これを 「三長官報告」(「法務大臣、検事総長、検事長への報告」)と呼んでいる。
行政機関である以上は、検察庁も、国会で選ばれた内閣の指揮監督下にあるという原則を維持する必要があるので、「検察の職権行使の独立性」の例外
を設けているのがこの法務大臣の指揮権の規定である。

「特別の事件」の典型が、国家としての主権を守り、他国との適切な外交関係を維持することに影響する「外交上重大な影響がある事件」である。実際に、2010年9月に起きた尖閣諸島沖での中国船の公務執行妨害事件では、
那覇地検次席検事が「外交上の影響」を考慮して船長を釈放したことを会見で認めた。それが、当時の民主党内閣の判断によるものであることは明白だったが、外交関係への配慮も含め、すべて検察の責任において行ったように
検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をするにとどめた。この事件でも、外務大臣も含む内閣の判断が、法務大臣の検事総長への指揮という透明な手続で、刑事事件の捜査・処分に反映されるべきであった。

ゴーン氏起訴に対する安倍内閣の責任
今回の事件でゴーン氏が起訴され、しかも、起訴事実が、上記のような罪状にとどまった場合、フランス政府が筆頭株主のルノーの会長でもあるゴーン氏に対して、日産経営陣のクーデターに手を貸すかのような突然の逮捕を
することを正当化することは到底できない。フランス、レバノン、ブラジル等との外交関係にも重大な影響を生じかねず、また、日本の刑事司法に対する国際的信頼を損ないかねない。

「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(憲法66条3項)。行政機関である検察の権限行使も、当然、この「行政権の行使」に含まれるのであり、安倍内閣にとって、日本の国益にも社会的利益
にも重大な影響を与える事件ついて、検察の「組織の論理」によって起訴が行われ、国益が損なわれようとしている時には、「検察当局の判断に委ねる」ということで済ますことはできない。

「行政各部を指揮監督する」(憲法72条)内閣総理大臣として、法務大臣を指揮する立場にある安倍首相は、法務大臣の指揮権によって検察のゴーン氏起訴を止めることの是非を真剣に検討しなければならない。そこで必要
なことは、検察がゴーン氏に対して行おうとしている刑事処分が、検察の「組織の論理」だけでなく、日本の経済社会のみならず国際社会の常識から逸脱したものでないかどうかを、内閣の責任において検討することである。

安倍首相が、「適材適所の閣僚人事」として、検察官・法務省官僚の経験を有する山下貴司氏を法務大臣に任命しているのも、このような場合に、内閣の一員たる法務大臣として、事件の内容や身柄拘束の当否等について
検察当局から詳細に報告を受け、適切な対応をおこない得るからであろう。

検察がゴーン氏に問おうとしている「罪状」は、有価証券報告書への役員報酬の記載という上場企業の開示の問題である。役員報酬の虚偽記載、しかも支払方法も確定していない「退任後の報酬」の記載が、投資判断にとって
「重要な事項」と言えるかという点は、本来、金融庁の専門領域である。また、その程度の「罪状」による検察の逮捕、長期間にわたる身柄拘束が、先進国の常識を逸脱したものでないか、それが国際社会からどのような批判
を招くのかという点は、外務当局において把握できる。

これらの点について、内閣として、慎重な検討を行った上、安倍首相と山下法務大臣との間で協議・検討し、検察のゴーン氏の起訴方針に対する指揮権の行使を検討すべきである。

日本政府は、韓国最高裁の徴用工判決という「司法判断」について韓国政府を厳しく非難しているのであり、ゴーン氏起訴に対する国際的批判が起きれば、「司法判断だ」という理由で批判をかわすことはできない。ましてや、
検察は、準司法的性格を有するとは言え「行政機関」である。検察の捜査や起訴に対する批判は、政府として正面から受け止めざるを得ない。

ゴーン氏の事件は、決して同氏個人の問題ではない、日本の国と社会の利害に関わる重大な問題である。検察庁の権限行使に対して、最終的な責任を負うのは、内閣の長たる総理大臣の安倍首相なのである。