アジェンデ大統領による社会主義政策により
産業の国有化が進めれたことに反発した軍部及び保守派は、
アメリカ(ニクソン政権)のCIAから、
資金と軍事支援を得てクーデターを断行した。
 
http://www.y-history.net/appendix/wh1703-074_1.html
 
新自由主義による経済政策
この民営化と外国資本の流入は
一時的な経済の活況を見せ、
「チリの奇跡」と言われるたが、
この経済政策は
新自由主義経済を主張するアメリカのシカゴ大学の
ミルトン=フリードマンの下で訓練を受けた
「シカゴ・ボーイズ」という経済学者たちが、
アメリカ政府の意を受けて行ったものであった。
 
また、この改革は労働市場の自由化と
労働組合運動の破壊を通じて
短期雇用と流動化を強制していった。
 
結果的に、貧富の差が拡大し、
1980年代には停滞に逆戻りしてしまった。
 
http://www.y-history.net/appendix/wh1703-075.html
 
こうして「新自由主義」経済学者として育成された「シカゴ・ボーイズ」の政策に従って、
ピノチェトは、組合交渉権を違法として実質上労働組合を解体し、国営企業を売却し民営化し、
財産や営業利益に対する税金を撤廃するなどの規制緩和を行い、
年金制度の民営化を行い、保護貿易を撤廃することで貿易の自由化を強行し、
外国からの直接投資を招き寄せたのだ。
 
水産物や森林資源などが民間に開放され、
先住民の抵抗も虚しく、乱獲や乱伐されるに任せてしまう。
 
イラクの基幹資源の石油が残されたように、
チリの場合も、銅の収益が独占的に国家の収益として残され、
国家運営の資金とされ、国家指導者の懐を潤すことになるのだ。
 
これによって一時的に財政黒字が齎され、チリは好景気となった。
 
こうしてチリの国家経済は潤い、「チリの奇跡」と騒がれたのだが、
これはまさに一過性のもので、数年の内に対外債務が
国家を破綻に追い込むほど拡大してしまっていた。
 
実は、この「チリの奇跡」というフレーズはフリードマン自身の考案で、
これによって「新自由主義」が売り込まれていったのだった。
 
ピノチェトは、シカゴ・ボーイズのアドヴァイス通り、
国営銀行を安く売却し、銀行は海外の投機家達の手に渡り、
彼らは買収した銀行から、製造企業を買い漁り、
その資産を担保にして、さらに外国人投資家達に資金調達を行った。
 
http://pastport.jp/user/sheltem2/timeline/郵政・総務大臣の年表/event/M19YUuAggaA