金丸−田辺から梶山−村山へ
 
金丸さんと田辺さんの関係は、
私が政界入りしたときにはすでにあったような気がするが、
記憶は定かではない。
 
それほど、この両者の結びつきは古く、長きにわたっているということだ。
 
はっきりした与野党のパイプとして金丸−田辺ラインができたのは、
田中内閣時代の昭和四十八年(1973年)ごろだ。
金丸さんはその前年から自民党国対委員長だったが、
当時、田辺さんはまだ社会党の国対委員長だった。
 
この二人はウマが合い、急速にその関係を深めていった。
 
社会党の「審議拒否」が日常化するのも、
金丸−田辺ラインができてからだ。
 
つまり、国対によるパイプラインが、もっぱらお金の通り道として
定着したことを意味する。
 
(中略)
 
社会党委員長に就任する前まで
同党の国対委員長だった村山さんは、
田辺さんの直系である。
 
それが、金丸さんの直系である梶山君とコンビを組んだ。
 
このようにして、金丸−田辺ラインは
梶山−村山ラインに受け継がれた。
 
村山執行部の誕生は、田辺さんが力を盛り返して
院生を敷いたと見ていいだろう。
 
(「日本をダメにした九人の政治家」浜田幸一・著 p.188〜)
 
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