会津武士道は嘘だった…残虐な会津…

英国公使館員の維新戦争見聞記

会津兵は天皇の軍勢の戦闘員ばかりか
彼らの手に捕らえられた人夫たちまでも殺したといわれる。
この話の確証として、四日間も雪のなかに倒れていて
両足の機能を失った一人の人夫にあったことを、私はここに記しておきたい。
その人夫はもし会津兵につかまったならば
むごい死に目にあわされていただろうと私に語った。

そのほか、私は若松で世にも悲惨な光景を見た。
たくさんの死体が堀から引き上げられたが
彼らの両手は背中にうしろ手に縛られ
腹が深く切り裂かれていたのだ。

私は会津の徒党のでたらめな残酷物語をいろいろと耳にした。
長岡で、彼らは天皇側の病院にいる負傷兵や医師たちを皆殺しにした、と聞いた。
会津兵が越後に退却して行く途中、彼らは女たちを強姦し、家々に盗みに入り
反抗する者をみな殺害したのである。