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誰が本物の犯罪者なのか?自由、犯罪、奴隷制の正しい哲学的定義:

”自由”とはある個人の彼自身の身体と彼の正当な物質的財産の所有権が侵害されていない状態である。
別の人の財産を盗む人は別の人の頭を殴る人が行う様に被害者の”自由”を侵害し制限している。
”自由”と無制限の所有権は同一歩調を取る。
他方で、..."犯罪"とはある人の身体や物質的な財産の所有権に対する侵略の行為である、
犯罪は暴力の使用による、ある人の財産に対する、そしてそれ故に彼の自由に対する侵害である。
"奴隷制"(自由の反対)は奴隷が自己所有権を少ししか持たないか全く持たない状態である、
彼の身体及び彼の生産物は暴力の使用によって彼の主人により系統的に搾取されている。

マレー・ロスバード、For a New Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。

社会的な法益を尤もらしく比較衡量し、公共の福祉を算出して見せる黒衣の詐欺師共の詭弁に関してはどうか?:

奇妙な事に、功利主義は道徳性、善い事はそれぞれの個人にとって純粋に主観的であると仮定している一方で、
他方ではこれらの主観的な欲望は社会の様々な個人に渡って足したり引いたり、測ったりする事が出来ると仮定している。
それは個人の主観的な効用と費用は”社会全体の効用”や”社会全体の費用”に達する為に足したり引いたり測定される事が出来ると
仮定しており、それにより功利主義者が所与の社会的政策への賛成や反対を助言する事を許している。
現代厚生経済学はとりわけ”社会的費用”や”社会的効用”の概算、そして正確な定量的概算と言われる物にさえ
至る事に慣れている。しかし経済学は我々に道徳原理は主観的であると言う事ではなく、効用と費用が主観的であると言う事を、
つまり、個々の効用は純粋に主観的であり序数的である、そしてそれ故に、”社会的”効用や費用の概算に達する為に
それらを足したり比較する事は全くの誤りであると言う事を正確に伝えている。

マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty.
マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。
彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。
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