先に総論「日本人は雑種と数多の雑種の雑種」

>>429-432
まあ一口で「弥生人」といっても長年にわたって「大陸から来た雑多な連中」が
先住民である圧倒多数の「縄文人」と同化していって形成されていった人々で
縄文から弥生に漸変していった結果
大陸系の特徴を残したままの人々を便宜上「弥生人」と呼んでいるだけにすぎない

稲作をもたらした連中は中国南部なのは間違い無いだろう
稲と「弥生人」一派のゲノムが一致しているから他ならない

ただしあくまで一派であって全部ではなく
朝鮮半島からもやってきたのが居てこれもまた「弥生人」の一派だ
その一部がヤマト王権と関わりが深いとされている
(まあヤマト王権自体が九州北部から畿内に東遷しているのでこの辺も混雑している)

「縄文人」はこれらを受け入れ大陸南方北方双方を受け入れており
駆逐された訳ではなく日本列島全域に均質に残っている

>>435
「縄文人」はバイカル湖付近からやってきた