【訃報】徳川慶喜の孫娘、井手久美子さん死去、95歳 先月自叙伝を刊行
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徳川慶喜の孫娘、井手久美子さん死去
井手久美子さん(いで・くみこ=江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫、作家)は1日、老衰のため死去、95歳。
葬儀は近親者で行い、後日「お別れの会」を千葉県君津市山本1535の圓明院で開く予定。
喪主は長男、純(じゅん)さん。
故高松宮妃喜久子殿下の妹。
今年6月、戦前の華族の暮らしぶりなどをつづった自叙伝「徳川おてんば姫」を刊行した。
産経新聞 2018年7月2日 10時27分
http://news.livedoor.com/article/detail/14949432/ 慶喜っていやいや将軍にさせられてしまったのか
それともやる気満々で引き受けたのか 徳川の子孫だとオランダ風説書に関する研究等をしている学者の松方冬子しか知らん 江戸幕府将軍の孫が今まで存命だったことにやはりちょっとした驚きと感銘を覚える
昭和も本当にセピア色の印象になってきたし 由伸はいろんな意味で激動を生きた類稀なる最後の
トップだったな 一年程度しか将軍やっていないんだよな。
やったことが凄すぎる人だよ。
マジで優秀 まぁ史上最低の馬鹿将軍のレッテルから最近ではかなり評価戻してるからな。よかったじゃないか。 >>22
>史上最低の馬鹿将軍
そんな評価などあった? >>23
一昔前は普通に最低の将軍評価だったろ
大阪城まで進軍しながら味方放置して自分と取り巻きだけで船で江戸へ逃亡
びびって大政奉還したってのが評価の半数はいた。
いや頭よくね?ってなったのはここ20年くらいじゃないか? 俺のひい祖父さんも江戸時代生まれだったし江戸時代はまだ最近のことなんだな >徳川慶喜
ばか将軍だったが近年は撤退の名手と評価も変わった
華族になって6人の子供をもうける
家康を上回って最も長命だった将軍
幸福な晩年を送ったなどしたたかな人物 徳川慶喜って子供15人くらいいたので、子孫山ほどいるよ >>29
それ、あなたのイメージだけじゃない?
当時から一橋慶喜は弁は立つし別格の存在だったようだよ。
だから将軍にもなれた。継承の血筋から言えば遠い存在だったのに。 昔の人はケーキさんて呼ぶんだよな
水曜日のダウンタウンの企画でみた 紀州徳川もこのままいったら完全断絶だから
徳川家もますます寂しくなるね
最後まで残るのは尾張っぽいね 正直あそこで抵抗して泥沼の内戦にさせなかったのは英断だと思う 井手らっきょの母親か
不祥の息子でなかなか死ねなかったんだな >>43
尾張は当代は鍋島の子孫じゃなかったかな
水戸がしっかり残っている
ついでに一橋も >>33
将軍珈琲は亡くなってたのか、知らなかった。
紀州ももう断絶なんだよね。
一言相談してくれたらw この人は長生きだけど、この人の親の代はどこもわりと早死にのいイメージ
ご両親も子供時代に亡くなってるし、
この人のお姉さんの嫁ぎ先も成人前にご両親亡くなってて元家臣と兄弟しかいない家で育つ感じ
島津家に招かれた英国人家庭教師の本を見ると、島津家もそんな感じで親死んでて元家臣団が世話してる >>49
子供いたけど、離婚して母方になってしまったから、終りか 聞いたことあるお寺だと思ってたらわんこの火葬場じゃないか
この前しばらくぶりに通ったらカルトっぽくなってたけど何があったんだろう >>41
アホか。俺は昔から慶喜が優秀だと思ってるわ。
そんなもん幕府側の人間からしたら戦わずに逃げ出して自分らの食い扶持を壊した裏切り者と考えて当たり前だろ?
歴史を相対的に見れない考えられない人間こそ愚かで恐ろしいわ >>55
宗家
尾張徳川家
水戸徳川家
紀伊徳川家
田安徳川家
清水徳川家
一橋徳川家 徳川慶喜を生で見た事がある人、まだギリこの世にいる説 >>43
宗家の息子はベトナム嫁との間に子供居なかった? >>14
傍系だけど慶喜の子孫の方から猛アプローチをされたな…
子供だけでももうけていれば、子供は宮家と縁談話もあったかな 子孫を残すって大変だねえ
江戸時代の段階で紀州と尾張は直系絶えてただろ >>24
井手らっきょが井出らっきょと表示されて、どっちが本当か調べた事思い出した
今回ははっきりとソースに書いてあるのに、普通に間違えるの居るんだなと分かる >>51
相談して何になるんだ?
紀州は怪しげな婿が入って没落したんだぞ 慶喜が劉禅ばりの暗君であったため、
徳川家は滅亡してしまった。 歴史上の人物って、どこまで本当に実在したんだろうな
徳川慶喜は確実にいたんだろうが、聖徳太子とかって本当にいたんだろうか? >>13江戸時代って150年くらいの前でしかない
今の90代は祖父がサムライ時代の思い出を直に聞かされた人もいるのだろうな
すごい >>69
計算したら 大正2年だと105歳の人でないと見てないです 慶喜は大政奉還したあとは、のけ者にされて世をすねていた勝海舟を先生、先生と頼っていた。
やっぱり馬鹿将軍だわ。 >>6
孫なんかチョンなんだからチョンチョンだろ? 全く日本史憶えてないんだけど、水戸黄門て誰がモデルなん?
また、本当に身分隠して悪い奴成敗してたん? >>76
聖徳太子という名前の人はいないはず。厩戸皇子は実在してたみたい。 徳川慶喜、勝海舟、斎藤一、永倉新八…
20世紀まで生きた江戸時代の有名人 >>62
血統的に徳川家康の男系子孫で若い人がいるのは水戸家と一橋家。
あとは慶喜の数多い子供の子孫にいるかもしれない。 大河ドラマ内定したな
近年の大河ドラマは隔年ごとに女主人公なんだけど
資料が少ない人物を好き勝手改竄するもんだから
歴史ファンからは不評なんだよ >>83
黄門様は徳川光圀。大日本史を編纂した人。関東近辺くらいは歩いたみたいだけど、諸国漫遊はしていないらしい。 徳川さんの孫が生きていたことに驚き
江戸時代って意外と最近だな 本出してたが、耄碌した年寄りの自尊心をくすぐって誰かが焚きつけたんだろうなぁ >>91
それが一橋
今はイチゴ農家に切り換えたようだ 慶喜の評価は教科書で教わっただけの奴と
植民地メソッドを知っている奴とで
評価が真逆になる >>73
日本を内戦の危機から救い、徳川家の治世を終わらせた人だよ >>41
薩長や朝廷側の慶喜の評価は微妙な感じだけど
佐幕派の会津桑名らからは厳しい意見が今でも大きい
慶喜を悪く書いてる人は、ほとんど佐幕派の考えの人
大河ドラマでも佐幕派が主人公だと慶喜は悪者、倒幕派も決して良い扱いではなく
誰を主人公にしても慶喜は悪者になってしまう(慶喜主役の大河はもちろん別)
戦国の石田三成(真田丸や黄金の日日などは例外)と慶喜は悪者扱いが多い 喜久子様って慶喜の孫だったのか
お妃もそのあたりはまともだったのに今ではぐちゃぐちゃに 慶喜のおかげで西郷は島から戻れたんだよ
大河でやってたから間違いない >>43
尾張は江戸時代に御三家で唯一直系が絶えてしまい
幕末でちょっと活躍した殿さんは水戸系からの養子やったな
徳川家康の子孫は紀州と水戸しか残らんかったはず
保科正之の会津も絶えたし、忠輝はどうなんだろ? >>108
今は会津容保の血統で、松平容保は高須藩からの婿だから尾張系と思いきや
ここ水戸からの養子が入ってるので
先祖は水戸頼房 >>115
その後の話があるのだよ
佐倉藩主堀田家から養子をとるのだが、
堀田家は鍋島の子孫が入っているので
血統から言えば尾張徳川家は鍋島の子孫ということになる 徳川宗家って、どんどん血筋が減ってるんだな
知らなかった
これを知ったら、尾張大納言がどれ程怒ったことか…
丁度、昨日、
暴れん坊将軍を見たから、
ふと思ったw 慶喜って大政奉還したあとは駿府で遊び回ってたんだよなぁ。サイクリングしたりハイカラだった つい150年前までポン刀振り回して殺し合ってたんだもんなあ
ふしぎなかんじ 自分の生きている時代に慶喜のお孫さんが存命してたことに驚き。明治と現代はつながってるんだよな。 >>86
ツイッターで頭の弱い所を晒してるのは水戸の若様だっけ? >>4
アベ辞めろと叫んでる奴らは
ゲルや進次郎が政権取れば納得するのか? 慶喜公は写真家としても有名で、江戸時代の数少ない実写人物。
子孫の生前写真もちゃんと残さねば…
4K60P動画/ISO40000以上のフルサイズ写真。 >>120
水野忠邦は確か浅野長政が祖先で
外様では浅野、有馬、島津が、子孫が豊富で色んなとこに養子に出てるみたいやね 今の価値観で言えば戦国時代の殿様すべて糾弾しなければおかしいが
その子孫が未だに持ち上げられてる >>13
ちょっとしたタイムトラベルの感
これがまた心地よいんですわ いいから!先頭にその旗を立てて進め!徳川慶喜は朝敵でござるっ! ああ、ちょっと前に見た
姫って痛いわ 爺さんみたいな顔して… 本物なら 物部家の末端分家
あちらの家系なら 家系背乗り 最近は再評価される傾向にあるが
自分が死にたくないから早めにバンザイしただけだろ
人間としては面白そうな人物ではあるけどな
無理くり褒める必要もないと思うけど ただのペン1本でも
そこから素晴らしい物語を生み出す人がいる 今、徳川家の当主は経済評論家になって
時々、テレビにでてるだろ
次の都知事選あたりに出ると
逆大政奉還が実現するぞ 宗家と尾張と水戸は跡継ぎいるよね。宗家の外人女性と結婚した若さん子供いるのかな。
昔と違って無理に養子とったりしないで断絶させちゃうよね。 徳川家の子孫とか今でも凄いのか?毎晩3万のディナー食ってるのかな。 あきらかに偽物だな、本物なら苗字が徳川か一橋のはずだ >>9
松方冬子さん(旧姓徳川)って皇太子殿下のお妃候補の一人だった人か >>130
慶喜ちゃんは賢いね、ばかりで変に間のあるスローな大河で退屈だったが
明治以降の慶喜をどのようなラストエンペラーとして描くか?
これに注目し最後まで見てたが、江戸城無血開城で終えてしまった
先にも書いたが、大河では毎回誰を主人公にしても慶喜は悪く描かれてしまい
この大河は子孫にとっては嬉しい大河ではあったのでは? ※15代慶喜の子孫←本家に 在らず
勘違いするな
慶喜は 一代限りの 決め事
当時の老中と大奥の決め事
16代 徳川いえさと←本家
尾張から入り 16代嗣ぐ決まり
明治時代 徳川いえさとの 臣下となる慶喜 >>79
まさにその条件に合致する人が水曜日のダウンタウンに出てたけどご存命だろうか >>139
結果的に内戦が長引かず済んだのはよかったんだろうけど
最後まで戦おうと家臣達に演説した直後に逃げるのはやっぱり酷いわ >>45
はっきりいって慶喜のこと悪く言ってたのって禄を失って新時代に適合する出来なかった旗本御家人とかの没落士族とその子孫だろ。
先を客観的に見る目(徳川および武家政権はどのみちもう終わり)と亡国の君と呼ばれても敢えて無駄な闘いを避けた決断力は素晴らしいと思うがな。 大河の慶喜は鶴田真由が義理の祖母役で、嫁の石田ひかりが慶喜との仲に嫉妬してたな >>154
あんな事したのに
かつての臣下に暗殺されなかったのは何故なんだろう >>126
今度は次の総裁にやめろと言うだけ。
そこに理由も目的もない。
ひたすら現政権に反対し続ける宿命を背負った悲劇の血族だから。 慶喜の出の水戸家は光國が「徳川将軍家は我らの親族の長でしかない。
我らの主は天皇家である。」の頃から勤皇。
しかも、慶喜の母は天皇家の出だ。
天皇の血筋引く慶喜が錦の御旗と戦うわけにはいかない。
その場を繕うために配下を鼓舞しても、実際には刀向けられるわけない。 95歳で作家デビューってニュースになったのに
もう亡くなったとか() >>154
家臣も「まあ、将軍的にこう言わんといかんだろうな」
って空気だったんじゃないかね
すでにみんな諦めてたとか 慶喜は明治維新後のんびり余生を楽しんで
何の為に会津やらが必死に戦ったのか、訳が分からんな >>163
朝敵が枷なら足利尊氏みたいに北朝をたてられんかったんかな? >>8
むしろ先か長くないと分かってて遺書のつもりで本を出したのかもね 反新政府の意気込みを一番くじく方法が将軍の裏切りだったから、
一度抗戦の態度を取った後逃げたんだろうなぁ、、
恭順を公に示したあとで排除されても自分の立場が危ういし、
将軍職のままでいないとその後の交渉に差し障りがある。
抗戦派に排除されないように将軍として恭順の態度を取り撤退するにはそれしかなかったんだろう。 水戸徳川家は御三家の中で最も格下ということで
アンチ徳川だったからクソみたいな人材しか出なかった >>124
平成16年に亡くなった高松宮喜久子妃は、慶喜の孫なんだが、この方は慶喜が生きている
うちに産まれていて、膝にだっこされた写真が残っているらしい。 いざとなったら養子が来るんだし武家の家系図ってあんま血縁的な意味ないだろ >>139
松平容保もそうだよな
切腹したくないからと女子供まで死ぬまで戦わせておいて
自分だけはさっさと降伏して明治の世をのうのうと生きた
水戸はそういう自己保身の卑怯者の血筋なんだよ結局 >>157
富士山丸だったか、大阪から退去した船に妾の女連れ込んでたので、
「あいつ、殺してやる」と息巻いてたのがいたとか
そもそも慶喜は幕臣からあまり好かれてなかったのは確かで、
それは水戸斉昭の息子だとか、先代の家茂と血縁が遠いとか
将軍になる前に政治活動をしすぎたとかの理由が重なってて
慶喜の側にも幕臣を家臣として思いやる感情が希薄だったのだと思う
それにしてもよく殺されなかったよなw >>171
戊辰戦争で切腹したり敗死した大名は実はいない
家老や直参旗本クラスなら結構いたけど 錦の御旗は、おかしいよね。
突然急に現れた。
古代日本では、和族は、中国政権から、旗を貰って、
中国の支援があるぞと、威勢を示して、内戦をやったらしいから、
御旗が出てきたのは、二回だけ >>173
あの人は久松松平だから家康の血統ではない >>171
維新で腹切った大名は一人も居ない。
大名自ら脱藩して幕府側で戦った林忠崇以外は維新後も旧大名としての身分を保証されて華族になってそれなりにいい暮らしをした。
ちなみに林忠崇は昭和16年まで生きた最後の殿様だが安アパートでに娘に看取られて寂しく死んだ。 >>157
愚痴は出るだろうがかつての幕臣や列藩同盟の藩士たちも生活もあるしな
幕末から明治にかけて暗殺は山ほどあったが、井伊大老から大久保まで
みな政治的な動機によるもので復讐のような政治的に意味がない暗殺は
ほとんどないだろう
太平洋戦争後も、部下の恨みを買いまくりで暗殺されてもおかしくないような
将官はいて、当人たちも報復を恐れていたそうだが、結局そうした事件は特に起きてない
奥崎謙三みたいなのはそうはおらんのだ 明治は遠くない、昭和は昨日
大正は一昨日、明日かは奈良 徳川慶喜は歴代征夷大将軍の中でただ一人
・・・自転車に乗れた! >>176 >>179
それは会津戦争で負けたあとの処理の話だろ
松平容保親子が腹を切ってればそもそも会津戦争は起きなかった >>120
徳川家を含め大名家は親疎はあれどすべて縁戚みたいなものだろう
欧州の諸王家が親類だらけと同じで、戦国から数えて300年間
基本三百諸侯間で嫁や養子のやり取り繰り返していればそりゃそうなるわ 徳川という気品あふれる名前から井出というどっしょうもない庶民の名前に。 >>146
一橋家の人は「徳川」だよ
当JAの水戸地区イチゴ生産部会は11月5日に、水戸野菜予冷センターでイチゴ「とちおとめ」を今シーズン初出荷し、生産者5人が315パックを出荷しました。
10月の台風では、大きな被害はありませんでしたが、夏の猛暑やミツバチの動きが活発になる時期が遅れた影響で、例年より10日遅い初出荷でした。同部会の徳川宗親部会長は、「生育は遅れ気味でしたが、品質は良いものができています」と、話していました。
ttp://www.mt-ib-ja.or.jp/report/post-853.html >>184
徳川慶喜は歴代征夷大将軍の中でただ一人
・・写真が撮れた >>190
維新後は写真マニアになったね。
写真集持ってるよ。
風景が多いけど、漁師の一家のポートレートとかも撮ってる。
被写体の一家のすっごい迷惑そうな表情が良いんだw >>184
>>190
つぎ征夷大将軍が任命されるのは何年後なんだろう >>186
大名に限らず侍はそのクラス(石高や職責)に応じてその間で通婚した。
だからは幕末には町方同心は殆ど家系図がどこかでつながっている親戚同士になって居た。
与力も与力同士の家で通婚したので殆どが縁つづき。
サムライに限らず被差別階級の穢多でも頭クラスになるとその頭クラスの家同士で縁組をした。
江戸時代はそういう時代であった。 >>164
無理だね。神輿に乗れる人がいないから。
なんせ、当時の天皇家には男子がいない。
早死したりで。
霊元天皇の玄孫である有栖川宮幟仁親王が皇族としては一番血が近いが、その子である
熾仁親王は倒幕派であり、慶喜討伐の大将だったからなw
もっと近い、東山天皇の孫は摂関家である鷹司に養子に行っていて鷹司輔平となり、
幕末時点では玄孫の正通とその子の鷹司輔煕。
それこそ、五世孫とか六世孫とかしかいない。
まだ子供だった明治天皇を手中に収めたやつが勝ったのさ。
幕末っていうか、江戸末期の天皇家や将軍家の早死のしかたはえげつないわ。 >>194
江戸城や内裏に閉じ込められた生活が体に悪いんだろうね。
磨き抜かれた白米しか食わんだろうから脚気にもなる。 じいちゃんがこの人のことケーキケーキ言うからよしのぶだよって教えてあげたらクスって笑われたんだがボケてんのかな 戊辰戦争の頃に輪王寺宮が東武天皇として即位してた説があるな
だから奥羽越列藩同盟は北朝だったといえるかもしれない >>23
明治政府と言うか薩長の策略
江戸幕府は暗愚な当主だったので潰れたとしたかった。 >>193
武家社会では奉行所の役人は差別されていて、奉行所以外で出世する道は皆無だったので結束が固かった、
と聞いたな >>179
ほへー知らんかったわとwiki見てみたら華族になってるしアパートは娘経営だし
その書きようとは違うな >>76
いたいないは議論しつくされているのし
今更いたんでしょうかとかレスしてるのって
頭大丈夫ですか? >>200
華族になっても秩禄債権以外の収入はない。
華族って体面を保つのに金がかかるだけで何の収入ももたらさないんだぞ?(貴族院議員にはなれるが互選だから林がなれるとはとても思えない)
日本のトップは責任を取らずその部下が自決して終わるという悪しき風習から外れて自らの意思で行動した林は立派だと思う。 でも宮内省や日光東照宮勤めして収入はできたようだし
老後は最後の大名とかインタビュー受けながら悠々自適だったとか書いてあったよ >>205
飯を食うのに困らんだけの話で万石の当主だったもんの最後にしてはあまりにも寂しい。
でもこのエピソードのせいで名前が後世に残ってると思うと人は死して名を残すを成し遂げたわけであってそれはそれでいいのかもしれん。 ニコニコ百科によれば娘の旦那銀行経営者で
食うに困らないどころか趣味の剣道書画和歌を楽しむ
文字通り悠々自適だったみたいだぞ こないだ出版のスレが立ってたのにあ
NHKが朝ドラ用に狙ってるとか 新撰組隊士最後の生き残りが昭和まで生きてたりもしたからな。
意外と近代まで江戸の匂いは残ってる >>196
自分では、読みはよしひさと書いていた
多分、よしのぶでなく、よしひさがホントの名前 >>211
> 新撰組隊士最後の生き残りが昭和まで生きてたりもしたからな。
誰?
永倉新八なら大正までだけど 徳川慶喜と言えばヘタレ将軍
自分から政権投げる君主なんて世界でも類を見ない >>216
昭和13年て太平洋戦争開始ちょっと前までご存命だったんだ
そう考えるとすごい >>215
一度政権投げ出して、どのツラ下げてるのかわからないけど、シレッと戻ってきた方もいらっしゃるからキニシナイw 慶喜君と清水の次郎長親分も結構良い友達だった様な🤝 >>222
次郎長一家も写真残ってるな、結構みんな、凄みがあったりなかったり、今の親分衆と似たような風貌 今の時代、徳川の末裔なんて言われても、
あっそうとしか思わない。 西郷どんのひーさま国父さまにちょっと言いすぎなんじゃないかと思います >>176
そりゃそうよ。
先の大戦でも、天皇は死ななかっただろ。
日本ではトップは責任取らない、というか、名目上のトップは実質上のトップじゃないんだよ。 面白そうなおばあちゃんだから、テレビで見たいって思ってたのに >>179
幕末の動乱通してでも命落とした大名は桜田門外の井伊直弼と
天狗党の処置に失敗した宍戸藩の松平頼徳くらいかな
他にいる? 徳川氏は家系図を捏造して清和源氏を詐称して将軍になったから好きになれんわ >>233
高松宮妃と秩父宮妃が徳川系だな
高松宮妃がこの井手さんの姉 >>44
慶喜が亡くなった9年後に久美子さんが生まれたと新聞に書いてあったよ >>239
侍の家系図はほんとあてにならんもんな。
仕官の都合で系図屋に作ってもらったのが殆どだろう。
あちこち任地をふらふら動きまくるから土着の百姓の方が余程家系がハッキリしてるとも言える。 詐称にしても日本の武家は源平藤橘に集中しすぎ
ブランドに弱い日本人の国民性が出てますねえ 既出かもしれないが、徳川慶喜は二人の妾にそれぞれ10人ずつくらい子供生ませて、総勢20人以上子供がいたんだよね
この>>1の人がどの系統なのかわからんけど
昔はおおらかだったな >>240
庄内藩なんかでも村上源氏由来の商人本間家の方が
松平郷に流れてきた徳阿弥とかいう坊主が祖先の酒井家より
血筋がよかったしな >>245
江戸時代の豪農や大商人とかは、元は武士であったりする血筋の良いとこが多いね
鴻池は山中鹿介の子孫で、元は尼子だったはずで、尼子は京極そして村上源氏だったか?の佐々木道誉と繋がったはずだし >>244
マジかよw
大河ドラマではそこらへんちゃんと描写してた? 水戸光圀の子孫が、茨城県で牧場を経営してなかったっけ?
動物園を経営してる人だっけ? >>248
大河見てないから知らんけど『徳川慶喜 側室』で検索するといろんなエピソードや画像がでてくる。
昔の偉い人や金持ちは何人も妾がいたからね。
勝海舟なんかも妻妾同居だったとか、妾の生んだ子も正妻が育てたとか何とか…って話がある
ちなみに徳川慶喜の『十男』精は勝海舟の孫娘と結婚してる >>251
皇室の今の現状も昭和天皇が側室を拒否したことに始まる。
昔の高貴な家系って今の会社みたいなもんだから好色以前にいっぱい子供、特に男子を作る義務があったんだよね。 でも現代の天皇が堂々と側室に子供何人も産ませてたら
それはそれでいろんな団体から攻撃されそう 本を買って読んだよ。徳川慶喜(爺)の実の姿がわかって大変
面白かった。しかし、その買った1か月後にお亡くなりなるなんて
まさに遺書みたいな形になりましたね。
ご冥福をお祈りします。 >>253
徳川家は初期を除いて本妻に子供は生ませない工作をしていたから基本的に側室の子しかいない。
慶喜公は将軍になる前に本妻を迎えているから早く死んだが本妻の子も生まれている。 水戸の斉昭の子(慶喜)が何で一橋になるの?
訳がわからん もう20年近く前になくなった方だけど大阪大学の教授だった徳川宗賢さんから
うちの父へのお悔やみの手紙いただいた時、
手紙に葵の紋様が入ってて家族で「おおお」ってなったのを思い出した
吉宗の系列だったかな >>215
それに慶喜は現役の将軍の頃でも江戸にいなかったからな >>248
慶喜には公家出身の一条美賀子という御台所がいたが一人娘が生まれてすぐ早世
そのため慶喜の子はすべて側室が産んでいる
久美子さんは慶喜と側室・新村信との間に誕生した徳川慶久の四女
当初、越前松平侯爵家の松平康愛氏と結婚するが夫が第二次世界大戦で戦死
戦後、医者の井手次郎氏と再婚した
ちなみに大河ドラマの「徳川慶喜」では正室・一条美賀子役の石田ひかりがヒロインを勤めたが
側室は出てこず、慶喜の子も登場しなかった >>256
養子に行ったから
>>258
松方冬子さんのお父様だっけ? 慶喜さんは、大政奉還した上で今の北朝鮮みたいな政権を作って実質には君主制を続けようとしたのかね 徳川慶喜は、金や禄を浪費するだけで役に立たない大奥や旗本を解体し、諸大名から代表を募り首相としてボナパリズム追及をはかったのだ >>250
牧場の人は一橋徳川家で>>189のように今はイチゴ農家に転向している
動物園は池田家の人 >>263
難しいところだね
途中までルイ16世と同じ道辿ってたから >>261
質問者ではないけど、最後やっぱりそうか、って感じ。
大河とか、歴史をねじ曲げ過ぎ >>262
徳川冬子さんと言えばお妃候補だったな、今は歴史学者 >>62
男系男子でも養子に出されたりするから、苗字が違うだけで徳川家康の血を引いた人はたっくさん居ると思う。 >>270
水戸系が一番多くて、次に紀州系
尾張系は櫛羅藩の永井家が唯一の男系子孫だが今も存続してるかわからん >>261
この人とすぐ上のお姉さんも正妻の子では無いって話があるよね
ある日慶久が二人の女の子を連れ帰ってきたって ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています