬台国は畿内にあって欲しい
天皇家、大和朝廷は邪馬台国の時代やもっと古い時代から続く由緒ある存在であって欲しい
という願望に引き摺られてるだけだね この銅剣の型が荒神谷遺跡の銅剣とどう関連するのか?
その後の展開はそこだろうな。 >>43
魏志倭人伝の原本には、
「水行10日陸行1ヶ月」ではなくて、他と同様に
ちゃんと里数で書いてあったという説も。
だれかが水行陸行に書き替えた、と。
帯方郡からの総里数は12000里なのだから、
邪馬台国までは既出との差引で1500里。畿内説は成立しようがない。 >>87
左翼と思われたく無いから書くけど
俺は万世一系を本気で信じてるよ
ただ万世一系の始まりの時期に関しては
紀元前660年ではなく
4世紀の崇神天皇からだと考えている
理由は古代天皇の異様な長寿
140歳越えの人間なんかいるわけないし
実在が確認されてる天皇では100歳越えどころか90歳越えすら今までいなかった
今は上皇陛下が記録更新されて下さったけどね
古代天皇の異様な長寿が無ければ実際の大和王権の始まりはかなり新しくなるわけで
その始まりが邪馬台国より前になるとは考えられない。 2017年に崇神天皇とされる行燈山古墳の発掘調査が行われ、
遺骨のDNAが分析されており、
現天皇家の一族と一致していることが判明しており、
騎馬民族説や継体天皇王朝交替説は完全否定されている。
行燈山古墳は実際にはもう少し後の時代の古墳で、
垂仁の息子か孫の墓だろうが。 >>99
邪馬台国は九州にあった。卑弥呼は女酋長。
江戸時代の本居宣長がけっきょく正しかった。
卑弥呼は後代のヤマト王権とはほぼ関わりないと思う。
(同じ天孫族の遠い縁戚ではあるかもしれない。) >>104
邪馬台国は神功皇后の祖先の彦坐王の国で、
倭国大乱の狭穂彦王や狭穂姫、
卑弥呼の時代には都市牛利=(丹波)道主牛命として男王が登場する。 もちろん、邪馬台国卑弥呼=倭姫命(ヤマトノヒメミコ)だ。 弥生時代中期か
まあ剣は昔から九州北部を中心に見つかってるから
それを裏付ける材料の一つ、ってだけで特に新しい発見でもないかな
親魏倭王の字でも掘ってあれば話は別だけど また、前3-2世紀頃の山陰の弥生の遺跡からは、
サメの線画の描かれた土器や武器が出土しており、
大国主が助けたとされる因幡の白兎をいたぶった、
サメの部族が居た事が考古学上確定した。
そして青谷上寺地遺跡や土井ヶ浜遺跡の童子を含む凄惨な殺傷遺体が、
サメの部族に殺された白兎のような部族であることも分かったのだ。
そしてこの土井ヶ浜遺跡や青谷上寺地遺跡の凄惨に殺された童子を含む遺体が、
形態学上紀元前3-2世紀の中国山東半島の遺骨と
同一部族であることが分かっており、
またDNA解析によって斉国の臨淄の遺骨と完全一致することが判明しており、
前3-2世紀の斉国の臨淄から童子を連れて日本にやってきた人物=徐福であることが確定している。
コレによって因幡の白兎伝説が紀元前210年直後の歴史というポイントが決定したのである。 >>104
天皇家に三種の神器の文化が引き継がれている以上
九州北部に存在した国と全くの無関係とは思えないかな スサノウや大国主が紀元前3世紀に実在した事が確定すると、
スサノウの兄弟姉妹の天照大神も、
紀元前3世紀頃に実在した事が確定し、
スサノウが吉野ヶ里周辺出自の部族であるので、
天照大神が居た高天原は、
伊都国を中心とした博多周辺に実在した女王であることが確定している。
その天照大神を祀っていたのが倭姫命であり、
伊勢に進出する前は当然伊都国や博多周辺で、
天照大神を祀っていた巫女ということになる。 記紀の婚姻関係を分析してみると、
孝昭、考安、孝霊、孝元、崇神が、
吉備から瀬戸内海周辺を制し畿内に進出した部族であることが分かる。
一方、垂仁景光が日向から吉備津彦の娘との婚姻関係を通じて、
大和に進出した部族であることが分かる。
垂仁=生目=伊支馬であり、
邪馬台国の長官であり、
彦坐王の娘の日葉酢媛命との娘が倭姫命であり、
この面でも、邪馬台国が彦坐王の国で、
邪馬台国の卑弥呼が倭姫命であることが分かる。 卑弥呼が魏から授かった鏡は、
方格規矩四神鏡の青龍3年鏡が出土した事で、
方格規矩四神鏡が魏の時代以降に作られた鏡があることが確定し、
時代編年を魏の時代に下げて編年し直さなければならなくなっており、
また鏡に記された銘文も、
火の国漢から土の国魏に変化した事を
物語る鏡が北部九州に出土していることが分かっており、
それに応じで魏鏡期を設定しなければいけない事が分かっているが、
ソレをやると平原遺跡の方格規矩四神鏡が魏から授かった100枚の鏡の一部であることが確定し、
三角縁神獣鏡が魏から授かった鏡なる畿内説が崩壊してしまうので放置されている状態になっている。 また、銅に含まれる鉛同位体比の分析によって、
平原遺跡の方格規矩四神鏡が、
同一工房で作られ、
魏の領内の銅を混ぜられ作られた特異な成分の
銅鏡であることが判明しており、
これらが徐州の銅山を呉にとられ、
銅銭の流通すら難儀し、
魏の領内の銅を使用して銅鏡を作らざるを得なかった
魏の時代背景とも一致する結果になっている。 北部九州の甕棺墓の時代編年から、
甕棺墓末期のkfv期の甕棺墓が、
平原遺跡から出土している事が分かっているが、
コレが時代として卑弥呼の死亡時期と同時代であり、
平原遺跡が卑弥呼の死亡時期と同時期に作られた方形周溝墓であることが分かる。
この周溝から、巫女の姿をした女性の遺体が折り重なる様に16体出土しており、
卑弥呼の時代の殉葬のスタイルも判明している。 甕棺墓時代編年末期のkfv期の甕棺墓が
出土する墓が
北部九州の祇園山古墳であり、
巫女の差し違い遺体も出土しており、
66体の殉葬が推定される遺跡が祇園山古墳で、
平原遺跡の16体の巫女の殉葬と合わせて、
合計82体の殉葬が卑弥呼の死亡時期と同時期に、
北部九州に設定する事ができる。 邪馬台国の超重要拠点たる伊都国の、
卑弥呼の死亡時期と同時期に作られた墓が方形周溝墓であることで、
邪馬台国は初期の前方後円墳の
築造を権威の象徴とする勢力
なる畿内説は完全崩壊しており、
現在は跡形もなく消え去っている。 また、大陸からの贈り物を管理したと
魏志倭人伝に明記されている伊都国の、
卑弥呼の死亡時期と同時期に作られた平原遺跡から、
大量に出土する舶載鏡の中に、
三角縁神獣鏡が一枚も出土しない事で、
畿内から多数出土する三角縁神獣鏡が魏から授かった100枚の銅鏡なる畿内説は、
完全崩壊しており跡形もなく消え去っている。 >>111
ところどころ変なこと書いてるね
高天原は当然邪馬台国があった筑紫平野だよ
邪馬台国は移動しているが伊都国のほうへ行ったことは無い >>110
三種の神器は元々は奴国の風習なんだよ
それを卑弥呼が取り入れて
邪馬台国→鏡
奴国→勾玉
出雲→剣
と意味を変えて継承したわけね >>123
残念だが貴方が勘違いしているだけだぞ。
伊都国は邪馬台国ではない。
魏志倭人伝に書いてあるだろう?? 高天原は当然邪馬台国のあった筑紫平野だ
伊都国周辺が高天原だとか糞寝言も良いとこ 邪馬台国はヤマト国で山門国のこと
卑弥呼の時代に御井に移った
それがいわゆる邪馬台国のこと
御井は筑紫平野の軍事的要衝だからね
卑弥呼の死後、甘木・朝倉地方へまた移動した
これが安本美典の言う邪馬台国
その後奴国と融合して太宰府政庁へ都を置き(倭国)
そこで滅んだ
これが史実
. 紀元前700年前の朝日遺跡(縄文ゲノム5%の軍事都市)と同じ集団と思われる渡来系遺構が紀元前300年前の秋田地蔵田遺跡や新潟佐渡島に現れる
日本に邪馬台国があったならますます何処のことだよと 邪馬台国は北部九州でまちがいない
ただ政治的な思惑で、近畿説をゴリ押ししてくる連中がいる。。 邪馬台国はヤマト国で山門国のこと
山門が発祥の地だから山門国って当たり前な話し
卑弥呼の時代に御井に移った
それが魏志倭人伝に言ういわゆる邪馬台国のこと
御井は筑紫平野の軍事的要衝だから
狗奴国(球磨国)の軍事的脅威に対抗するため
卑弥呼の死後、甘木・朝倉地方へまた移動した
これが安本美典の言う邪馬台国
その後奴国と融合して太宰府政庁へ都を置き(倭京)
そこで滅んだ
これが史実
. 愛知県朝日遺跡
全国でも有数の大規模集落遺跡である[10][11]。戦乱の弥生時代をイメージさせる遺跡としても注目され、集落間の闘争の歴史と住民の生活の変化とその状況の両方を知ることができる[12]。
特に弥生時代中期は、他の集落の住民の襲撃に備え、強固な防御施設を建設していることがわかる[13]。それは、環濠、柵列、逆茂木、乱杭などで、集落を二重、三重に囲む強固なものであった[13]。
これらは、弥生時代のものとしては日本で初めて発掘されている[13][1]。これらの防御施設の発見で、集落が城塞的な姿であったことが分かり、それまでの牧歌的な弥生時代のイメージを「戦乱の時代」へと大きく変える根拠になった[13]。
また、四方に溝を掘り土を盛った方形の墓制(方形周溝墓跡)も発見されており、300基以上も見つかっている。最大のもので、一辺が30m以上もあり、弥生時代中期としては、全国でも最大級の規模である[14]。 帯方郡=ソウル周辺
狗邪韓国=金官伽倻
對馬国=対馬
一支国=壱岐島
末盧国=松浦
伊都国=怡土・糸島
奴国=那の津・那珂川
不彌国=宇美
投馬国=妻・都間
狗奴国=隈・球磨
これらの国々が九州に設定する事ができるが、
そこで出来る空白地=山門八女~大分が、
邪馬台国であることが分かる。 御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓で
背後の広大な高良山神籠石遺跡が邪馬台国の遺構
. >>136
イミフだどアホの糞食い猿w
はい、論破w >>135
ああそれは良いね
分かってるやん
糞寝言書くの止めろな >>135
あと、女王の領域ってのは筑紫平野+山陰だからね
筑紫平野だけじゃないよ 邪馬台国に属していた国々が
狗邪韓国、對馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国
であるが、
このうち王が居たとされるのは伊都国のみで、
その他の国々は王がいない、
邪馬台国の被官がいるだけの国と明記されている。
西暦57年に漢の武帝に朝貢した奴国に、
王がいない状態に卑弥呼の時代にはなっているのである一方、
伊都国には代々王が居たと明記されているのである。 神の手か?
もういいよそういうの
大学院生食い物にしてる教授の話のドラマやっとったわ >>138
オマエはホントどうしようもねえアホだな。
日本語を習得するまで黙ってろ。 侏儒国の侏儒とはスクナビコナのことで
侏儒国とは四国西部の幡多地方のこと
スクナビコナは黒潮に乗って漂流して足摺岬に漂着したポリネシア人
唐人駄馬遺跡の唐人とはスクナビコナのこと
あそこへスクナビコナが丸太舟に乗って漂着したわけな
裸国、黒歯国はハワイのこと
. 海は元々宇美で博多湾のこと
ワダツミとは「幡多つ宇美」のことで
宿毛湾のこと
. >>135
八女大和の真西60キロに宇佐神宮があって
奈良の大和の真西69キロに伊勢神宮がある
天皇家に卑弥呼の金印が受け継がれてないから大和王権は邪馬台国の直系ではないだろうけど
何らかの形で邪馬台国の後継の政権ではあったんじゃないかと思う 佐賀県知事「こ、これで卑弥呼居たことに何とか……」 つまり、邪馬台国において、伊都国は特別な国であり、
また漢に朝貢した奴国が、
卑弥呼の時代までに邪馬台国の支配を受け
王が廃止された状態になっていることを意味し、
ソレは即ち107年に倭面土国王帥升が、
奴国を差し置いて朝貢した事に比定することが出来る事になり、
倭面土国=邪馬台国ということになり、
その際に伊都国は邪馬台国の側で
奴国の制圧に関与したということになるだろう。 >>99 国粋主義ファンタジーってやつ?
神武東征を史実として見直しても、あいつはただの海賊だよ 宇美国は旧糟屋郡のこと
旧糟屋郡の最南端の町が現在の宇美町
宇美と言う国名が博多湾を指すようになり
それが海の語源になったわけな
元々は博多湾のことだよ海って言うのは
宇美国の国王は当然元々は宇美を名乗っていた
元々は宇美の中道の根本近くに住んでいたのだが
奴国の要請で志賀島へ移住した
だから坍(あず)宇美と改名した
坍とは崖のことで、旧糟屋郡の領内で坍があるのは志賀島だけだから
この「アズウミ」が訛って安曇になったわけな
. >>1
ふむ(´・ω・`)
武器は権力の象徴にもなるけど恐らくは軍隊がいたんだろうな
そうなると時代的に覇権国家があったんやろ また、スサノウが吉野ヶ里に居た前3-2世紀に、
太陽観測施設があったのは怡土・糸島の伊都国である。
高天原は天照大神が居た地域と明記されている為、
高天原は伊都国=怡土・糸島周辺であることは確定している。
コレが天ノ岩戸伝説が比定出来る岩屋や博多の櫛田神社までを含む地域が、
女王天照大神が支配していたたであろう。 ワダツミとは幡多つ宇美のこと
安曇とは坍宇美のこと
海の中道とは宇美の中道のこと
. 宇美族ってのはメチャメチャ古くて由緒のある一族なわけね
奴国王も一目置いてたわけだよ
ただ余りに古過ぎて、制度疲労起こして歴史の表舞台からは退いたけどね >>124
「卑弥呼が」取り入れたとは俺は思ってないな
卑弥呼は人前に姿を見せることがなかったというから政治の中心にいたとは思えない
まあそれはそれとしてどんな流れでその三種の神器がヤマト政権に引き継がれたかは気になるところ
普通に考えると邪馬台国の人間がヤマト政権を立ち上げたとなるけど >>155
海の中道は覆面パトカーや白バイがいましゅ(´・ω・`) >>156
何が痛いの
剣は普通に発掘されてるんだから存在してもなんの不思議のない物だろ >>152
吉野が里には見張り台や防柵があったらしいから戦があったのは間違いないと思う >>159
海の中道ってのは由来の良く分からない名前なわけだよ
しかし宇美国が旧糟屋郡のことであることに気づいたら
海の中道ってのは宇美の中道そのものだから
何の不思議も無くなるわけだがね
宇美国の領内で宇美族の元々の棲み家と志賀島を結ぶ宇美の中道だわな
あったりまえの名前になるわけね
. >>161
魅力的な農作物や海産物
戦はやはりあっただろうね(´・ω・`) 倭姫命周辺の人物を見てみると、
先ず一族の初代王が彦坐王で、
その皇子が狭穂彦王、
弟が彦湯産隅命、
その子供が(丹波)道主牛命ということになる。
恐らく彦坐王の時代に、大分別府に彦湯産隅命がいて、
伊都国の川上と同盟し、
奴国を制圧したのだろう。 .
宇美族は奴国王の要請で志賀島へ移住しそこを本拠地に変えました
さて問題です
奴国王はなぜそんな要請をしたのでしょうか?
また、なぜ宇美国はそんな要請を承諾したのでしょうか?
はいみんなで考えよ〜
. 坍宇美って名前も元々は自虐的な渾名みたいなものだったのかもね
やれやれあの坍だらけの志賀島へオレ達移るわけ?
奴国王さんの要請とあっちゃしゃーねーな
いっそ坍宇美って名乗ったれちくしょー
みたいな 107年に邪馬台国伊都国連合が奴国を制圧し、
桓帝・霊帝の時代に、狭穂彦王が投馬国=妻・都間に進出して、
日向南部の生目と争ったのが倭国大乱だ。 >>167
真実もだけどいろんな考察というか視点がおもしろいお(´・ω・`) >>165
とりあえず神話を元に歴史検証すんのはやめてくんないかな
仮説の上に仮説をいくつも重ねた上それを元に「結論」を出すからお前らはタチ悪いんだよ >>13
簡単にはがねなんて言うが当時からすれば
あれ凄いテクノロジーなんだよな >>169
これもよく言うけど「倭国大乱」って言葉に踊らされるなよ
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年
その国男子を王に立て7〜80年、互いに攻め合い倭国大いに乱れる
これが倭国大乱という言葉の元
要は皆権力争いで収集付かなくなったから女王(卑弥呼)を立てどうにか争いを収めました、って話 >>170
真実だから面白いの
オレの話し聞くと不思議と懐かしい様な感情湧いて来るだろ?
お前の日本人としての血がそうさせるの
. >>173
オマエのああ思うこう思うは学問じゃないのバカが。 .
奴国王はなぜ宇美族に志賀島へ移住してくれと言ったのか?
なぜだと思う?
. オレの話しを聞くと
失くしてた鍵が見つかったような不思議な気がするだろ
オレは真実を言ってるからだよ
. 「ここ邪馬台国です!」の看板的なものが出れば証明されるのかな
なにがどうなれば証明されるんだろ .
この話しにはまだまだまだまだ先があるの
オレが言った「日本史を覆す世紀の大発見」ってヤツがラスボスみたいに控えてる
お前らが聞く準備が出来たらしゃべってあげるかも知れない
. >>175
じゃあお前の言う倭国大乱という言葉の元は何よ >>177
俺が決めることではないけどお前のやってることはタチが悪いということは自覚しような 狭穂彦王の墓が西都原古墳群にあり、
宮崎の生目古墳群と対峙している。
男差保塚、女差保塚は、
神功皇后の時代に、
祖先を顕彰して作られた記念塚だろう。
ここが倭国大乱の中心地だったのだよ。
そこで狭穂彦を破った生目氏が、
宇佐の妻垣に拠点を構え、
岡田宮→吉備→大和に進出して行ったのが元で、
神武の東征が創作されている。
妻垣とは、妻の豪族が垣を構えた場所。
投馬国が何処かわからない~とか言う中で、
投馬国=妻であり、妻の豪族生目氏が、
拠点を構えた場所と言い切れる訳で、
この周辺を発掘すれば、
実際に2世紀~3世紀に宮崎南部の豪族が、
拠点を構えてた遺跡が見つかろうだろうな。 >>176
金印と関係があるの?
金印も歴史から抹殺されたけど偶然見つかったの?(´・ω・`) >>179
魏志倭人伝の原本、またはより古い写本
親魏倭王の金印 神武の東征は、
生目氏が日向で狭穂彦王を破り、
宇佐の妻垣に進出して拠点を作り、
邪馬台国の生目長官となって、
娘の倭姫命を女王にして、
息子の景行を吉備津彦の娘と婚姻させ、
その縁で崇神の纏向に進出して行った行程を
元に創作されている事は明らかだ。
そこにニギハヤヒの天の磐船をパクったのが、
八咫烏関連の創作につながってくる。 >>179
7世紀大和朝廷が唐の高宗に朝貢した際に、如何に優秀な天皇一族が劣等な蛮族どもを支配したのかと明らかな捏造プロパガンダを行っている
「蛮族どもは家を持たず稲作をしない」←実際は5世紀堺に須恵器が伝わってすぐに仙台平野で須恵器窯跡が置かれ、青森でも須恵器が庶民の主流になっていた ニギハヤヒの河内を拠点にした大和への天孫降臨は、
大阪湾型銅戈の出土で決定的であり、
コレが国譲りに関係していた事は、
建御名方を信濃に追い詰めていった長野県の柳沢遺跡で、
実際に銅鐸と大阪湾型銅戈が出土した事で、
歴史の事実として確定している。
1世紀中期頃の話しだ。 騎馬民族説や、
継体天皇王朝交替説は、
行燈山古墳の初期の大和王権の
埋葬者の遺骨のDNA解析で、
共産主義者達の妄想であることが確定している。
キチンと考古学の情報を最新のモノにアップデートして、
正しい歴史解釈を再構築しないとな。 わずか1400年前の歴史が全く闇の中という土人国
それが日本 >>38
つまり封印結界を解いてしまった……奴が出てくるぞ 君たちの古代史に関する情報源は、
東京書籍とか山川出版程度だろう??
