【不正競争防止法】「八つ橋」創業年「創業元禄二年」巡り提訴、600万円の損害賠償ー京都
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京都銘菓「八つ橋」を製造・販売する老舗「井筒八ッ橋本舗」(京都市東山区)は4日、のれんや商品説明書などに「創業元禄二年」と事実と異なる記載をしたとして、別の老舗「聖護院八ッ橋総本店」(同市左京区)に不正競争防止法に基づき記載の差し止めと600万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。
聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」とコメントしている。
訴状などによると、井筒八ッ橋本舗の創業は1805年。聖護院八ッ橋総本店は元禄2(1689)年の創業としているが、八つ橋がいつから作られ始めたかを記録した文献はないと主張している。
【共同通信】
https://jp.reuters.com/article/idJP2018060401002251 >>83
美玉屋のくろみつ団子
それ以外の餅菓子もおいしい
あそこの餅生地はクニュクニュした食感で好き >>79
将軍でも京都にはあんまり厳しく言えなかったんじゃないの? >>100
阿闍梨餅アゲも多過ぎて食傷気味
ステマ入ってるレベル 京都駅でやる気のない売り子のオバハンが、低い声で「夕子でーす」って店頭声掛けしてた。
あれから、夕子と言うと場末のスナックのママのイメージしかない。 >>100
これうまかったで
あんぽ〜ね
http://a-n-kyoto.shop-pro.jp/?pid=92568918 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) >>101
かきつばたの句が有名ですが、八つ橋が出てきます。
伊勢物語 第9段
むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
「京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに」とて、行きけり。
もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。
道知れる人もなくて、まどひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭におりゐて、乾飯食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、
からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。 なんだかんだいっても小豆使った食べ物はたい焼きが一番美味しいな 帝都物語の加藤は、八つ橋が大好物だったって知ってた(^ ^) >>107
聖護院門跡や熊野若王子もあって江戸時代も参拝盛んだったから土産を売る茶店があってもおかしくないだろ 八つ橋がそんな昔からあるとは
ニッキはどうしたんだろか輸入してたんか? >>116
自己解決
ググッたらこんなんが出てきました
江戸時代にシナニッケイの樹木が伝来し日本で栽培が始まった >>98
聖護院村に格式ある寺院があっても、洛外なんだから、菓子の需要は無い。>>107
>>107
おっしゃるように聖護院村と吉田村は田畑でしたね。
京大総合博物館平成28年度特別展「文化財発掘III」激動の幕末と京大キャンパス
http://www.kyoto-u.ac.jp/maibun/book/pdf/leaflet05.pdf 餅だけならなんとか食えるが
いろいろ具を入れれれると不味くてかなわん >>1
はぁ?
会社の創業年って、別に八ツ橋製造開始年と関係ないだろ。
任天堂の創業が1947年で、
「そんな昔からテレビゲーム無い」
と言うのと同じじゃん。 八ツ橋うまいだろ
俺は好きだ
むしろ東京の雷おこしがクソマズい
俺東京者な あぶり餅も向かい合って、我こそは本家と張り合ってるわ 記録が残ってる方が勝ち
幕末に京都は焼けてるけどその辺をきっちり資料だせば簡単に決着
明治以降に書いたものは捏造ばっかり 神社とか相撲協会とか全部インチキ 信玄餅と安倍川もちも、元祖をはっきりさせて欲しい。 >>122
聖護院八ッ橋総本店は、HPで元禄2年(1689年)現在の本店の場所にて八ッ橋を作り、
販売をはじめ、以来三百二十年余りに渡り八ッ橋を製造し続けています。
って内容ちゃんと書いてるから。 ふたばの豆餅も八つ橋もゲロマズ。
美味いもんは大阪に行けばなんぼでもある。 >>125
でもあれプロレスみたいなもんなんやで。
年末休みの日も二軒で合わせてたわ。 >>132
名物には美味いもんは無いで
八つ橋と比較するなら昔からある大阪名物の菓子「岩おこし」な >>126
明示より前の記録が残っているのなら、本家争い、元祖争いをしているわけだから、
西尾さんか、聖護院さんがホームページに資料を発表するはず。
それが無いのだから、資料は残っていないと判断するのが妥当。
東洋文庫の近世菓子製法書集成 1、2に
古今名物御前菓子秘伝抄、古今名物御前菓子図式、餅菓子即席手製集、菓子話船橋、
南蛮料理書、鼎左秘録、古今新製名菓秘録
という江戸時代の料理、菓子についての翻刻がある。
まともな索引がついているので見てみたけど、
外郎、かすていら、葛粽、鶏卵素麺、コンフェイト、薩摩羊羹、塩瀬という感じで色々でてくるのに
八ツ橋は出てこない。
江戸時代に八ッ橋という菓子は無く、西尾さんが八ッ橋屋と名乗っていただけでは? 八ツ橋程度の安価な土産物にいつの創業とか地元でも誰も気にしてないわ
漬物屋みたいに仲良うせいや 昔からの利権絡みの遺恨に決着をつけたい。ということやな。
京都の土産もの物産業界は昔、商工会議所、ロータリー、ライオンズ、JCとかあらゆるところを二分して西利井筒グループと大安聖護院グループとが激しい戦いをしていたのだよ。
ああ懐かしいなあ。 でもね、京都のお土産なら、なんかトタン屋根みたいな焼き菓子が美味いと思うんだ >>119
肉桂について >>139 の「近世菓子製法書集成 1、2」の索引をみると
椿餅という蒸し菓子と、錦浜という練り菓子が出てくる。他はポルトガル料理。
で、錦浜というのは、求肥に肉桂と白檀の粉を練り込んで、形に切って、上に紅砂糖を塗って仕上げる。
錦浜は生八つ橋に似ているように思う。
でも焼いた八ッ橋に似た菓子は出てこない。
ということは、肉桂を使った焼き八ッ橋は江戸時代にはなかった可能性が高い。 生八つ橋はどこでもいいけど
ノーマルの焼いた八つ橋は聖護院の方が好き。
でも創業とかどうでもいい。
どっちのお店の商品も食べられるかたちで収まってくればそれで。 >>145
前スレで画像たっぷりで紹介されてた(;´Д`)ハァハァ
男はみんな聖奴院の味方 >>150
こっちも京菓子の専門書出してきたけど八ツ橋の記述がないw
「門前菓子」の章もあるんだけどね つまり八橋検校由来ではないということかあ
残念無念 >>156
八ツ橋は、明治時代のパリ万博の時に、西尾さんが創作した菓子の可能性が高いですね。 生八ツ橋を最初に作ったところはどこなの?
