その頃、国は転向政策に力を入れ始めていた。

思想犯保護施設を整備し、
知識水準が高い左翼活動家たちの思想善導を推し進め、
戦時体制に組み込んでいくわけだ。

そこで利害が一致したのが牧口ら創価教育学会だった。

このため牧口らは
特高警察やその元締めである内務省警保局、さらには
共産党取り締まりに辣腕を揮い
転向政策の仕掛け人でもあった大物思想検事の平田勲らと
緊密に連絡を取り合っていた。

その頃、現世利益を強調する折伏に
舵を切っていた創価教育学会には
出版業を中心に
中小企業経営者が多く集まるようになっていた。

彼らは戦争文学で儲け、
それを信心の功徳と感じ、
営業成績を競い合っていた。

それでも創価教育学会が弾圧を受けたのは
他の宗教・宗派を
「邪宗」として認めない日蓮正宗の原理主義が
行き過ぎたからだ。

天皇も含め
国を挙げて日蓮正宗に帰依すべきとの牧口の考えは
国家神道とは相容れず、
それがため投獄されたのが実相だ。

決して反戦・平和を唱えたからではない。

じつのところ創価学会が
大々的に「反戦・平和の団体」を標榜したのは
池田氏の会長就任から
ちょうど10年が経った70年以降のことだ。

すでに過去の人となっていた牧口の獄死を
反戦・平和の象徴的出来事にすり替え、
かわりに真実を封印したのである。

学生部の精鋭メンバーは70年代前半、
敵対関係にあった共産党の委員長宅などの盗聴を繰り返し、
偽装入信させたスパイをライバル教団に潜入させたりもした。

90年に始まった日蓮正宗との宗門戦争でも
盗聴や尾行は秘密部隊である創価班広宣部を中心に
広く行われていたことが知られる。

http://bunshun.jp/articles/-/7059?page=3