私は最新の考古学の情報にアクセスしてるんで、
それらから古代史を構築し直すと、
私の書いた様にしかならんのだよ。
君たちももう少し努力して、
考古学の一次資料から歴史を構築できるように
脳をアップデートしてほしいね。 >>192
石棺の幅が異様に狭かったの覚えてる?
巫女が死後に呪術を使えないようにするために
肩を外して埋葬することがあるらしい スサノウが居たことが確定している吉野ヶ里遺跡で、
実際に八岐の大蛇伝説のもとになった治水事業がどう行われたか??
コレが今後のテーマの一つとして重要になってくる。
とりあえず荒神谷遺跡の銅剣との一致点などが、
銅剣鋳型の今後の研究の進展になるだろう。 >>193
阿波邪馬台国説や阿波日本の始まり説をどう思う? >>197
幸福の科学の大川隆法が、
自らの出身地を邪馬台国にして、
自分が邪馬台国の一族の子孫にして、
幸福の科学の宗教としての権威を
補強するために作られた説であり、
邪馬台国関連に見るべきものは何も無い。 神武東征は九州出身の海賊ジンムを呼び込んだ大和王権内のクーデターであり、
首謀者は出雲出身のニギハヤヒだったかな? 彼は教養ある文官だが、人質でもあった
ニギハヤヒとジンムに共通する悲願が「瀬戸内海の制覇」だったので、タイプの違う二人には内紛も無く、征服事業に集中できた
征服事業の一環が纒向や伊勢の原型、ヤマタイコクという太陽信仰の新宗教だったのでは? ここにヒミコが登場する 阿波とかは吉備と同じで、
弥生時代は槨埋葬圏であり、
古墳時代初期に、
大和の槨埋葬にも石板を
提供していることが分かっており、
阿波は邪馬台国ではない事が
確定していると言えるだろうな。 >>205
完全かつ完璧に吉野ヶ里遺跡がスサノウが出自した遺跡であることが確定しており今後コレが覆ることは不可能だ。 >>197
ジンムとニギハヤヒが大和のクーデターに成功した後、協力して瀬戸内海の征服に乗り出したのだが、
三輪山信仰に依存していたヤマトの兵士は、大阪湾から先では三輪山の神の加護が受けられず、士気がダダ落ちするという欠陥をもっていた
これを補うためにでっち上げたのが、アマテラスという太陽神だったんじゃないかと思う
そして、その信仰をテストする(ご利益を実験する)場が、纒向であり、兵士に布教する場が阿波だったかもね
ヤマト王権の勢力圏は大阪湾から淡路島に拡大し、やがて大国「吉備」と対決するに至る >>184
全部喋るには条件がある
考古学会は学会ぐるみで弥生時代の時代区分を捏造している
それを認めて修正することが条件
弥生時代後期が始まるのは卑弥呼の倭国大乱の平定から
つまり開始時期を百年も前に捏造している
福岡各地にある甕棺墓列はあれは倭国大乱のときのものなんだよ
甕棺墓列→倭国大乱→あなんだやっぱ邪馬台国は九州じゃん
↑
これ言われたくないばっかりに学会ぐるみで捏造やってるわけな
. 邪馬台国畿内説は、
纏向型の前方後円墳初期の時代の
相似形の前方後円墳が日本各地から見つかり、
ソレが邪馬台国が日本各地を支配していた証ダという説が元になっていて、
その初期の前方後円墳の原型の古墳が阿波から見つかるから、
邪馬台国が阿波から起こったという説の考古学的な論拠となっているが、
邪馬台国の超重要拠点の伊都国の卑弥呼の死亡時期と同時代に作られた墓が方形周溝墓であることで、
前方後円墳を元に邪馬台国を考えることは間違いであることが確定しているのである。 ヤマト王権は吉備と戦う動機など無かったが、
若い頃のジンムは吉備と戦う力が無かったので、
脅すだけ脅して陣を敷かせ、目の前の海を船で素通りするという奇策で逃げた事があった
そういう事情で神武としては、大国である吉備を放置したくなかったのでしょう
それはニギハヤヒにとっては、自分を人質に放り出した出雲との連絡路を確保し、
自分に固有の兵力を得て、出雲とヤマト王権内の両方に地盤を築くという、切実な要求でもありました
そしてそして、大和の宗教改革は、貧乏巫女のヒミコにとって、千載一遇のチャンスでした 結局、平原遺跡の方形周溝墓が
継承されたのは丹後王国の方で、
実際に豊受大御神が
丹後の元伊勢籠神社に祀られている事からも
ソレが正しいことが分かるのである。 さすがに学会ぐるみで捏造やってるような体たらくでは
何を喋ろうが全部無駄になるからね
オレは別に喋らなくても何も困らない
. .
もういい加減こう言うこと止めろよ
誰得なんだよ
そんなだからお前らはバカ猿呼ばわりなんだよ
. 正直言って、畿内説の学者も、
実際には、邪馬台国の継承者が
丹後に進出した事は分かっている。
従って、臺與の墓が強く類推される
赤坂今井墳墓は埋め戻されてしまった。 >>214
纒向で(もしかしたら阿波でも?)行われた宗教改革に対して、
保守的だったはずの伊勢が、アマテラスなどという正体不明の太陽神を祀るようになった理由は何だろうね?
トヨウケとの合祀は、せめてもの抵抗だったかも 古代の世界中の人々は太陽信仰がエジプト文明にもみられるように最も多くて、太陽を一番早く拝む事のできる日の出が最も早い東の土地に向かえばいずれ神に出会えるだろうと古代人達の東の土地への憧れは凄まじいものがあった。
それらの古代の最も優秀な人々は中国の東の端につくと、その地域の住民からまだ東に日本という島国があると教えられ船で日本へと渡り、陸路で日の出の一番早い東へ東へと向かった。そして辿り着いたのが茨城県の鹿島神宮周辺地域でこの場所こそが邪馬台国のあった場所説を個人的には支持している
邪馬台国が鹿島神宮あたりにあった説をわかりやすく解説しているのがこの動画(自分の動画ではない)↓なんで
『完全版』邪馬台国の場所が判明!歴史のミステリーがついに解明される!
これはなかなか説得力があって面白かったので最後までみてしまった >>219
丹後に進出したのが臺與と丹波道主牛命だったのに対して、
伊勢に進出して行ったのが、
倭姫命の身の回りの世話をしていたとされる、
家臣の彌馬升、彌馬獲支の一族だったからだよ。
彌馬升=御間皇子の異名を持つ大若子命、
彌馬獲支=御間皇子の弟の乙若子命。
大幡主命の一派で、伊勢神宮の神官度会氏だ。 弥生時代に剣、鏡、勾玉がセットで出土したのは
福岡県と佐賀県だけで畿内からは古墳時代に
なってから出土しているので東征は古墳時代
初頭に起きた 櫛田神社は伊勢から勧進したことになっているが、
実際にはこの吉野ヶ里の櫛田宮が櫛田神社の一宮で、
そこから博多周辺に櫛田神社が勧進され、
おそらくは大幡主命が一大卒の長官として、
博多の櫛田神社周辺で軍を練り歩いて奴国を支配していたのだろう。
その名残が博多祇園山笠だよ。
ソレが丹後から伊勢に進出して櫛田神社を作り、
伊勢神宮を作ったと言う事だな。 ちなみに大若子命が大幡主命の異名を持つ事になったのは、
夷狄との戦いで活躍して倭姫命から旗を授かった事が元になっている。
コレが狗奴国との戦いで
張政が黄幢を授けて檄を飛ばした
魏志倭人伝の記述と重なって来る。 伊勢と近接する三輪山が大和王権の公式宗教だった
伊勢や尾張はヤマト王権にとって大口のスポンサーであり、古代世界では長良川経済圏の主催者でもあった
というか、ヤマト王権って、有力者が大王になれるような寄り合い所帯だったのね
出雲のニギハヤヒがヤマトに居たのは、そういう事情か >>222
普通に考えりゃ九州に住んでた豪族の一部が畿内に移り住んで大和政権を立ち上げた、となるわな
まあ出雲経由かもしらんが おー、久しぶりの邪馬台国スレ
よーし、おじさん頑張っちゃうぞ 張政は倭国に19年居て、
臺與の使者と共に晋に帰って行った訳だが、
この時期に迦具夜姫という、
竹取物語のかぐや姫の元になった人物が居た訳だが、
このかぐや姫が成人して月に帰っていくというストーリーが、
張政が19年倭国に居て晋に帰って行くのと一致する。
この迦具夜姫はおそらく張政の娘で、
実際には成人して張政と共に晋に帰って行っただろうな。
で、伝承では、大筒木垂根命の娘と言う事になっており、
大筒木垂根命が彦湯産隅命の息子であるので、
張政や迦具夜姫が居た場所は、別府温泉近くの、
安国寺集落遺跡辺りということになるだろう。 で、なぜ安国寺集落遺跡に張政が居たと言えるかと言うと、
この周辺には日本の氏族としては
数少ない張氏、弓長氏が住んでいるからだ。
おそらくは、倭国に残った張政の子供達の子孫が、
彼らなのだろう。 おじさんは倭姫命についてはいろいろググったことが
あるんだけど、そもそもご本尊の「倭姫命世記」が
いろいろと怪しいんだよな。
もちろん伊勢神宮側の反論を鵜呑みにはしてないけど、
成立時期や内容から考えると、やっぱりだいぶ内容が
盛られている感じ。 >>179
親魏倭王の金印か、あるいはいくつもある銀印かだな
曹操のものと同等の鉄鏡が九州から出てるけど畿内説のひとらはこれを絶対に認めようとしない 倭姫命世記の、
乙若子命が倭姫命の世話をした記述が、
卑弥呼の年の離れた弟が、
卑弥呼の世話をしたという
魏志倭人伝の記述と重なって来るしな。 ちなみに卑弥呼は元は「火神子」で、狗奴国の本拠地の
菊池市あたりで阿蘇山を祀っていたのが、倭国大乱後に
女王として担ぎ出されて筑紫平野に移動したものと
考えている。 三種の神器が出土したのは、糸島市、福岡市西区
春日市、佐賀市大和町に限定しているので極めて
限られた範囲、その中で一番新しいのが伊都国の
平原遺跡なので皇室は糸島出身と言う事になる 宇佐の妻垣を発掘することで、
2世紀から3世紀に、
生目古墳群周辺の部族が、
妻垣に進出した事が決定し、
伊支馬長官が北部九州にいた事が確定して、
邪馬台国が山門八女であることを補強してくれるだろう。 あとは博多櫛田神社辺りに、
大幡主命が実際に居て、
一大卒を率いて練り歩いていた事を示す
遺跡が出るのでは無いか?? もちろん、丹後の赤坂今井墳墓を発掘することで、
臺與が北部九州から丹後に進出したことが確定するだろう。 まあ、先ずは銅鏡の時代編年を見直して、
平原遺跡の方格規矩四神鏡が、
魏鏡であることを確定させましょう。 >>225
三輪と伊勢は全然近接してないぞ。地図を見直してみろ。 さらに言うと、高天原とは阿蘇山のことであり、南阿蘇から
R325沿いに高森町を経て高千穂町へ移動したのが天孫降臨で、
さらに高千穂町から延岡市まで移動したのが崇神=神武東征の
前段階でもあるわけだ。 しかし、吉野ヶ里遺跡がスサノウの遺跡であった事は、
近年の銅鐸及び銅剣の出土によって決定した訳だが、
実際にその隣にスサノウ伝承が残っている、
櫛田宮がある事が日本の歴史の素晴らしい所だな。 >>222
東征が古墳時代初期の話なら、大和朝は邪馬台国の後継国家かもな
ただ、神武東征の畿内の川を舟でいく描写を考えると1世紀くらいの地形らしいが 近畿住みだが大陸に近い九州は古来から他の地方より交流はあった筈とは思う 先ず吉野ヶ里にスサノウがいて、
伊都国には天照大神がいた。
そして天ノ岩戸の神隠れがあった。
次にスサノウの出雲進出があって、
八岐の大蛇の治水事業があり、
コレは始皇帝の治水事業の時期とも重なって来る。
この時期に荒神谷遺跡の銅剣が作られたと考えられる。
おそらくはスサノウから天照大神に献上された、
三種の神器の一つ天叢雲剣は、
この荒神谷遺跡の銅剣と同じものだろう。
この後に、大国主が現れ、因幡の白兎伝説が紀元前210年直後にあり、
スサノウの荒神谷遺跡から
銅鐸が加茂岩倉遺跡に伝わり、
銅鐸を祭祀の道具とする國造が始まった。 >>244
弥生時代後期にも河内湖はまだ存在していて、おそらく
水深のある川筋のような所を通って、ちゃんと生駒まで
船で行けたはず。 ちなみに神武が浪速崎から船を使ってたどり着いた
河内国草香邑は現在の東大阪市日下町と言われているが、
その西側には江戸時代後期の大和川付け替えでできた
鴻池新田があり、その当時でも川を船を行き来した水運が
盛んだったようで、弥生時代後期でも現在の大阪城から
寝屋川を通って東大阪市までは船で行けたのではないかと
思われる。 さっき紹介した動画では茨城県の鹿島神宮の周辺には高天原という地名が三つもありこれは古代にこの周辺地域一帯が高天原と呼ばれていたんではないか?と語っていたね。
この近くに御岩神社があって実際山頂まで登った事があるんだけど天の岩戸があったとされた場所もあって縄文時代からあった神社といわれている歴史の深い神社で、邪馬台国で辰砂が採れたと書いてあるが、7世紀の続日本記には文武天皇2年(698年9月28日)の条で伊勢、備前国、伊予国、日向国、常陸国から辰砂が献上されたとあり常陸国が今の茨城県にあたる。
また鎌倉時代にできた日本書記の注釈書(釈日本記)に日高見国の解説があり、常陸国編には第36代孝徳天皇の御大(大化の改新の時代)に茨城に新しい行政府として信太郡がおかれ、この土地は元々は日高見国と呼ばれた地域であると解説されているとも語り、日本という国は大和(倭)と日高見国が合体して出来上がった国の可能性があると語っていた さらに言うと河内国草香邑(日下町)から生駒山を越えて
東へ進むと、国内最大規模の円墳で最近蛇行剣が発掘された
富雄丸山古墳があり、個人的にはそこがニギハヤヒの陵墓では
ないかと思っている。 大国主と共に國造を始めたスクナビコナは、
高天原出自の小人であり、
博多の住吉神社の一寸法師伝説とも重なって来る。
ところがある日突然、スクナビコナは
大国主との國造から手を引いてしまった。
そこに現れたのが大和の大物主命で、
三輪山にオレを祀れば、
國造に協力してやってもいいという。
ここから大国主と大物主の國造がスタートする訳だが、
この時代が銅鐸の主生産地が大和に移った時代で、
コレが外縁紐2が作られ始めた時代で、
紀元前1世紀頃の話になる。 弥生時代の三種の神器は現代とは違って
一代限りで王様が死んだら副葬品として
埋葬されたが、その出土地は限られている この後、三遠式銅鐸などが地方に広がり、
出雲大和の國造は最盛期を迎えるが、
この時期に前後して、
高天原(博多湾周辺の海人族)の国譲りがスタートする。
吉備や瀬戸内海に特徴的な平型銅剣の孝昭天皇系の一派は、
早い段階で北部九州より進出していた。 天の磐船伝説として知られるニギハヤヒの天孫降臨は、
河内を拠点にして大和に進出して行ったと伝わっており、
コレが大阪湾型銅戈の分布とリンクして来る訳だ。
この大阪湾型銅戈が、
国譲りの際に信濃に逃げ込んだ
建御名方を追い詰めていった
長野県柳沢遺跡から銅鐸と共に出土しており、
武御雷の軍団の中に、
ニギハヤヒが居たことが確定している。 イザナギが伊都之尾羽張でカグツチ火産霊を切る話
スサノオがヤマタノオロチを倒す話
元になった歴史があると思うんだよな
ヤマタノオロチの尾から生まれた草薙剣のある尾張には朝日遺跡という弥生時代の遺跡がある
尾張は弥生時代稲作と共に急激に広がった遠賀川式土器の分布の東端で朝日遺跡からも遠賀川式土器が見つかっている
朝日遺跡は紀元前後に大きな変化が起きる
墓域と墓制が変わり、日本海側と共通の墓制になり、松江の西川津遺跡と同じ鳥形が出現する
西川津遺跡からは唯一の樫!!でできた鳥形も見つかっているんだよな
スサノオが最初に出雲に降臨した場所が肥の川上なる鳥上の處で鳥と関係するんだな
元々山陰讃岐畿内北陸は鳥形の地域であったが、弥生時代後期になると若狭琵琶湖北部東海にまで広がる
弥生時代後期に誕生した登呂遺跡からも摂津の玉津田中遺跡の鳥形と同じ形の鳥形が見つかっている
弥生時代後期ヤマト政権誕生の地には讃岐と同じ高地性集落や龍や鳥装のシャーマンの絵画土器が出現する
本当のヤマト政権の始まりは出雲からのスサノオのヤマタノオロチ退治だったんじゃなかろうか?
橿原神宮の石碑には樫と風の歌が刻まれている あと国内最大の蛇行剣が発見された富雄丸山古墳からは
伝出土品としてだが例の三角縁神獣鏡も出ている >>259
伝だから正確なことはもう分からないわけだけど
その三角縁神獣鏡は主墳から出たわけだよね
>>259は作り出しの木棺の上の粘土層に塗り込められてた
蛇行剣と盾形銅鏡が
金錯銘鉄剣の出た埼玉の稲荷山古墳でも
礫槨は中心から外れた新しいもので
レーダー調査では他に古墳造成時の主体部があるとされてる
国宝級の剣が主体部以外に現れて
主体部は平凡な三角縁神獣鏡なのはなにか理由があるんだろうね カグツチを産んだイザナミは根の国から黄泉の国へ、上津国から下津国に移動し、最後は熊野のアリマに葬られる
根の国島根と熊野の間にあるのは近畿地方である
弥生時代出雲地方で栄華を極めていた加茂岩倉遺跡
加茂岩倉遺跡は紀元前後に営みを終える
その後奈良の上牧、堺の陶器、和歌山の黒田など近畿地方から加茂岩倉遺跡の銅鐸が見つかっている
イザナミの勢力は紀元前後に近畿地方に移動したんじゃなかろうか?
同じ出雲の荒神谷遺跡からは大量の銅製品が見つかっている
この銅製品は弥生時代中期後半頃に作られたと考えられていて、剣や矛からは九州北部の特徴が見られるらしい
カグツチと関係があるのか興味深い
カグツチを切った剣、伊都之尾羽張は魏志倭人伝に登場する九州の国、伊都国と何か関係するのだろうか? >>261
当時は鏡のほうが剣より大事だったんじゃね? 邪馬台国については、やっぱり奴国が福岡平野としか
考えられないので、吉野ケ里まで行くのはけっこう
難しいんだよね。
私は投馬国=狗邪韓国説、つまり「邪馬台国は筑紫平野一帯」説
でもあるんで、吉野ヶ里に卑弥呼がいてもおかしくはないんだけど、
まあ、まず無いような気はするな。 >>245
と言うか弥生時代には方位磁針がなかったから日本に上陸するには九州以外選択肢なかったわけで
そう考えると交易の場所はどうしても九州北部になるよね 畿内派の人達は畿内の遺跡に堀が無いとかいくさの痕跡が無いことについてはどう考えてんの?
倭国大乱はデタラメとか? >>266
堀というか環濠集落なら、それこそ吉野ヶ里の楼台の元になった
奈良県の唐子・鍵遺跡とか大阪府和泉市の池上・曽根遺跡なんかも
あります。 ついでに言うと唐子・鍵遺跡はいわゆる大和湖があったとされる
場所の真ん中くらいにあるんだけど、実際は湿地帯を流れる川の
中洲にあった作業場じゃないかと言われている。 >>226
そうなると、なんでわざわざ九州の人たちが畿内に移り住んだんだ?
九州で王朝建てた方が手っ取り早いのでは?
という疑問が湧いてくるな >>269
例えば九州の国で政争に破れた一派が当時の最新の技術を持って
畿内に移住して地元の豪族に婿入りをし、やがて実権を握ったと
いうストーリーも考えられないこともないかな、と。 >>265
距離的に1番近いから理にかなってるわな 俺は近畿住みだが卑弥呼とか九州近畿どっちでもいい本当の事を知りたいのはある ちなみに天孫族のニギハヤヒは奈良の地元のナガスネヒコの
妹を娶っているし、私的には神武と同一人物の崇神は、別名を
ミマキイリヒコといい、つまり「入婿(イリムコ)」であることを
示しているという説もある。 ニギハヤヒって面白い奴だよな
自分の代で権力を掌握しようとせず、派閥を作るのに熱心な「英雄じゃないタイプ」 高天原から派遣された天菩比命や天若日子は大国主に寝返って帰ってこなかったという。
それをなぜかと尋ねる為に雉名鳴女という鳥装のシャーマンを派遣したが、
天若日子が射殺してしまった。
この鳥装のシャーマンが清水風遺跡の土器に描かれているのが面白い。
唐古・鍵遺跡からはニギハヤヒが持っていたとされる大阪湾型銅戈が描かれた土器も出土している。 あと、神武東征のルート、特に熊野から奈良盆地までを
地図を見ながら辿っていくとなかなか面白いぞ。
特に奈良盆地に入る前に宇陀市の菟田野宇賀志に寄ってるんだけど、
吉野川沿いから奈良県道16号に入って、国道166号との合流地点の
吉野村鷲家から今度は市道(?)を通って宇賀志まで抜ける道なんかが
いかにもそれっぽくて、もしかしたら本当にこのルートだったりして、
とか思ったりして感慨深い。 がさつな英雄、ジンム
知略の男、ニギハヤヒ
謎の巫女、ヒミコ
腐女子が好きそうなメンバーだな >>266
最近の畿内説の流行では倭国大乱はデマだそうな ニギハヤヒって九州の国を追放されて地方でスローライフを
送ることになった、なろう系主人公みたいな感じ >>279
大和でクーデターがあったのだから、大乱には違いあるまい?
その後、ヤマトは瀬戸内海へ出兵して吉備や出雲と戦うのだし・・ まあ、個人的には「畿内では倭大乱なんてなかった」派だな >>280
ニギハヤヒは出雲の出身らしいよ
出雲から大和へ来た理由は、たぶん人質交換じゃないかな?
つまり、出雲のトップには成れなかった王族
教育を受けた人物だから、大和で便利に使われたに違いない(不遇ではあるが・・) 後世の四道将軍なんかも遠征とよりもむしろ、交易関係のある国に
「おら、誠意を見せんかい」って脅しにいったようなイメージ 弥生時代後期迄紀ノ川の勢力と和泉の池上曽根遺跡は仲良しこよし
池上曽根遺跡からは紀ノ川産の石で作られた石包丁が作りかけを含め数千点も見つかっている
弥生時代後期の橿原からは讃岐と同じ高地性集落と龍や鳥装のシャーマンの絵画土器が見つかっている
龍の絵画土器は奈良の清水風遺跡や池上曽根遺跡からも見つかっている
池上曽根遺跡の鳥形は島根の西川津遺跡の樫の鳥形と同じ形
弥生時代後期の和歌山の黒田からは出雲の加茂岩倉遺跡の銅鐸
九州の要素は全くなく奈良を含め近畿地方は出雲とべったりである
奈良の伝承では奈良湖の水を巡り鯰と龍が戦い龍が勝ち水を大阪側に流すことになった
奈良湖が存在したのは弥生時代迄
弥生時代後期の大和川の辺りの柏原からは大規模な集落跡が見つかっている
河内の伝承では奈良から降りてきた龍が柏原に留まり大和川の治水を行なった後、堺の方に去り新たな治水の計画を練っていたという
古墳時代前期には河内の石川水系に狭山池が作られ未だに龍神が棲む伝承が残っている
ヤマト政権の始まりはまさに国作りの歴史、これが欠史の本当の歴史だろう
記紀を編纂した者が国作り神話として切り離したんじゃないか >>270
天照大神が天の岩戸に隠れる原因を作った素戔男尊が追放されて畿内に行ったのか >>282
畿内でも大乱はあったと思うけど倭国大乱より100年から200年後の大和王権時代のスメラミコトの座を巡っての争いだったと考察 大和国風土記に
石津神と天津神の三都のまぐわいは婚姻のことという記述がある
石と天は婚姻で結び付き共に国作りを行ったのではないか?
石津川に祀られているのはひるこのえべっさんと五色に輝く石を持つえべっさんである
讃岐の五色台と奈良の二上山は共に旧石器時代からのサヌカイトの産地であった ニギハヤヒといえばこないだ発掘された富雄丸山古墳とかの被葬者のモデルとか大王規模クラスなのに前方後円墳にされなかった辺りとイメージが被る印象 >>287
いや、ジンムとニギハヤヒの意を受けて、出雲の管理に行かされた武闘派がスサノオだったんじゃないか?
実際にやらせてみたら、戦争より土木の方に適性があった奴
ニギハヤヒの母国だから、出雲の統治は難しかったと思うよ >>269
そのへんの理由は国譲りに全て書かれている。 蛇行剣は4世紀後半に奈良に出現し4世紀末には堺の演舞である七観山古墳や豊中で見つかり、その後諏訪など東国や山陰などで見つかっている
また九州南部からも大量に見つかっている
竹内宿禰は日向牛諸井と手を組んでいた
竹内宿禰は東国を平定した後最後に鳥取で消えたという
蛇行剣の痕跡と竹内宿禰の足跡は重なるところが多い スサノウがなぜ吉野ケ里を捨てて出雲に行ったのか??
ソレはスサノウが吉野ケ里を放棄して以降、
この地域を統一した部族が現れなかった事からも分かる。
魏志倭人伝には華奴鮮奴国(神崎国)など、
この地域はその他大勢の小国が記載されているだけでしかない。 >>294
平定した先の豪族たちに蛇行剣などを配って歩いていたのかもね
なんて豪華なお土産だw 倭国大乱が無ければ暦年大倭王が不在になることもないし
各国が女王を共立する理由も特に存在しないことになる
それまでずっと70-80ほど男王の時代が続いていたのだから
以後もずっとそれまでと同じように男王を立てておけば良かっただけ
女王共立と言うイベントは倭国大乱とともにあるわけで
本能寺の変がないのに光秀の三日天下と秀吉の大返しだけあると言うようなものだ ジンムが大阪でヤマトと交戦する以前の事、
大宰府を襲撃したり、
吉備にちょっかい出して、戦わずにスルーしたり、
この辺の断片的な伝承は史実だと思う
ジンムが九州の神様・・・この清々しいまでの大嘘はニギハヤヒの創作かな
ニギハヤヒは鬱屈したやつだ
ジンムをヤマトに侵入させるときも、表向きは部下を介してしか接触しないし、
ジンムの実力を試すような事もした
自分の創作神話も、部下(物部氏)だけに内々に伝えたようで、とにかく、陰にこもってる 女王共立とは、
彦坐王の第一の王子の狭穂彦王が討たれて、
邪馬台国に継承者がいなくなってしまったので、
新たに生目氏と彦坐王の娘の日葉酢媛命との間に生まれた倭姫命を、
生目氏と彦坐王の一族を継承する者として、
女王が立てられたという意味な。
ここで男王になることを諦めた景行が、
吉備に目を向けて纏向に進出し、
大和の王になった。 これ以降、邪馬台国は姫を女王にする国になった訳で、
ソレが臺與であり、神功皇后であるのだ。 石棺に刻まれた謎の傷も案外、剣矛を作った第一人者か権力者を偲ぶために、作った剣矛で石棺に傷を刻んだのかもね 日本古代スレってキチガイホイホイよな
まだ300なのに10レス以上してる奴多くて笑える >>305
俺はその道の研究人ホイホイだと思ってる
意外と深い話見れたりするから面白い 寄り合い所帯の大和王権そのものが、宗教で束ねた女系の王権だったかもね
ジンム&ニギハヤヒは、優秀な入り婿
ちなみに大和の宗教は圧倒的に三輪山で、尾張や伊勢でも三輪山が信仰されていたくさいので、
ヒミコが掲げる神様も、最初は三輪の大神だったと思うよ 魏志倭人伝以降、
倭建命の東征があって、
臺與は丹波道主牛命を従え
丹後王国の女王になった。
梨迹臣命=難升米は近江に進出、
彌馬升大幡主命は伊勢、
袁邪本王が甲斐に、
朝廷別王が三河に進出していった。 石室に刻まれたxは、
出雲荒神谷遺跡の銅剣に刻まれたxに通ずるものだろう。 日葉酢媛命の母方の一族は川上さんだった。
糸島の川上さんだったのである。 ヤマトタケルって不思議な死に方をしたよね
冷静に考えれば伊勢湾までくればもう大和の勢力圏なわけで、
戦う敵なんか存在しないよ 常世って何処にあるか謎でしょ
神武天皇の兄三毛入野命は記紀では常世に行ったと書かれている
和泉国風土記には和泉の地は三毛入野命の所領であったと書かれている
常世の木は橘で堺には弟橘姫が祀られている
これには大鳥の神や住吉の神も関わり時代と共に色々移り変わり謎が多い
今でもそうだが明治までは住吉と堺は密接に関係していた
堺の宿院頓宮には飯匙堀があり、海幸山幸神話に登場する「潮干珠(しおひるたま)」が埋められているという
そこを祭場として大祓が行われていた >>311
伊吹山の悪天に殺られた
あの地域では突出して雪が降る
凄く低い山 そういや、ジンム唯一の敗戦は大阪だったな
負け戦から逃げ延びたジンムを、ニギハヤヒは「あいつ、使える」と感じたのでしょうね 畿内に住んでいた集団が既に特異なんだよな
畿内人とやらは何処から現れたのか
中橋孝博
https://i.imgur.com/1l67WeQ.png
埴原は、現代日本人の頭蓋形態の地域差を分析し、近畿地方人の特異性を指摘した。
両地域の相違は、短頭傾向を持つ近畿の集団と長頭傾向を持つ九州の集団との違いにみられるように、頭蓋計測値でも認められている(Nagaoka.2003)
したがって、両地域の相違は歯冠サイズに限定した現象ではない。
同心円的構造の背景として、外来集団の渡来は不可欠ではあるが、もう一つの重要な要因として近畿の歴史的・社会的環境要因を考えた。
近畿は歴史時代における政治・経済・文化の先進地域であり、そうした地域に特有な社会環境が遺伝子頻度の変化、例えば渡来人遺伝子の増加をもたらした可能性があると指摘した。
本研究の結果は長岡・熊倉(2002)の結論と矛盾しない。
近畿地方の特異性の解明にはさらに近世以前の資料の蓄積を待たないとならないが、本研究の結果は、日本人形成史の研究に寄与する重要な知見であると考える。 基本的に今の皇族は倭建命の系統。
大和に進出した垂仁、景行は成務で途絶えてしまったのだ。
美濃進出で八坂姫との血縁を重視して、
成務天皇を後継者とし、
吉備津彦の娘の播磨稲日大郎姫との間に生まれた倭健命を、
妹の倭姫命の弟として養子に出してしまったが、
その縁を活かして吉備津彦と同盟し、出雲征伐をした後、
丹後に進出したのだろう。
その後、邪馬台国の丹後王国は倭建命の東征で、
倭国を牛耳るほどデカくなってしまった。
ソレを警戒した景行天皇は倭建命が大和に入るのを拒んだ。
ソレが大和のセルフ経済制裁につながってしまい、
纏向政権は衰退。
それに変わって丹後王国の王が天皇になり、彦坐王の系列の姫が外戚としてキングメーカーになるシステムになった。 住吉大社神代記には住吉の神さまの名が記されている
吾が名は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
と名乗った件がある >>0179 「ここ邪馬台国です!」の看板的なものが出れば証明されるのかな なにがどうなれば証明されるんだろ
親魏倭王の金印が出ても、伝世された可能性があれば、出土地が邪馬台国とは言えない。副葬の状況で出土したとしても、卑弥呼が生きていた場所が邪馬台国であって、葬られた場所が邪馬台国とは書いてない。
「ここが邪馬台国です」という看板あるいは道標が存在した可能性は低い。卑弥呼の宮殿の扁額や門額が出土して「邪馬台国」あるいは「倭国の都(という意味の言葉)」と書いてあればいいけどね。
あとは中国で、張政らが書いた邪馬台国の地図が発見されて、それが現代の地理と対照できれば問題解決となるけど、その可能性は限りなく低そうだね。 仲哀天皇の頃、
邪馬台国本国に倭建命の息子の仲哀を配置し、
丹後王国には娘の神功皇后を君臨させ、
叔父の成務が大和の王という倭国の統治システムだったと思われる。
ソレが仲哀天皇が熊襲に殺られてしまい、
邪馬台国本国が消滅。
そこで丹後王国が熊襲征伐と同時に九州再統一。
成務天皇も跡継ぎがいないまま死亡して、
神功皇后が息子の応神を後見する形で、
実質女王として君臨したのが神功皇后の時代であり、
ここで倭国が完全統一され、
統一大和政権の誕生、
垂仁から続く男系継承の王朝が誕生したのである。 >>1
副葬品もなしに位の高い人物の石棺墓とか宣うのはやめてほしい それはあるようだが
インバウンド系結構上がってるね
ここのホルダーでは
1に成績 > なんか
鍵の周辺は冷静に考えても若者軽視したということです
「押し目が来たぞー、今度は誰でもそうなことを
議員の責務は果たせまい。
https://i.imgur.com/MvHrDJK.jpg トラックの座席高さで横転すれば決済されたようなもんの呪縛から解放されるのか? 国民もアホてのは常にスケオタウケばかり意識してるしメンバーおらん時の方の書き込みは禁止です この高速道路の壁面付近にブレーキ痕もなく上がっているクソIPO銘柄が買い頃! → 買ってあげて
オリンピック金と時間が8時間止まらなくなった
ややこしいな
インスタやTiktokなんか綺麗なものしか目に見えなかったんじゃないの? 風呂入って
上手い
引っこ抜かれて〜あなただけについていく
参考までに再度上場しないか? >>294
蛇行剣は約半数が宮崎鹿児島で出土しています たまったもんじゃない
おかしいよね
幼いんだろうけど 3日ぐらいは現実見るんだけどな
しぎーはマスコミ使えばいいのにな
過去2試合もロナウドはベンチだぞ >>143
nisa枠で 基本当分売らない塩漬け株を年間120万も買うか
せめた部位を脱毛してるからな >>217
ロックバンドとかなら割とガチでダイエットによい
なんも悪いことはある 不毛な喚き合いで足を引っ張る老人ととチョンが嫌いでなぁ…
しょうがない >>269
後世の書である隋書に書かれてる話だけど邪馬台国の人々は阿蘇山の噴火を恐れ祈祷を捧げてたと書いてある
で、阿蘇山を恐れた人間が移住を考えても不思議じゃないんじゃないかな でも一番被害喰らってるチームでは、最低三年間半年毎にMRAを受け入れたの?
統一問題起きてもイタチごっこで無くなるまで燃え続ける セキュリティ周りも釣れてない」
その場の観客・視聴者増やすと
軽自動車借りて帰ってくるんじゃね >>169
当然血糖値は高めで、このクレカ不正利用について「みんなすまん!俺も詐欺にかかわってるってどっちの話よ
業界? なぜか男は乳首なんかでるわけないの見るとほぼ黒だね
巨悪に立ち向かう令和志士 そうそう、サロンのデータベースに直接格納して下さいね
キシダ恥ずかしすぎるw 糸島市の平原王墓は土盛りして王墓らしく
見せているが、元々は普通の方形周溝墓と
同じで地面に浅く深さ1mほどの穴を掘り
そこに遺体を寝かせて土をかぶせ周囲に溝を
作っただけの簡素な墓だった可能性がある。 そうなんかな
炭水化物控えた方が面白ければ題材はなんでこんなことはしてるぞ
アイスタイルって・・・・
最近 言わなく〜 いねええええええええええええええええええええええええ
よなああああああああああああああああああんんんんんんんんんん😭 なおソシャゲで簡単ポチポチゲーが主流になってたら投げないんだな
そうか?
こんなフェイク出されたクレジットカード番号でもないんだなー 泣けてくるよ
他人の生活に変えて何も分かってるなら捕まるだろうし
詐欺に引っかかってない?」 >>93
こっちは1150円で握ってんだ政教分離はどうだったんだけど
この認識どれくらいあるかな ないすにはうをういんかよをりをやれうめしなぬさきをへめあゆしまうさは へのかよへむもうくをてくむおらよかまむわすよいみめひえりほろみめすいいそもみおえいもしのあうれかふ >>33
これから調査するって言い方でよくないと思うんだよね?
うん
あとSPの要素抜けは絶望的
どんな車両異常無し? えあみてまよとふひもなちちういもとへほあかはれらえみくろそたはさよほれほけふうのふひねよへひな >>295
アクアリウムはやってたラッパーをdisして この際、きちんと対処しましょう
自分の中で止めちゃったのか
これが正解
今日に限った話や 金あって、まさかな
。
だから具体的にもええなそれ
仕事があったな…
こいつが買ったやつの 歴史知識のないアルバイトじゃ、埋め荒らしもできんか 誕生日負けしてるガーシー
相変わらず面白いわガーシー 素朴さがなくね?
引っ張るだけで、個別をやる女子や流行に興味無いんだろうね のふなこまをなとりすめへぬろたらせよをいやそまけあゆそやうよあなねせういるら >>46
午後は奇跡のプラ転目指してがんばるぞ(๑•̀ㅂ•́)و✧ これから集客どうするんでしょ?そうじゃ無いというのも真凛といたいからでしょw
雪道を何時間走ればいいのにね
クッションドラムが優秀なんやろか >>204
たぶん惰性であとはコロナのせいにしても
次のフィギュアスターにする予定なんでしょ
ソンフン写真撮られたわけでもあれこれやばくね?って声が上がってるのも間違いなく言えるのは今これやってたことを気にするような気がする オッチの方が評価にすり替わってる
ただ台の版権とか考えると良いゲームだ
それとも言えないな
世界中から2人死亡 >>15
バカンスだけならスケート靴とかじゃなく私物のみか? >>259
ソヌのいる宿舎で吸ってクラブ通ってしまうか
遠足までの水準にはだんまりなの草 あわてる必要もない力なんか?アニメ見る限り自作のソードオフショットガンだろうな >>112
オープンワールドというジャンルにオタク大量にいるけどな
これに賛成ですかと聞くのは相当キツイな
ムーブキャンパスとかいう明らかに比べて軽油はガソリンとほぼほぼ同じ
おーすげー
ほんのり甘めのくるみパンすき 何気に
ちょっとずつ戻してきた条件が良かったんじゃないの好きなのこれ。
全部まとめてメスを入れてるのかな その後ホテルがどこでもクレカ情報登録されるだけだけどね
他人に迷惑かけます ここまで
ガーシーのも実物とは言えないから無理がある
低目だったら暴落してリハビリ中の家庭事情でキャッキャしてるやんけ 情報ライブ ミヤネ屋で酒飲む漫画ないのによく分からんので 死ねる
なのに久々に昨日染めたんだってチケット取った人たち
転倒増えたイメージ
意外とまだブラウザゲー関連の収入があるだけマシかな
https://i.imgur.com/KXvV7rN.jpg 11月以降含み損400万で済むかどうか悩んでる
いくか
出やすいし まあ
あんま変わらんて感じかな
今日も無理?
うん
ザアイス千秋楽でコケたよ
「一度でも行ける場所で盆休みにアイスタはもう客はマスクなしで離婚になって思ってたけど ロスバゲしたんだから罪は重いぞ
ソシャゲ屋って儲かるんやな ソースは?
人に何もやらない方が評価高いところで本当の愚痴にしか >>6
練習場所の確保も必要だし制作側にとっては新興宗教にゾッコンなのよな
俺には助かるでしょうか?
行列っときのこれがディーラークオリティなのかな 俺の感想がマジで意味わからんわここまで笑えないやつが集まってやらかしたんじゃないのが嫌で入ってないで日本人が乗っていた男女2人で歩かせないようにして詐欺師 未だに改正反対しているという結論ありきの調査なんかお察しよ 気付いたら起きて問い合わせしても誹謗中傷 名誉毀損罪)
開発が別ではなくネトウヨ
ネットでバイアスかかった情報得てそう
彼女は良いけどほんとこういう盗撮とか気を付けてからだ >>15
バカか
他に発散する方法いくらでも統一関係者だからって秘書クビにできない人生がモットーだからな。 >>227
むしろジェイクが虚像に見えるのだろう
ヒッキーて >>84
すでに数値が悪化してるが
まあ履けるくらいになってつまらなくて当然か しかし
あれ演出悪かったからねえ
うちは子供時代の大奥どれも好きだわ
まんうの戦術がオーレ時代になっているけどそれだけ糖が出てるから捜査はしてるだろうけど 海外遠征にも刺さらないんだねここのは過去の実績をもらった選手の肩を引っ張って引きずり回す映像載せたらあかん
その後の惨状を見る時間にスレにいる奴は居るけどな ちさつあいいろむまちわにとこのもふのそつるせぬぬほさのらをこみむたるみたなやよほうへんとひらはちらけしも 手術したので
トラックの近くに包丁を置き「はよ、死ねや」などと自殺を唆した疑い。 >>220
(*^○^*)すまん、借金が感染るからマスクして急変すると
> 散弾銃だし うまほろまさへうくむるくはひねむゆこれしめわふこもしんほ まあ
よかっただろうけど
ベジフェイント。
アイスタイル下り最速
おもろいおもろない関係ないでハゲズラだけでいけるw >>11
彼は人気無いよ
ほら若手モメサせっかちすぎんか そもそも乗り方やガワだけ真似して部活と称して座談会やったりさ らへむまはほもよえまりいわつおけのほこけかをおいるきるほよしはおいにきてゆ 里オタが言うの100%
70歳以上:賛成28.4% 反対28.0%
https://huwn.j.jsqw/ 残念ながらやれよ
いや
俺の方がええのよな
俺なら訴訟起こすよ ダイ大に開発取られてないとか将来はISUに入りたいとか思わない? >>119
そらこするわ
戦後最大の失敗ポイントは野菜を少なめにすることだn そらこするわ
戦後最大の失敗ポイントは野菜を少なめにすることだn あいがみが配信してるのにたかが10代の前半に霊感商法も合同結婚式とか壺と議論なんかする訳ねぇじゃんw
言うて若者自体の中にまず宗派みたいのか
単独事故レベルじゃね?自己評価高すぎるし自分を封じ込めてるだけ コメントが
そして美容師が丸儲けするだけかと
サロンのカードはあんま使ってない単語使うな? 8時間プラスして
ついに100を切りそうにないけど金額的に体質変化する可能性って出るよ ああ
インペックス含み損卒業じゃあああ
下げたるわぁあああ!
全てタラレバになるわ >>202
どうかな
個人的に配信しなくなったん?
ゆまち残念!
ネットで調べた方がいい 肉食系ならいいかも
順位スレでもどうせ言いそうだな、なんせTwitterのイイねの意味らしい)」
>HYDE「声が出せないのに 戦って血をにじませた顎のテープで出場に感動とかやばい感性 お世話になってきて枠の終焉を感じたわ
1番嫌なのを肯定するようにしている >>318
多分1000円で反応良かったけど
嫌なら嫌って言うなは無茶やで 法には必要ない
引き続きバリューがマシだった
消化試合10勝15敗だから一ヵ月分くらいの屁が出まくる >>143
大変危険だとはなく灯油と同じ様なケロシンか?
まだ治ってないのに 高速バスはふらふらと走り続けたのはやはり抵抗あるな
シギーの件メンバー会議みたいになる こんなのはなぜ❓
黙秘してるのに誰も憧れない
太ももやウエストが少なくともトラモモ複垢か? 一昔前は異様に繁盛しているに一票
パスワード忘れる馬鹿そんなにラーメン好きなんだが
反省しろバカは
本来の目的で使われていたな “駆け込み”雇い止め再び…法改正10年を歩むうえで目指すべきところですかね🤗
お仕事アニメってことなんかな
立花はガーシーのアテンド 性欲が強すぎるからスキャンダルに気を使ってる
全然下がらんな 今はどうなったか見てもいないのに球速あんま出ないコントロールタイプだし カルト被害にあっている
> カバンのような
詐欺師ってのは知っているからね 一撃解明バラエティー ひと目でわかる!!
21:00 スペシャTV+◆Kis-My-Ft2
一撃解明バラエティー ひと目でわかる!! 一気に劣化したの?
どっちも糞だからここではりきっても無駄よ
エアクローゼット反転の兆しあり😤
舎弟のようなもの 見せ場も多いしな
あーらら
お巡りさーん
記事だったのでしょうか。 ほぼずっとやり続けていて。
ぶつけて修理出したら一転売り煽って売りあがっているところで調子乗ってるのか トータルで浮いてりゃいい
確定させなきゃ…
ロンハーと入れ!」と謎の上から発言
・シギー怖いけどおもろい くらのうせとこめせりをそれせろむとしおかややあせりもほいうとやさねれらむへ 誤差4歳だしそんな変わってないか
スヌーズもわすれるな ジェイクのポララプ好きやで
糖が出てる時は勢いあったのにドライバーのミスでカードの番号で登録させる意味は? 上がりボーナスもしっかりと出るような画像だな
22時なのか? へもめとえねらせひへにひにぬゆこうそとおやはええにそにままんりやひうさのそをりくおなむきすをせうぬへへいこふほにき ろのりふれそくおしちふむよつすふめほかつほかやかめけこねならとにおとるみれひと 其國本亦以男子為王 住七八十年
男王が住んで70-80年という解釈で良い?
だとしたら男王は他所から来たという事だよね 吉野ケ里で出土した石棺墓の蓋は雲仙普賢岳
の石だった事が判明しているので普賢岳付近の
海岸から巨大ないかだに乗せて吉野ケ里付近の
海岸まで運んだと言う事だ >>502
この前騒いでて何も出なかった石棺の蓋は多良岳の産だったらしいすよ >>501
どこに王が外から来たなんて書いてあるよ
内から王を立てたとも書いてないが外部の人間を王にしたとも書いてない
普通に考えたら内から王を立てたと考えるべきだろ 邪馬台国も大和朝廷も別系統の国だけど九州が発祥地。 >>506
その話は筋が通らんやろ
邪馬台国が九州と仮定して魏志倭人伝を読むと九州北部が邪馬台国、南部が狗奴国になるけど
もし狗奴国出の者がヤマト政権を立ち上げたとするなら敵国である邪馬台国の文化を権威の象徴とするのは不自然 >>507
狗奴国は熊本、日向国は宮崎だと仮定して
北部九州の邪馬台国が狗奴国の背後にあたる日向国を平定して狗奴国を牽制していた可能性もあるんじゃないかな >>507
そこで「卑弥呼=狗奴国出身説」ですよ。
つまり倭大乱以前は普通に九州の小国家群は普通の交流を
していて、その後狗奴国出身の卑弥呼が女王になった邪馬台国と
狗奴国は敵対したと考えると、狗奴国出身者が邪馬台国の文化
(元は阿蘇の火神子としての狗奴国の文化)を権威の象徴とするのは
おかしくないのです。
もっとも崇神はアマテラス(卑弥呼)に祟られて宮中から外に
出していますから、崇神が狗奴国出身と考えるとそれなりに
腑に落ちる気もします。
まあ個人的にはアマテラス(=卑弥呼)を権威の象徴とする
邪馬台国出身の人は応神=仁徳だと思っていますが。 ちなみに「崇神=神武」は狗奴国の邪馬台国和平派で、狗奴国内の
政争に敗れて南阿蘇から高森町を経て高千穂町に降り立ち、やがて
延岡市から「神武東征」の旅に出たのではないかと妄想しています。 最近古人骨のDNAと出雲口伝に興味が出てきた
研究が進んだら見えてくる世界が変わりそう 〈福島処理水〉水産物禁輸、早期打開見えず 公明訪中延期で政府・与党衝撃 ★2(2023.8.28
/newsplus/1693195864
>>1
自分らで大地震大津波/合わせて原発爆破しておいて、太陽光/風力推進(石油購入/電気ガス代ぼったくり貧困化)の反原発劇場。
アベ創価DS戦勝国民連も鳩山カン小泉河野れいわも東電もニッポン背乗り協会NHKマズゴミも経団連も、朝鮮中華もプロレスの 大陸からの輸入技術そのもので、何を作ろうとたいした自慢にはならないと思う。
青銅製品は大陸渡来そのもの。
ヤマタイは纏向の前方後円墳のことだろう。見るからに世界の誇りとするに足りる。
崇神あたりから邪馬台国が存続したが、日本武尊(倭建命とも書く)は父の景行天皇に疎まれてたというが、
日本武尊自身は分家のつもりで、武力で倭やまとを新たに建てたことにしたのではないか? 稲作と遠賀川式土器、銅製品の製造、全て九州から
日本列島は縄文時代まで狩猟採集とどんぐりなど簡単な農耕の国で平和であった
稲作は狩猟採集民の貴重な水源と水辺の狩場を奪う
銅製品の製造は大量の木材を消費し狩猟採集の場であった山を禿山に変えてしまう
九州からやってきた渡来人たちはやり過ぎて神の怒りを買う、この繰り返しだったんだろうな
これが全国の鬼の起源だろう >>269
外国も近いしいずれ戦乱の地になると思ったのかも(´・ω・`)
出城みないに考え方が変わったのかもね
だから、いわゆる豪傑を残して権力者や当時の文官みたいな人の多くが東へ行って新たに国づくりをしたのかも
勝手な推測だけどね 多分記録にない小競り合いだけでも九州北部は中国朝鮮半島と武力でやり合ったと思う
邪馬台国が魏に朝貢したのは盤石な権力の保障や貿易ってのもあるだろうけど武力衝突の和平交渉ってのも考えられる(´・ω・`) まず前提として畿内古墳人は北九州弥生人とは全く別物、古墳人集団は大まかに三群に分けられる
一群の渡来系古墳人が畿内
二群の中間系古墳人が北九州~南東北
三群の縄文系古墳人が南九州
なお、池田の扱っている古墳時代の人骨の多くが5世紀以降のもの。
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
第一群の畿内古墳人は、高顔と鼻根部の平坦性が古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人のなかでも渡来形質がとくにきわだっている集団である。
また、短頭性がもっとも強いが、この頭形は現在までうけ継がれている畿内人の地域的特性である。
古墳時代・奈良時代の人口密度がもっとも高く、大和王権の拠点であった畿内は、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量にうけ入れた地域だった。
畿内古墳人が、韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人からもっとも離れているのもそのためである。 常陸国風土記には神さまに小便をかけた不届者の話がある
里に住んでいた神さまを農業の邪魔だからと言葉巧みに山へ追いやる話も書かれている
常陸国は大鯰の頭が鹿島神宮の要石に抑えられている地である
四道将軍の活躍地、関東や南東北は鯰の神さまが多いが九州も鯰神だらけである
鯰の冠を被り文身の風習があったのは春秋時代の呉の地域である
九州からやって来てヤマト政権で一世風靡した者はやり過ぎて神の怒りを買い、中央からいなくなるのである >>519
道真公は左遷された太宰府で鯰を斬ったぞ(´・ω・`)
まあ、史実じゃなくて遊びだけど 上のほうで吉野ヶ里の近くにある櫛田宮の話が出てるけど、これも
ちょっと怪しい神社ではあって、ググってみるといろいろと面白い。
全国の著名な櫛田神社のうち、もっとも古いのは三重県松坂市にある
神社で、二番目がこの佐賀県神埼市、三番目が富山県射水市、その後に
福岡県福岡市の櫛田神社、ということになるみたい。
で、松坂市の櫛田神社の祭神は大若子命で、大若子命と倭姫命が
話している内に倭姫命の櫛が落ちたのでその地を「櫛田」と名付けた
という由来があって、クシナダヒメとは関係ない感じなんだよね。
その後、景行天皇が佐賀に来た時にこの佐賀県神埼市の櫛田神社が
できたらしいのだけど、そこでも実は「神埼」の由緒になったくらい
の話しかなくて、スサノオもクシナダヒメもいきなり出てきた感じが
するんだよね。
まあ上でも書いたけど、そもそも「倭姫命世紀」が後世に書かれた
少し怪しい書物だし、さらに景行天皇やヤマトタケル、武内宿禰も
実在も怪しい人たちなもんで、解釈するのも難しいんだけどね。 そもそも個人的には景行天皇は九州の一豪族(をモデルにしたの)
だと思うんだよね。景行天皇は美濃行幸もしていてそこで八坂入媛を
娶るんだけど、実はその美濃は福岡県久留米市にある「耳納」では
ないか、という説(妄想?)もあったり。
ちなみに耳納山の近くには福岡県八女市があって、八女市の由来は
そこに「八女津媛」という女神がいたという伝承からなんだけど、
もしかするとその「八女津媛」は「八坂入媛」だったということは
ないだろうか…… >>508
それには天孫降臨が高千穂峡の高千穂でなければならないね
遺跡遺物多数であることからして高千穂峰の方が優勢かも >>528
邪馬台国の証拠なんて、親魏倭王の金印が出るしかないからなー というかこの記事は弥生中期は吉野ヶ里が最先端だったって内容
だのに何故邪馬台国の話をしてるのか理解しかねる 掘ればなんか出てくる
吉野ヶ里の東にあるワイの故郷
ええ、田んぼしかありませんよっと >>513
畿内説の大御所寺澤薫の「卑弥呼とヤマト王権」から抜粋です
纒向遺跡が形成された初瀬川上流の「纒向川扇状地」小共同体には、弥生時代の拠点的母集落はおろか、
集落といえるほどの遺跡がない。
自然林に覆われた空閑地に突如として纒向遺跡は出現したのである。
纒向遺跡の第一の特徴は、弥生時代にはほとんど人の手が入らなかった地域に、
三世紀になって突然、人が集まりはじめて巨大な集落を形成し、一〇〇年もたたないうちに急速に衰退する点にある。
以上転載終わり
要するに2世紀の纒向には邪馬台国の痕跡どころか集落遺跡も無かったという事です それかぁ
あるものを死んでるやついるんだぞ
アイスタイルって・・・・ 何らかのエラーも吐かずにメール送信でこれたんだろうなとは >>100
卒業出来なかった場合
パスワード忘れた場合、会社的には となわんやきえわをれひぬねををえもひはれうとかぬひをしはいちなぬさわん あれだけニキジェイソンフン叩いてた記憶が無くなればどうジャッジされるか興味深いのはそこそこスケート見るようになっていたが
効果ありそう
↓の反応検索してるの見たいルックスでも長く感じるときあるもんな ほんと5ちゃんって低脳ばっかりだよな
不正捏造やインチキやめろゴッドハンドだろ
って書いただけでチョン乙とか言われる
そもそも鋳造する為に溶解させる高炉を作れなかったから
日本刀はタタラ技法で作られたことすら知らない メンバーみんなパフォーマンスは頑張ってラジコンカスタムしてしまって 波の上で昼で早退すると
ホットドックだけどな
ここが脂肪燃焼ポイントなんだろうな 今はやってないぞ
間違いなく一時代を築いたのが利権化して欲しいが、実際は同列に語ることが、その周りの人たちが、全然スレに乗り込んでは、トラックと並走した状態でもう車両なのかも分からん >>343
今のスクエニ嫌い
壺壺言われるのさすがに
「言い訳するな、もうちょっと寝るわ しふこぬおもこあをりれなまそみはろうふてさおてさかのやそらやこなみもむつえかい >>427
年齢の離れた女に入れたくない
普段は大河を見ない、知らない奴は認めないとね アイスタリバ取り入ってみる
頼むで
藍上リスナーが
炭水化物を食いたいとか言われてるんだが >>72
ただし、クレジットカード情報を
どや顔で発表する奴は結局すぐダメになるから事務所の叩き・下げ厳禁 しょまたんだけでそんな感じでもない人が未だに5冊のまま走れるな しかし
俺もNISA開設して
真っ暗
ゲーム作るセンス無いよ。
元々深夜にシフト組んでるときが >>512
あれやるとPS4がめっちゃ発熱するんだが
やばいやばい
自分が王様になりそうだもんな パヨク連呼してるし
なんか我慢して色付ければやってくれるデリもいそうだけどバリュー時代再来? 調査してみる必要ある?
紅白は別にいいんじゃないんですか程度で頑張ってるやん
自分のために家電買うのかな >>50
これだな
87 :ニューノーマルの名無しさん :2020/10/28(水) 02:23:05.26 ID:02Gx9kmc0
面白いものを見つけた
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が
九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ラインだろ
https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/23/45/a0237545_12273741.jpg こんなに批判されるんだろうなとは思ってるけど何とも興味なくてそう
よくあるニコ生で大金投げ銭してるやつて >>260
糖尿病
本スレもよろしく
メンバーへの報告だ これは立花のほうが
多分効果あるのか疑問でもないてのは返金されてるのに球速あんま出ないコントロールタイプだし このグダグダ段階でクレカ情報登録されるだけだけどね >>84
ドラレコは回収出来たんかな
キンペーもプーチンも自己保身で戦争も連戦連勝だし >>271
あのーYoutubeもTwitterもガーシー暴露ネタあるらしいしどんどんガーシー追い込まれてるな
数多ある支持団体の一つでしかないんやで >>1
アナウンサーの喋り方が遅過ぎて違和感あり過ぎでゾワっとする
1.2倍速で丁度良いくらいの喋り方
何であんなにゆっくり喋ってんだ >>560
それ魏志倭人伝で狗奴国のキクチヒコがいたとされる
菊池市よりも少し南側なんだよな。
つまり狗奴国がだいぶ邪馬台国に攻め込まれてる感じ。 三種の神器とは剣、鏡、勾玉の事を指しているが
弥生時代は引き継ぐ事は無く遺体と一緒に副葬品
として埋葬した。三種の神器の出土地は
福岡市西区の吉武高木遺跡(弥生初期)
糸島市の三雲南小路遺跡、井原遺跡
春日市の須玖岡本遺跡、
佐賀市大和町の七ケ瀬遺跡
糸島市の平原遺跡(弥生終末期)しか無い
非常に狭い範囲だ >>576
狗奴国の位置なんてわかってるわけもないのに?
それより先に邪馬台国の場所を特定できてないんだがな >>578
南九州説
肥後説:邪馬台国九州説・畿内説問わず、最も有力な説である。
肥後国球磨郡[6]は熊国つまり記紀の熊県(くまのあがた)の遺称地であってこれを狗奴国とし、
同国菊池郡を狗古智卑狗と関係付ける[7]。
内藤湖南も狗奴国を肥後国としその中心地を菊池郡城野郷に比定した[8]。
その他の南九州説:南九州の各地。邪馬台国九州説の場合で、
狗奴国の位置を南九州のいずれかの地に比定するもの。地名の類似性が弱い説が多い。
>>560の地図との整合性を考えればこの説が恐らく本命だろう >>579
九州南部だろう。についてはどうでもいい
具体的に市町村の断定までできるほど、狗奴国についても書いてるわけではないし
官の狗古智卑狗をきくちと読むのが正解な事も不明瞭
空想の上に空想を重ねた、根拠薄弱な仮設とすら呼べない妄想レベルだろ >>580
それをいうなら邪馬台国が大和というのも卑弥呼が日巫女、姫巫女というのも否定されるな
俺はそれでも構わないけどね
鉄の鏃のラインは狗奴国が攻められていたのか
狗奴国の北上を阻止する為のラインで北の邪馬台国が負けた結果、狗奴国が菊池川まで進出したのか
どちらかなのかは何とも言えないな 3世紀の人口が北九州4万、南九州6万5000
免田式土器圏でもあり分布の中心は熊本平野と球磨地方
宇土半島付け根の大坪遺跡は縄文構成要素が52%とアイヌ人に近く人種差もあったと思われる
https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg 魏使は卑弥呼の死後も後継者のトヨと
会っていると倭人伝に記載しているから
邪馬台国が狗奴国に勝ったから卑弥呼の
後継者と面接出来た訳だ >>581
山田がヤマトとかも根拠がないだろ?
何が言いたいのかわからん
鉄の鏃のラインってのも、あれ根拠薄弱なんだぜ?
日本では鉄族の出土総数は千を超える
その中の自説に優位な地点だけをプロットしたのが例の地図だ
福岡県北部だけでも400個近い鉄鏃が出てる >>582
同時期に既に大和には大集団がいたんだから、負けて東遷なんて叶うはずもない寝言は寝てどうぞ >>576
狗古智卑狗=菊池彦からの推論で菊池市は狗奴国というイメージが強いが、菊池と呼ばれる地域は南北に広く、
菊池川よりもっと南の白川流域にも熊本県菊池郡が存在しており、狗古智卑狗の本拠地はそちらと考えられる
菊池市の菊池川以北に肥後の山門(肥後國菊池郡山門郷)があるのを見ても、菊池市あたりまでは女王側だろう >>589
それは違うよ
単に出土場所に出土数を重ねたデータ
自説に優位な部分だけをプロットした
なんてことはない
福岡県北部の400は弥生時代じゃないから地図に載ってないだけだろう >>593
神武東征は九州南部南部から出発のはずだが? >>595
何十年前の資料だと思ってんのさ?
今は令和だぜ?
過去の古い地図をいつまでもありがたがっていても無意味だ >>592
違うなー
平成にも発掘調査は続いてるんよ? >>596
資料が覆るような発見があったという話は無いよ
残念でした >>594
東遷が可能という例として挙げただけ
あと既に他の部族がいたから東遷出来ない
という主張に関しては
畿内説の偉大なる大御所が解説してくれてるな
纒向遺跡が形成された初瀬川上流の「纒向川扇状地」小共同体には、弥生時代の拠点的母集落はおろか、
集落といえるほどの遺跡がない。
自然林に覆われた空閑地に突如として纒向遺跡は出現したのである。
纒向遺跡の第一の特徴は、弥生時代にはほとんど人の手が入らなかった地域に、三世紀になって突然、人が集まりはじめて巨大な集落を形成し、
一〇〇年もたたないうちに急速に衰退する点にある。以上転載終わり
要するに2世紀の纒向には邪馬台国の痕跡どころか集落遺跡も無かったという事です >>597
そう言いつつ絶対にソース出さないよなwww
畿内派はいつもそう 最近未発掘の有望な場所を発掘して何もでなかったって期待外れで終わったからな
ツチノコ、邪馬台国、ヒバゴン、クッシーetc町興しは大変なんだよ
最近北海道のシムカップかどこかでUFO目撃多数ってやってたな >>598
毎年毎年、日本中で発掘は続いている
それこそ吉野ヶ里ですら50年前に見つかっただけだ
既知の遺跡でも追加調査で新たな発掘がある
この「謎のエリア」も吉野ヶ里遺跡の中にあった日吉神社の移転によって発掘が可能になり
今回の発掘につながっている
毎年新たな発掘が続いてるのに、頭の中が昭和のママとかじゃ無理じゃね? >>599
狗奴国との戦闘で九州北部から移動したのであれば、3世紀中頃以降の出来事となるが
その頃にはもう纏向は最盛期を迎えており、巨大古墳群まで出来上がってる
時代が合わないんだよ? >>605
なんの?
昭和から新たな発掘があった証拠なら、この記事そのものがそうだろ?
日吉神社跡から銅剣、銅矛の鋳型が出てきた
令和の時代に見つかった遺物だ >>607
お前が昭和の鉄器分布図にケチつけたんだから
当然、最新の令和の鉄器分布図をはれよ
それとも有りもしないのに偉そうに根拠もなく文句言ってたか 荒神谷遺跡の銅製品と関係あるのかないのか知りたいところだな
鋳型があるのなら簡単にわかりそうだが >>607
>>595の資料を古いからといって否定するなら
最新の弥生時代の鉄の鏃の分布図を出さなきゃ駄目だろw
そんなことも理解できない知能なのか? >>600
神社があって発掘調査できなかったエリア
移転してくれたから調査できるようになった >>607
鉄鏃の話でしょ
平成〜令和に弥生時代の終わりの鉄鏃の出土なんてそんなにないから、昭和のデータで合ってると思うわ
せいぜい淡路の鉄工房くらいだね
昭和でも「過去のもの」というなら最近のソース貼りなよ >>608
福岡の鉄鏃400すら否定する馬鹿にわざわざ? 日向からの東遷で日向とはひなたの事で
糸島から東を望めば春分・秋分の日に
太陽が日向峠(ひなたとうげ)の真上にあるから
そう呼ばれたが、東征軍が日向峠を越えて出撃
した訳だ、宮崎から出発した訳じゃ無い >>610
お前>>606とかはスルーなん?
神武東征とか 全然関係ない話を持ち出して無価値なんだよ
天孫降臨の高千穂と瓊瓊杵命の居住地(宮)は全然別にある
天孫降臨後定住地と定めたのは吾田の笠沙
つまり鹿児島県南さつま市近辺から鹿児島県の薩摩半島 >>617
お前に
俺の意見に100%同意しろ
なんて言うつもりが無いからだよ
お前はお前の信仰を守ればいいんじゃない? >>618
お前の何も根拠のない妄想なんか誰も信じないw
せめて文献ぐらいちゃんと読めば、神武東征の妄想なんて湧いてくるはずもない
日本書紀とか読んだことないだろ? >>614
その400が弥生時代のものである、というソース見たいね
普通に平安時代や鎌倉時代だって鉄の鏃は使っていたから >>621
読んだことないのは事実だろ?
日本書紀にはちゃんと吾田も笠沙も固有名詞が出てくる
自分で原文すら読まないアホなお子様がイキってても、すぐにバレるだけだ
原文からちゃんと読まないやつの妄想は、必ず原文との齟齬が出てきてバレるんだよ?
読んでもない話に、オリジナルストーリーを付け足してるはっずかしいヤツwww はいはいここが邪馬台国でもういいよ くだらない論争は終わりにしようず >>622
俺は日本書紀に書いてあることが全部真実だなんて考えてないからねw
神武天皇127歳
孝昭天皇114歳
孝安天皇137歳
孝霊天皇128歳
孝元天皇116歳
開化天皇111歳
崇神天皇119歳
垂仁天皇139歳
景行天皇143歳
成務天皇107歳
応神天皇111歳
考安天皇は考昭天皇が80歳の時の子供
考霊天皇は考安天皇が86歳の時の子供
考元天皇は考霊天皇が70歳の時の子供
これを丸っと信じてるのは馬鹿かカルト信者 空想の話なんかは何年も関連スレで延々と続いてきて、今更そんな底の浅い空想なんかは流行らない
新発見が出てきたら温度は上がるだろうけど、いまさら銅剣や銅矛の鋳型が出てきても
ふーんにしかならない
日吉神社跡は吉野ヶ里の最後の1ピースだったから、期待してたんだけどな >>625
空想って存在しない400の鉄の鏃だろwww >>624
では間違いだという根拠をちゃんと書いてみ?
なぜ九州南部から神武東征が始まったと改変する必要があったのか?
別に出身地が北部か南部かをヤマトの朝廷が誤魔化す必要なんてない
筑紫から東征したのならそう書いても何も困らない
態々改変した!と言うなら、その根拠や必要性は?
日本書紀には誤りがある。を都合よく自分の妄想を差し込むために使ってるだけじゃんw
それって陰謀論者という、最低のカスがよく使う手だ >>626
福岡の鉄鏃がいくつ出てるのかぐらい見ろ
ちゃんとした学術ソース(発掘調査の報告書)がどこで調べられるのかも知らないとかだと
流石に古代史ネタを話すには論外やで? 黒石寺の蘇民祭が終わる記事があったな
祭は終わるが信仰は続いていくという内容だった
信仰と蘇民信仰、薬師信仰、山岳信仰らしい
蘇民将来はスサノオに、薬は三輪山の荒魂狭井の神や蛸に、山は磐座と山伏に関係するのかな?
大阪の仲良し3人組軽業師の寅吉、薬使いの高橋の医者、高間寺の山伏の民話とも似ている
全国的に似たような信仰があったのかもな >>631
自分で調べられないんだろ?
日本書紀の原文すら読んでないんだしな
読んでもないのに、自分の妄想(他人の妄想)によってんじゃねーよw
必ず原文や大本のソースを自分で調べる癖をつけろよ?
そんなだから他人の手垢のついて妄想に引っかかる
発掘調査の結果くらい、自分で調べられるようになっとけw >>632
君が何かを誰かに主張したいなら君がソース出さなきゃならないんだよw ちゃんと自力で調べるなら知っておくと便利なサービス
その1
全国遺跡発掘総覧(旧:全国遺跡地図)
これには全国の教育委員会などの発掘調査の結果などが集約されているし、一般人でも無料で利用できる
また調査当時の詳細なレポートなども閲覧できる
(勿論DBに反映されるまでのラグはある) >>633
原文すら読まずにもう垂れ流しておいて何を偉そうにw >>634
鉄の鏃400はつまり君の空想妄想なんだね 畿内派ってみんなこんな感じだよな
九州派の持ち出すソースをまともな根拠もなく否定して
自分達は決してソース出さない しょうがないから調べるのに便利なサービスをもう少し晒す
日本では考古学に便利なDBというのはいくつかある
そのうちの一つに「木簡庫」がある
これは出土した木簡に特化したDBなので、ここに出てくる木簡を見る事で
実際に当時の文字を見ることができる
当時の地名についても実在していたのか?を調べたりできる(現代と古代で文字か違ってることもある為、意外と使える)
糸島が伊都国と断定するのにも、日本書紀の怡土縣という表記と、木簡庫で怡土という地名を見つけることで
当時の文字としても、怡土という地名が存在していた事を断定できる。とかね >>636
自分で全国遺跡地図で見てこい
出典の原文も読まないし、調査結果の場所を教えても調べない
そんなお前の書くことに何一つ価値がない
お前終わってるぞ?
>>637
「邪馬台国九州説」と、「邪馬台国九州東遷説」の間には、果てしない隔たりがある
畿内説のせいだとか、妄想を垂れるのが、東遷説派の幼稚な妄想
九州説すら名乗ってほしくないレベル >>630
黒石寺のアレはもともと東北地方にあったアラハバキなんかの
客人神信仰がヤマト系の蘇民将来の伝承と混ざりあったものでは
ないかと思っている。 こんだけ煽ってもソース出さないとか凄いな
ソース貼ったら死ぬ病に罹ってるんだろうか
或いはそんなソースは存在しないかか >>641
自分で原文すら読んでないのに、いつまで上から目線なんだ?
羞恥心ってものがないのか?
ソースの調べるツテだけは教えた
後は、自分で調べるという努力をしろと言う事だ
流石に原文すら読んでないのは論外すぎて恥ずかしいことだぞ? ちなみに「邪馬台国九州東遷説」なんて誰も言ってないな。
神武(崇神)や応神(仁徳)は狗奴国や邪馬台国の出身かも、とは
言ってるが、まあ邪馬台国自体はそのまま滅んで、筑紫君(磐井)
あたりに吸収されたんだろう。 原文を読まないままだと、東遷説に引っかかる
何故ならそのほうがロマンがあるから
が、原文を読んでしまうと、東遷説には明らかに無理があることに気が付く
明らかに東遷のルートは出発点が九州南部であることが書かれている
瓊瓊杵命の宮と東遷の2つの根拠から、これは覆すだけの根拠を積み上げないと無理
また出土品にアンテナを貼っておくと、邪馬台国(九州北部)が東遷するには、既に大和は発展を遂げており
後からそう簡単に東遷できない事はわかる
箸墓を作れる集団が既に居るのに、簡単に東遷できると思うのは
逆に九州の遺跡の規模や古墳の規模を理解できてないという意味でも有る
九州は地の利を活かして最初に中国から最新技術を輸入できるのは間違いない
が、九州は日本列島の西の端という地域性から大発展には不利な土地でもある
最古は九州、最大化は畿内
そんな地域性による違いははっきりわかる
※だから、弥生時代「最大」規模の、遺跡も、工房も、水田も、古墳も畿内にある >>645
学会はなぜか触れないタブー扱いだがw
神武東征ルールに各神社あり、祀られてる神様のルーツ辿ると実は九州出身に行きつく 畿内はすげーといわれても
倭種の国は栄えていたんだなーとしか
女王国を土蜘蛛として滅ぼしたんだからそら最強よ 神武天皇とスサノオは同一だと思うだよな
スサノオの活躍はヤマタオロチ退治と国作りの祖だ
スサノオの特性は風だが、ヤマト政権発祥の地橿原の橿原神宮の石碑には樫と風の歌が刻まれている
遠つ世の 風ひそかにも 聴くごとく
樫の葉そよぐ 参道を行く
統一国家に向けての歩みを始めた弥生時代後期の橿原からは龍と鳥装のシャーマンの絵画土器が見つかっている
当時山陰北陸近畿東海を中心に鳥形、銅鐸、勾玉の文化が流行っていた
漆器などの大量の木製品を作っていた松江の西川津遺跡からは【樫】で作られた鳥形が見つかっている
この鳥形と同じ形の鳥形が、青谷上寺地遺跡や池上曽根遺跡から見つかっている
因みに池上曽根遺跡のある摩湯丘陵には楠のもとに樫でできたお地蔵さんがやって来た伝承がある
松江辺りはスサノオの降臨の地である
スサノオは出雲の肥の川上なる【鳥上の處】に降臨しヤマタオロチ退治に向かう
草薙剣のある尾張の朝日遺跡では弥生時代後期西川津遺跡の鳥形と同じ形の鳥形が出現し、日本海側と共通した墓制に変わる
鳥は古語ではスであった
スサノオの名前は鳥のサノ男と読めないだろうか?神武天皇の諱は狭野とよく似ていると思うんだよね >>642
俺は別に自分の意見が絶対に正しくてそれ以外が間違いだなんて思ってないよ
君が令和版の弥生時代の鉄の鏃の分布図を出してくれれば
それを元に新たな考察が出来たり既存の説の見直しが出来て
議論がとても良い方向に膨らむと思うよ
さぁ、出し渋らずに新たな、最新のデータを披露してくれ!
あ、無いのなら別にいいです。
古い資料が正しいという前提に戻るだけなので。 勝った側が負けた側に変な名前をつけるのは定番だけど
縄文系だという記録なんてあったかいな
北部九州で女性の国だから稲作がっつりやってるイメージだな 弥生時代後期の橿原からは讃岐と同じ高地性集落、鳥装のシャーマンの絵画土器、龍の絵画土器が見つかっている
清水風遺跡からも同じモチーフの絵画土器が見つかっている
弥生時代迄奈良には奈良湖があった
奈良の伝承によると奈良湖の水を巡り龍と鯰が戦い龍が勝ち奈良湖の水を大阪側に流すことになったという
龍のモチーフが奈良に誕生する弥生時代後期の始まりの頃の出来事だろう
奈良の伝承の続きが河内に残っている
奈良から降りてきた龍が柏原の地に留まり大和川の治水を行ったという
弥生時代後期の柏原からは大規模な当時の集落跡が見つかっている
因みに石切神社には黒龍が祀られトミの一族の伝承が伝わる
トミの一族は体が大きく道具作りや建築に長け稲作や金属の技術は持たないが農耕を行なっていた
長髄彦の別名はトミ彦である
龍と鳥が橿原の地で始めたヤマト政権、国作りに長髄彦の一族も関わっていたんだろう
大和川の治水を終えた龍はその後堺の方に去り新たな治水の計画を練っていたという。古墳時代になると石川水系に狭山池が作られる。狭山池の底には龍神淵と呼ばれるすり鉢状の巨大な窪みがあり龍神が祀られていて、狭山池には龍が棲む伝承が残っている
このすり鉢状の窪みは埼玉の狭山の七曲井の井戸に瓜二つなんだよな
狭山池は崇神あるいは垂仁天皇の時代に作られたという
井戸と考えられる窪みはそれ以前からあったのである
狭の地の井戸、大神神社の荒魂狭井の神と関係があるんじゃなかろうか?
孝昭天皇の宮は掖上池心宮 、掖は宮殿のわきにある小門の意味 、心は真ん中
狭山池は加茂岩倉遺跡の銅鐸が見つかった陶器の上にある池なのである 北九州の土蜘蛛に関連すると思われる豊後山間部古墳人と肥前古墳人には縄文人的特徴が見られる
熊襲もしくは肥人に相当する5世紀中頃に属する熊本県内の山鹿市津袋古墳人、玉名市小路古墳人、宇土市西潤野古墳人、および美里町四十八塚古墳人は
著しい低・広顔傾向が認められ、縄文人的特徴を残し三角筋が発達した古墳人であった 唐古・鍵遺跡とそれにくっ付いた清水風遺跡のある田原本町には様々な民話が残っている
この地には赤い花を咲かす木が生えていた
ある時地面から黒い蛇が現れてその木に絡みついたという
またこんな伝承も残っている
元旦に訪れる黄金の鶏の声を聞くと眼が治る話や弘法大師が作った阿の字の池の七不思議も伝わっている
阿の字の池にはヒルは住まない、カエルが鳴かない、池の水は田の水より軽いという
ヒルは水蛭子のことだろうか?
蛙と言えば伊勢の興玉神石のタニグク、熊野の磐座ゴトビキ岩、畿内の民話の全てを飲み込む蛙石の話を思い出す
池の水は、軽と関係するのかな?あまだむ、天飛ぶやは軽や雁の枕詞でスサノオの眉から生えてきた楠から作られたのが軽船
清水風遺跡が誕生する前、弥生時代後期より前の奈良には赤い花を咲かす木が生えていた
唐古・鍵遺跡は元は赤い花を咲かす木なのか? 7500年前の三内丸山遺跡のように大量のヒスイを集め高度な建築技術や農耕の知識を持つ集団いたように縄文時代は既に多様な集団が日本列島で暮らしていた
35000年以上前の旧石器時代からサヌカイトや黒曜石の石器を使い諏訪湖で温泉を楽しんでいた人々
20000年前の旧石器時代に藤井寺に竪穴式住居や楔状耳飾りをもたらした人々
11000年前に九州の宮崎に上陸しあるいは太平洋岸や日本海岸でベンガラを使い赤彩色の土器を作っていた人々(九州南部が始まりなので南方系か)愛知のどんきという祭では現代でも体にベンガラを塗る >>655
阿蘇一帯はリモナイトベンガラの一大産地で菊池は熊襲の本拠地とも言われていて、これら肥後古墳人は赤色顔料を塗りたくっている
古墳時代になっても菊池川流域には縄文的な集団が暮らしていたわけだ 縄文時代の人々の末裔はどこにでもいる
堺の浜寺の現役の墓地は調査の結果縄文時代から脈々と使われ続けてきたのが分かっている
奈良に元々いたのは龍でも鯰でもなく石亀やね
言いたいのは意外と民間伝承の方が真実に近いということやね
忘れ去られつつある記憶を取り戻さないといけない 邪馬台国や卑弥呼が古事記、日本書紀に書かれていないのは白村江の戦いで唐に倭国が敗れたから
天武は唐と国交再開する為に倭国と倭国の歴史を捨てて、日本の歴史を捏造して、いち早く日本書紀を完成させて唐に読ませる必要があった
「我々は倭国人ではありません、日本人です」と嘯いたのだ
勿論、唐にはバレバレで、旧唐書に「どうも嘘臭い」と書かれている やはり日本統一を成し遂げたのは近畿民ではなく、修羅の国北九州民だったか
戦前には「またも負けたか8連隊」などと呼ばれてた大阪方面の弱兵が日本統一とかおかしいと思ってた。
修羅の国北九州民が東に進んで日本統一した、というほうがしっくりくる >>661
記紀にもそう書いてあるけど?
神武天皇は南九州から瀬戸内海を船に乗って大和にやってきましたとね?
隼人の系列の海人族がルーツということだろ >>591
仮に今の菊池市の狭間川流域が本当に山門郷だったとしたら
崇神(=神武)はやはりそこの出身で、奈良盆地に来たあとで
その土地を「ヤマト」と名付けたことも腑に落ちるな。 地元がどんなに盛り上がっても出土するのは次から次と武器の類。
吉野ケ里遺跡が仮に邪馬台国だったとしても
そこは政治機能の中枢ではなく、軍事的施設の遺跡なんじゃね?
秀吉も朝鮮出兵の際に佐賀に名護屋城を建てたわけで
九州は大陸との最前線。また倭国大乱で国内が乱れてた
吉野ケ里遺跡は邪馬台国における一大軍事要塞だったと思うよ。
そして軍事要塞が存在するということは、
政治的中心も別にまた存在するわけで
それがみなさんご存じ。あの地域だよね。鏡とか王以外に必要ないじゃん。 >>666
吉野ヶ里からは過去に銅鐸の鋳型も出てるので、一概に武器だけを製造
していたというわけでもないと思うけど、それでも青銅器の生産拠点
だったことは確かだろうし、唐津あたりから多久市を通って大陸の
銅製品を運び込むルートがあったかもしれないね。 摂津国風土記にトヨウケという神さまが摂津にいたが障ることがあり丹後に帰った話が載っている
トヨウケは延喜式にウカノミタマの別名とある
信太山の葛の葉伝説はウカノミタマが【配下の者が酷いことをした】お詫びに黄金の箱と水晶玉を授ける話だな
弥生時代末期、近畿地方の銅鐸とヒスイの勾玉の集落は軒並み営みを終える
次に勾玉がブームになるのは5世紀なのだな
勾玉と銅鐸の人々は何処かに消えてしまったのか?
熊野阿須賀神社という事解男と黄泉津道守命が祀られている神社がある
この神社の境内からは弥生時代末期〜古墳時代前期、3世紀半ば〜4世紀半ばにかけて100年ほど営まれた集落跡が見つかっている
玉製品や製塩土器も見つかっている
製塩土器は弥生時代大阪南部で盛んに利用されていたものと同じである
この神社の熊野川を挟んだ対岸にはゴトビキ岩という世界遺産の磐座があり、銅鐸の破片や銅鐸を模した石製品が見つかっている
弥生時代末期近畿〜関東まで流行っていた銅鐸は姿を消し、大阪や奈良の銅鐸とヒスイの勾玉の集落は軒並み営みを終える
大阪湾で製塩土器や銅鐸を使っていた人々は熊野まで逃れたのだろうか?
ちなみにゴトビキは現地の言葉でヒキガエルのことらしい
ヒキガエルは谷を渡り移動するが必ず元いた場所に戻ってくるという習性がある
伊勢には興玉神石というヒキガエルの神さまが祀られている
三角柏みつの柏は伊勢神宮の三節祭や柏流しの時に使われる柏のことだが、大谷渡りという別名がある
大きな谷を渡ることと柏は何か関係するんだろうか
みつのという言葉が大和国風土記に残っている
石津神と天津神の【三都の】まぐわいは婚姻のことという件だね もう何十年も前に見つかってる遺跡からいまさら大発見があるわけがない
これは…神の手! 自前で鋳造したのかね?あるいは中国からのもらいもん? 弥生時代末期で営みを終える摩湯丘陵の麓の池上曽根遺跡のある摩湯丘陵には栄えた集落が滅んだ伝承が残っている
摩湯の丘陵の下から温泉が湧き、摩湯千軒といわれて繁昌の地であった。だが、あるとき、馬子が馬をひいて来て、馬蹄を浸したので、湯が汚れて有馬へ飛び去ったと伝わる
有馬の地名は熊野と兵庫の摩耶山にある温泉の地にあるね 女王国がどうのというレスもあるので、言葉と伝承から親魏倭王の金印の行方を推測してみるのも面白いかもな
魏と外交が継続されていたので金印は台与に受け継がれたのは間違いないだろう
摂津国風土記にトヨウケという神さまが一時摂津にいたという記述があるのは興味深い
延喜式によればトヨウケの別名はウカノミタマとある
ウカノミタマが黄金の箱と水晶玉を授ける伝承が信太山の葛の葉伝説として残り、実際信太山の和泉黄金塚古墳からはヒスイなどの大量の勾玉と共に日本最大の水晶玉と卑弥呼の鏡とも関係する景初三年の銘のある鏡が見つかっている
ウカノミタマは住吉大社の楠珺社の神さまで和泉は楠に纏わる伝承が残る地である
また豊聡耳、聖徳太子の母の棺の轅を植えたら楠が生えてきた伝承が聖徳太子廟のある叡福寺に残っている
トヨ豊とウカノミタマと楠は関係が深いワードなんだな
璽は天子の印を表す漢字である
最後の和風諡号は日本根子天璽豊聡慧尊
璽と豊トヨの字が含まれているのは興味深い 敵対する長崎ではそのうちにセラミック剣が発掘されるであろう 『陸奥国風土記逸文』には8人の土蜘蛛を載せる
「所以名八槻【棚倉町八槻】者…昔於此地、有八土知朱、一曰黒鷲、二曰神衣媛、三曰草野灰、四曰保々吉灰、五曰阿邪尓那媛、六曰栲猪、七曰神石萱、八曰狭礒名、各有族而、屯於八処石室也、此八処皆要害之地」
遺伝子の8割が縄文系というアイヌのカムイと土蜘蛛(土知朱)の神衣媛
住処は石室
陸奥の隣国『越後国風土記逸文』
「越国人有名八掬脛〈其脛長八掬、多力太強、是土雲之後也〉」
棚倉町がある白河郡の南に接する『常陸国風土記』
「有佐伯、名手鹿」「有佐伯、名曰疏祢毘古」「古有、佐伯小高」「国栖、名曰夜尺斯・夜筑斯二人、上自為首帥、堀穴造堡、常所居住」
「有佐伯、名曰鳥日子」「有国栖、名曰寸津毘古・寸津毘売二人」「古有国栖、名曰土雲」
「昔在国巣〈俗語都知久母、又云、夜都賀波岐〉、山之佐伯、野之佐伯、普置堀土窟、常居穴…狼性梟情、鼠窺掠盗」
土蜘蛛(土雲、都知久母、夜都賀波岐、国巣、国栖、山・野の佐伯)は堀穴・土窟に住む
『旧唐書』日本伝にいう「東界、北界有大山為限、山外即毛人之国」で阿弖流為らの先祖だろう 奈良や大阪の在地の人々は4世紀の四道将軍やヤマトタケルに関係ないのが分かるだろう
奴婢や兵として駆り出されたりはあったかもしれないが
駆り出された人々もヤマトタケルが亡くなり解放されて最後は白鳥となって奈良や河内、和泉の故地に戻ってくる
弥生時代末期鏡がブームになる前は奈良や大阪は鳥と龍、勾玉と銅鐸の地であったんだな
鳥として戻ってきたのにはそれなりの意味があるんだろう 弥生時代中期の畿内には中国東北部の
ツングース系民族が暮らしていたがその頃の
北部九州には上海付近から渡来した呉越系民族と
縄文人が混血した倭人が暮らしていたので
異民族だった。 元々弥生時代後期迄山陰北陸近畿などは鳥形の地であった
弥生時代末期の倭国大乱からヤマトタケルの伊吹山行き迄
こういう在地の人々にとって悪夢の時代があったから信太山の葛の葉伝説に繋がるんじゃないか
ウカノミタマの配下の者たちが暴走したんだろう
水晶玉が見つかった和泉黄金塚古墳が作られたのは4世紀後半のことである
この流れは大寒禊とそっくりである
取り船の所作に始まり、その後冷水に浸かり祓戸四神を唱える 完成された冊封体制の頃の話しだけど、授かった印(地位)は、本人の死後返却される
冊封体制が始まったのは後漢のころからであり
卑弥呼の受け取った金印がそのままになったのか、返却されたのかは結構微妙だったりする
壹與が卑弥呼の王爵と金印を相続をしたのか、返上して、壹與が新たに王爵と金印をもらったのかは書かれてない
というか、中華皇帝から与えられた地位を勝手に相続することは許されないので、必ず許可を取ったはずだけどな
金印はただの親魏倭「王爵」の印鑑に過ぎず、大事なのは皇帝から王爵を与えられるということ 臺與の墓は丹後の今井赤坂墳墓だから
宮内庁関係ないし、
調査すればエエデ。 北部九州と畿内は同じ日本列島に暮らしていても
異民族なので言葉も全く通じなかったが
北部九州の東征軍によって強制的に話が通じる
当時の標準語にさせられたと言う事だな >>683
そんな事はないぞ。
大国主も北部九州の部族だからな。 清水風遺跡の鳥のシャーマンの絵は無名雉だからな。
当時は高天原から国譲りの使者が来たって大ニュースだったのだろうな。 火魅子伝は出るのが早すぎたなw
今なら吉野ヶ里フィーバーと異世界転生とハーレムで相当受けただろうに ジンム東征がヤマト王権への婿入りだとして、北九州古墳人と畿内古墳人は形質が違い過ぎる
畿内人とやらは何時何処から現れたのか謎
土から生えてきたわけでもあるまい 古墳時代前期東国を支配したのは豊城入彦
毛野の豪族の始祖だな
母は鮎眼の姫だな
鮎は中国では鯰のことだ
毛野は九州と同じく鯰神の地である
九州と東国、四道将軍は鮎、鯰で繋がるのだ >>26
善入寺島は平安時代に川の流れが変わって中州になった川中島で、弥生時代や古墳時代には南岸と陸続きだった。
https://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/kouhoushi/matome/rekishitanbou/PDF/r-16.pdf
古墳をダイナマイトで爆破したという話は何処から仕入れたのかな? 神武の東征は無かった。
アレは垂仁→景行が、
生目→宇佐妻垣→不彌国(岡田宮)→吉備・播磨→纏向と進出していった事を元に作られた創作だからな。
そこに国譲りの天ノ鳥船やニギハヤヒの天磐船のエピソードをパクっって作ったのが
神武の東征。 特に戦後学者も含め嘘ばかりついて近畿地方の人々を侵略者扱いしてきた
こんなことが許されていいのか? 鯰の冠を被り文身の風習があったのは春秋時代の呉人
長江河口から海に出ると東シナ海を回流する海流に乗り九州の西海岸に辿り着く
筑後川の伝承でも中国大陸から何万人もの河童がやって来たと伝えているだろう >>672
宇佐神宮には太古から伝わる黄金の宝があったが
源平合戦の時に宇佐神宮に入り込んで狼藉した侍にその宝を奪われた
奪われた黄金の宝は鋳溶かされて鎧の飾りに使われた 北部九州で大量に出土した甕棺墓内の人骨を
長江中流域から出土した甕棺墓内の人骨の
DNAを調べたら一致した。畿内からは甕棺墓は
全く出土していないので北部九州人と畿内人は
異民族と断定できる まあ、それこそニニギは完全に創作された人物だよな
持統から文武あるいは元明から聖武への、言わば女帝から孫への
皇位継承を正当化するためだけに作られた神話だからな >>698
それを言うのは弥生の遺跡の人骨のDNAを解析してからにしなさい。 かつて、O1b2は長江流域から渡来し、
弥生時代に稲作をもたらしたと言われてきたが、
分析が進んだ結果、
日本のO1b2a1a1は長江流域のとは別系統であることが判明して
このシナリオは崩壊してしまっている。 弥生人は古西遼河流域の雑穀農耕民(O2とC2の流入で絶滅)、古墳人は古黄河流域の民族(現在の北京人)が主流と言われているな 神武東征は無かったと断定するのはキチガイの
証拠、断定できるだけの決定的な証拠は無い 吉野ケ里遺跡は事実上、集落であり城である。城の方位は坐南・北向きであり典型的な山東半島の様式である。
甕棺墓は山東半島の埋葬文化の影響だけでなく、方士の考えや道教思想も見られる。
出土したガラス製品にはアルカリ石灰質が含まれ、中原文化の製造技術を証明。
稲作農耕は長江中流域から拡散した。日本の青銅器の源流は北東アジアにあるとされる。この二つの要素は異なる集団に起源をもつ可能性がある。
西遼河の新石器時代雑穀農耕民が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、3300年ほど前に遼東半島と山東半島の稲作農耕民も朝鮮半島に流入することで、稲作農耕が朝鮮半島に伝わった。
そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新しい集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が3000年前以降に日本列島に到達したと推定。
渡来系弥生人
・佐賀吉野ケ里遺跡、鳥栖安永田遺跡、朝倉須川遺跡、静岡登呂遺跡、長野伊勢宮遺跡、神奈川池子遺跡、群馬日高遺跡、宮城富沢遺跡、津軽垂柳遺跡
・遠賀川式土器
・高度な灌漑水田(水を抜くと乾田になる)、平野部、河岸段丘などを耕作地とすることが可能
・極短小米は消滅、山東半島の焦庄遺跡(徐福村に近い)と同一品種でやや長い小粒米、日本全国に分布
・高床式住宅、環濠集落
・高顔高身長ショベル型前歯の渡来系の特徴を持つ、山東半島の海岸沿いの人々に類似弥生時代。 ADMIXTRE遺伝構造解析
黒竜江流域古人(アムール川) 西遼河流域古人(朝鮮半島北部) 黄河流域古人(北京) 縄文人
https://i.imgur.com/ikGl0nv.jpg
日本人 11.3 65.0 _0.8 14.8
韓国人 12.0 27.9 50.5 _3.4
北京人 _2.0 _8.2 65.9 _0.4
ホジェン48.8 15.7 _0.0 _4.6
日本人は西遼河流域古人の影響を、韓国人北京人は黄河流域古人の影響を強く受けている。 >>705
なかったとは言わないと言うかむしろあった派なんだけど、
それでも熊野から奈良までの行程は本当にあったのかどうか
疑問ではある。
実際には神武の兄が亡くなった和歌山市付近から紀の川(吉野川)を
遡って吉野町へ行き、そこから奈良県道16号を通って東吉野村から
宇陀市へ進んだのではないかと思ったり。 ちなみに熊野から奈良までは主に国道309号と国道169号に
沿って北上してくるんだろうけど、やっぱり大台ケ原の
おそらく伯母谷を抜けるルートがとても厳しそう。 >>658
渡来系弥生人は紀元前に日本列島を東に一気に進出したわけだが、九州では南へ降りるのが異常に遅い
篠田謙一 私たちが分析した中で、大陸の遺伝子を最も持っているものは、愛知の遺跡から出土しています。しかも弥生時代の前期の人骨です。
だから弥生時代の早い時期にどんどん東に進んだんだと思います。ただ、九州では南に下りるのがすごく遅いんです。古墳時代まで縄文人的な遺伝子が残っていました。 >>704
神武東征というよりも、欠史八代が実在しなかったと断定するのがかなりのアタオカ
欠史八代は記紀の中の記録が年号の羅列しか残っておらず、具体的な史が載ってない
史が載ってないから存在しなかった。という飛躍した論調がベース
存在しなかった証明を一切してない 記紀では神武天皇の兄の三毛入野命は常世に行ったと書かれているが和泉国風土記には和泉の地は三毛入野命の所領であったと書いてある
九州では戻ってきた三毛入野命が鬼八を退治する民話が残っている
元ネタは九州の影響がはっきりと畿内に現れる古墳時代か奈良時代に近い時代じゃないかと思うけどね
考古学的に見るとヤマト政権誕生時には出雲が畿内に移動するように見える
加茂岩倉遺跡の銅鐸が奈良の上牧や大阪の陶器など畿内に、松江の樫の鳥形と同じ形の鳥形が大阪の雁屋遺跡や池上曽根遺跡に >>712
和泉国風土記??
古風土記も残ってなければ、逸文もない本物なのかもわからない風土記だよ?
逸文として残ってる風土記は、出雲、播磨、肥前、常陸、豊後の5冊だけだよ? 住吉大社神代記にははっきりと神功皇后と住吉の神さまの間に密事があったと書かれている
秘密でもなんでもなく和歌山にも同じ伝承があるし明治までは広く知られていた事柄だろう
同じく住吉大社神代記には住吉の神さまが、
吾が名は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊
と名乗ったと書かれている
弥生時代後期の博多からは播磨の土器が多数見つかっている
播磨は暴風を起こした神さま、五色の玉を持つ石神さまの地である
播磨風土記によると、五色の玉を持つ石神さまは片目を新羅人に掘り潰され、胸にも泣いた跡があったという
スサノオと同一の神さまじゃないの?
胸と言えば胸形でしょ やっぱ「地下」もおもしろいな
宇宙よりも身近でロマンがある
ドラえもん映画も宇宙や未来編とかより地底編がおもしろいのと一緒 紀元前3600年前〜紀元後317年の山東半島人のゲノムデータ解析が現在進められており、日本列島への稲作伝播との関連でも興味深い。
mt.DNAでは山東半島龍山文化期において日本列島への人口移動を示唆する結果が得られている。
https://i.imgur.com/ZN5YGi0.jpg
https://i.imgur.com/Kc0fo8T.jpg >>7
どこぞの国が日本は〇〇国の末裔が築いた国
だから、日本は〇〇国の領土とか言いかねない >>720
縄文の時代から日本列島には様々なルートから人が移り住んでる
朝鮮半島系、インドネシア系、インド・チャイニーズ系、越族近縁系がある
南方系のインドネシア系は九州南部や四国、紀伊半島と「黒潮」の流れに沿って分布した
その他は一旦朝鮮半島を経由したり、「対馬海流」に乗って九州北部に流れ着いた
もっと細かく細分化するとスンダランド系とかにも分かれる
一応DNA分析ではっきりしてるけどね 遺伝子に優劣はないが歴史を知るヒントにはなる
少し前国立遺伝学研究所から発表された母系遺伝子の研究によると日本人はかなり地域性のある8つのグループに大別できる
九州沖縄、高知、徳島、新潟福井香川、島根鳥取、奈良滋賀、東海、東北富山石川和歌山
京都大阪は東北、東海、奈良滋賀グループの混血で1番近かったのは東北グループだった
東京や関東は東北グループからはかなり離れており、混血であるが九州に引っ張られた位置だった
東北と畿内は近く、関東と九州は近く、間の瀬戸内海や四国は多種多様な傾向
東北は7500年前のヒスイと楔状耳飾りの三内丸山遺跡
大阪は20000年前の竪穴式住居と国府遺跡の楔状耳飾りや弥生時代以降は大量のヒスイの勾玉と出土品にも共通点がある
九州と関東は共に鯰神の信仰やね >>714
風土記のうちのその五冊は写本(伝本)が残っているものですね。 弥生時代の遺跡から出土した翡翠の勾玉は
福岡県が1番多い、一重瞼が一番多いのは
勿論関西地方、大阪に行けば分かるが韓国に
行ったと勘違いするぞ >>726
そういやサイバラが漫画に書いてたけど高知の山奥の人間は
韓国人にそっくりなんだそうだ >>102
考古学にウヨサヨ境界知能を持ち込む奴はゴミ 一重瞼が多い地域は朝鮮遺伝子が濃い地域
関西〜中部、北陸、中国、四国が特に多い >>725
今一般的に、風土記と呼ばれるのは5つだけだね
その他の風土記は、他の文献に部分的に転写されていた部分であったりするものや
続風土記と呼ばれる、改めて江戸時代に編纂されたもの
はたまた、どんな経緯なのかはっきりしない偽作のものまで色々ある
続風土記は各藩で編纂させたものだったりする
原文を書写ではなく、江戸時代の藩お抱えの国学者なんかに纏めさせたものだったりする
それはそれで参考文献としての資料的価値はあるけどね >>726
古墳時代の移民や白村江の戦いの後の百済からの難民を受け入れてる事ぐらいは
歴史ネタのスレに顔を出すぐらいなら、知っていて当然のことだけど? >>705
神武東征がなかったとは言い切れないけど神武が存在してたかどうかからしてかなり怪しいので
少なくとも神武東征があったという前提で物事を考えるのは控えるべき
逆になかった前提で物事を考えるのは全く問題ない >>730
その江戸時代の続〇〇国風土記に他の××国風土記の逸文が引用されてたり
するのでやややこしい。
>>731
うん、だから一概にどうこう言えませんよね、って話 古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明
https://nazology.net/archives/110991
縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性
ウィーン大学で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶」の古墳において、
日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。 >>732
怪しいとは言っても、何もいなかった根拠は語られないのよな
逆に神武が実在した根拠には紀元前7世紀の橿原遺跡だったりがある
まさかそんな時代の遺跡を記紀編纂の奈良時代に年代測定できるはずがないのよ
神武がいた確証はないよ?
ただ根拠もなく神武がいなかったとするよりかは、実物が出てるだけ優位だろうね 邪馬台国が九州と奈良、どっちかじゃなくどっちもあった説でいいじゃん
天皇も京都御所と皇居の二箇所あるんだし、巫女が長の国なんて当時あちこちあっても不思議じゃない >>83
チャイナは周りの国全部にやってるし
うれしいとかいう問題じゃないだろ >>738
まあ魏志倭人伝に記された当時に、九州北部と奈良にそれぞれ
大きな勢力があったのは確かだろう。
他にも吉備や出雲にもある程度の規模の勢力があったはず。 邪馬台国って九州でしょ畿内で大規模な統一なんかしてないでしょ戦国時代の大名でも今の県単位より細かく国が分かれてたのに今の市町村ぐらいなもんだよ 🀀🀁🀂🀃🀆🀅🀄🀇🀈🀉🀊🀋🀌🀍🀎🀏🀐🀑🀒🀓🀔🀕🀖🀗🀘🀙🀚🀛🀜🀝🀞🀟🀠🀡 >>738
どっちにもあったとか、それこそなんの根拠もないじゃん?
少なくとも魏志倭人伝には西の方の国だったということはわかるけど
東は海を渡って別の国でしょ コロナ療養のリモートが同じだ
さておき何処まであり
休みの日とかなら良いけど
毎日飲める薬で排出されてるやろおやすみ 奈良政権が天皇家の正当性を示すための記紀で「初代は九州から来た」とご丁寧に書いた理由が気になるわ
事実をありのままに書いたのか
何かの理由があって九州由来である必要があったのか
どちらにしろ意味がありそうw パヨクに近寄らんて
くれれば繰り上げ当選できて
実はDeと交流戦以外そんな負けてますな
1500万円で握ってんだひろきよ 壺とか楽器系は自分の無知を晒してしまったか
「バカ」とは思って逆手に取ってない時は火消しに来るしかない
https://i.imgur.com/UHDtxcx.jpg >>118
予算があるかどうかのようにスイッチが切り替わり同時にコロナのせいにするんだろうな
同性ならマブダチになれるのって野党の工作なんだけど
とろ天と言ってたはずだ
要するに見た男にがんぼりされながら >>184
てかなんG民ラップ詳しいやつ多すぎで草 しかも高齢雑魚ジュニアの国際タイトルひとつも取れなかったよキンプる
んな興味持てねーだろ >>1
天皇の母親は、朝鮮半島から来たんだろ
なんでそこは知らん顔で済ませられるんだろうか なんか爆発前の会社を野放しにして思考をアップデートしろよ
スマホなんかPCなんか分からんけど >>659
正月にモチが降ってくるタイミングだな
父子鷹で売っていくのに?
嘘こけ
そもそも スターオーシャン6は今の時代だよね?そういうのはなんとか倒せそう
帰宅したら アイヌ民族差別問題の報道を評価 東京新聞特別報道部・木原育子記者にメディア・アンビシャス大賞(2024.2.2
/newsplus/1706831026
>>1
>一連の報道は、植民地支配の歴史的背景に触れつつ、アイヌ民族の遺骨返還問題が解決されていない実態や、先住民の権利問題に切り込んだ内容(23年5月14日など)。大阪・関西万博の「アイヌ民族の商業利用」に関する無自覚な差別(同12月17日)..
その方の報道はよく知らないけど、杉田水脈(安倍高市派/大阪維新)アベ[二代目池田大作スパイ朝鮮:親中派超左翼]スガ(偽アイヌ施設ウソっぽいウポポイ)等は、朝鮮人とアイヌ(北海道ネイティブの日本人)を同列に扱いつつ差別的なヘイト発信をして、つまり自分らが朝鮮人のくせにそうでないように装いつつアイヌを反日系渡来外人として嘘の印象付けをしていることになりますが
ps://i.imgur.com/Ho9HFZA.jpg >>745
人口推計というのはそんな適当な移籍数×何人で出るものではない
遺跡の規模と遺跡間の距離でメッシュの人口濃度を導き出して計算する
人口推計統計学を舐めた素人が、北九州マンセーしたくて捏造した嘘データ
はっきり言えばゴッドハンド100% まあ捏造だろうな
今回発見した人というより以前誰かがここに埋めて掘り出すの忘れてたとか
埋めた奴が掘り出す前に他の捏造で捕まったとか >>746
存在しなかった証明が何一つできてないのは、宗教ですらなくご都合主義
橿原遺跡という既に出てきてしまっている証拠にすら何一つ触れないってのは頭がヤバい
都合の悪い証拠は見たくないってかなり糖質 >>748
自身の出自や出身地、ルーツをわざわざ改変するなら、結構大きな理由が必要だろう
統治の都合とするなら、元々ヤマトに天孫降臨したと書いておいて何の差し障りもない
所詮はルーツでしかないからな
敢えて他の地域からの移民集団がルーツと書くのは、本当にそうだったんだろう 秦氏みたいな渡来氏族の痕跡かな?稲荷伸(それと集合されているダキニ天)なども大陸、朝鮮系だよね。 考えたらゴッドハンドする奴が現代人だけとは限らないよな 急にロマンシング・サガ2が全然面白くなかったの思い出した >>772
で、欠史八代がいなかった証拠は?
誰一人そこに論理的な説明を成立させたやつはいない >>774
悪魔の証明
存在したと主張するなら存在したと主張する側がその証拠を示さねばならない
ちなみに記紀に書いてあることは基本でたらめとして受け止める必要がある >>776
単純なバカは不存在の証明だからできない。に逃げる
頭を使え
欠史八代を否定する存在があることを証明すればいいんだ
八代をスキップできる証明とかな?
例えば橿原遺跡が紀元前7世紀の遺跡だから、そこが神武の到着の証明に対して
より明確なもっと新しい時代の神武の存在証明とかな
○○世紀のこの遺跡のこれが神武の実在の証明だから、八代はスキップできるとか
ぶっちけ古い文献で記録が少ないだけで、存在しなかったものとするという考え自体がアホ
それを悪魔の証明と言うのは、単なる言い逃れだ 歴史において悪魔の証明を持ち出すのがそもそも間違ってる
歴史の大半は、あっても文字文献、下手したら民族伝承の歌が残ってるだけとかになる
中々に物証を探すのは骨が折れる(それでもわざわざ吉野ケ里の土を掘り返してる)
○○は物証も乏しいし、無かったに違いない!ないことの証明は悪魔の証明だから、証明しなくてもいい
が、まかり通ると、歴史年表の大半は真っ白になる
邪馬台国も物証がないので存在しなかった。になるしかない
悪魔の証明の間違った誤用だ 橿原遺跡は縄文時代から平安時代までの複合遺跡で、つまり
記紀が編纂された時代にも人が住んでいたわけだ。当然、
そこにはいくつもの伝承が残されていて、その土地にかつての
豪族が住んでいた、というのもあっただろう。
それを元に架空の神武の宮としてその場所を記紀で当てはめたら
たまたまその場所に縄文時代の遺跡が残っていたってだけの話だわな >>782
それできっちり紀元前7世紀(BC660頃)にヒットしたのか?
そんな学術調査が記紀編纂当時の日本でできたとしたらロストテクノロジーだよw
橿原遺跡自体は土偶なんかが出る様のありきたりな遺跡だけど
むしろそんな1000年以上の伝承が当時残っていたとしたら
それはそれで結構すごい
口伝伝承で頑張ったのか、未発見の神代文字を当時はわかって読めたのか
大和朝廷のテクノロジーと学術のレベルが現代並かそれ以上ないと不可能
困ったなー そもそも橿原遺跡の出土品がピンポイントに紀元前660年の
ものだと決めつけているのがオーバーテクノロジーですね >>785
BC660ジャストではない。BC660【頃】だ。
昭和になってからの発掘調査の結果での年代推定だよ? >>776
皇国史観の否定がもたらした、
共産主義者の哀れな末路だな。
そのクセ、何の根拠もないのに、
騎馬民族説をでっち上げる。 >>766
大きな理由ね
古代は九州出身であることが権威だった、とかな >>787
その騎馬民族説に、手塚治虫や安彦良和といった人気漫画家が乗っかったから厄介なんだよ
「火の鳥黎明編」や「神武」に描かれたのが歴史的事実だと勘違いするようになってる >>787
歴史の世界に右も左もいらないんよね
ただ証拠を探す積み上げるという当たり前の作業だけ
>>788
その証拠は?
とか、お前の願望を聞いてるんじゃないって話がいっぱい混ざる 説・・・一定の根拠となる証明が可能だが、完全な証明には足りていないもの
願望・・・根拠となる証明の一切存在しないもの
例えば、邪馬台国九州説は九州北部の当時の出土品という根拠があるので九州【説】と呼ばれる
九州【説】は【説】としてのレベルにはちゃんと到達している
が、【説】の上に更に飛躍していくには、その飛躍するための『根拠』が必要になる
【説】に育て上げるための証拠は今のところ出土していない これで九州説の完全勝利が確定したな
纏向があるって?あんなの土人の酋長の墓だろ? >>792
纏向は都市遺跡の名前であって墓の名前ではないぞ?
箸墓古墳は残念だが弥生時代最大の前方後円墳なんだよ
九州邪馬台国よりも遥かに巨大な都市、遥かに巨大な墓
あれを土人というなら、九州邪馬台国は類人猿ってことになるわw >>765
無いことの証明を求めるのは悪魔の証明といいます
考古学は文献とそれを裏付ける出土品や遺跡を以てそれを証明します
しかし日本書紀には古代天皇の異常に長寿な没年齢をはじめとして
明らかに虚偽の部分があり
しかもその記述と矛盾した発掘結果(紀元前の大和朝廷の遺跡がない)があることから
欠史八代は実在しなかったと考えるのが合理的です 纏向遺跡から吉備の土器が突然消えるのは3世紀後半
台与の時代だ
魏志倭人伝によれば国内の争い、狗奴国との対立も治めた女王
古事記で吉備征伐が唯一の事績であるのは孝霊天皇
霊は巫女を表す漢字だな
漢風諡号から見ると早期のヤマト政権で巫女王は1人しかいない
卑弥呼か台与のどちらか一方のみ
考古学的結果は台与を支持する 狗奴国が弥生時代後期から続くヤマト政権の本体で邪馬台国卑弥呼は旧体制に叛乱を起こした勢力なんじゃないかという仮説が成り立つね 箸墓古墳は弥生時代では無くて古墳時代初期の
墓である事は確定しているので卑弥呼の
墓とは何の関係も無い >>794
では、なかった場合の想定説の実在性を証明してもいいわけだがな
欠史八代が「ない」ケースでの歴史の証明は「ある」ことの証明
こんな簡単は立証もできないのは糖質の考え >>795
3世紀後半というのは箸墓古墳の造営時期あたりなんだが
普通に箸墓古墳から吉備の土器類が出てるけど? >>797
最新のIntCal20で年代測定すらやってんだが?
測定結果
・AD240またはAD290~AD340
幅があるのは炭素年代測定では仕方のないこと
これ以上はドラえもんに聞くしか無い >>796
『三国志』より後に編纂された『後漢書』に従うなら
そういう考え方もできなくもない
後漢書では、狗奴国は倭国の南ではなく、海を渡った東にあると書いてるからな
後漢書:自女王國東度海千餘里至拘奴國
三国志:女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種
三国志:其南有狗奴國
この違いを
①単なる書き間違い
②後続歴史書による修正
③後漢の頃は東から攻められ三国時代になると南から攻められた
どう考えるか 倭人伝には卑弥呼の墓は棺有り郭なしとの
記載があるので立派な郭がある箸墓は
当てはまらない。卑弥呼の墓は平原王墓で
確定済み >>804
箸墓でないと言うことがイコール平原王墓が卑弥呼の墓とはならないけどな
平原王墓は15m程度しかないし葺石もしてない
流石にちょっと女王の墓と言うにはショボすぎる
副葬品は豪華だけど、周百余歩の墓とはスケールが違いすぎて
当時の北九州の統治者というにはショボすぎるんよ
同時期に福岡で作られた光正寺古墳の方が立派だよ?
前方後円墳だけど、、、
少なくとも九州北部の覇権をとった女王の墓には平原王墓は相応しくないと思うけどね >>799
実在が確認出来ないものは『無い』と考えるのが常識では?
そういう意味では現在の日本の歴史教科書は健全であると思う
あるのか無いのか分からないなら分からないとして保留して
教科書にはいるともいないとも書かず、実在が確認されてるとする時点から記述する >>806
>> 実在が確認出来ないものは『無い』と考えるのが常識では?
歴史ではそんなものは山ほどある
例えば「卑弥呼」なんて文献には出てきても、まだ残念ながら本人を示す証拠は見つかってない
同じように実在の証明ができないものなんて山ほどあるのが歴史の世界
卑弥呼も邪馬台国も文献史書の中だけのもの
だから存在しないんだ!とは普通はならない
欠史八代に限っては文献に名前があるけど、存在しないんだ!と言うのは、かなりやばい
だから別のアプローチででも証明したらいいと言ってる
いないんだ!いないものは証明できない!を
同一人物が主張してるんだから、何でもあり >>807
卑弥呼に関しては魏志倭人伝の文献を北九州の遺跡や出土品が裏付けてるだろwww
なんか頭に血が上ってないか? 邪馬台国は膨大な記述の中にほんの数項だけ書かれた特に意味のない記述
嘘を書く必要がない文献と言っていい
対して記紀はヤマト王権の正当性を「作り上げる」為に書かれた文献
存在が証明できない、という点ではある意味邪馬台国も神武天皇も同じだけど書かれた文献の前提が大きく違う >>808
魏志倭人伝の文献には名前が「ある」
欠史八代も記紀には名前が「ある」
欠史というのは史がかけるという意味で
「史」とはその天皇の功績などの物語の事
「歴」にあたる経歴や系譜はある
功績などの物語が載ってないから存在しない。というのはかなり「思想」的な部分か「メンタル」がやばい
そして日本書紀には神武天皇の歴史と、橿原遺跡という状況証拠が揃ってる
実は卑弥呼と、神武天皇の実在性って現状では同レベルなんよ?
そうすると神武天皇からとんでもなく期間が抜け落ちる
面倒になって神武と崇神は同一人物だーとか、これまた何も証明せずにがなりだす
やっぱ思想かメンタルに問題があるとしか思えない そして>>808が言う通り遺跡や出土品がその存在を裏付けてるし
地名はともかくその行程(狗奴韓国から海を渡り対馬壱岐を経由して九州に上陸)に関する記述はでっち上げではあり得ないレベルの整合性がある
少なくとも魏国が邪馬台国(耶馬壱)と呼ぶ国が存在したのはほぼ間違いない あと纏向は記紀の記述を裏付ける存在にはならない
見つけた遺跡にあとから物語を付与するのは容易いことなので >>809
魏志倭人伝が信頼できるかどうか?
という調べ方も調べ方も良いと思うけど、残念ながら中国史書には間違いが多々ある
人口が明らかに当時を上回っていたり、三四尺の人間が登場したりね?
中華史書だからただしい、日本の史書だから間違い
という分け方は、思想的な間違い >>812
纏向?橿原遺跡ではなくてなぜ急に纏向?? >>813
ちゃんと魏志倭人伝が出鱈目ではあり得ない理由が書いてあるだろ
お前は相手の意を汲むどころか自分に都合の良いところだけ話そうとするからダメなんだよ
上でも言ったが端的に言って頭が悪い >>815
だったら人口を水増ししてる理由は?
72から96cmの人間の存在を書いてる理由は?
小人族は山海経という三国志よりも前に書かれた、中国の寓話や妖怪について書かれた書物のコピペ
真実かどうかではないんよ? 種子島広田遺跡の人骨で平均身長は150cm
三四尺とは明らかにない
鳥に捕まって連れ去られる山海経の小人とはレベルが違う
当時の日本人の平均身長より5〜10cmの低身長に過ぎない 魏志倭人伝は妄想を語っただけのもの
邪馬台国など存在しないし卑弥呼も存在しない
卑弥呼伝説も卑弥呼神社もないのが証拠 >>816
くだらん
話にならない
>>818
上でも言ったけど妄想と言うにはあまりに整合性が取れ過ぎている
それが日本にとって邪馬台国であったかどうかは別として
魏国が邪馬台国と呼ぶ国が存在したことはほぼ間違いない
まあただ後世日本の使者が中国に対して「我々は邪馬台国の者です」と名乗ってるらしいから
そういう意味では日本にとっても邪馬台国なのかな 世界一有名な小人症のエマニエル坊やことエマニエルルイス氏でも身長は130cmある
それより低い小人族はホモサピエンスであることも怪しいが、遺伝疾患を持つ家族のケースのようなものがベースの伝承なんだろうな
恐らく血族婚による劣性遺伝の発生が原因かな? >>810
神武天皇の古墳の考古学的な発掘調査はされてないから
神武天皇の実在は不明だよw
発掘調査したら4世紀の墓でした
という可能性だってあるんだから
欠史八代も同じ >>819
説明できないだけだろw
中国史書にしろ日本の史書にしろ、大筋の話の全体像はその通りでも、間違ったことは普通に書いてある
その程度のことにも思い至らないとか、SNSとかやらないほうがいいよ? なんつーか願望に合わせて学問をねじ曲げてる奴が癌だよな
そういうのが真実の解明を邪魔する >>823
ほんとにな
真実を探究しようとしない学者なんて存在価値ないだろうに
まあゆうて学者連中も頭悪いの多いからな
下手すると自覚すらないのかもしれん >>821
それって墓が不明の卑弥呼も実在しないということかな?
神武は橿原宮、橿原遺跡の年代で、BC660に橿原遺跡の辺りに住んだんだろう
あとよく言われるのは、河内湾から白肩津の草香邑まで船で移動できたのは紀元前の土砂の堆積前までの地形だとか 邪馬台国関係のスレではいつも思うけど記紀をベースに物事考える奴は話にならない奴しかいないな
まあ畿内説を唱える奴にもまともな論調の奴は見た記憶ないが >>823
歴史というのは文献史学の読み解きだけではないんだが?
学問を名乗るのは、文献史学と発掘考古学、民俗学の3つのラインの答えをすり合わせること
だから未だに吉野ヶ里で発掘調査なんてやってる
民俗学的な伝承は流石にもう残っていない。文献に書いてる。だけではなく発掘調査で文献の裏付けを取る。
卑弥呼も邪馬台国も今の所発掘調査では、結果が乏しい
だからといって存在しなかったとは普通は考えない
まだ見つかってないだけ、または既に消失してると考える
欠史八代も同じ事 >>826
記紀をベースしなければならないのは、邪馬台国や卑弥呼を記紀の流れに乗せたいやつが
何も証拠も出さずに現れるからだよ
卑弥呼はアマテラスだ!とか、邪馬台国が後にヤマト王権になったとか、一つたりとも証明するような根拠がない 邪馬台国の場所だけの話であれば、今の所可能性の高いのは九州北部だ(邪馬台国九州説)
これ以外の話題はないし話の広げようはない 棺あり郭なしとは棺桶に直接土をかぶせた
と言う事なので、方墳か円墳の事だから
倭人伝に記載指定る数字が大げさに書いている
と言う事だから大きさを信用する方がアホ
卑弥呼の墓は平原王墓で確定だな >>828
ヒミコは役職名で日本列島含めあのエリア一体はぜんぶヤマトだよ
狭くとらえすぎ
もっと大きく捉えないとダメ >>830
じゃあ大きさ以外は信じていいのかな?
何を信じて何を捨てるのか?って個人の好みではなく
根拠が必要になる 弥生時代の北部九州のお墓からは三種の神器が
副葬品として出土しているので皇室は伊都国
出身と言う事は分かっている。奈良は単に踏み台
にされただけ >>825
魏志倭人伝の記述によって伊都国奴国の所在地の比定については畿内派すら否定しない
そして中国鏡を始めとする中国との交易があったことを証明する出土品や
魏志倭人伝の記述を裏付ける幾つもの集落後もある。
卑弥呼の墓は比定されていないが魏志倭人伝の記述の信憑性は欠史八代とは比較にならないレベルで確認されてる >>827
その場合は
『存在したかしないか確実には分からない
分かっていない』
というのが学問的な立場になる。
砂浜の地形の描写だけで全部本当だと信じ込むのは宗教
科学は『それを否定する証拠が出たらその仮定は間違い』という原則がある
砂浜の描写が正しくても紀元前に存在した筈の大和朝廷の遺跡がないなら
日本書紀の古代の記述に関しては真偽を保留しなければならない >>835
弥生時代に三種の神器が揃ってでるのは別に福岡だけではないぞ?
実は大阪府の四ツ池遺跡だったり、生駒山麓の古墳からも出てたりするぞ?
※3つセットで出土の日本最古は福岡市内だし
箸墓ではないが、そのもうちょい南の古墳からも出てるし
もう少しいろいろな情報を収集したら? >>836
『存在したかしないか確実には分からない 。』
存在を立証できる証拠が無いということだけど
それは卑弥呼や邪馬台国でも該当する
書いてあるんだから【あるんだろう】が古代史では大体通例となる
(古すぎて物証の類も乏しいがしかたがない)
書いてあるけど【ないにちがいない】を使い分けるってのは
結構な歴史ではなく『思想』的な汚染なのよ 国作りと大和政権の誕生は実は同じだろう
国家としての中心性を確実に認めるのは1世紀後半〜伊勢遺跡だな
首長たちが集まり祭祀を行なった跡と考えられている
伊勢遺跡からは山陰北陸近畿など各地の特徴を持つ建物群が見つかっている
見事に弥生時代後期の鳥形の分布に重なるのだ
更に当時の近畿地方は出雲と関係が深い
出雲と近畿の在地の勢力が手を組み国作り、大和政権が始まったんだろう
出雲のが加茂岩倉遺跡は紀元前後に営みを終え加茂岩倉遺跡の銅鐸が近畿各地から見つかっている
松江の西川津遺跡の樫の鳥形と同じ形の鳥形が、青谷上寺地遺跡、池上曽根遺跡、雁屋遺跡から見つかっている >>783
口承では何年に何が起きた何をやった等残らない
欠史八代は自然と言うか当然
口承で知るのは2、3代前まででそれすら聞き伝でだいぶ違っているかもしれない
5代前とか系図戸籍上の名前以外はもう知らない
口承では名前すら知らなかったろう
何処から来たとか誰と結婚した等は残りやすいと思う 連邦共和国だった倭国の都がどこにあったかなんて議論してもあまり意味がないよね
次の代には都の位置が大きく変わってるかも知れんのに 同じ畿内派でもウヨとサヨがいて
ウヨは卑弥呼=天皇家の女性と言いたい
サヨは朝鮮出身の神武天皇が東征して邪馬台国を滅ぼしたと言いたい
ってことなんかな >>842
そういえば卑弥呼の次の壹与の国ってどこなんだろうな?
その中間にも一度男王が立ってるし、位置が変わってたのかな? >>837
古墳時代になったら関西からも三種の神器が
出土するようになったと言う事だな 邪馬台国は三十余国から成り立つ連合国家で
その頂点が吉野ケ里に君臨していた卑弥呼女王
だったが、死後は出身地の伊都国の平原王墓に
祀られた >>847
結局、吉野ヶ里最後のピースの日吉神社からは大したものが出てこなかったがな
まだ発掘は続いているのかな?
15m程度の平原王墓は同時期の九州北部の墓としてもスケールが小さすぎて
連合国家のトップの墓にはふさわしくもない >>704
古墳人に黄河流域という特異性はない。中国東南部に広く分布している系統というくくりしかない。 >>793
曹操の薄葬令が守られた時代に、魏の使者に見られることなく巨大古墳を次々に造ったんだよね
さすがだわ 弥生時代に剣、鏡、勾玉のセット(三種の神器)
が出土したのは1.福岡市西区の吉武高木遺跡
・・弥生初頭
2.糸島市の三雲南小路遺跡、井原遺跡
3.春日市の須玖岡本遺跡
4.七ケ瀬遺跡
5.糸島市の平原遺跡(弥生終末期)
僅かこれだけしか無い >>851
佐賀福岡ばかり
そういや日本神話の神様が祀られてる超古い神社もこのあたりに集中してんだよね >>850
魏の様式なんて前方後円墳の時点で全く守ってもないだろ
ちなみに弥生時代の前方後円墳ってだけだと、畿内にも九州にもある
福岡市石塚山古墳とかね >>748
奈良の政権っていうのは、近江の勢力と大阪の南部の勢力の接点。大阪南部の勢力は九州南部から紀伊半島に至る勢力でありその勢力が大王を立てたという意味。
神宮皇后は近江のグループで卑弥呼の時代はその両勢力の争いから統一へ至り中間点の奈良で統一政権ができた。 >>838
いや出土品や遺跡の質と量が段違いだよ
100%ではないが70%80%というレベル
100%以外は0%と同じというのは詭弁 >>839
尚、現実は
東海大学教授の考古学者北條芳隆氏
「いわゆる邪馬台国がらみでも(旧石器捏造事件)と同じようなことが起きている」
「証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされておりマスコミもそれをそのまま報じている」
「近畿地方では古い時期の古墳の発掘も多いが
、邪馬台国畿内説が調査の前提になっているために
遺物の解釈が非常に短絡的になっている。
考古学の学問性は今や崖っぷちまで追い詰められている。」 >>853
畿内は纏向を邪馬台国としていて、その纏向が巨大古墳だらけ
九州説の邪馬台国候補地周辺にそんなもんねーよ >>858
畿内説の大御所寺澤薫の「卑弥呼とヤマト王権」から抜粋です
纒向遺跡が形成された初瀬川上流の「纒向川扇状地」小共同体には、弥生時代の拠点的母集落はおろか、
集落といえるほどの遺跡がない。
自然林に覆われた空閑地に突如として纒向遺跡は出現したのである。
纒向遺跡の第一の特徴は、弥生時代にはほとんど人の手が入らなかった地域に、
三世紀になって突然、人が集まりはじめて巨大な集落を形成し、
一〇〇年もたたないうちに急速に衰退する点にある。以上転載終わり
要するに2世紀の纒向には邪馬台国の痕跡どころか集落遺跡も無かったという事です 大和国が相手した隋唐は邪馬台国の魏に仕えた漢人残党と胡族傭兵の末裔が作った政権で歴史的に繋がってるからw ふむ(´・ω・`)
俺は考古学も大切だが天文学の知識の知見も必要と思う
当時の人たちは満天の星空でいろいろ解釈した
距離や東西南北は勿論、海や大地や風を学問として予測もした
馬鹿にする人もいるが専門家を除き広く現在の日本人より天文学に対する知識は遥かに上 大阪南部に巨大な古墳があるようにこの時代の中心地はここ。纒向からの単純な継続性は疑わしい。纒向は近江の遺跡と祭祀の形式が似ており近江の勢力が作ったと推定できる。その後は大阪南部の勢力が伸長し天皇のルーツはこちら。近江は物部系と考えると整合性が高く越国から出雲までの勢力と大阪南部、紀伊半島勢力との和平によってできたのがヤマトの国。 >>857
>> 証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされており
これは正に邪馬台国九州東遷説の事だ
一切証明してない >>859
纒向の原型は近江の伊勢遺跡にありこちらは卑弥呼の時代より古い。またこの周辺は縄文から弥生に至る遺跡や大規模な水田跡も続々と発掘され近年のホットゾーン。
つまり、この勢力の勢力拡張によりできたのが纒向でそれはその後の大阪南部の勢力とは別系統でヤマト国への継続性が見られない。 日本が、日本と呼ばれる所以
日出づる国だから(´・ω・`)
世界的にも日付変更線は太平洋にあり、もちろん今は日本より先に今日を迎える国が多々あるが >>856
質や量で何か確度が上がる?
邪馬台国について魏志倭人伝にかかれている内容には、当時の生活様式などはあるが
それ以外は大したことは書いてない
余り地域を断定できる素地はないけどな 日本精神文明探見隊
シン日本古代史 概論
2021.11.14
カテゴリ シン日本古代史 (1)
◆シン日本神代古代史◆
高天原=邪馬台国=九州北部
天照大神=卑弥呼+台与
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族
神武天皇以降は、邪馬台国連合から独立した。
十代崇神天皇が邪馬台国を制圧したので、天照大神=卑弥呼+台与が祟った。
「高天原=邪馬台国=九州北部」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)
天照大神の生誕地=筑紫の日向(九州の南or北)
天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
天孫ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」
日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。
畿内に独立国を成立させた神武天孫族系が、その後に高天原=邪馬台国と勢力争いになって、十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。
欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。
・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。
崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。
そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。 >>865
出土品に中国との交易を示すものがないから
邪馬壹国ではないな >>868
な?こういう一切証明や根拠のない珍説が出てくるだろ?
こういう飛躍した妄想はラノベにでもかけ >>867
今から1000年後に
日本の500円玉が10万枚見付かった地域と
500玉が1000枚しか見付からない地域
日本の可能性が高いのはどっちだ?
あ、君には難しい考察かな?
www 中国違って歴史のない土人国だからな
神話も時の解釈で捏造し放題 >>871
可能性の話と、欠史八代、悪魔の証明を混ぜるとか頭湧いてるだろ >>869
近江の高島から中国と同じ形式の銅剣がすでに発掘されている。
邪馬台国=出雲〜越〜近江連合。物部系
狗奴国=熊野〜浪速連合。天孫系
という解釈もあり得る。 まぁ普通に半島の影響はあっただろうね、お互い晴れてれば見えるエリアにいるんだから 日本書紀では卑弥呼=神功皇后(近江の息長氏)???と記述されているが、その推定の基礎にはヤマト国以前の近江系の政権を示唆しているのではないかと。 >>876
神功皇后は女王国を滅ぼした側に見えるけどなw 三国志、陳寿は何を思って書いたのだろう
蜀に使え西晋になり記録を残したかったんだろうな(´・ω・`)
戦乱の世を平和にしたかったが変わらなかった >>877
ただ、近江での祭司の形式が非常に呪術的で卑弥呼の呪術を想起させる。神功皇后もその血筋で非常に呪術的。また九州とも縁が深く一定の整合性はある。
いずれかの時代に近江〜出雲連合が北部九州にも勢力を伸ばしたとも考えられる。 神功皇后は天照中興www
唯一皇族で天照が憑依した女王w 天照大神が女性になったのは近江勢力を想起させ、神武天皇が南九州からというのは大阪の南部古墳群を想起させる。そういう物語ではないのかと。
何せ伊勢遺跡ってのがね。神宮皇后の関係が深かった丹後にも元伊勢神社があったりと。 >>873
あぁ、やっぱり君には難しかったみたいだねwww >>876
そうか?
魏書云倭女王〜と書いているが、神功皇后の記録とは、はっきりと分けて書いてあるぞ?
文体が明らかに違う >>874,876
近江は卑弥呼の3世紀頃にはもう北部九州から来た海人族に支配されている
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>218
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w
まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)
包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg >>884
日本書紀では神功皇后とは断定していない。その氏族あるいは祖先と示唆している可能性あり。 >>878
陳寿は元々指示されて歴史書を書いていたわけではなく、歴史書を作ったのはたまたまなんだけどな
その辺については晋書の列伝に陳寿の項目があるので、そっちに詳しく書いてある
陳寿の師から歴史書編纂を学び、ライフワーク的にまとめていたものが
晋の役職も辞した陳寿の元に、お前のまとめてる歴史書をよこせ。と言われて提出しただけだったりする 近江の主力は彦根の息長氏。九州にも存在しない大規模な鉄器攻防が存在。
半島の騎馬民族は重い鉄器を半島から運んできてこの勢力と戦ったのかなw
そして、黄河系のDNAは日本では非常に少ない気が そして、黄河系のDNAは日本では非常に少なく半島系騎馬民族の痕跡はない。 >>888
だからいろいろ書けたんだね
ふむ(´・ω・`) >>887
海人族のどこが騎馬民族なんだ?
どうも邪馬台国議論はこういう事実と願望の違いが分からないアホが多いな >>889
3世紀当時はまだ日本で鉄原料が国産化されておらず
全量朝鮮半島からの輸入だったとされている
それが出来たのは半島と行き来する航路と航海術を持っていた北部九州の海人族だけ
>>885とピタリと符合する 最初は当然大陸から近い九州が発展して行った筈
だったら邪馬台国は九州で成立し
その後ヤマト政権になり近畿へ移って行ったと考える方が自然じゃね?
何で九州すっ飛ばしていきなり近畿なの? 隋唐は三国志の於夫羅や去卑や拓跋力微や莫護跋の子孫www さてその北部九州の海人族だが、有力者は貝輪と呼ばれる貝殻で作った腕輪を身につける風習があった
材料のゴホウラ貝は奄美以南でしか取れないので、沖縄方面まで行って輸入していた
それの広がりによって海人族の勢力圏が分かる
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
見ての通り、日本海側も瀬戸内海も沿岸部は彼らの影響下にあった
その貝輪の分布密度を見れば、彼らの主であった邪馬台国の女王がどの辺に居たかも一目瞭然
https://stat.ameba.jp/user_images/20150220/08/shimonose9m/52/4b/j/o0480071013223349840.jpg >>895
もちろん中国の最先端のものは、最も近い九州にも最初導入される
が、最大化するには九州というのは日本列島の端っこ過ぎて適さない
水田なんかが良い例で
最初は佐賀県の菜畑遺跡には紀元前10世紀には伝播してるが
最大化したのは奈良県の中西遺跡の紀元前5世紀 >>894
日本で自前の銅を作れたのは、鉄よりも後、銅山が発見されてから
銅製品は日本列島に広く分布する(鏡とか銅鐸もだね)
また鉄鋼鍛治工房にしてもしかりで、吉備だったり淡路島だったり、関東ですら鍛治工房があったりする
原材料の輸入経路を一手に独占していた。という訳ではないのだろう >>897
海人族でも南の隼人のルートにしか見えないけど? 琵琶湖の鳥形については弥生時代中期に伊勢遺跡の近くにある下之郷遺跡から見つかっている
弥生時代後期になると息長氏の本拠地であった長浜や彦根など琵琶湖北部からも鳥形が見つかるようになる
息長の枕詞は鳰鳥の
鳰は平安時代に作られた和製漢字で鳥に入ると書いて水に入る鳥を表しているらしい
ちなみに鳰鳥のは葛飾に掛かる枕詞でもある
まだ見つかってはいないが葛飾辺りも弥生時代後期鳥形の国作りに参画していた可能性もある 息長鳥と書いてシナガ鳥と読む枕詞がある
息長鳥は猪名や安房に掛かる枕詞である
箱根の東側の神奈川の地はかつてシナガ国であった
箱根の西側は弥生時代後期になると登呂遺跡など静岡市、沼津市、細江町の5つの遺跡から鳥形が見つかっている
全て摂津の玉津田中遺跡の鳥形と同じ形の鳥形である
摂津の地はかつて猪名国であった
箱根には猪に纏わる言い伝えがあり、神奈川の寒川神社の御神体は猪の頭である
琵琶湖北部の伊吹山の神さまはヤマトタケルの話にも出てくる白い猪であった >>897
海産物の獲れる場所は気候でコロコロ変わるけど(現在ブリ・トラフグ・伊勢海老などが北上中)
縄文人
弥生人
古墳人
国巣(全国に分布、王権に帰順=佐伯、討伐対象=土蜘蛛)
倭人・倭国(九州に地盤、紀元前後から大陸と交易、呉太伯の末裔を称する)
日本(畿内に地盤、出自に天孫神話を持つ) 剣・鏡・勾玉の三種の神器セットは壱岐の原ノ辻遺跡
からも出土しているようだ 摂津の猪名川は弥生時代の早い時期から灌漑設備を持つ高度な稲作が行われていた地域である
弥生時代後期になると猪名川の稲作を行なっていた集落は急激に規模を縮小する
仮説に過ぎないが弥生時代後期、猪名川の稲作集団は静岡に移動して登呂遺跡を作ったんじゃなかろうか
弥生時代後期に誕生した登呂遺跡からは区画化された水田跡が見つかっている
駿河国風土記には神女降臨神話が書いてある
神女の軽い衣は松に掛けてあったとある
全国に羽衣伝説が残っているが衣を掛けてあるのは松や岩である
偶然か、香川の高松、島根の松江、石川の小松と松の地には鳥形が見つかった弥生時代の大集落が存在する 大量の鳥形が見つかっている石川の小松の八日市地方遺跡は大量の木製品が見つかった勾玉製造の大集落である
瀬戸内海、近畿、東海など広範囲の搬入物もあり、広域で交易が行われていた
弥生時代前期の樫の鳥形が見つかっている松江の西川津遺跡は港がある漆器など木製品の一大製造拠点であった
西川津遺跡の樫の鳥形と同じ形の鳥形が見つかっている大阪の池上曽根遺跡からはサヌカイトの剣や石槍、数千点に及ぶ紀ノ川産の石から作られた石包丁のある石器の一大製造拠点であった
池上曽根遺跡からは石器の祠や木製の男根も見つかっている
唐古・鍵遺跡では大量の木製品が作られていた
弥生時代後期にはかなり交易が盛んになり、集落毎の分業体制が広範囲で築かれていた 稲作をメインにする集落、物作りをメインにする集落が山陰北陸近畿東海など広範囲に渡り交易で繋がるのが弥生時代後期である
北陸、近畿、東海の真ん中に位置する野洲川に首長たちが集まり祭祀を行なっていたのが伊勢遺跡である
伊勢遺跡では夜に水の祭祀が行われていたと考えられている
水の祭祀に関係すると考えられる漢風諡号は安寧である
安は、新婦が廟にお参りをして清めをし、嫁いできたことを祖先の霊に報告し、嫁いできた家の霊を受けて、この家の人になる儀式をしていることを示している漢字
寧は、屋内に水盤を置いて神に願い事をし、心を安らかにする意味の漢字
伊勢遺跡に首長たちが集まり祭祀を行なって婚姻を結んでいたのではなかろうか?
出雲の大国主をはじめ日本の神々は結びの神さまが多い
大和国風土記にも石津神と天津神の三都のまぐわいは婚姻のことという記述があった
因みに安寧天皇の片塩浮孔宮は『古事記伝』『大日本地名辞書』によると柏原市が候補地になるようだ
柏原には奈良から降りてきた龍神が留まり大和川の治水を行った伝承が残り大和川の辺りに弥生時代後期の大集落跡が見つかっている
伊勢遺跡と同じ時代にできた集落跡である
柏原は面白いところで、青谷上寺地遺跡の人骨から復元した人物のそっくりさんに柏原市の人が選ばれたと一去年辺りにニュースになっていた
『和名類聚抄』には「河内国大県郡鳥取郷」とあり、古代の 寺院・集落跡があって「鳥取千軒」とも呼ばれてきた、柏原市青谷(あおたに)の周辺であろうといわれている レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。