275 : 名無しさん@1周年[] 投稿日:2015/06/21(日) 11:29:20.95
>>236
ポルトガル宣教師たちは日本の仏教僧侶とも宗教的対話を交わしているが
僧侶はきわめて素早くキリスト教の教義を理解してしまったようだね
とくに天台宗のように古今東西の宗教を研究している場合には
ネストリウス派の新バージョンだと理解するのも簡単であった
つまり宗教の教義のレベルでもむしろインド哲学を死ぬほど勉強している
仏教徒のほうが遥かに上であった
これではキリスト教よりも賢い現地宗教者が万人単位でいるわけであり
デウス様といったところで一般庶民すらなかなか入信させられない




307 : 名無しさん@1周年[] 投稿日:2015/06/21(日) 11:38:58.48
よく葬式仏教とか念仏仏教とか揶揄されるが
戦国後期の大きな寺院というのはむしろ研究機関であった
つまり貴族や上級武士の子弟を預かって、日本や中国の古典を叩き込み
どこに出しても恥ずかしくない教養人に育て上げ、その対価として
寄進を得るというのが重要な収入源であったし
それだけの知識教養を備えるには膨大な古典・仏典を研究していたわけだ
そして古代仏典になればなるほど深遠なインド哲学の影響から
驚くほど複雑な哲学的思考を要求される
大乗・小乗の論争などすでに宗教ではなく認識論の哲学に近い
こうした状況に宣教師が乗り込んできてもむしろ早々に論破されてしまい
宗教面でも退散せざるを得なかったわけだ