■日本経済、絶頂期の1985年から2018年までの歴史。プラザ合意から間違った経済政策を推し進める(強要)日本政府
(1985年まで一人勝ちだった日本経済が凋落し、バブル化し、バブル崩壊後も1997年まで上がり続けた国民の実質賃金が下がり続けている理由)

かってアジアの極東の小さな島の有色人種国家でありながら欧米ユダヤ白人国家による人種差別、植民地政策に敢然と立ち上がり、
それをことごとく解放してきた日本を、アメリカ(ユダヤグローバリスト国際金融資本)は完膚なきまでに叩き潰し占領政策により二度と立ち上がれないようにしたはずだった。
しかし日本は僅か40年で驚異的な経済復興をとげ、欧米諸国に対して巨額の貿易黒字を出し、世界経済でほとんどひとり勝ちといっていいような状況でした。

当時の日本は移民や不正規雇用による低賃金や法人税減税などの企業優遇という国民を貧乏にし
苦しめるインチキをせずとも国際競争力も維持した、内需も貿易も潤う実質、世界一の経済大国だったのです。

〇プラザ合意
日本との巨額の貿易赤字によりアメリカは日本経済を潰すためにプラザ合意という日本経済破壊とアメリカの赤字解消のための為替操作を強要。
当然、日本はそんな一方的な不当な要求を拒否するのだが、ある不可解な事件の1か月後に日本はプラザ合意を無条件で受け入れる。その事件とは↓
日本は国防をアメリカに依存するアメリカの属国、植民地であるから仕方ない?
日本はATMとして必要なので完全には潰しませんが。

〇日本航空123便墜落事故=1985年8月12日、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落し、乗員乗客合わせて524名中、520名が死亡した航空事故。
【日本航空123便】〜悪魔による撃墜事件〜
https://www.youtube.com/watch?v=l7AWTIMYZWo&;t=7105s
JAL123便墜落事故−真相を追う
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/0a90a4a1a164494d36e1aa4d06d7e6e8

〇1985年9月22日プラザ合意締結。
プラザ合意によってドル円は直前の240円台から1988年に120円台まで下落。
ただ円高不況も終わり景気が拡大している中で日銀は不必要な大幅な金融緩和政策をおこなう。
その結果、日本は高度経済成長から驚異的な経済成長をし続けてきたこともあって、
多くの企業が借金をして(実態経済以上)土地や株を買いあさるバブル経済化。