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なぜ児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者は恣意的な定義や思い込みを繰り返し、言葉遊びに興じる事を選ぶのだろうか?

彼らの話を聞いていると、彼らの主張の根底には現実世界の全てを自らの精神が作り出した空虚な観念、
幻想と解釈し、どのような法や概念も自分で作り出し変化させる事が出来るに違いないなどと言う
虚無主義的な考えが有る事がわかる。

児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者はこのような物自体の本質を否定する虚無主義的な態度を根底に持っているので、
同意の上の性行為は搾取や暴力であり、同意の上で家に泊める事は誘拐である、そして暴力的な奴隷化は保護であり、
暴力により子供達の自由や権利を奪う事により彼らを保護しているなどと物事の本質的な意味と正反対の意味を
概念に貼り付ける事により言葉遊びに興じる。

彼らは初潮を迎え性的に成熟した子供と性的関係を持つ男性に何か悪い所が有るかのように批判しているけれど、
本当は物事の正当化など無意味であり、あらゆる概念や法は我々自身が作りだした空虚な観念に過ぎないのだから
どのように振る舞おうと何も悪い所はないと考えているのである。

彼らは恣意的な定義により子供達と同意の上の性的関係を持つ男性を悪人として非難する。
他方で自らの主張の恣意性を批判されると虚無主義的な主張を持ち出して議論から逃亡する。
このような矛盾した態度が児童ポルノ法や未成年者誘拐罪の支持者達の特徴である。

他方でリバタリアンを始め、児童ポルノ法や未成年者誘拐罪に反対する人々はプラトン、アリストテレス以来の西洋合理主義の伝統、
自然法哲学の伝統に沿っている。これらの伝統においては、あらゆる物には一定の本質的な意味内容が最初から含意されている。

リバタリアン哲学、西洋合理主義哲学、自然法哲学において、法や権利、自由や正義と言った概念は単に人が作り出した空虚な観念ではない。
それらは人間本性に最初から含意されており、理性によって発見される事が出来る客観的真実である。9784651