私は落陽に生まれました。チャイナ人は博徒 好きなんだねw吉田拓郎:落陽  Rakuyo (つま恋2006)
・在日中国人女性 鳴霞さん(近畿福祉大学講師)の「親日の告白」(SAPIO)5/25号) http://www.youtube.com/watch?v=VpN1zswp_Jw&;feature=relmfu
 「未だ法治国家になれない中国には、言論の自由もなく、民主主義国家におけるさまざまな権利を認められた国民も存在しません。教科書新聞、ネット、テレビなどすべての媒体は共産党政府が一元管理しています。
 また、少なくと1億人以上(中国政府発表)の字が読めない人や一般人民が日本の歴史教科書や靖国神社の実態を知るわけがありません。
李肇星外相がいう中国人民の感情とは共産党政府の政治宣伝なのです。 これから私が正しい歴史認識をいかにして持ち、日本が好きになったのかをお話ししたいと思います。
 反日暴徒は文革時代の紅衛兵そっくりで、私は落陽に生まれました。両親の仕事の関係で、小学校2年まで祖父母に育てられました。祖父は、旧満州で日本軍が関係する会社と付き合いがあり、
常日頃「日本軍人は親切で礼儀正しい」「日本人は約束を守る」と言っていました。また祖父母は、私に「君子」という日本風の名前を付け家の中ではその名前で呼ばれていました。
 
私は絵が得意なこともあって、中学入学と同時に共産主義青年団(共青団)に入りました。共青団は中学生から成人(中国では18歳)して共産党に入るまでの青少年エリートが入るものです。普通はクラスの半数以上の推薦が必要ですが私は幸運にも学校推薦で入ることができました。
 当時は1972年の日中共同宣言が締結された頃で、資本主義帝国批判の流れの中で日本批判はありましたが、全体的には親日的な報道で溢れていました。逆に当時使用した歴史教科書はソ連との対立からソ連批判一色で南京大虐殺などの日本批判はありませんでした。