朝鮮燕行使

朝鮮から明に送った使節は1年3使の定期使行と非定期使行があり、李氏朝鮮の建国(1392年)
から明滅亡(1644年)までの252年間の使節団の数は定期使節だけで約700回以上を派遣した。

朝鮮燕行使は、丙子の乱で李氏朝鮮が清に降伏した1637年から、日清戦争により冊封体制
から解放される1895年まで約250年続き、その回数は500回以上或いは清の入関(1645年)
から甲午改革の1894年までの250年間の数は約600回[1](当初は毎年4回、1644年以降は
年1回)。

定期的な使節
歳幣使=年貢使
三節使=冬至使、聖節使(皇帝の誕生日祝い)、正朝使(正月祝い)

臨時的な使節
謝恩使(皇帝への謝恩)
陳慰使(皇帝を慰み申し上げる)
進賀使(皇帝へのお祝い)
進香使(線香をあげに行く)
陳奏使(皇帝への上奏)
告訃使(自国の国王の訃報を伝える)
奏請使(皇帝に裁可を求める)
問安使(視察団)