米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画が浮上して22年。
沖縄は、名護市辺野古への移設工事が本格化して初の知事選を迎える。
政局や選挙のたびに計画が二転三転し、翻弄され続けてきた辺野古住民は、様々な思いで選挙戦を見つめている。

 9月下旬。埋め立て予定地から約1・5キロ離れた辺野古集落は静けさに包まれていた。
かつて、約150軒ものレストランやスナックが営業していたが、現在はほとんどが店を閉じた。

 集落を見下ろす高台には、2004年に開校した国立沖縄高専がある。近くの米軍演習場からは機関銃の音が響く。
全学生の3分の2の約550人が道路を隔てた寮で暮らすが、集落に若者の姿は見られない。

 地元商工社交業組合の元会長・飯田昭弘さん(70)。経営するアパートに学生ら約50人が暮らすが、
「地域を活性化できる要素が何もない」とこぼす。

 隣接する米軍キャンプ・シュワブの使用開始は1956年。
米軍は地域の行事にも参加し、ベトナム戦争時は戦地に赴く米兵が集落にあふれた。普天間飛行場の移設先として浮上し、
住民組織の辺野古区は99年に反対を決議したが、10年には振興策などを条件に容認に転じた。
今では住民約1900人の大半が容認派とされる。ただ、住民が求めた下水道すら整備されておらず、高齢化も進んだ。

 昨年4月に護岸の建設が始まった。「新しい知事は国と連携し、実効性のある振興策を示してもらいたい」。
飯田さんは、古びた町並みを見つめた。

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 集落の中心部には、約8億円の国費を投じて建設された公民館がある。26日、住民組織の会合が開かれた。
 議題は、各世帯への戸別補償。住民組織が、米軍機の騒音などの補償として国に求めてきた。
防衛省沖縄防衛局から「法的根拠がなく実施できない」と回答があり、会合で住民説明会について協議したという。

 「戸別補償がなければ、(容認の)前提が崩れることになる。住民の総意を再確認すべきだ」。
移設の反対運動を続ける金物店経営の西川征夫さん(74)は語気を強めた。
急逝した翁長雄志・前知事が国と法廷闘争を続けながらも工事が進む状況に「諦めの気持ちもある」。
ただ、「補償がないと分かれば、容認した住民の意識も変わるはずだ」と思う。

 「容認」「反対」で色分けされ、友人も失った。知事選では、基地のない地域への思いを1票に託す。
「地元が分断されたことが何より悲しい。元の辺野古に戻してほしい」とつぶやいた。

https://www.yomiuri.co.jp/election/local/20180930-OYT1T50101.html