八つ橋はたいしたことないけど、生八ツ橋はすごくおいしいよな。 >>157
西尾さんは江戸時代に「八ツ橋屋」という屋号だったので、伊勢物語の八ツ橋の段とか、八ツ橋検校に関連付けて、八ツ橋という菓子を売り込んだのかも知れません。
菓名の由来が、検校さんとか、在原業平さんとかで、菓子を作った訳では無いのかも。 >>159
あれはもともと隠しメニューみたいなもんで
店のはしっこでりっぱな包装もされず無造作に包まれて売られてた >>159
戦争中の食糧難の時に、八ツ橋は代用食として重宝されたみたい。だから、井筒さんやおたべさんは昭和20年ぐらいの創業。
その頃から焼く前の八ツ橋は売られていたみたい。
餡を入れた生八つ橋は、1966年発売のおたべが最初。 >>162
切り離さずにシート状で売られていたという話もありますね。 スーパー行ったけど八ツ橋売ってなかった
そりゃそーか >>164
そのとおり
家に持って帰るとくっついて塊になっていたりする >>168
清水寺の参道などに行くと店頭で実際に焼いているぞ >>125
あぶり餅めちゃうまいがめちゃ高い
中に落ち着いた座敷があるのは観光タクシーの運転手さんに教えてもらった
京都は観光タクシー最強 唐菓子にも茶の湯にも出てこない
米粉の前に原型が無いのも不自然だろ
いきなり米粉の焼き菓子かよ
何より何処かに献上品になってたのか?
無名菓子がそんな歴史ある?w >>174
宮中で供された有職菓子でもないし
大名屋敷や公家屋敷に出入りできる菓子司だった記録もない
裁判所で全否定されたらどうするんだろうな 創業年を気にして買う客がいるんだろうか
損害賠償を求めるのは無理があると思うが 八種唐菓子が訛って出来た呼び名がヤツハシだろ?
それ売ってる店がヤツハシ屋
八種菓子ではヤツハシと読めないから八つ橋に変えた
こんな感じだろ? パンの消費率全国一とかでもわかるように
何気に京都は大陸の文化を最も色濃く残してるとこだよな >>163
各社のサイトによるともっと古いらしい
井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生 かたことの日本語で八種唐菓子売り出した菓子やが
菓子を発音できずハシ連呼してたんだろ?
日本人売り子 「八種菓子いかが〜!」
三国人売り子 「ヤツハシイカガアルョ!」
こんな感じだろ? >聖護院八ッ橋総本店は「驚いており、お答えしようがない」
「弊社先祖代々の古文書や聖護院や京の有力者の文献に記録が残っており、
創業年も320年絶えず八ツ橋を作り続けていたことも証明できますビシッ!」
じゃないの?何故?根拠示せばいいだけやん? >>183
おたべの先代社長によると、餡入りの最初はおたべ。
>井筒 1947年つぶあん入り生八ツ橋夕霧発表
夕霧を商標登録した年を調べてみたら、シロクロがはっきりすると思う。今の商品名は夕子でしたっけ?
>聖護院 1960年つぶあん入り生八ツ橋聖誕生
商品名が書いてないのが不思議。現在の商品名は聖かな? 聖護院八つ橋は悪質。本家八つ橋から賢八つ橋の販売を委託されたのを勝手に自分で作って売ってた前歴がある。1698年創業なんてウソ。生八つ橋でも井筒のパクリ。訴えられて当然。 夕霧は饅頭みたいなもんだからカテゴリーが違う
あん入り三角形は「おたべ」が最初 >>186
記録があるんだったら各社のホームページで紹介しているはず。
紹介していないと言うことは記録が無い。
江戸時代の菓子についてまとめた江戸時代の文献を見てみたけど、八ツ橋は出てこない。
八ツ橋は明治時代に西尾さんがパリ万博に出したのが最初では? >>179
>>184
八ッ橋は「八橋検校」(やつはしけんぎょう)っていう箏の音楽家からつけた名前だよ。
あの瓦みたいな形は八橋検校の箏の形からとってる。
箏をやってる人なら知ってるけど「八段の調べ」とか作曲した人で、バッハよりも古い。 >>1
これ聖護院がねつ造と主張するならその立証をするのは井筒だろ
ただ単に文献がないという指摘だけで立証になるのか >>194
根拠が無いのに歴史があると主張するのは優良誤認につながる。
ホームページで製品の歴史の古さを宣伝しているのなら、古さを立証する責任は製造業者側にある。 でもねでもね、
井筒さんのHPでは、八橋検校が亡くなって彼を偲んで作られた堅焼き煎餅が八ツ橋だって書いてあるんだよ?
亡くなったの1685年だよ?
八橋検校由来と主張しながら、そんなに古くないはずって訴えるのは合理性がとれないんじゃないの? 聖護院という名前からして井筒より断然古そうだけどな
そこの寺院の僧侶が茶席で出したのが発祥だろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています