●民族を一つ滅ぼしたイギリス人

タスマニアへのイギリス人の入植は1803年から始まる。
タスマニア先住民は当時数千人いたと言われているが、
イギリス人による虐殺により苦難の時代を迎える。
イギリス人が原住民をカヌーで沖合まで移し、一斉射撃で射殺する事もあった。
イギリス人は、原住民が夜中、火を囲んで団欒している時を襲撃し、
子供を火中に放り込み、銃剣で突き刺すといった事もやった。
無傷の原住民に懸賞金がかけられ、原住民狩りという事も行なわれた



●人間狩りやってたイギリス人に動物保護の精神はない!

イギリス人の残虐性は動物にとどまらない。
植民地時代には原住民をスポーツ・ハンティングして虐殺して喜んでいた
サディストどもがイギリス人


●タスマニアン・アボリジニーはイギリス人によって全滅させられたのである。
1828年には開拓地に入り込むアボリジニーを、イギリス人兵士が自由に
捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
 

●イギリス人による原住民虐殺  「スポーツハンティング」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0