衆目の一致するところ、津川雅彦は兄の長門裕之に比べると一桁も
二桁も格落ちの俳優であった。

その妻朝丘雪路は義母マキノ智子の介護を長門裕之の妻である
南田洋子にすべて押し付けて、自分自身は何もしなかった。

津川雅彦は人気凋落にともなう芸能収入の先細りを回復するために
おもちゃ販売会社 「グランパパ」を創業するも、たちまち経営的に
行き詰まり、莫大な借金を抱えた。なりふりかまわず政治家や実業家に
取り入って金策に駆けずり回った。このときおぼえたうまい汁が忘れられず、
保守系政治家べったりとなり、それなりのゼニと役職にありついた。
いま跋扈するウヨ芸能人のはしりといえる。