再発見された野口の解剖検査記録ノート(野口英世記念会提供)
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福島県猪苗代町出身の細菌学者、野口英世(1876〜1928年)の顕彰活動に取り組む野口英世記念会(猪苗代町)は18日、野口の遺体を解剖検査した時の所見を記したノートをガーナで再発見したと発表した。ノートは何度か行方不明になっており、同会はノートを預かって保存することを検討する。

ガーナの解剖結果を記録した約450ページのノートで、黄熱病の研究で同国に滞在していた野口に関する記述は1ページ。黄熱病に自らかかって死亡したとの所見を、共同研究者だった英国人病理学者ウイリアム・A・ヤングが記している。

ノートは1979年、ガーナに野口記念医学研究所を建設するプロジェクトを進めていた福島医大調査団が首都アクラの病院で見つけた。損傷が激しかったため、記念会が99年、在日ガーナ大使館の依頼を受けて修復。大使館に渡したが、その後、所在不明になった。
 
2010年、アクラの野口記念医学研究所の金庫にあることを日本の関係者が確認。だが、今年11月に現地を訪れた記念会の野口由紀子主任が再調査した際には確かめられなかった。その後、解錠した金庫から原本が見つかったとの報告が現地から届いた。
 
野口主任の現地調査では、野口が使ったとみられる顕微鏡が在ガーナ日本大使館に保管されていることが確認された。
 
記念会の竹田美文副理事長は「博士が自殺したという説が一時流れたこともあり、ノートは博士が黄熱病で亡くなった事実が分かる貴重な資料。今後、行方不明にならないようにしたい」と話した。

配信2017年12月19日
河北新報
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