6号墓の土手の内側に立ち、世界遺産候補になった感慨を語る鈴木さん
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キウス周堤墓群の位置図
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 千歳市中央の林業、鈴木昭廣さん(75)の敷地内には、世界遺産候補がある。国史跡キウス周堤墓群を構成する6号墓だ。周堤墓群を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」はこのほど、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録への推薦候補に決定。自身の所有地内の遺跡が世界遺産候補になったことに鈴木さんは「信じられない。不思議な感じがします」と話しながら、遺跡を守る決意を新たにしている。

 「よく見ないと、周堤墓とは気付きませんよね」。鈴木さんが指し示した一角は、平たんで土地の周囲を円上に盛り上がった土手にぐるりと囲まれている。周堤墓群を構成する6号墓で、鈴木さんの私有地内にある。市の資料によると外径45メートル、くぼみの深さは90センチ。掘削など土地の改良はできないが、鈴木さんは普段から敷地内の草刈りをするなど整備に取り組み、遺跡を守り続けてきた。

 キウス周堤墓群は、縄文時代後期(約3200年前)に造成された集団墓。全8基で構成し、縄文時代最大規模の墓とされる。「周堤墓」は掘った土を周囲にドーナツ状に積み上げて土手にして、中心に遺体を埋葬する形式の墓。千歳を中心に恵庭や苫小牧などでも発見されているが、周堤墓群は現代でも形状を明確に確かめられる貴重な遺跡だ。

 6号墓以外の7基は、いずれも財務省所有の土地にある。6号墓だけが鈴木さんの自宅を含んだ所有地にあり、やや離れた場所に位置する。鈴木家に残る書類によると、1872年に福島県から千歳に入植した曾祖父の故六三郎さんが、1911年に長沼村から購入した土地に6号墓が含まれていたという。「敷地内には幼い頃から周堤墓があり、特別なものとは考えていませんでした」と振り返る。

 かつて周堤墓は、アイヌ民族のとりで「チャシ」と考えられてきた。鈴木さんも父の故六一郎さんから「ここはチャシだ」と聞かされ、口調から大切な場所であると感じていた。64年から65年に行われた発掘調査の結果、縄文時代の墓と判明。「墓と知ってからは、今まで以上に大事にしようと思いました」と述懐した。79年に全8基が国史跡に指定されたことも「貴重な遺跡なので驚きはなかった」と当たり前のことと受け止めた。

 文化庁文化審議会はこのほど、周堤墓群を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」(全17遺跡)を世界遺産への推薦候補とすることを決めた。民間人の所有物や私有地内の建物や遺跡が、世界遺産やその候補になる例は国内外で複数ある。国内では個人所有の家屋が指定された白川郷(岐阜県)のほか、「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」では、人が居住する複数の集落が世界遺産に登録された。

 政府は今後、縄文遺跡群と「奄美大島、徳之島、沖縄県北部および西表島」(鹿児島、沖縄両県)とのいずれかの推薦に向けて、政府内で調整して絞り込む。来年2月1日までにユネスコに推薦書を提出する見通し。世界遺産登録を目指す動きが本格化する。

 鈴木さんは「6号墓は貴重な場所。世界遺産登録に向けて関係機関に協力していく。今後も(6号墓を)守り続けていきたい」。太古の人々が残した跡を見詰めている。

苫小牧民報 2018/8/15配信
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