421幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2017/08/31(木) 01:18:07.16ID:???>>423
興味深い記事があったので貼っておこう。トルコ語が分かる人は内容を教えてくれ。

'Abdülhamid Yahudilerin Filistin'den toprak almasına izin verdi'
アブデュルハミドはパレスチナの土地をユダヤ人が購入することを許可した
https://tr.sputniknews.com/turkiye/201708281029910386-abdulhamid-yahudilerin-filistinden-toprak-almasina-izin-verdi/

423名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/31(木) 12:14:23.92ID:iBhuq2AU
>>421
ざっくりと、以下のような内容が書かれている。
(もし認識に誤りがあれば、どしどし指摘や訂正をよろしく。)


マフムト2世の時代、1828〜1829年に露土戦争を契機として
オスマン帝国とロスチャイルド家の関係が始まったとのこと。

1853年7月には、露土戦争のためライフル4万挺、ライフルの
銃身2000筒、薬莢1000万発、カプセル(医薬品あるいは弾薬を
詰めたもの)5000万個をロスチャイルド家から購入し、このため
1051万4976クルシュが支払われた、とオスマン帝国の財務省の
記録に残されている。

アブデュルハミト2世の時代になると、ロスチャイルド家からの
借金はますます膨れ上がる。1891年には(年利)4%の利息で
631万6920ポンドを返済期限60年で借入れた。1894年になると
821万2340ポンドの債務を背負っており、これは1955年までを
返済期限として毎年32万9249ポンドを返済することを意味する。

もちろん、1955年を迎えるよりも先にオスマン帝国は崩壊した。
ローザンヌ条約を締結したことにより、新生のトルコ共和国が
オスマン帝国の債務、つまりロスチャイルド家に対する上記の
負債を返済する義務を負った。〔訳注:ローザンヌ条約では、
トルコ経済が安定するまで賠償金の支払いを猶予している。〕

話は前後するが、アブデュルハミト2世の時代、ユダヤ人が
当時オスマン帝国領であったパレスチナの土地を合法的に
購入していた。事実上、ロスチャイルド家がパレスチナに
植民地を作り上げてしまったと言える。

〔訳注:ユダヤ人がパレスチナに土地を購入することを許可した、
とはこのこと。許可したと言うより、反対しなかったというレベル。
オスマン帝国が強かった時代はトルコ人の民族主義が乏しく、
それがユダヤ人など非トルコ系帝国の臣民に有利に働いた。
オスマン帝国が弱体化してトルコ人中心主義者が権力を握ると、
現にトルコ人による凄惨なアルメニア人虐殺事件が起こっており、
成り行き次第ではユダヤ人が対象になってもおかしくなかった。〕