【訃報】人気ヒップホップグループ「ET―KING」いときんさん死去 38歳 昨年8月肺線がん公表
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死去した「ET―KING」のリーダーいときんさん
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大阪を拠点に活動する人気ヒップホップグループ「ET―KING」のリーダー、いときん(本名・山田祥正=やまだ・よしまさ)さんが31日、大阪府和泉市内の病院で死去した。38歳。兵庫県三田市出身。昨年8月にステージ4の肺腺がんであることを公表し、治療に専念していた。
「ギフト」「愛しい人へ」などのヒット曲を持つ浪速のブルースマンが病の前に力尽きた。関係者によると、1月中旬に夫人に心臓の痛みを訴えて病院に緊急搬送されたという。心臓に水がたまっており心肺停止の状態で、30分間の心臓マッサージで一時持ち直したものの、意識が戻らず家族が看護を続けていた。
いときんさんは昨年6月の定期健診で異常が見つかり、7月に細胞検査を受けたところステージ4の肺腺がんと診断された。本人に自覚症状はなかったが、脳とリンパ節への転移も判明。8月に病気を公表した。抗がん剤治療は受けず、自宅療養などを続けていた。最近は免疫力を上げるため体力づくりにも励んでいたという。
ET―KINGは、これまでになかった関西弁を使ったヒップホップで人気を博した。いときんさんはメインライターの一人でもあり、リーダーとしてグループを引っ張った。入院後も病室に音楽機材を持ち込んで曲を作った。4月25日発売の新アルバム「LIFE」で全曲のレコーディングに参加しており、闘病中も音楽への情熱を燃やし続けた。
豪傑で酒豪、おとこ気にあふれる一方で、繊細で情に厚いことでも知られた。知人は「曲作りに強いこだわりがあった。歌詞の一つ一つに哲学があった。すてきな曲をもっと世に出してほしかった。本当に残念です」と肩を落とした。
昨年12月28日に大阪で行われた全国ツアー最終公演が最後の公の場となった。1500人のファンを前に「力もらえました、生きるで。ありがとう」と感謝を口にしていた。音楽関係者は「あまりにも突然のことでショックだ。ライブに出たのはどうしてもファンに気持ちを伝えたかったのだと思います」と話した。
99年にデビューしたET―KINGは2014年4月に活動を休止。同年9月には、上原多香子(35)の夫だったメンバーTENNさんの自殺という悲しみに見舞われたが、それを乗り越え、15年にメンバー6人で活動を再開していた。
◆いときん(本名山田祥正=やまだ・よしまさ)1979年(昭54)3月3日生まれ。兵庫県三田市出身。旧芸名はイトキン。高校卒業後、97年に大阪の福祉専門学校に進学。99年に大阪でTENNさん、KLUTCHとET―KINGを結成。その後にBUCCI、センコウ、DJBOOBY、コシバKENが加入した。2007年の「愛しい人へ」はデジタル配信で100万ダウンロードを突破するなど大ヒットとなった。
2018年2月1日 05:31
スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/01/kiji/20180131s00041000370000c.html ちょっと前にも有名?なラッパーか何かの人が死んだってスレがあったような気がする >>1
>音楽関係者は「あまりにも突然のことでショックだ。
がん公表してたんだから突然ではないだろう
何も考えずにテンプレコメントしてるんだな 日本語のヒップホップって
お経あげるときの口調で自分語りして
仕上げに「君を大事にする」とか言ってお仕舞いなイメージ
んで、実際にやってることはヤクとカツあげ ガン告白したけどステージ4ではアカンかったか
同い年だから何とも言えん 誰だかよく分からないけど、若くして悔しかったでしょうに…
年齢が近いのでなんだかショックです
ご冥福お祈りします
毎日後悔ないよう生きたいものです MRIが入れ墨いれてる人には使えないってのは常識だと思ってたが 全力で行きまーす
だれだよ!!!!!!!!
まあDQNが死んだって事くらいは判るが
おつかれっした! ボーカル自殺にリーダー若死にってなんなんだ?このグループは 前向きな歌詞歌ってるくせに当の本人たちが不幸に見舞われすぎ 滅多にほかの歌手のことに触れない中島みゆきが「良い」と評価してた稀有な存在だったのに
報われねえなあ。 時と場合でアンダーシャツで隠すバカでかいタトゥーに興醒め。
身体にも良くなかったな。 ヒップホップグループなのに「浪速のブルースマン」って意味よくわからないな >>43
いときん兄やんとは直接は関係ないけど
相方のTENNちゃんの元妻が多香子 >>33
ステージ4は死亡宣告やで
治療という選択はない
病院でしぬまでゆっくりしていってねってかんじ ・ステージ4の肺腺がん・脳とリンパ節への転移あり
・抗がん剤治療は受けず、自宅療養
・免疫力を上げるため体力づくりにも励んでいた
発見が遅くて治療断念したのかお約束の標準医療拒否なのか >>59
タトゥー野郎だったんだな
知らない奴だが若くて死んで可哀想と思ったが
それ聞いて画像検索したらひでぇな
タトゥー野郎と知らずに可哀想と思って損したw 俺もお前らも明日ガンになるかもしれないし、死ぬかもしれない。
今日を頑張って、楽しく生きようぜ 30代で癌ってやばいな
遺伝的なものも大きいのかもしれない 「いときん」だから本名は伊藤ひとしだと思っていたのにまさかの山田 >>33
二十代三十代でW宣告されたら死神が足元にいるから好きなことして、
身辺整理しろよ
今まで多くのガン見舞葬式行った体験でな、若い人は生還が無理なんだわ。
でも老人に成ればなるほどWでも癌細胞と共存して長生きできる >>78
毎日、誰でもガン細胞が5000個も出来ているんだぞ、馬鹿 売れてないときに、アスベスト除去のバイトしてたそうだから、原因はアスベストかな? >>48
候補者
中曽根康弘 1918年5月27日 (99歳)
瀬戸内寂聴 1922年5月15日 (95歳)
内海桂子 1922年9月12日 (95歳)
村山富市 1924年3月3日 (93歳)
橋田壽賀子 1925年5月10日 (92歳)
渡邉恒雄 1926年5月30日 (91歳)
不破哲三 1930年1月26日 (88歳)
竹村健一 1930年4月7日 (87歳)
キダ・タロー 1930年12月6日 (87歳)
海部俊樹 1931年1月2日 (87歳)
小林亜星 1932年8月11日 (85歳)
石原慎太郎 1932年9月30日 (85歳)
黒柳徹子 1933年8月9日 (84歳)
吉田義男 1933年7月26日 (84歳)
大山のぶ代 1933年10月16日 (84歳)
山崎拓 1936年12月11日 (81歳) いかにもなウェーイ系押し付けで嫌いだったけどこれはお気の毒さまだ
この若さじゃ発覚したときは基本手遅れだもんな >>84
まぁ刺青なんて自分に不利になる事するやつはさっさと死んで当然
後から知らなかったってパターンだとは思うが 六十過ぎたら一部の人を除いてWでも抗がん治療すれば
じわじわ痛みながらも長生きできるぞ
元同僚の旦那六十代が末期癌で十年近く生きている ガンが小さく成ったり
大きくなって治療したり、東京いって民間治療して…
元同僚の老後の蓄えと旦那の退職金が治療で消えたってさ。別名金かかりの贅沢病と言われるのが癌 >>84
共存てか老人は代謝が死んでる分ガン細胞もゆっくりしか増えることができないからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています