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 東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)委員を務め、脱原発運動をけん引してきた九州大教授の吉岡斉(よしおか・ひとし)さんが14日、死去した。

 いつ取材に行ってもユーモアを交え、複雑で専門的な話でも分かりやすく説明してくれた。冷静で説得力のある議論をしつつも、脱原発の力強い意志を秘めていた。

 東京電力福島第1原発事故(2011年)後、政府の核燃料サイクルの中止方針に青森県が反対した時には声を荒らげることもあった。「息子(青森県)がばたばた反対して、家長である政府が配慮をしてやる。そんな家族会議の芝居を公共政策でやる。とんでもない話だ」。あの時のすごみは忘れられない。

 昨年12月末、福岡市内の病院を見舞った。「私の本に原子力の歴史を書いているから、それを読めば豊かな仕事になる」。それが遺志となった。

 一方で「3月には退院して家に戻りたい」と最後まで復帰の意欲も口にしていた。原発に頼らないエネルギー政策の実現をずっと願っていた。原子力と向き合っていく私たちに残してくれたものを大事にしたい。【関東晋慈】